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雪のゴルゴタ ― 青森に眠る男 ―  作者: たむ


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第四十六話 残す仕組み

榊原道隆は語った。

名を一人で持つな、と。


売るためでも、燃やすためでも、罪として抱えるためでも、正しさとして握るためでもなく。

名は、一人で持ってはいけない。


では、どう残すのか。


女名控。

悠一の音源。

かよ節。

学校資料。

展示更新。

村は、記憶を一人の胸や一つの箱に戻さないための仕組みを作り始める。


※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。

※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。

※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。

役場の大会議室には、珍しく大きな机が並べられていた。


村役場。

資料館。

保存会。

教育委員会。

十和田家。

相馬由紀准教授。

県の文化財担当。

青森日日新聞。


そして、三上怜司。


今日は取材であり、同時に関係者としても呼ばれていた。


議題は、長期保存。


言葉にすると地味だった。


だが、怜司には、これが今までで一番重要な会議の一つに思えた。


記録は、見つければ終わりではない。

記事にすれば終わりでもない。

一度展示すれば終わりでもない。


残すには、仕組みがいる。


葛原が預かったまま渡せなかった。

宗一郎が箱にしまったまま渡せなかった。

榊原が一人で持ち、売ろうとし、燃やそうとした。


同じ失敗を繰り返さないためには、誰か一人の善意に頼ってはいけない。


坂本が、ホワイトボードに大きく書いた。


――残す仕組み


その下に、五つの項目。


女名控

悠一音源

かよ節

展示・案内

学校資料


坂本は言った。


「今日は、これらを誰が、どこで、どう管理し、どう更新するかを整理します」


佐野が資料を配った。


「まず、女名控です」


県の文化財担当が説明した。


「原本は、引き続き役場の保管庫で管理します。温湿度管理については十分ではないため、今後、県の協力を得て保存環境の改善を検討します」


相馬が続ける。


「高精細画像データは複数箇所に保管するべきです。役場、資料館、県、大学。少なくとも三箇所以上」


坂本が頷いた。


「データの閲覧権限は?」


「一般公開はまだしない。研究目的は申請制。村内の読む会では、画像ではなく読解資料を使う」


佐野がメモを取る。


澪が静かに言った。


「女名控は、十和田家のものではありません。でも、歌や名前に関わる部分は、私たちにも関係します」


坂本が頷いた。


「公開範囲を決める時は、十和田家にも確認します」


「お願いします」


怜司は、そのやり取りに小さく頷いた。


所有ではなく、関係。


この村では、その考え方が少しずつ根づき始めている。


次に、悠一音源。


相馬が資料を開いた。


「原本テープは、現在、大学で一時保管しています。長期的には、所有者と関係者の確認を経て、資料館または県の音声資料保存機関へ移すのが望ましいです」


怜司の胸が少し痛んだ。


原本は父の遺品から出てきた。


形式上、三上家のものかもしれない。


だが、中身は悠一の声だ。


怜司は口を開いた。


「原本について、僕が一人で所有する形は避けたいです」


全員が怜司を見る。


怜司は続けた。


「父の遺品から出てきたものですが、内容は十和田悠一さんの歌です。三上家だけで管理するのは適切ではありません」


澪が怜司を見る。


透は今日、出席していない。

だが、事前に意見を送っていた。


佐野が透の文書を読み上げた。


――久我家としては、音源の保全を優先する。

――父・久我玲一が関わった可能性がある以上、確認には関わりたい。

――ただし、所有を主張するつもりはない。

――十和田家、三上家、資料館、専門家で管理方針を決めてほしい。


澪は、その文書を静かに聞いていた。


坂本が言った。


「では、音源については、管理主体を資料館、保全協力を大学、関係者確認を十和田家・三上家・久我家とする形でどうでしょう」


相馬が頷く。


「現実的です」


怜司も頷いた。


澪も、少し時間を置いてから頷いた。


「音声公開は、まだしません」


「はい」


坂本はすぐに言った。


「その方針は維持します」


相馬が補足する。


「ただし、限定試聴の運用は決めておく必要があります。研究者、教育、展示制作などで必要になった場合、誰が許可するのか」


議論の結果、音源については「音源管理委員会」のような重い名称ではなく、「音源確認チーム」という小さな枠組みが作られることになった。


資料館。

十和田家。

大学。

役場。

