第六話 神にされた男
地下の祠で見つかった石棺。
そこには、三上宗一郎の筆跡でこう記されていた。
「ここに眠る者を、キリストと呼ぶな」
追手の足音が迫る中、怜司と澪は、村が隠し続けた本当の墓と向き合う。
※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。
※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。
※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。
石棺の上に置かれた木札には、父の筆跡が残されていた。
――ここに眠る者を、キリストと呼ぶな。
三上怜司は、その一文から目を離せなかった。
父の字だった。
細く、右上がりで、最後の払いだけが強い。子どもの頃から何度も見てきた字。だが、その字が今、地下の祠にある石棺の上で、死者の名を拒んでいる。
キリストと呼ぶな。
ならば、ここに眠る者は誰なのか。
青森の山奥にある「キリストの墓」。
二本の十字架。
イスキリという名。
ナニャドヤラの歌。
墓守の三上家。
歌守の十和田家。
記録を預かる葛原家。
そのすべてが、この石棺へ向かっていた。
背後の通路から、追手たちの足音が近づいてくる。
ライトの白い光が、土壁をちらちらと照らした。
「見つけたぞ」
男の声が響いた。
澪が息を呑む。
怜司は文箱を抱え、石棺の前に立った。
「下がってください」
澪が小声で言った。
「無理です」
「三上さんが狙いです」
「だから下がれません」
怜司は石棺を見た。
ここまで来た。
父の沈黙の奥に、ようやく手が届きかけている。
ここで奪われるわけにはいかない。
追手の一人が、祠の入口に姿を見せた。
黒い防寒着。顔にはマスク。手には懐中電灯と、小型のカメラのようなものを持っている。続いて、もう一人。さらに、その後ろに三人目の影が見えた。
村の人間ではない。
動きが違う。
山道に慣れていない足運び。だが、目的地だけは正確に知っている歩き方。
「筒を渡せ」
先頭の男が言った。
「誰ですか」
怜司は尋ねた。
男は答えない。
「倉庫から木簡と布片を盗んだのは、あなたたちですか」
「質問する立場だと思うな」
「なら、こちらも渡す理由がありません」
男のライトが怜司の顔を照らした。
まぶしさに目を細める。
「その筒は、あんたのものじゃない」
「あなたたちのものでもない」
「文化財は、正しい場所に保管されるべきだ」
その言葉に、怜司は眉をひそめた。
「文化財?」
「こんな村に置いておくには価値がありすぎる」
男の声には、興奮が滲んでいた。
「古代文字、異国由来の布、キリスト渡来伝承。真偽などどうでもいい。話題になる。金になる。人が集まる。研究者も、メディアも、宗教団体も、みんな食いつく」
澪が怒りを抑えた声で言った。
「あなたたちは、伝承を売るつもりなんですか」
男は笑った。
「売る? 違うな。眠っているものに価値を与えるんだ」
「それを売ると言うんです」
「綺麗事を言うな、民俗学者」
男は澪にライトを向けた。
「お前たち研究者だって同じだろう。土地の話を集めて、論文にして、名前を残す。俺たちと何が違う」
澪は一瞬、言葉に詰まった。
怜司はその前に出た。
「少なくとも、死者を出してまで奪いません」
男の空気が変わった。
「死者?」
「葛原修二さんを殺したのは、あなたたちですか」
男は沈黙した。
その沈黙は、答えを避ける沈黙ではなかった。
予想外の言葉を聞いた沈黙だった。
「死んだのか」
男が呟いた。
澪が怜司を見た。
怜司も気づいた。
この男たちは、葛原修二の死を知らなかった。
ならば、犯人は別にいる。
それとも、少なくとも彼らだけではない。
「俺たちは殺していない」
男が言った。
「信じろと?」
「勝手にしろ。だが、こちらの目的は資料だ。人を殺す必要はない」
「倉庫に火をつけた」
「燃やしたのは保管記録だけだ。中身は先に抜いた」
「それを犯罪と言います」
