第四話 消えた男の顔
四十年前に行方不明になったはずの民俗学者・久我玲一。
その名を、葛原は確かに口にした。
だが、目の前の男は老いていない。
それは本当に久我本人なのか。
それとも、誰かが久我の名を利用しているのか。
※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。
※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。
※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。
「久我……玲一」
葛原の声は、雪に濡れた紙のように掠れていた。
その名が発された瞬間、三上怜司の中で時間がずれた。
四十年前に消えた民俗学者。
父・宗一郎が最後に会ったという男。
墓の調査中に行方不明となり、事故とも逃亡とも噂された人物。
その男が、いま父の家の廊下に立っている。
だが、あり得なかった。
目の前の男は、どう見ても四十年前から来た老人ではない。年齢は四十代半ばほど。頬は痩せ、目の下には深い影があるが、葛原と同世代には見えなかった。
老い方が違う。
時間の積もり方が違う。
「久我玲一?」
怜司は筒を握りしめたまま、男を見た。
「あなたが?」
男は答えなかった。
深く被っていた帽子を外すと、短く整えられた黒髪が現れた。肌は青白い。唇には血の気がなく、雪の外気に晒されていたせいか、頬の端が少し赤く荒れていた。
その顔には、見覚えがない。
少なくとも怜司の記憶には存在しない顔だった。
だが、葛原は違った。
老人は杖を構えたまま、男から目を離さない。
「お前は死んだはずだ」
葛原が言った。
男はようやく口を開いた。
「死んだことにされた」
その声は低かった。
不思議な声だった。若いとも老いているとも言い切れない。響きの底に、長く閉ざされた部屋の空気のようなものがある。
「久我玲一は四十年前に消えた」
怜司は言った。
「あなたは四十代に見える。本人であるはずがない」
男は怜司を見た。
「記者らしい考え方だ」
「記者でなくてもそう考えます」
「なら、考え続けろ。答えに辿り着く前に、誰かが死ぬ」
澪が息を呑んだ。
「あなたが倉庫に火をつけたんですか」
男は澪に視線を移した。
「十和田の娘か」
「私を知っているんですか」
「十和田の血は、声で分かる」
「答えてください。倉庫を焼いたのはあなたですか」
男はわずかに笑った。
「火をつけたのは俺ではない」
「では、誰が」
「火は、歌が途切れた時に上がる」
「ふざけないでください」
澪の声が震えた。
怒りだった。
「布片と木簡はどこですか」
「奪われた」
「あなたが持っているそれは何ですか」
澪は男の手の中の焦げた板を指さした。
男はそれを見下ろした。
「これは偽物だ」
「偽物?」
「木簡に見せかけた餌だ。本物を持ち去った者は、最初から保管場所を知っていた」
怜司は眉をひそめた。
「つまり、あなたは犯人ではないと言いたいんですか」
「信じる必要はない」
「なら、なぜここへ来た」
男は怜司の手元を見た。
黒ずんだ金属の筒。
父の文箱に隠されていたもの。
「それを開けさせるためだ」
葛原が低く唸った。
「お前が仕組んだのか」
「お前たちが四十年、何も選ばなかったからだ」
「久我」
「その名で呼ぶな」
男の声が初めて鋭くなった。
廊下の空気が張り詰める。
割れた台所の窓から、冷たい風が家の奥まで流れ込んでいた。障子が震え、古い柱が軋む。父の家は、今にも雪の中へ沈みそうだった。
怜司は筒から取り出した布を見た。
茶色く変色した細い布。
端には、見慣れない文字が記されている。
その横に挟まれていた小さな和紙。
――イスキリの墓を開くな。真に眠る者は、もう一つの墓にいる。
「この布は何です」
怜司は尋ねた。
