第14話 花火代を稼げ
その日の夜、食堂の売上計算は、途中からささやかな宴会みたいになった。
もっとも酒は一滴も出ていない。卓の上にあるのは銅貨と銀貨の山、豆の殻、売れ残り半分の燻し芋、そしてジェシーが持ち込んだ大きな帳面だけだ。
「今日は伸びた」
キンバリーが誇らしげに言う。
「昼の回転が二回半。薬草塩の燻し芋、完売。肉皮せんべい、あと三枚。焼き豆は最後に子どもがさらった」
「子ども相手にさらったは言い方が悪い」
アルシャールが銅貨を十枚ずつ並べながら言う。
「じゃあ奪取された」
「もっと悪い」
クヌーティラが椅子の背にもたれ、指先で銅貨を弾いた。
「上出来だね。町の人間は、もう『ここは明日も開くかもしれない』と信じ始めてる」
「かもしれないじゃ困る」
ジェシーは帳面から目を上げない。
「開ける」
「頼もしい」
食堂の壁には、新しく布札が吊られていた。
《本日入学 二十名》
《迷宮安全地帯第一 維持費》
《中央塔修理 必要部材》
ここまでは全部アルシャールが決めた実務の札だ。
だが、その隣にだけ、少し曲がった字で大きく書かれたものがある。
《花火代》
アルシャールは、その札を見るたび眉間が寄った。
原因は目の前で燻し芋を齧っている半人狼だ。
「だから言ったでしょ」
キンバリーが胸を張る。
「儲かったら花火を上げたいって。町の上でどーんって」
「気持ちは分かるが、先に屋根と窓と釘だ」
「屋根と窓だけ見てたら、顔がずっと下向く」
彼女は言い切った。
「上向く日がないと、人って働くの飽きるよ」
食堂の空気が少し静かになる。
キンバリーが勢いだけで喋っているように見えて、たまに正面から刺してくることを、皆もう知っていた。
アルシャールは銅貨の山を見た。
今日の売上から食材と燃料を引き、洗い場の補充を回し、迷宮遠征のための縄代を残す。残りは決して多くない。
だが、少なくてもゼロではない。
「花火は高い」
「高いね」
クヌーティラが平然と相槌を打つ。
「火薬、筒、職人、運搬。辺境価格ならなおさら」
「ほら見ろ」
「ただし、小さく始めるなら話は別だ」
クヌーティラの口元が上がる。
「市場一回ぶんの呼び物として、小型の筒花火を数本。それなら不可能ではない」
「やれる!」
キンバリーが身を乗り出す。
「まだやるとは言ってない」
アルシャールは釘を刺した。
「なら、いつ言うの」
「計算してからだ」
そう言うなり彼は本当に紙を引き寄せた。
材料費、運搬費、火の見張り、人集めの札代、延期時の保管費まで書き出す。卓の向こうでズドラフコヴィチが肩を震わせた。
「笑うな」
アルシャールが睨む。
「いや」
ズドラフコヴィチは咳払いをした。
「冗談半分の話に、本気で予算表を作る男だと思ってな」
「冗談半分で口にした目標ほど、放ると士気が落ちる」
アルシャールは紙から目を上げずに返す。
「言ったなら、できるかできないかを数字にする」
カトリーナがくすりと笑った。
「向いてるわね、校長代行」
「褒められてる気がしない」
「合ってるってこと」
ジェシーがその紙を覗き込む。
「火薬の仕入れは町の商人じゃ無理。外から引く必要がある」
「分かってる」
「保管場所は乾いていて、鍵がかかって、子どもの手が届かない部屋」
「それも考える」
「……本当にやる気だ」
「やれる可能性があるならな」
そこでようやく、ジェシーの口元もほんの少し緩んだ。
翌日から、校舎の空気は妙に変わった。
食堂の壁の《花火代》の札が、誰の目にも入るところにあるせいだ。
売店で客が一皿多く頼むと、キンバリーが「花火が半歩近づいた!」と騒ぐ。迷宮から鉱石を一袋多く持ち帰ると、若者たちが「火花一つぶんだな」と笑う。洗濯場の未亡人たちまで、「布を破らずに済んだら火花一つ」と言い始めた。
最初は冗談のつもりだった。
だが冗談は、繰り返すと目標になる。
アルシャールはそれを見て、壁の札の下へ新しい欄を書き足した。
《花火代 達成条件》
一 中央塔修理費を食わないこと
一 冬支度の備えを削らないこと
一 迷宮安全地帯の維持費を先に積むこと
一 余剰が出た分だけ積み立てること
キンバリーがそれを読んで、唇を尖らせた。
「固い」
「火を上げるんだ。固くて当然だ」
「夢が数字で囲まれてる」
「数字で囲わない夢は燃えやすい」
クヌーティラはそのやり取りを面白そうに眺め、町へ出るついでに花火師の伝手を当たってくると言い出した。
「落ちぶれ家でも祭りの知り合いくらいはいる」
「本当にいたのか、そんな知り合い」
ジェシーが呆れる。
「祭りの夜は、顔の広い人間ほど得をするからね」
「あなた、そういうときだけ役に立つ顔してる」
「そういうとき以外も役に立っているつもりだよ」
その夕方、講習室では読み書きの練習を終えた子どもたちが、黒板へ勝手に花火の絵を描き始めた。
丸く開くもの。筋の長いもの。途中で芋みたいな形になってしまった失敗作まである。ジェシーは最初止めかけたが、結局消さなかった。
「見苦しい」
そう言いながら、空いた端へきれいな円を一つ描き足す。
「描けるじゃないか」
アルシャールが横から見る。
「円くらいは」
「花火に見える」
「見せた」
それだけ言ってチョークを置く手つきが、少しだけ照れていた。
夜、食堂の片づけが終わったあと、アルシャールは一人で中央塔の下に立った。
見上げれば、止まった文字盤は相変わらず六時三分を指したままだ。
だが校舎の中では、灯りが前より多く点いている。食堂の窓。講習室の廊下。仮眠室の小さな置き時計。
人が戻れば、光も増える。
後ろで足音がした。
ジェシーだった。
「まだ計算してる顔」
「顔に出るか」
「かなり」
彼女は塔の石壁へ背を預け、同じように空を見上げた。
「花火、嫌い?」
「嫌いじゃない」
アルシャールは少し考えてから答える。
「ただ、浮かれて先に足元を崩すのが嫌いだ」
「知ってる」
「なら聞くな」
「でも」
ジェシーは目を細めた。
「上を向く日を先に決めるのは、悪くないと思う」
その声が思ったより柔らかかったので、アルシャールは横を見る。
彼女は空を見たままだ。
「ずっと下ばかり見て直してると、何のために直してるのか分からなくなるから」
しばらく返事が出なかった。
やがてアルシャールは、小さくうなずく。
「じゃあ、上げる」
「うん」
「ただし、ちゃんと稼いでからだ」
「そこは曲げないのね」
「曲げるとたぶん俺が眠れない」
ジェシーが肩を揺らした。
「あなた、寝るの得意でしょ」
「好きでそうなってるみたいに言うな」
「少しは」
塔の上の時計は動かない。
けれどその下で交わした約束は、たしかに明日へつながる音を持っていた。