「墓を隠し続けた連中に言われたくない」
男は一歩前へ出た。
その瞬間、石棺の内側で何かが鳴った。
こつん。
全員の動きが止まった。
澪が怜司の袖を掴む。
「今の……」
怜司は石棺を見た。
こつん。
もう一度、音がした。
石棺の中からではない。
石棺の下からだ。
まるで、地下のさらに奥で何かが動いているような音。
追手の男たちも動揺した。
「何だ」
「おい、聞いてないぞ」
後ろの一人が言う。
先頭の男は舌打ちした。
「石棺を開けろ」
怜司は睨んだ。
「開けません」
「お前に聞いていない」
男が近づこうとした。
その時、祠の奥に別の声が響いた。
「開けるな」
久我透だった。
通路の闇から、透が現れた。額から血を流している。防寒着は雪と泥で汚れ、息は荒い。それでも、手には折れた枝を杖のように持ち、立っていた。
「生きていたんですね」
怜司は言った。
「まだな」
透は短く返した。
追手の男が振り返る。
「お前、さっきの」
透は無言で男に近づいた。
男は身構える。
だが透は、戦うためではなく、石棺の前へ進んだ。
「この石棺は、開けるためのものじゃない」
「何を知っている」
怜司が聞く。
「父の手記にあった。二つ目の墓は、遺骸を見せるためにあるんじゃない。問いを突きつけるためにある」
「問い?」
透は石棺の上の木札を見た。
「ここに眠る者を、キリストと呼ぶな」
その言葉を、彼は噛みしめるように読んだ。
「この一文が答えだ」
「誰が眠っているんですか」
澪が尋ねた。
透は一瞬、目を伏せた。
「名前を奪われた男だ」
祠の空気が冷えた。
怜司は思い出した。
――名を失えば、人は神になる。
――神にされた者を、人へ返せ。
地下通路に刻まれていた言葉。
「この村は、誰かをキリストにした」
怜司は言った。
「そういうことですか」
透は頷いた。
「少なくとも、父はそう考えた」
「誰を?」
「分からない」
「あなたの父親は調べていたんでしょう」
「最後まで辿り着く前に消えた」
透の目が、石棺の蓋に向けられる。
「だが、手記には仮説があった」
「聞かせてください」
透は追手たちを見た。
「こいつらの前で?」
「どうせ、もう聞かれています」
怜司は言った。
「隠し続けた結果、人が死んでいる。なら、ここから先は隠さず進めるしかない」
澪が静かに頷いた。
透は少しだけ笑った。
「三上宗一郎の息子だな」
「それは褒めていますか」
「さあな」
透は石棺に手を置いた。
「キリスト渡来伝承には、身代わりになった弟イスキリの話がある。だが、父はそこに疑問を持った。なぜ伝承は、本人だけでなく身代わりの名まで残したのか」
「身代わりだからでは?」
澪が言う。
「普通なら、身代わりの名は消える。英雄を残したいなら、余計な存在は邪魔になる」
怜司は眉をひそめた。
「つまり、イスキリの名を残す必要があった」
「そうだ」
透は続けた。
「父は、イスキリという名が本来、人名ではなく役割だったのではないかと考えた」
「役割?」
「身代わり。替え玉。罪を引き受ける者」
怜司の胸に、嫌な重さが生まれた。
罪を引き受ける者。
父の手紙。
――あれは神の墓ではない。罪の墓だ。
「この村にも、イスキリがいた」
澪が呟いた。
透は頷いた。
「おそらくな」
「四十年前の青年ですか」
怜司が聞いた。
澪の叔父。
墓の前で歌い、死んだ男。
しかし透は首を横に振った。
「違う。四十年前の青年は、二度目のイスキリだ」
「二度目?」
「最初のイスキリは、もっと古い」
透の声が祠に沈む。
「おそらく、明治か、それ以前。村が外部からの視線を恐れ、伝承を観光や権威に変えようとした時期があった。その時、墓に眠る無名の男を、異国の聖者に仕立てた」
「なぜそんなことを」
怜司が問う。
透は、追手の男を見た。
「今のこいつらと同じだ」
男が舌打ちする。
「価値を作るため。村を守るため。外から金や注目を引くため。理由はいくらでもある」
「でも、ただの無名の死者をキリストにするには無理がある」
澪が言った。
「だから必要だった」
透は答えた。
「証拠らしきものが」