必要に応じて三上家、久我家。


申請があれば、そこで協議する。


大げさではない。


だが、一人では決めない。


それが大事だった。


次に、かよ節。


ここが最も難しかった。


かよ節は文書ではない。


音源でもない。


澪の体を通って歌われる。


澄江の記憶にあり、十和田家の中に残り、悠一の録音にも断片があり、大学資料にも記録がある。


だが、歌は誰のものなのか。


保存会の村井が最初に言った。


「保存会は、かよ節を祭りの演目として扱うつもりは、現時点ではありません」


澪は静かに頷いた。


「はい」


「ただ、保存会として、存在を知らないままにはしない。今後も、必要に応じて聞く場を作る」


坂本が尋ねた。


「録音は?」


澪は少し緊張した。


「今は、しません」


相馬が頷いた。


「それでよいと思います」


県の文化財担当は少し慎重だった。


「ただ、長期的には、歌い手の高齢化や継承の問題があります。記録しないことで失われる危険もあります」


澪は、その言葉を受け止めた。


「分かっています」


部屋が静かになった。


澪は続けた。


「祖母とも話しました。今すぐ録音はしない。でも、私が歌えるうちに、いつか記録する必要があるかもしれない。その時は、誰のために録るのかを決めてからにしたいです」


「誰のために」


怜司が小さく繰り返す。


澪は頷いた。


「公開のためなのか。十和田家のためなのか。資料館のためなのか。子どもたちの学習のためなのか。それを決めないまま録ると、あとで違う使われ方をする気がします」


相馬が言った。


「非常に大事な視点です。記録は、目的を決めてから行うべきです」


村井も頷いた。


「保存会は、急がせません」


澪は、少しだけ安心したように息を吐いた。


かよ節については、方針がこう決まった。


現時点で録音しない。

歌詞全文は公開しない。

十和田家の意向を最優先する。

保存会や資料館で扱う場合は、事前協議する。

将来的な記録化については、目的・保管先・公開範囲を決めてから検討する。


次に、展示と案内。


佐野は更新コーナーの運用案を出した。


「更新は月一回を目安にします。ただし、新情報がない月は“変化なし”と掲示する」


「変化なしも出すんですか」


怜司が尋ねると、佐野は頷いた。


「はい。更新が止まっているように見えないように。調査中であることも、知らせる必要があります」


坂本が笑った。


「役場文書みたいですね」


「資料館も現実なので」


佐野が言うと、少し笑いが起きた。


展示文は、資料館だけで決めない。


役場、保存会、十和田家、専門家で確認する。


墓前案内や祭り説明とも表現を揃える。


新しい表現を使う時は、案内人向けに説明メモを更新する。


これも仕組みだった。


最後に、学校資料。


教育委員会の担当者が出席していた。


「地域学習は、今年度は試行で続けます。対象は中学生希望者から始め、小学校向けには“名前を大事にする”ワークを検討します」


相馬が助言する。


「学校資料には、必ず“まだ分からないこと”の欄を入れてください」


「はい」


「また、家庭向けの説明も必要です」


担当者は頷いた。


「保護者向けに、“分からないと答えてよい”という文言を入れます」


澪が小さく頷いた。


その言葉は、学校から家庭へ戻る問いを少し柔らかくする。


会議は三時間近く続いた。


最後に、坂本が全体をまとめた。


「今日決めたことは、完成ではありません」


誰も驚かなかった。


この村では、完成という言葉が少し信用されなくなっている。


坂本は続けた。


「ただ、これで一人の家、一人の職員、一人の記者、一つの団体だけが名や資料を抱える状態からは、少し離れられます」


怜司は、その言葉を聞きながら、父の箱を思い出していた。


一人の箱。


そこにしまわれていた手紙と音源。


あの箱から出てきたものが、今は複数の場所に分けて置かれようとしている。


資料館。

役場。

大学。

学校。

保存会。

十和田家。

記事。


これが、悠一の言った「名前の置き場所」なのかもしれない。


会議後、澪が怜司に言った。


「今日は、地味でしたね」


「はい」


「でも、少し安心しました」


「僕もです」


「名を一人で持たないためには、こういう地味なことが必要なんですね」


怜司は頷いた。


「たぶん、一番必要です」


夜、怜司は第22回の原稿を書いた。


仮題。


――残す仕組み


冒頭は、役場のホワイトボード。


女名控、悠一音源、かよ節、展示、学校資料。


それぞれの保存方針を、淡々と書く。


記事としては地味だ。


だが、だからこそ丁寧に書く。


読者が退屈しないよう、父の箱の話を少しだけ入れる。


――記録は、箱にしまわれているだけでは渡らない。宗一郎の遺品から出てきた録音テープは、そのことを示していた。残すことは、保管することだけではない。誰が、どこで、どう確認し、次にどう渡すかを決めることでもある。


