第15話 校舎差し押さえの通達
差し押さえの通達は、よく晴れた午前に来た。
そういうものはたいてい雨の日に来る気がしていたから、アルシャールは最初、その男が帳簿商か何かだと思った。灰色の外套に皺ひとつなく、馬もよく磨かれている。手にしている革筒だけがやけに固そうだった。
男は正門の前で止まり、校舎をひと通り見たあとで名乗った。
「バルディエン家の代行人だ」
その声は無駄に大きくも小さくもない。
仕事として言い慣れている人間の声だった。
ちょうど校庭では、昨日入ったばかりの若者たちが石運びの手順を教わっていた。食堂の窓口には早めの客が並び、洗濯場では布を干す未亡人たちの笑い声がしている。
その全部を見渡せる場所で、男は革筒から一枚の公文書を抜いた。
「白銀騎士学校について、旧債務不履行および管理不能状態の継続を理由に、校舎および周辺地の差し押さえ手続きに入る」
読み上げる声は事務的だった。
だからこそ、言葉の冷たさだけがはっきり残る。
校庭の音が止んだ。
石を持ち上げかけた若者が、そのまま動きを失う。食堂の窓口で銅貨を出していた老婆が、手を引っ込める。キンバリーは今にも噛みつきそうな顔で一歩前へ出かけ、ズドラフコヴィチに肩を押さえられた。
アルシャールは文書を受け取った。
印章は本物だ。文面も抜かりない。今まで積み上げた日々とは関係なく、閉鎖前の数字だけで切ってくるやり方だった。
「異議申し立ての猶予は」
「形式上、十日」
代行人は答える。
「ただし、実質的に覆すのは困難かと」
「親切だな」
「助言です」
そのとき、食堂の窓からキンバリーの声が飛んだ。
「助言なら帰れ!」
「静かに」
ジェシーが短く言う。
声は静かだったが、目の色だけが冷たく光っていた。
代行人は校舎の壁と中央塔を見上げた。
「再利用の価値はあります」
その一言で、アルシャールの内側の何かが音を立てた。
学校ではなく、価値。人ではなく、再利用。
目の前の男に悪意があるわけではない。ただ、自分が何を言っているか分からない種類の手合いだった。
「通達は受け取った」
アルシャールは紙を折る。
「返事は後日だ」
「十日以内に」
「分かってる」
代行人が去ったあとも、校庭の空気はすぐには戻らなかった。
昨日、自分の役割札を受け取ったばかりの若者たちが、互いの顔を見合っている。未亡人の一人が、干しかけた布を見たまま動かない。子どもたちは意味を完全には分かっていないが、大人の顔色だけで何か悪いことが起きたと察していた。
クヌーティラが先に口を開いた。
「向こうも焦ったね」
「何が」
アルシャールが聞く。
「昨日までなら、潰れかけの廃校に手続きを入れるだけで済んだ。だが今は違う。人が戻り始めた。売上も立ち始めた。迷宮の入口も押さえ始めた」
彼は通達書を指で弾く。
「だから、育つ前に刈りに来た」
ズドラフコヴィチが低く唸る。
「十日で追い出されるのか」
「まだ決まってない」
アルシャールは言った。
だが、自分の声がいつもより硬いのが分かった。
昼の食堂は、いつもより客が少なかった。
誰もが様子を見ている。ここへ銅貨を落としても、十日後に消えるかもしれない場所に払うのはためらう。それは責められない。
キンバリーは皿を乱暴に拭き、何度も布を絞り直していた。
「私、ああいう顔きらい」
「知ってる」
「殴っていい?」
「だめ」
「ひとつもいいこと言わない」
「それも仕事だからだ」
「だから余計に腹立つ」
午後、事務室では通達書を囲んで重い沈黙が落ちていた。
ジェシーは紙をじっと見ていたが、やがて引き出しの奥へ手を入れた。
古びた鍵が一本、机の上へ置かれる。
真鍮色はくすみ、持ち手には小さな副針の模様が彫られていた。
「まだ見ていない部屋がある」
誰もすぐには意味をつかめなかった。
アルシャールが鍵を見る。
「封鎖教室か」
ジェシーが頷く。
「ずっと開けなかった。前の管理者に、触るなと言われていたから」
「今さら守る義理はないな」
クヌーティラが静かに言う。
「ない」
ジェシーははっきり返した。
「守っても、守られるものがなかった」
彼女は一度だけ息を整えた。
「その部屋の鍵だけは、最後まで渡さなかった。意味があると思っていたから。意味が分からなくても」
アルシャールは鍵を見つめる。
ここまで帳簿を洗い、流出を追っても、まだ向こうが強気でいられる理由がある。
土地か、地下か、それとももっと別の何かか。
答えは、閉じたままの部屋に残っているかもしれない。
「今夜は開けない」
アルシャールは言った。
「人の目が多い。明日の朝、必要な人間だけで見る」
ズドラフコヴィチが腕を組む。
「俺は扉を開ける役か」
「たぶんそうなる」
「久しぶりに楽しそうな顔したな」
「してない」
「した」
その夜、校舎の中は妙に早く静まった。
差し押さえの話は町じゅうへ回っただろう。けれど誰も完全には帰らなかった。洗濯場の布は取り込まれ、食堂の竈は最後まで温かく、役割札は黒板から外されないままだった。
諦めるならもっと早い段階で諦めている。
ここまで戻しておいて、紙一枚で全部を手放せるほど、人は器用ではない。
中央塔の下で、アルシャールはもう一度通達書を開いた。
夕方の光が赤い印章を鈍く照らす。
後ろからジェシーが来て、黙って隣に立った。
「怖い?」
彼女が聞く。
「少し」
アルシャールは嘘をつかなかった。
「負けるのが?」
「違う。十日前後で、人の気持ちが折れるほうだ」
ジェシーは通達書ではなく、校舎の窓を見た。
「じゃあ折らせない」
その言い方はいつも通りぶっきらぼうなのに、不思議と真っすぐ胸へ入る。
「明日、開ける。あの部屋を」
「ああ」
「守るだけの話は、もう終わり」
アルシャールは鍵を受け取った。
冷たい金属が掌に沈む。
「奪い返す話にする」
ジェシーが、ほんのわずかに頷いた。
止まった時計の影が二人の足元へ長く落ちる。
白銀騎士学校は、十日後に消える場所ではない。
そう言い切るための証拠を、明日、閉ざされた教室から引きずり出す。