怜司は筒の中の布を思い出した。
「異国の文字が書かれた布」
「それが本物か偽物かは分からない。だが、村には外から来た者の痕跡があった。海を渡って来た者、戦から逃れた者、渡来人の末裔、流れ者。そういう人間が、どこかの時代にこの村で死んだ」
「その人を、キリストと呼んだ」
「あるいは、呼ぶことにした」
澪の顔が苦しげに歪んだ。
「そんなの、死者への冒涜です」
「そうだ」
透は静かに言った。
「だから三上家は墓を守った。葛原家は記録を封じた。十和田家は歌にして、場所と手順だけを残した。いつか誰かが、神にされた男を人間へ戻すために」
怜司は石棺を見た。
ここに眠る者を、キリストと呼ぶな。
父は、この言葉を残した。
それは信仰への挑戦ではない。
むしろ、名を奪われた死者への謝罪だったのかもしれない。
「四十年前」
怜司は言った。
「久我玲一は、そのことに気づいた」
透は頷いた。
「父は石棺を開けようとした。そして、十和田家の歌い手に協力を求めた」
澪の声が震えた。
「私の叔父に」
「そうだ」
「叔父は、なぜ協力したんです」
透は澪を見た。
「君の叔父も、真実を知りたかったからだろう」
澪は目を伏せた。
人は、知りたいというだけで死ぬことがある。
その事実が、祠の中に重く降り積もった。
追手の男が苛立ったように声を上げた。
「昔話は終わりだ。石棺を開けろ」
透が男を見た。
「開けたら何が出ると思っている」
「遺骸、文書、聖遺物。何でもいい」
「出なかったら?」
「出るまで掘る」
その言葉に、怜司の中で何かが冷えた。
この男にとって、墓は墓ではない。
死者は死者ではない。
ただ価値を生む材料だ。
父が恐れたものは、こういう人間だったのかもしれない。
「開けません」
怜司は言った。
男が顔を向ける。
「何?」
「石棺は開けない」
「状況が分かっているのか」
「分かっています。だからです」
怜司は石棺の木札を指さした。
「ここに眠る者を、キリストと呼ぶな。その意味を確かめるために、蓋を開けて中身を見せ物にする必要はない」
男が笑った。
「記者が証拠を見ないと言うのか」
「見ます」
怜司は答えた。
「ただし、あなたたちに渡す形では見ない」
「どうする気だ」
怜司は澪を見た。
「記録します。場所、文字、通路、布、歌。全部を。けれど遺骸があるなら、専門家と行政を入れて、正式に扱う」
澪が頷いた。
「それが正しいです」
追手の男は鼻で笑った。
「正しい? そんなことをしている間に、全部もみ消される」
「もみ消したいのは、あなたたちでしょう」
怜司は一歩前へ出た。
「葛原修二さんは死んだ。倉庫は焼かれた。木簡と布片は盗まれた。あなたたちが殺していないとしても、事件は起きている。ここから先は、表に出します」
男の目が鋭くなった。
「出せると思うな」
「出します」
「その前に筒を奪う」
男が合図をした。
後ろの二人が動く。
透が前へ出た。
澪は怜司の横に立った。
逃げ場はない。
背後には石棺。前には追手。左右は土壁。
その時、祠の奥で、また音がした。
こつん。
今度ははっきりと聞こえた。
石棺の下。
いや、石棺の背後。
そこにある壁の向こうから。
澪が小さく呟いた。
「歌が……」
怜司は耳を澄ませた。
確かに聞こえた。
遠く、低く、地面の下を伝うような声。
ナニャドヤラ。
ナニャドナサレノ。
ナニャドヤラ。
老婆の声だ。
十和田の祖母が、まだ歌っている。
だが、その歌に別の声が重なった。
もう一つ。
若い声。
男の声。
怜司は背筋が冷えた。
追手でも、透でもない。
知らない声。
澪が震えながら言った。
「叔父の節……」
「え?」
「祖母が昔、一度だけ言っていました。兄は歌がうまかった。けれど、あの子の節は二度と歌ってはいけない、と」
透の顔色が変わった。
「まずい」
「何が」
「石棺を開けるのは、今いる人間じゃない」
「どういう意味ですか」
透が石棺の背後の壁を見た。
「四十年前の歌が残っている」
追手の男が怒鳴った。
「何を言っている!」
その瞬間、石棺の背後の壁に亀裂が入った。