男は答えない。
「父はなぜ、これを持っていたんですか」
沈黙。
「四十年前、父は何を隠したんです」
沈黙。
怜司の中で苛立ちが膨らんだ。
この村の人間は、誰もはっきり答えない。澪も、葛原も、この男も。誰もが謎めいた言葉だけを置いていく。
けれど、命を狙われているのはこちらだ。
父の過去に巻き込まれ、墓守だと言われ、家にまで侵入された。
それでも黙っているつもりなら、こちらにもやり方がある。
怜司はスマートフォンを取り出した。
「警察を呼びます」
葛原が顔を上げる。
澪も止めようとした。
だが、怜司は番号を押した。
その瞬間、男が言った。
「呼べば、葛原が捕まる」
怜司の指が止まった。
「何?」
男は葛原を見た。
「四十年前、久我玲一を最後に見たのは三上宗一郎だ。だが、死んだ青年を最初に見つけたのは葛原重蔵。消えた研究資料を燃やしたのも葛原家の人間。違うか」
葛原の顔が土気色になった。
「黙れ」
「警察が本気で掘れば、墓ではなく葛原の過去が出る」
「黙れと言っている!」
葛原が杖を振り上げた。
男は避けなかった。
澪が葛原の腕を掴む。
「葛原さん!」
杖は男の肩の手前で止まった。
葛原の呼吸が荒い。
怜司はその様子を見て、確信した。
この男は、真実をすべて知っているわけではない。
だが、葛原の弱点を知っている。
そして葛原は、それを否定できない。
「四十年前に死んだ青年とは誰ですか」
怜司は葛原に尋ねた。
「答えてください」
老人は顔を背けた。
代わりに男が言った。
「十和田澪の叔父だ」
澪の動きが止まった。
「……え?」
男は彼女を見た。
「聞かされていないのか」
「叔父は、病気で亡くなったと」
「十和田家は歌を守る家だ。歌が途切れた夜、歌い手が死んだ」
澪は小さく首を振った。
「そんな話、聞いていません」
「伝える者がいなければ、伝承は消える」
男の目が、わずかに細くなる。
「都合の悪い伝承から順に」
澪は葛原を見た。
「本当ですか」
葛原は何も言わなかった。
その沈黙だけで、澪の表情が崩れた。
「祖母は……知っているんですか」
「知っている」
葛原はようやく答えた。
「知っていて、黙っていた」
「なぜ」
「お前を巻き込まないためだ」
「もう巻き込まれています」
「だから言わなかったんだ!」
葛原の声が部屋に響いた。
すぐに、老人は自分の声に驚いたように口を閉じた。
沈黙が落ちる。
雪の夜の中で、古い家がぎしりと鳴った。
怜司は男から視線を外さなかった。
「あなたは本当に久我玲一なのか」
男は答えない。
「答えられないなら、別の可能性を考えます。あなたは久我玲一の息子、あるいは関係者。四十年前の事件を調べ、久我の名を利用している」
男の表情は動かなかった。
「年齢的には、その方が自然です」
「自然な答えほど、真実から遠いこともある」
「超常現象を信じろと?」
「信じなくていい。信じる者から死んでいく」
男は一歩、室内へ入った。
葛原が再び身構える。
怜司は文箱を抱え直した。
「それを墓へ戻せ」
男が言った。
「戻せば終わるんですか」
「終わらない」
「なら戻す意味がない」
「少なくとも、今夜死ぬ人間は減る」
「脅しですか」
「忠告だ」
その言い方が、澪に似ていた。
この村の人間は、みな同じ言葉を使う。
触るな。
見るな。
戻れ。
掘るな。
話すな。
誰もが守ろうとしている。
だが、何を守っているのかは言わない。
怜司は布を広げた。
澪が小さく声を上げる。
「三上さん、乱暴に扱わないで」
「読めますか」
「今ここでは無理です」
「ヘブライ文字に似ていると言いましたね」
「似ています。でも、完全に一致しているかは分かりません。古い字体かもしれないし、誰かが似せて書いたものかもしれません」
「なら、これは証拠にならない」
「今の時点では」
「でも、これだけは日本語です」
怜司は和紙の文字を見せた。