中盤には、各項目を整理した。


女名控。


原本は役場保管。

高精細画像を複数箇所で保管。

公開は段階的に検討。

読めない部分も残す。


悠一音源。


資料館を管理主体に。

大学が保全協力。

十和田家・三上家・久我家を含めた確認体制。

音声公開はしない。

限定試聴は協議制。


かよ節。


現時点で録音しない。

十和田家の意向を最優先。

将来的な記録化は目的を決めてから。


展示・案内。


更新コーナーを継続。

表現を関係者で確認。

墓前案内、祭り説明と連動。


学校資料。


段階別に扱う。

まだ分からないことを明記。

家庭向け説明を作る。


本文の最後には、澪の言葉を置いた。


――名を一人で持たないためには、こういう地味なことが必要なんですね。


怜司は、最後にこう結んだ。


――名を残す仕組みは、劇的なものではない。保管場所、閲覧権限、確認手順、更新日、説明文。そうした地味な取り決めの積み重ねが、名を再び一人の箱の中へ戻さないための支えになる。


翌朝、第22回が公開された。


――雪の下の名 第二十二回

――残す仕組み 名を一人で持たないために


反応は、派手ではなかった。


だが、専門職や地域行政、資料館関係者からの反応が多かった。


「こういう仕組み作りまで書くのが大事」

「保存は感動ではなく運用、という現実」

「公開しないものにも管理責任がある」

「目的を決めてから録音する、は重要」

「名を一人の箱に戻さない、という表現が刺さった」


一方で、一般読者の中には「難しい」「地味」という声もあった。


怜司は、それを見て少し笑った。


地味でいい。


この回は、地味であることに意味がある。


昼過ぎ、編集デスクから電話が来た。


「地味だが、必要な回だった」


「はい」


「この連載、終わり方が見えてきたな」


怜司は少し緊張した。


「どこで終わりますか」


編集デスクは少し黙った。


「アラムたちの名が、それぞれの場所に置かれたことを確認して終わるのがいい。全部解明ではなく、続く仕組みができたところで」


「はい」


「最後は、誰の視点にする?」


怜司はすぐには答えられなかった。


アラム。

カヨ。

リク。

悠一。

宗一郎。

澪。

澄江。

村。


誰の視点で終えるべきか。


電話を切った後も、その問いが残った。


夕方、澪が資料館へ来た。


「記事、読みました」


「地味でしたね」


「地味でした」


澪は笑った。


「でも、地味で安心しました」


「それは褒め言葉ですか」


「はい」


澪は更新コーナーを見た。


「名が、一つの箱から出て、いろんな場所に置かれていく感じがしました」


「はい」


「終わりが近いんですか」


怜司は少し驚いた。


「どうしてですか」


「最近の記事が、残す話になってきたから」


怜司は、少し黙った。


「そうかもしれません」


澪は寂しそうに笑った。


「終わるんですね」


「連載は、いつか」


「でも、終わっても続くんですよね」


「はい」


澪は頷いた。


「なら、大丈夫です」


その言葉に、怜司は少し救われた。


連載は終わる。


だが、名と生きる村は続く。


夜、怜司は次の仮題を書いた。


――それぞれの置き場所


終盤に向けて、アラム、カヨ、リク、悠一、宗一郎、久我、葛原、榊原。


それぞれの名が、今どこに置かれているのかを書く。


答えではなく、現在地として。


それが、終わりに向かう最初の一歩になる。

お読みいただきありがとうございます。

第46話では、女名控、悠一音源、かよ節、展示、学校資料を長期的に残す仕組みが話し合われました。


名を一人で持たないためには、保管場所、閲覧権限、確認手順、更新日、説明文といった地味な仕組みが必要です。


次回は、終盤へ向けて「それぞれの置き場所」を確認します。

アラム、カヨ、リク、悠一、宗一郎たちの名が、今どこに置かれているのかを見つめます。

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