第16話 封鎖教室の設計図
封鎖教室は、中央塔の三階と北棟をつなぐ渡り廊下の先にあった。
今は誰も使っていない細い廊下で、窓ガラスの半分は曇り、足元の板は長年の埃をかぶっている。扉だけが妙に頑丈で、外側へ鉄帯が二重に回されていた。
集まったのは五人だった。
アルシャール、ジェシー、クヌーティラ、ズドラフコヴィチ、そして記録役としてカトリーナ。キンバリーは「なんで私だけ留守番」と不満そうだったが、食堂と入口の見張りを任され、渋々引き下がった。人の出入りを減らす必要があったからだ。
「鍵」
アルシャールが手を差し出す。
ジェシーは一度だけ扉を見上げ、それから鍵を渡した。
挿し込んだ途端、内部で重い金具がずれる音がした。一本の鍵なのに、三つ四つ同時に外れていく感じがする。
「面倒な扉だ」
ズドラフコヴィチが腕まくりをした。
「開ける側の根気を見る仕組みかもしれない」
クヌーティラが軽く言う。
「悪趣味だな」
「貴族の建物はだいたいそうだよ」
最後の金具が外れたあとも、扉はすぐには開かなかった。
木が湿気で膨らみ、下部が床へ噛んでいる。ズドラフコヴィチが肩を入れ、アルシャールが取っ手を引き、ようやく隙間ができた。
その瞬間、何年も閉じ込められていた空気が細く吐き出される。
古紙。乾いた木。時計油。それに、石の地下から上がってくるような、冷えた匂い。
部屋の中へ差し込んだ朝の光は、埃で白く濁った。
最初に見えたのは長机の列。
その奥に棚。さらに奥に大きな図面台。壁一面の木箱。黒板。地図掛け。
教室というより、資料室と工房を半分ずつ足したような部屋だった。
ジェシーが一歩入ったところで止まる。
「……教室」
その声は、少しだけ幼く聞こえた。
ずっと外からしか知らなかった部屋が、ようやく中身を見せたのだ。
アルシャールは近くの机の埃を払った。
紙束が積まれている。寄付台帳。生徒名簿。迷宮当番表。実習記録。ひとつひとつは古いが、保存状態は悪くない。封じた人間は、忘れさせたかったのではなく、隠したかったのだと分かる残し方だった。
「こっち」
カトリーナが棚の一段を指す。
「歴代の診療記録まである」
「学校付きの医務室だったからね」
クヌーティラが手袋をつけながら答える。
「人を鍛える場所は、壊した体も戻せないと続かない」
ズドラフコヴィチは壁際の木箱を開け、古い器具や石製の固定具を見つけて唸った。
「実習室でもあったのか」
「迷宮補修の授業かもしれない」
アルシャールは床の傷を見る。
重いものを何度も引きずった跡が、図面台の前から奥の壁まで続いていた。
その奥だった。
大きな布をかけられた図面台をジェシーがめくり、全員の手が止まる。
青い線で描かれた、白銀騎士学校の全体図。
中央塔、北棟、講堂、地下階段、迷宮一層、二層、さらに深部へ落ちる螺旋通路。
ただの校舎図ではない。
時計の主軸から、地下深部へ向けて複数の線が伸びている。線の先には、
《封圧路》
《同調点》
《核室》
と記されていた。
「学校が……封印装置」
ジェシーが呟く。
アルシャールは喉の奥が乾くのを感じた。
戦場で拾った懐中時計と、ここにある主機構が同じ系譜だと分かったときから、ただの時計ではないと思っていた。だがここまで露骨に一本の図で示されると、話の重さが違う。
クヌーティラが別の図面を広げる。
そこには中央塔の内部断面と、外周に取り付ける小さな副針装置の設計が描かれていた。
「副針?」
カトリーナが読む。
「主機構との同調鍵、とある」
ジェシーが息を呑む。
「同調した者だけが、停止領域で動ける……そういう意味かもしれない」
彼女の声が速くなる。
工具を手にしたときと同じだ。頭の中で仕組みがつながり始めている。
図面台の脇の引き出しには、布に包まれた金属部品が五つ入っていた。その下には、王都で行方を失ったはずの懐中時計が、銀の蓋を閉じたまま収められていた。