――イスキリの墓を開くな。真に眠る者は、もう一つの墓にいる。
「この字は父のものです」
今度ははっきりと言った。
誰も否定しなかった。
怜司は続けた。
「父は、筒の中身を知っていた。少なくとも、これを書いた時点で二つの墓の意味を知っていた」
葛原は苦しそうに目を閉じた。
「宗一郎は、開けたのか」
「四十年前に?」
葛原は頷いた。
「墓を?」
「違う」
葛原の声は低かった。
「二本の十字架のうち、片方は墓ではない。だが、もう片方も、お前たちが思っている墓ではない」
「どういう意味です」
「一つは遺骸を納めた墓。もう一つは、名を納めた墓だ」
怜司は眉をひそめた。
「名を納めた墓?」
「人は死ぬと、体が残る。だが、時に名の方が危険になる」
男が静かに言った。
「だから名を埋める」
葛原が男を睨む。
「久我、お前は黙っていろ」
「まだ、その名で呼ぶのか」
男は笑った。
その笑みは、初めて人間らしく見えた。
疲れきった、皮肉な笑みだった。
「俺は久我玲一ではない」
澪が顔を上げた。
怜司は静かに息を吐いた。
やはり。
「では、誰です」
男は少しだけ顔を伏せた。
「久我玲一の息子だ」
澪の唇が震えた。
葛原は目を閉じた。
「名前は」
怜司が聞く。
男は答えた。
「久我透」
久我透。
その名は、これまでのどこにも出てこなかった。
「父の行方を探して、この村に来たのか」
怜司が尋ねる。
透は怜司を見た。
「最初はな」
「今は?」
「父はもう死んでいる」
「遺体が見つかったんですか」
「見つかっていない」
「なら、なぜ死んでいると」
「死んでいなければならないからだ」
それは奇妙な答えだった。
だが、その声には確信があった。
久我透は、父の死を証明できない。
それでも死んだと信じている。
いや、信じなければならない理由がある。
「あなたは木簡と布片を盗んでいない」
怜司は確認するように言った。
「盗んでいない」
「では、誰が盗んだ」
透は割れた窓の方を見た。
「村の外から来た者だ」
「外部の研究者ですか」
「研究者ならまだいい」
「どういう意味です」
「伝承を信じる者は危険だ。だが、伝承を金に変える者はもっと危険だ」
怜司はその言葉を覚えた。
伝承を金に変える者。
観光か。宗教団体か。古物商か。あるいは、もっと別の組織か。
「昨日の木箱は、本物を誘い出すために表へ出された」
透は言った。
「誰が出したんです」
「お前の父親だ」
怜司の体が固まった。
「父は死んでいます」
「死ぬ前に仕掛けた」
「何を」
「四十年前の残り火が、まだ誰の中にあるのか。それを確かめるために」
怜司は文箱を見た。
父の遺品。
父の手紙。
父の写真。
父が残した鍵と筒。
すべてが偶然ではないとしたら。
父は死後、怜司を村へ向かわせた。
止めるためではなく、動かすために。
「父は、僕を利用したんですか」
その問いは、自分で思った以上に冷たく響いた。
葛原が顔を上げた。
「宗一郎は、お前を守ろうとした」
「なら、なぜこんなものを残した」
「守ることと、隠すことは違う」
怜司は笑った。
「便利な言葉ですね」
澪が静かに言った。
「三上さん」
「父は何も話さなかった。母にも、僕にも、故郷のことを隠した。死んだあとになって手紙と写真を残して、村へ行けと言わんばかりの仕掛けを作った。これのどこが守ることなんですか」
誰も答えなかった。
答えられないのだ。
怜司は布を筒へ戻そうとした。
そのとき、布の内側に薄い線が見えた。
「待ってください」
澪が近づいた。
「内側にも文字があります」
怜司は慎重に布を広げた。
変色した布の裏に、肉眼では見逃しそうなほど薄い文字があった。墨ではない。血でもない。染料か、あるいは時間によって浮き上がった何か。
澪がスマートフォンのライトを当てる。
葛原が息を詰める。
透も一歩近づいた。
