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雪のゴルゴタ ― 青森に眠る男 ―  作者: たむ


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第三十九話 外から読む人たち

村は変わり始めた。

祭り、資料館、墓前案内、訪問者への約束。


だが、連載は村の中だけに届いているわけではない。


外から読む人たち。

観光に関わる人。

民俗研究者。

他地域の保存会。

そして、ただ一人の読者。


怜司は、これまでの連載を総括する記事の準備を始める。


※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。

※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。

※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。

翌朝、三上怜司は本当に休んだ。


少なくとも、午前中はパソコンを開かなかった。


資料館にも行かなかった。


宿の窓を少し開け、春の冷たい空気を入れた。机の上には手帳も録音機も置かなかった。スマートフォンの通知も切った。


何もしない時間。


それは、思っていたより難しかった。


頭の中では、勝手に記事の構成が動く。


総括記事。

第一章から第三章前半まで。

隠された記録。

戻った名。

変わり始めた村。

外からの反応。


考えるなと思っても、考えてしまう。


怜司は、湯呑みに入れた茶をゆっくり飲んだ。


休むとは、仕事をしないことではなく、仕事に追いつかれない場所を作ることなのかもしれない。


昼前、スマートフォンの通知を戻すと、編集デスクからメッセージが入っていた。


――休めているか。

――午後でいい。外部反応の整理を始めたい。

――急がなくていいが、総括記事の軸だけ考えておけ。


怜司は短く返した。


――午前は休みました。午後から整理します。


すぐに返信が来た。


――偉い。


その短さに、怜司は少し笑った。


午後、資料館へ向かった。


資料館の入口には、訪問者への案内文が貼られている。


昨日より少し紙がまっすぐになっていた。佐野が貼り直したのだろう。


中へ入ると、佐野が受付で電話を終えたところだった。


「今日は少し落ち着いています」


「よかったです」


「でも、問い合わせの種類が変わってきました」


「どんなものですか」


佐野はメモを見せた。


他地域の資料館からの問い合わせ。

大学研究者からの資料確認依頼。

観光協会からの説明文見直し相談。

新聞社やテレビ局からの取材申請。

個人読者からの手紙。


「手紙?」


怜司が聞くと、佐野は封筒を一通差し出した。


「新聞社宛てにも送ったそうですが、資料館にも同じものが来ました。三上さんに読んでほしいと」


封筒には、丁寧な字で宛名が書かれていた。


差出人は、県外の女性だった。


怜司は、佐野に確認してから封を開けた。


中には、便箋が三枚入っていた。


連載を読んでいること。

自分の町にも、由来をよく知らない祭りがあること。

子どもの頃は面白い伝説だと思っていたが、連載を読んで、誰かの痛みが簡単な話に変えられている可能性を考えたこと。


そして、最後にこう書かれていた。


――私は新郷村へ行ったことがありません。これからも、すぐには行かないと思います。けれど、行かないまま、その場所を少し大事に思うことはできるのだと知りました。


怜司は、その一文を長く見つめた。


行かないまま、その場所を大事に思う。


訪れることだけが関わりではない。


見に行くことだけが関心ではない。


この連載は、来訪を促すためだけの記事ではない。


むしろ、安易に行かないという関わり方も作れるのかもしれない。


「これ、記事で使えますかね」


佐野が尋ねた。


「本人確認が必要です。でも、使えたら大事な声になると思います」


怜司は便箋を丁寧に戻した。


その後、編集デスクとのオンライン会議があった。


画面には、編集デスク、デジタル担当、社会部の上長が映っていた。


「総括記事の前に、外部反応を整理する」


編集デスクが言った。


「数字は?」


デジタル担当が資料を出した。


「連載全体の滞在時間が長いです。特に第七回以降、読者の戻り率が高い。途中から読み始めた人が第一回に戻る動きもあります」


「炎上は?」


上長が尋ねる。


「大規模なものはありません。ただ、音源非公開や女名控非公開への不満は継続しています。動画系のまとめも出ていますが、当初より断定的なものは減っています」


怜司は少し意外だった。


「減っているんですか」


デジタル担当は頷いた。


「役場の案内文と、うちの記事が引用されている影響だと思います。“未確認情報を断定しないでください”という文言が効いている」


編集デスクが言った。


「言葉は働くな」


「はい」


怜司は静かに答えた。


外からの反応は、思ったより複雑だった。


一部は消費しようとする。

一部は批判する。

一部は慎重に受け止める。

一部は、自分の地域へ引き寄せて考える。


上長が怜司を見た。


「総括記事の軸は?」


怜司は少し考えた。


「“何が分かったか”だけではなく、“どう扱うことにしたか”を軸にしたいです」


「具体的には」


「発見された名や資料を並べるだけだと、暴露のまとめになります。そうではなく、座帳を守ったこと、女名控をすぐ公開しなかったこと、音源を出さなかったこと、かよ節を共有に留めたこと、墓前案内や資料館展示を変えたこと。真実を扱うための手順をまとめたい」