長針にも短針にも似ていない、細い副針。根元に歯車を噛ませるための小さな突起があり、先端には同じ紋様が刻まれている。
アルシャールがひとつ持ち上げた瞬間、指先がかすかに痺れた。
静電気ではない。時計遺物に触れたときの、あの耳の奥の緊張に近い。
「五つある」
ズドラフコヴィチが数える。
「設計図も五口分だ」
「つまり、主機構で大きく止めたとき、五人まで動ける前提だった」
アルシャールは言う。
「誰が使う想定だったのかしら」
カトリーナが問う。
「たぶん、校舎側の担当者」
ジェシーが即座に答えた。
「時計技師、迷宮補修、救護、運搬、指揮。そういう役割ごと」
その答えがあまりに自然で、アルシャールは思わず彼女を見る。
ジェシーはもう図面の上に前髪が落ちるのも気にせず、細部を追っていた。
棚の下段からは寄付台帳も見つかった。
閉鎖直前の数年だけ不自然に空白が多い。しかも、支援を止めた家と、差し押さえに名を連ねた家の一部が重なっている。
クヌーティラの顔から笑みが消えた。
「これで言い逃れは苦しい」
「苦しいどころじゃない」
アルシャールは台帳をめくる。
「学校を枯らして封印機構ごと手に入れようとしたと読める」
「地下まで含めてね」
クヌーティラの声音が珍しく低い。
「バルディエンは、学校の土地だけ欲しかったわけじゃない」
部屋の奥には、地下講堂へ下りる隠し階段の図まであった。
講堂の下に、核室へ続く別路がある。校舎正面の階段ではなく、中央塔の主機構と一体化した保守用通路だ。
今まで誰も知らずにいた道だった。
記録を書いていたカトリーナが、ふと手を止めた。
「ねえ」
彼女は生徒名簿の端を見せる。
「ここ、最後の卒業年だけ備考欄が多い」
書かれていたのは、成績ではなかった。
《同調適性あり》
《夜間保守班》
《深部立入許可》
教育機関としての顔の裏に、町を守るための班編成があったのだ。
「ずっと、学校のふりをしてたわけじゃない」
ジェシーがぽつりと言う。
「学校であること自体が、封印の仕組みだった」
人が集まり、学び、鐘が鳴り、時間が正しく流れる。
その日常そのものが、迷宮核を鎮める条件だったのかもしれない。
止まったのは時計だけではない。学校が空になったことで、封印も弱っていったのだ。
アルシャールは図面台へ両手をついた。
ここまでくれば、差し押さえを拒む言い分はただの感情論ではなくなる。
白銀騎士学校は、町の安全機構そのものだ。
私有地として切り売りしていい場所ではない。
「持ち出せるものは持ち出す」
アルシャールが言う。
「だが雑に運ぶな。台帳は順番を崩さない。図面は丸めずに板へ固定。副針部品は布を替えて個別に」
ジェシーがすぐに頷く。
「分かった。あと、写しも作る」
「今日のうちに?」
「今日のうちに」
彼女の目はもう、差し押さえの通達に怯えていた昨夜のものではなかった。
やることが見えた人間の目だ。
部屋を出る前、アルシャールはもう一度だけ振り返った。
長年閉ざされていた教室には、薄い光が入り、埃の筋が白く揺れている。机も棚も、誰かが戻ってきて使うのを待っていたみたいだった。
廊下へ出たところで、ジェシーが足を止めた。
「ねえ」
「何だ」
彼女は布に包んだ副針部品を抱えたまま、少しだけ視線を落とす。
「私、ずっと時計を守ってるつもりだった」
「守ってた」
「でも、仕組みの半分も知らなかった」
アルシャールは答える前に、一歩だけ近づいた。
「知らなくても守ってたなら十分だ」
ジェシーが顔を上げる。
「これからは、知ったうえで守ればいい」
しばらくして、彼女は小さく息をついた。
「……それ、ずるい励まし方」
「そうか」
「効くから」
その言葉に返事はしなかった。
ただ二人で、まだ埃の匂いの残る廊下を並んで歩いた。
白銀騎士学校は、偶然そこに建っているわけではない。
その事実が、ついに形になって手の中へ来た。