布の裏には、縦に短い日本語が書かれていた。
――歌を逆に辿れ。
――ナニャドヤラは道である。
――十和田の声が、二つ目の墓を開く。
澪の顔から血の気が引いた。
「私……?」
怜司は澪を見た。
十和田家は歌を伝える家。
ナニャドヤラ。
意味の分からない古い歌。
歌が途切れた時が一番危ない。
「二つ目の墓を開く」
怜司は呟いた。
葛原が首を横に振った。
「駄目だ」
「葛原さん」
「絶対に駄目だ。宗一郎は何を考えていた。よりによって、十和田の声を使うなど」
透が静かに言った。
「だから俺が来た」
「お前は何を知っている」
葛原が睨む。
透は澪を見た。
「四十年前、君の叔父は歌った」
澪の瞳が揺れる。
「どこで」
「墓の前で」
「なぜ」
「久我玲一が、二つ目の墓を開けるために頼んだ」
「その結果、叔父は死んだんですか」
透は答えなかった。
それが答えだった。
澪はふらつき、机に手をついた。
怜司は彼女を支えようとしたが、澪は小さく首を振った。
「大丈夫です」
声は大丈夫ではなかった。
「大丈夫ではないでしょう」
「いいえ」
澪は唇を噛み、布の文字を見つめた。
「私は、知らなければいけません」
その言葉は、怜司自身にも突き刺さった。
知らなければいけない。
知らなければ、父の沈黙も、村の恐怖も、四十年前に死んだ青年も、消えた研究者も、すべてが雪の下に戻ってしまう。
そしてまた、誰かが死ぬ。
「墓へ戻ります」
澪が言った。
葛原が即座に否定した。
「駄目だ」
「私は歌えます」
「だから駄目だと言っている」
「叔父が死んだ理由を知りたいんです」
「知れば、お前も死ぬ」
「知らなければ、誰かがまた死にます」
澪の声は震えていた。
だが、目は逸らさなかった。
怜司は透を見た。
「あなたの目的は何です」
「父の終わりを見つけること」
「復讐ではなく?」
透は少しだけ笑った。
「復讐できる相手が残っているなら、そうしたかもしれない」
「残っていない?」
「四十年前の罪を犯した人間は、もう半分以上死んでいる。残った者は老い、忘れたふりをしている。殺しても意味がない」
「では、何をするつもりです」
「墓を開ける」
葛原が怒鳴った。
「久我!」
透は葛原を見た。
「俺は久我玲一ではない」
「同じだ!」
老人の叫びは、悲鳴に近かった。
「お前も、お前の父親と同じことをする気だ! 知りたい、確かめたい、世に出したい。そうやって、また死人を出す!」
透は静かに言った。
「死人はもう出ている」
「何?」
「今日の倉庫番だ」
澪が顔を上げた。
「倉庫番?」
「木箱を見張っていた村の男がいたはずだ」
葛原の顔が凍りついた。
「誰ですか」
怜司が聞く。
葛原は答えない。
透が代わりに言った。
「葛原の甥。葛原修二」
「まさか」
葛原はふらついた。
「修二は、昼には資料館にいた。警察に連絡を……」
そのとき、怜司のスマートフォンが震えた。
画面には、知らない番号が表示されていた。
怜司は躊躇した。
だが、出た。
「三上さんですか」
若い男性の声だった。
焦っている。息が荒い。
「はい」
「青森日日新聞の三上さんですよね。こちら、新郷駐在所の――」
そこで、声が一瞬途切れた。
雑音。
風の音。
遠くで誰かが叫ぶ声。
「どうしました」
怜司が聞く。
電話の向こうの声が震えた。
「資料館裏の沢で、男性が見つかりました」
部屋の全員が怜司を見た。
「男性?」
「身元はまだ確認中ですが、葛原修二さんと思われます」
葛原の膝が崩れた。
澪が駆け寄る。
「葛原さん!」
怜司はスマートフォンを握りしめた。
「容体は?」
電話の向こうで、短い沈黙があった。
「すでに亡くなっています」
雪の音が、遠くなった。
倉庫番。
木箱。
歌が途切れた。
次は、墓守が死ぬ。
紙片の言葉は、予告だった。
すでに一人、死んでいた。
怜司はゆっくりと透を見た。
「あなたは知っていたんですか」
