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雪のゴルゴタ ― 青森に眠る男 ―  作者: たむ


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第三十八話 変わり始めた村

祭りの説明が変わり始めた。

資料館は問いを渡す展示へ進み始めた。

墓前案内には、アラムの名が入った。

訪れる人への約束も作られた。


真実は、見つけた時ではなく、その後の扱いで試される。


怜司は、ここまでに村で起きた変化を整理しようとする。


※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。

※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。

※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。

三上怜司は、資料館の一室で白い紙を広げた。


そこに、太いペンで見出しを書いた。


――ここまでに変わったこと。


紙の上には、まだ何もない。


だが、頭の中には多すぎるほどの出来事があった。


旧集会所の火。

守られた座帳。

葛原の証言。

久我玲一の手記。

十和田家の歌。

沢の祠跡。

父の箱。

女名控。

悠一の録音。

榊原の証言。

カヨとリクの名。

かよ節の共有。

保存会の見直し。

資料館展示。

墓前案内。

訪れる人への約束。


多すぎる。


記事として追ってきた怜司でさえ、時々、全体が見えなくなる。


村の人たちなら、なおさらだろう。


名が出た。

歌が出た。

説明が変わった。

案内文が出た。


それぞれは分かっても、村全体として何が変わったのかを掴むのは難しい。


編集デスクが言っていた。


一度、現在地をまとめろ。


怜司は、そのための記事を書こうとしていた。


派手な新事実はない。


だが、ここまで来たからこそ必要な回だった。


まず、紙に四つの柱を書いた。


祭り。

資料館。

墓。

訪問者。


そこに、もう一つ加える。


人。


結局、場所や制度が変わっても、人がどう変わったかを書かなければ意味がない。


怜司は取材を始めた。


最初に向かったのは、保存会の事務所だった。


村井は、祭りの説明文案を前にしていた。


手書きの修正がいくつも入っている。


「まだ決定版ではありません」


村井は言った。


「でも、案内人向けの説明メモを作っています」


怜司は紙を見せてもらった。


そこには、これまでの表現と、新しい表現が並んでいた。


以前。


――由来不明の不思議な歌です。

――キリスト伝承と結びついた神秘的な祭りです。

――面白い伝説として親しまれています。


新しい案。


――由来は一つに決められていません。

――地域の祭りとして受け継がれてきた歌であり、家々に残る別の記憶とも重なっています。

――伝承の背景にある名や声を、現在も確認しています。


怜司は、しばらくそれを見つめた。


言葉が変わっている。


たった数行。


だが、そこには村の姿勢の変化があった。


「実際に使えそうですか」


怜司が尋ねると、村井は少し困った顔をした。


「正直、まだ硬いです」


「はい」


「観光客に話すには、もう少し自然な言葉にしないといけません。ただ、方向はこれでいけると思います」


「案内人の反応は?」


「割れています」


村井は正直に言った。


「これでは伝承の魅力が弱くなるという人もいます。逆に、今までの説明が軽すぎたと言う人もいます」


「村井さんは?」


「私は、迷っています」


村井は紙を置いた。


「でも、迷いながら説明することを、少し許せるようになりました」


怜司は顔を上げた。


「迷いながら説明する」


「はい。以前は、案内人は迷わず説明しなければならないと思っていました。聞かれたら答える。分かりやすく話す。でも今は、“分からないことがあります”と言うのも案内なのだと思っています」