細い線が走る。
乾いた音を立てて、石がずれた。
怜司は澪の腕を掴んだ。
「下がって!」
壁の一部が開いた。
そこから冷たい風が吹き出した。
いや、風だけではない。
灯りが見えた。
古い油の匂い。
湿った土。
そして、微かな腐敗臭。
追手たちも言葉を失った。
石棺は入口ではなかった。
石棺は目印だった。
本当の墓は、その奥にある。
透が低く言った。
「父は、ここまで来た」
怜司は開いた壁の奥を見た。
狭い空間だった。
その中央に、もう一つの棺があった。
石ではない。
木で作られた、古い棺。
その蓋には、文字が刻まれていた。
日本語だった。
だが、古い仮名交じりの文で、すぐには読めない。
澪がライトを向ける。
文字が浮かび上がった。
――名を返す者、これを読め。
怜司の喉が鳴った。
「名を返す者……」
その下には、もう一行。
――この者、いえすにあらず。
追手の男が息を呑んだ。
「撮れ」
後ろの男がカメラを構える。
怜司は咄嗟に前へ出た。
「撮るな!」
「どけ!」
男が怜司を押しのけようとした。
透がその腕を掴む。
もみ合いになった。
狭い祠の中でライトが乱れ、影が壁に跳ねる。
澪は木棺の文字を読もうとしていた。
「続きがあります」
「読めますか」
怜司が叫ぶ。
「待って……古い言い回しで……」
追手の一人が澪へ向かった。
「お前もどけ!」
怜司は文箱を置き、男の前に立ちはだかった。
体格では負けている。だが、引くわけにはいかない。
男が腕を振り上げた。
その瞬間、通路の奥から別の光が差した。
「動くな!」
声が響いた。
警察だった。
制服の警官が二人、懐中電灯を構えて立っている。その後ろに、葛原老人の姿があった。肩で息をし、顔は青白い。
「葛原さん……」
澪が呟く。
葛原は苦しそうに杖をつきながら言った。
「もう、隠せん」
追手たちは動きを止めた。
先頭の男が舌打ちする。
「警察を呼んだのか」
葛原は答えなかった。
代わりに、警官が言った。
「全員、その場を動かないでください」
しかし、その瞬間だった。
追手の一人が、澪の手元から布を奪おうとした。
澪が抵抗する。
怜司が駆け寄る。
透も動く。
ライトが落ちた。
暗闇。
誰かの叫び。
足音。
そして、重い音。
どん、と何かが木棺にぶつかった。
古い蓋が、ずれた。
一瞬、全員が凍りついた。
蓋の隙間から、乾いた空気が漏れ出す。
澪が震える声で言った。
「開いてしまった……」
怜司はライトを拾い、木棺の中へ向けた。
そこには、骨があった。
人骨。
だが、怜司が見たのはそれだけではなかった。
骨の胸の上に、小さな木札が置かれていた。
木札には、名前が書かれている。
怜司はその名を読もうとして、息を止めた。
それは、キリストでも、イスキリでもなかった。
そこに書かれていたのは、まったく別の名だった。
――三上伊佐衛門。
怜司の視界が揺れた。
三上。
自分と同じ姓。
澪が声を失う。
葛原老人が膝をついた。
透が呟いた。
「そういうことか……」
怜司は、木札の横に添えられた古い紙片を見た。
そこには、父の筆跡ではない、さらに古い文字でこう書かれていた。
――この者、異国人にあらず。
――村の罪を背負い、聖者の名を着せられし者なり。
――神にされた男を、人へ返せ。
怜司は、全身から力が抜けるのを感じた。
青森に眠る異国の聖者。
その伝承の奥にいたのは、遠い国から来た神の子ではなかった。
村の罪を背負わされ、聖者にされた一人の三上だった。
父はそれを知っていた。
だから、ここに書いたのだ。
キリストと呼ぶな、と。
追手の男が、乾いた声で笑った。
「これは……使える」
その一言が、祠の空気を壊した。
怜司は男を見た。
「何を言っている」
「キリストの墓が嘘だった? 違うな。もっと面白い。村人が聖者を作った。墓守の家がそれを隠してきた。最高の物語だ」
男の目は、死者を見ていなかった。
数字を見ていた。
アクセス数。再生数。金額。話題性。
その瞬間、怜司の中で何かが決まった。
これは、暴くだけでは駄目だ。