透は目を伏せた。
「間に合わなかった」
「何に」
「歌が途切れた後、最初に死ぬのは、記録を守る家の者だ」
葛原家。
記録を預かる家。
葛原修二は、その家の者だった。
では次は。
怜司は紙片の文字を思い出した。
――次は、墓守が死ぬ。
三上家。
残っているのは、自分だけ。
澪が震える声で言った。
「墓へ行きましょう」
葛原は床に座り込んだまま、首を横に振った。
「駄目だ……もう駄目だ……」
透は怜司を見た。
「選べ」
「何を」
「逃げるか、開けるか」
「逃げれば?」
「お前は死ぬ。たぶん今夜ではない。だが、必ず追いつかれる」
「開ければ?」
透は窓の外の雪を見た。
「誰が嘘をついていたのか分かる」
怜司は筒を握った。
父が残したもの。
村が恐れたもの。
誰かが奪おうとしているもの。
本当は、帰りたかった。
東京でも、青森市内でもいい。どこか安全な場所へ行き、警察に任せ、新聞社にも連絡し、普通の事件として処理してしまいたかった。
だが、それでは終わらない。
父がなぜ村を出たのか。
なぜ自分を守るふりをして、この謎の中心へ導いたのか。
なぜ墓守の血が、今も狙われるのか。
それを知らない限り、怜司は父の死から自由になれない。
「行きます」
怜司は言った。
澪が頷いた。
透は帽子を被り直した。
葛原は床に座り込んだまま、顔を上げた。
「行くな」
「葛原さんはここにいてください」
怜司は言った。
「甥御さんのこともあります。警察が来たら説明を」
「説明などできるものか」
老人は震える声で言った。
「わしはまた、同じことを繰り返すのか」
怜司は返事をしなかった。
返事の代わりに、父の文箱から鍵と筒を取り出し、コートの内側へ入れた。
澪は布を慎重に包み直した。
透は廊下へ向かう。
その背中に、怜司は声をかけた。
「久我透さん」
透が振り返る。
「さっき、二つ目の墓を開けると言いましたね」
「ああ」
「そこに何があると思っていますか」
透は少しだけ沈黙した。
そして言った。
「父が消える前に、最後に残した言葉がある」
「何ですか」
透の声は低かった。
「キリストはいなかった。だが、キリストにされた男はいた」
怜司は言葉を失った。
信仰の真偽ではない。
伝承の真実でもない。
この村が隠していたのは、もっと人間臭い何かだ。
誰かを「聖者」にし、誰かを「身代わり」にし、誰かの死を墓と歌で包んだ。
雪は、なおも降り続けていた。
三人が玄関を出ると、夜の空気が肌を刺した。
父の家の前には、タイヤの跡が残っていた。
黒い車のものかもしれない。
澪がスマートフォンを見る。
「新郷村まで戻るには、かなり時間がかかります」
「それでも行く」
怜司は答えた。
透は雪道の向こうを見た。
「急いだ方がいい」
「なぜです」
「二つ目の墓は、夜明け前にしか開かない」
澪が眉をひそめる。
「そんな伝承は聞いたことがありません」
「伝承ではない」
透は静かに言った。
「仕掛けだ」
その言葉に、怜司は父の顔を思い出した。
寡黙で、不器用で、何も語らなかった父。
その父が四十年前、墓に仕掛けを残したのだとしたら。
そして今、その仕掛けが動き出しているのだとしたら。
雪の夜の向こうで、青森の山が黒く沈んでいる。
そこに二本の十字架が立っている。
一つは、遺骸を納めた墓。
一つは、名を納めた墓。
怜司は知らなかった。
そのどちらでもない場所に、本当の入り口があることを。
そして、ナニャドヤラの歌が、祈りではなく、地図だったことを。
お読みいただきありがとうございます。
第4話では、現れた男が久我玲一本人ではなく、その息子・久我透であることが明かされました。さらに、倉庫番の葛原修二が死亡し、「次は墓守が死ぬ」という予告が現実に近づきます。
次回、怜司たちは再び新郷村へ戻り、ナニャドヤラの歌に隠された「道」を辿ることになります。