編集デスクが頷いた。


「いい」


デジタル担当が言った。


「ただ、読者は時系列も欲しいです。第一章から追うには長い」


「時系列表は作れます」


怜司は答えた。


「ただし、“発見一覧”ではなく、“確認と判断の流れ”として」


上長が言った。


「総括記事の見出しは慎重に。強い見出しにすると、全部が台無しになる」


編集デスクが少し笑った。


「珍しく意見が合いましたね」


上長は真顔だった。


「この連載は、そういう段階に来ています」


会議後、怜司は大きな紙に時系列を書き始めた。


旧集会所の火災未遂。

座帳の保全。

葛原証言。

久我手記。

十和田家の歌。

沢の祠跡。

父の箱。

女名控。

悠一音源。

榊原取材。

カヨ、リクの公表。

かよ節共有。

保存会の説明見直し。

資料館展示見直し。

墓前案内変更。

訪問者への約束。

変わり始めた村。


その横に、別の欄を作った。


判断。


すぐ公開しなかった。

専門家確認を待った。

関係者に確認した。

音源を公開しなかった。

歌詞を出さなかった。

場所を非公開にした。

案内文を作った。

未確定を未確定と書いた。


見えてきた。


この連載の本当の軸は、発見ではなく、判断だった。


何を出すか。

何を出さないか。

いつ出すか。

誰と決めるか。

出した後、どう直すか。


怜司は、その紙を見ながら、総括記事の仮題を書いた。


――真実を急がないために


少し硬い。


しかし、近い。


夕方、澪が資料館へ来た。


「休めましたか」


「午前中だけ」


「半日ではなかったですね」


「すみません」


澪は少し呆れた顔をしたが、強くは責めなかった。


「何を書いているんですか」


「総括記事の準備です」


怜司は紙を見せた。


澪は、時系列と判断の欄をじっと見た。


「こう見ると、たくさんありましたね」


「はい」


「でも、発見より、止まったことが多いですね」


怜司は顔を上げた。


「止まったこと」


澪は頷いた。


「音源を出さなかった。歌詞を出さなかった。女名控の写真を出さなかった。沢へすぐ行かなかった。かよ節を祭りに入れなかった」


怜司は、その言葉を紙の隅に書いた。


止まったこと。


澪は続けた。


「でも、止まったから進めたんだと思います」


怜司は黙った。


それは、この総括記事の中心かもしれない。


止まることは、後退ではない。


正しく進むための時間だった。


「その言葉、記事に使ってもいいですか」


澪は少し笑った。


「はい」


「ありがとうございます」


「ただし、“止まる”だけだと、宗一郎さんの沈黙と混ざりませんか」


怜司はハッとした。


澪は続けた。


「宗一郎さんは止まりすぎた。久我さんは急ぎすぎた。三上さんたちは、止まりながら進んだ。その違いが大事だと思います」


怜司は、その言葉を大きく書いた。


止まりながら進む。


それが、総括記事の軸になった。


夜、怜司は原稿を書き始めた。


見出し案。


――真実を急がないために

――「雪の下の名」がたどった確認と判断


冒頭は、読者の手紙にした。


行かないまま、その場所を大事に思うことはできる。


そこから、連載が何をしてきたのかへ入る。


怜司は書いた。


――この連載は、隠された真実を一気に暴くものではなかった。むしろ、何度も立ち止まりながら、何を今出すべきか、何をまだ出さないべきかを確認してきた記録でもある。


続けて、三つの対比を置いた。


久我玲一は急ぎすぎた。

三上宗一郎は止まりすぎた。

今の村は、止まりながら進もうとしている。


その一文を書いた時、怜司は少しだけ手が震えた。


これは、これまでの連載の核心だった。


父を責めるだけでもない。

久我を責めるだけでもない。

今の村を美化するわけでもない。


失敗を見た上で、別の進み方を選ぶ。


記事では、時系列を簡潔にまとめた。


ただし、刺激的な言葉は避けた。


「発見」「暴露」「真相」という語を何度も削った。


代わりに使ったのは、「確認」「保全」「共有」「判断」「見直し」。


地味な言葉ばかりだ。


だが、その地味さが必要だった。


中盤では、公開しなかったものについて書いた。


女名控の現物。

悠一の音声。

かよ節の歌詞。

沢の詳細な位置。

関係者の私的な発言。


なぜ出さなかったのか。


怜司は書いた。


――情報を出さないことは、常に正しいわけではない。隠蔽にもなりうる。だが、公開の理由と非公開の理由を明示し、関係者や専門家と確認しながら判断するなら、それは過去の沈黙とは違う。閉じるためではなく、壊さずに渡すための時間である。