守らなければならない。
真実を、売り物にしない形で。
死者の名を、再び奪わせない形で。
怜司は木棺の前に膝をついた。
そして、胸の上の木札を静かに見つめた。
「三上伊佐衛門」
初めて、その名を声に出した。
地下の祠に、名前が戻った。
その時、遠くで老婆の歌が止んだ。
静寂。
だが、今度の静寂は恐ろしいものではなかった。
長い役目を終えたような、深い沈黙だった。
澪が小さく言った。
「歌が、終わった……」
葛原老人は、床に額をつけるようにして泣いていた。
「すまなかった……すまなかった、伊佐衛門……」
怜司は父の言葉を思い出した。
墓は人を隠すためだけにあるんじゃない。
今なら分かる。
墓は、人を神にすることもある。
人を罪にすることもある。
そして、誰かが名を呼ぶまで、人間に戻れないこともある。
怜司は木札に触れず、深く頭を下げた。
その時、背後で追手の男が動いた。
「撮れ! 全部撮れ!」
警官が制止する。
透が男に飛びかかる。
澪が布を抱えて後ろへ下がる。
祠の中が再び混乱に包まれた。
怜司は文箱へ手を伸ばした。
だが、その直前、木棺の中の紙片の下に、もう一つ小さな封筒があることに気づいた。
封筒には、父の字で宛名が書かれていた。
三上怜司へ。
怜司の呼吸が止まった。
父は、ここにも手紙を残していた。
いつ。
どうやって。
何のために。
震える指で封筒を取る。
中には、一枚の紙が入っていた。
怜司はそれを開いた。
そこには、短い文章だけが書かれていた。
――ここまで来たなら、もう止めない。
――ただし、真実を暴くな。
――名を返せ。
――そして、村を裁くな。
怜司は紙を握りしめた。
父の最後の命令。
いや、願い。
真実を暴くな。
名を返せ。
村を裁くな。
記者としての自分が、反発した。
人が死んでいる。隠蔽がある。嘘がある。裁かれるべき者がいる。
だが、息子としての自分は、その言葉の重さを感じていた。
父はきっと、四十年間この矛盾の中で生きた。
暴くべきか。
守るべきか。
裁くべきか。
赦すべきか。
怜司は顔を上げた。
目の前には、三上伊佐衛門の骨がある。
神にされた男。
名を奪われた男。
そして、三上家が代々背負ってきた罪の中心。
その時、澪が叫んだ。
「三上さん!」
追手の男が、怜司の手紙を奪おうと手を伸ばしていた。
怜司は反射的に身を引いた。
男の手が空を切る。
警官が男を押さえる。
透が別の男を壁に押しつける。
混乱の中で、文箱が倒れた。
中から、錆びた鍵が転がり出る。
鍵は石棺の下へ滑り込み、小さな穴に落ちた。
かちり。
祠全体に、金属音が響いた。
全員が止まった。
石棺の下から、低い音がした。
ごごご、と地面が震える。
澪が顔を青くした。
「まだ仕掛けが……?」
葛原が叫んだ。
「全員、外へ出ろ!」
次の瞬間、祠の奥の壁がゆっくりと動き始めた。
そこには、さらに奥へ続く暗い道が現れた。
怜司は息を呑んだ。
木棺が終点ではなかった。
三上伊佐衛門の名を返した先に、まだ何かが隠されている。
その暗闇の奥から、冷たい風が吹いた。
そして、かすかな水音が聞こえた。
透が呟いた。
「父の手記に、最後の一文があった」
「何ですか」
怜司が聞く。
透は奥の闇を見つめたまま言った。
「墓の下には、海がある」
青森の山奥。
雪の下。
墓の下。
そこに、海。
怜司にはまだ、その意味が分からなかった。
だが、物語は終わっていない。
神にされた男の名を取り戻しても、まだその先に、なぜこの村がその罪を背負うことになったのかという、さらに古い謎が眠っている。
暗い道の奥で、水音が続いていた。
まるで、遠い昔に海を渡ってきた何かが、まだ帰り道を探しているように。
お読みいただきありがとうございます。
第6話では、地下の棺に眠っていたのが「キリスト」ではなく、神の名を着せられた三上伊佐衛門という人物だったことが明かされました。
ただし、謎はここで終わりません。
次回、墓のさらに奥に現れた「海へ続く道」と、三上伊佐衛門がなぜ聖者にされたのか、その核心へ進みます。