怜司は、その言葉を書き留めた。


分からないことがあります、と言うのも案内。


それは重要だった。


次に、怜司は資料館へ戻り、佐野に話を聞いた。


出口近くの小さなスペースには、仮の掲示板が置かれていた。


まだ完成していない。


見出しにはこうある。


――現在確認されていること

――まだ分からないこと

――これから考えること


佐野は、紙を貼り替えながら言った。


「手作り感がすごいですが」


「むしろ、今はその方がいいかもしれません」


怜司は言った。


「完成しすぎていない方が、更新される感じがあります」


佐野は笑った。


「そう言ってもらえると助かります」


掲示には、短く整理されていた。


確認されていること。


外控文書が役場に保管されている。

十和田悠一さんとみられる歌唱音源が確認されている。

ナニャドヤラとは別に、十和田家に伝わる節がある。

アラム、カヨ、リクという名が複数の資料や証言に現れる。


まだ分からないこと。


文書の成立年代。

リクが実際の名か、聞き取られた呼び声か。

祠跡の板の詳細。

歌と本帳の関係。

資料の公開範囲。


これから考えること。


展示の更新。

音源の保存と公開可否。

かよ節の扱い。

墓前案内の見直し。

訪問者への配慮。


怜司は、掲示を見て少し感動した。


これは答えではない。


だが、誠実な現在地だった。


「来館者の反応は?」


佐野は考えた。


「立ち止まる人が増えました」


「読む人が?」


「はい。以前は、写真を撮ってすぐ出る人も多かったんです。でも、この掲示の前では少し止まる」


「何か言われますか」


「“まだ分からないこと”を展示するのは珍しいですね、と言われました」


佐野は少し笑った。


「こちらとしては、分からないことだらけなんですけど」


「それを書くのが大事だと思います」


「そうですね」


佐野は掲示を見た。


「資料館は、分かっていることを見せる場所だと思っていました。でも今は、分からないことを分からないまま共有する場所でもあるんだと思います」


怜司は、その言葉を書き留めた。


分からないことを共有する場所。


次に、墓へ向かった。


村井が案内の練習をしていると聞いたからだった。


観光客はいない時間帯。


村井は、若い案内人二人に向けて、墓前説明の新しい文案を読み上げていた。


「こちらは、長くキリストの墓として伝えられてきた場所です。近年、古い記録や歌、証言の確認が進み、この伝承の背景には、アラムという名を含む複数の人物の記憶が重なっている可能性が見えてきました」