この段落には時間がかかった。


非公開を正当化しすぎてはいけない。


読者の検証可能性も大事だ。


だから、次の段落で書いた。


――一方で、非公開の判断は、いつまでも続けられるものではない。資料の保全、専門家確認、関係者の同意が進めば、公開範囲は改めて問われる必要がある。閉じたままにしないための仕組みもまた、今後の課題である。


これで、少しバランスが取れた気がした。


最後に、村の変化を書く。


祭りの説明。

資料館展示。

墓前案内。

訪問者への約束。


そして、澄江の言葉。


変わるというのは、続けること。


結びは、こうした。


――名を返すことは、一度記事に書けば終わる作業ではない。呼び方を間違えれば直し、急ぎすぎれば止まり、止まりすぎれば誰かが声をかける。その繰り返しの中で、村はようやく、長く雪の下に置かれていた名と生きる準備を始めている。


原稿を送り終えたのは、夜遅くだった。


編集デスクからの返信は、三十分後に来た。


――総括として良い。

――タイトルは少し整える。

――読者の手紙は本人確認を取れ。

――「止まりながら進む」は残す。

――明後日公開でいこう。


翌日、怜司は手紙の差出人に連絡を取った。


電話口の女性は緊張していた。


「まさか本当に読んでいただけるとは思いませんでした」


「大切な言葉でした」


怜司は言った。


「記事で使わせていただけますか。お名前は匿名でも構いません」


女性は少し黙った後、言った。


「匿名でお願いします。でも、言葉は使ってください」


「ありがとうございます」


「私、行かないことも大事にすることだと思ったんです」


「はい」


「見たい気持ちはあります。でも、今すぐ行って写真を撮ることが、その場所を大事にすることとは限らないんだなって」


怜司は、その言葉もメモした。


行かないことも、大事にすること。


訪れる人への約束と、強くつながる言葉だった。


総括記事は、明後日の朝に公開された。


――雪の下の名 総括

――止まりながら進む 名を返すために選んだ確認と判断


怜司は、資料館でその見出しを見た。


派手ではない。


しかし、これでいい。


記事は長かった。


時系列もある。

非公開の判断もある。

村の変化もある。

外部読者の声もある。


反応は、これまでとは少し違った。


「途中から読んでいたので助かった」

「何を出さなかったかまで書くのは誠実」

「止まりながら進む、がこの連載全体を表している」

「非公開のものは、今後どう開かれるのか見守りたい」

「行かないことも大事にすること、という読者の言葉がよかった」


批判もあった。


「非公開を美化している」

「結局、新聞社と村が管理しているだけ」

「真実を全部出すべき」


怜司は、それも読んだ。


批判は消えない。


消えなくていい。


批判があるから、非公開の判断も更新される。


昼過ぎ、編集デスクから電話が来た。


「総括、よく読まれている」


「はい」


「ここからしばらく連載は間隔を空ける」


「分かりました」


「ただし、終わりじゃない」


「はい」


「女名控の解読、音源の扱い、展示更新、保存会の場。動きがあれば続ける」


「はい」


「少し休め」


怜司は苦笑した。


「みんなそれを言いますね」


「みんな正しい」


電話を切ると、怜司は外へ出た。


資料館の前には、まだ訪問者への案内文が貼られている。


白い花は、もう新しいものに替えられていた。


誰が替えたのかは分からない。


怜司は、少し離れてそれを見た。


行かないまま、大事に思う人がいる。

来ても、静かに手を合わせる人がいる。

問いを持って帰る人がいる。

面白がろうとする人もいる。


すべてを制御することはできない。


それでも、言葉を置くことはできる。


止まりながら進む。


その言葉が、今は怜司自身にも必要だった。


夕方、澪が資料館へ来た。


「総括、読みました」


「どうでしたか」


「少し、息ができました」


「息?」


「はい。ここまでのことが、ちゃんと並んでいたから」


澪は資料館の前の花を見た。


「終わりではないけど、一区切りですね」


「はい」


「三上さん、今度こそ休んでください」


怜司は笑った。


「明日の午前だけでは駄目ですか」


「一日」


「厳しいですね」


「続けるためです」


その言葉に、怜司は頷いた。


続けるため。


変わるため。

書くため。

声を壊さないため。


休むことも、その一部だった。


怜司は、明日の予定表を空けた。


その夜、久しぶりに早く眠った。


夢の中で、雪は降っていなかった。


水の音だけが聞こえた。


遠くではなく、近くで。


けれど、その音はもう、誰かの声を消すためのものではなかった。


流れ続けるための音だった。

お読みいただきありがとうございます。

第39話では、連載を読んだ外部の反応と、総括記事の準備を描きました。


この連載の軸は、暴露ではなく判断でした。

何を出すか。

何をまだ出さないか。

誰と決めるか。

そして、どう続けるか。


次回は少し時間を進め、女名控の解読作業や音源保存の続報へ入っていきます。

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