若い案内人の一人が手を挙げた。


「“アラムって誰ですか”って聞かれたら、どう答えますか」


村井は少し考えた。


「いい質問です」


怜司も、少し離れた場所で聞いていた。


村井は答えた。


「現時点では、伝承の背景に関わる子どもの名として資料や証言に現れています。ただし、詳しいことはまだ確認中です。資料館でも説明しています、と案内する」


「子ども、と言っていいんですか」


「そこは資料で確認されていますか?」


村井が怜司を見る。


怜司は近づいた。


「複数資料と証言では、子どもとして扱われています。ただ、年齢の詳細は不明です。なので、“子どもと伝えられる”が正確です」


村井は頷いた。


「では、“子どもと伝えられる名”にしましょう」


若い案内人がメモする。


「分からないことが多いですね」


もう一人が言った。


村井は頷いた。


「多い。でも、分からないことを分かっているように話さない。それが新しい案内です」


怜司は、その言葉に胸が少し熱くなった。


分からないことを分かっているように話さない。


この村は、少しずつ言葉の姿勢を変えている。


午後、怜司は坂本に会った。


役場の窓口には、「訪れる方へのお願い」が掲示されていた。


紙はまだ仮のものだが、目立つ場所に置かれている。


坂本は、問い合わせ分類表を見せてくれた。


「案内文を出してから、無理な問い合わせは少し減りました」


「沢へ行きたいという問い合わせは?」


「あります。でも、断りやすくなりました」


「断りやすく?」


「はい。“案内文に書いてある通り、保全中です”と言えるので」


坂本は少し疲れた顔で笑った。


「現場の職員にとって、断るための言葉があることは大きいです」


怜司は、そこも記事に必要だと思った。


守るための言葉は、訪問者だけでなく、断る側も守る。


「村の中の反応はどうですか」


坂本は少し考えた。


「不満はあります。なぜ今さら変えるのか、という声もあります。でも、“変えるならきちんとやれ”という声も増えています」


「きちんとやれ」


「はい。反対ではなく、雑にするなという意味です」


それは大きな変化だった。


拒絶ではなく、慎重さの要求。


村の中にも、受け止める時間が生まれている。


夕方、怜司は十和田家を訪ねた。


澪は、縁側で祖母と話していた。


澄江は、以前より少し穏やかに見えた。


「村が変わり始めています」


怜司が言うと、澄江は小さく笑った。


「始めただけだよ」


「はい」


「変わるというのは、続けることだから」


怜司は手帳を開いた。


「続けること」


「そう」


澄江は庭を見た。


「歌もそうだ。一度歌えば終わりではない。次にどう歌うか。誰に渡すか。歌わない時はどう守るか。それを続ける」


澪が頷いた。


「保存会で歌う場も、まだ一回目だから」


「はい」


澄江は怜司を見た。


「記事も同じだろう」


怜司は少し苦笑した。


「そうですね」


「一度いい記事を書いても、それで終わりではない」


「はい」


「次に雑に書けば、また壊れる」


その言葉は厳しかった。


だが、正しかった。


「気をつけます」


怜司は言った。


澄江は頷いた。


「変わり始めた村を書くなら、変わったと言い切らないで」


「はい」


「始めた、と書きなさい」


怜司は深く頷いた。


その夜、怜司は第十五回の原稿を書いた。


仮題。


――変わり始めた村


冒頭は、白い紙に「ここまでに変わったこと」と書く場面。


そこから、五つの柱で整理する。


祭り。

資料館。

墓。

訪問者。

人。


祭りでは、案内人が「分からないことがあります」と言うことを覚え始めた。

資料館では、分からないことを共有する掲示が始まった。

墓では、アラムの名が慎重に語られ始めた。

訪問者には、開くものと守るものを示す約束が作られた。

人の中では、保存会、役場、十和田家、久我透、葛原、それぞれの受け止めが変わり始めた。


本文の中心には、澄江の言葉を置いた。


――変わるというのは、続けること。


記事の終盤で、怜司はこう書いた。


――村は変わった、と言うにはまだ早い。変わり始めたにすぎない。説明文はまだ仮であり、展示は手作りで、墓前案内も練習中だ。訪問者への約束も、守られるかどうかはこれから試される。それでも、以前と同じ言葉には戻らないという小さな決意が、村のあちこちに生まれている。


書きながら、怜司は少しだけ救われた。


完了ではない。


始まり。


それなら、現実に合っている。


翌朝、第十五回が公開された。


――雪の下の名 第十五回

――変わり始めた村 祭り、資料館、墓、訪問者への約束


反応は、静かで広かった。


「変わったと言い切らないのがよかった」

「小さな実務の積み重ねが一番大事」

「断るための言葉があることは現場を守る、に納得」

「分からないことがあります、と言う案内は誠実」

「変わるというのは続けること、が刺さった」


昼前、編集デスクから電話が来た。


「三上、第三章の前半はここで区切れる」


「はい」


怜司もそう思っていた。


「次はどうしますか」


「少し時間を置く」


編集デスクは言った。


「連載のペースを落とす。ここから先は、動きが出るまで待つ必要がある。女名控の解読、音源保管、展示更新、保存会の場。すぐには進まない」


「はい」


「その間に、お前は総括原稿の準備をしろ」


「総括?」


「第一章からここまでの流れを、連載とは別に一本まとめる。読者の新規流入が増えている。途中から読む人に、現在地を示す記事が必要だ」


怜司は少し考えた。


「分かりました」


「ただし、まとめ記事で雑に要約するな。これまで慎重に積んできたものを壊すな」


「はい」


電話を切った後、怜司は少し疲れを感じた。


ここまで走ってきた。


いや、走らないようにしてきたつもりでも、やはり気を張り続けていた。


資料館の窓から外を見る。


春の光が、薄く村を照らしている。


雪はもうほとんどない。


アラム、カヨ、リクの名が出た村は、少しずつ言葉を変えている。


まだ不完全だ。


不安もある。

反発もある。

誤解もある。

守りきれていない部分もある。


だが、変わり始めている。


その事実だけは、今の怜司にも書ける。


夕方、澪が資料館に来た。


「今日の記事、祖母が読みました」


「何と?」


「“変わり始めた、ならいい”と言っていました」


怜司は笑った。


「厳しいですね」


「はい」


澪も笑った。


それから、少し真面目な顔になった。


「三上さんは、少し休んだ方がいいです」


怜司は意外だった。


「そう見えますか」


「見えます」


「記事はまだあります」


「でも、倒れたら書けません」


その言葉は、以前怜司が澪に言った言葉に似ていた。


怜司は苦笑した。


「そうですね」


「半日でも」


「考えます」


「考えるではなく、休んでください」


澪の声は、思ったより強かった。


怜司は少し黙り、頷いた。


「分かりました。明日の午前は休みます」


澪は満足そうに頷いた。


「よし」


その小さなやり取りで、怜司は少し笑えた。


物語はまだ終わらない。


でも、続けるためには、休むことも必要だ。


澄江が言った通りだ。


変わるというのは、続けること。


そして、続けるためには、壊れないこと。


怜司は、その夜、久しぶりに早くパソコンを閉じた。


外では春の風が吹いていた。


雪の下の名は、もう外に出た。


これからは、その名と生きる時間が始まる。

お読みいただきありがとうございます。

第38話では、ここまでに村で起きた変化を整理しました。


祭りの説明。

資料館展示。

墓前案内。

訪問者への約束。

そして、人の受け止め方。


村は「変わった」のではなく、「変わり始めた」。

ここで第三章前半は一区切りです。


次回は、少し視点を変え、これまでの連載を読んだ外部の反応や、総括記事の準備へ進みます。

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