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雪のゴルゴタ ― 青森に眠る男 ―  作者: たむ


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第三十四話 祭りの説明を変える日

公民館の小部屋で、かよ節は初めて共有された。

公開ではなく、共有。

拍手も録音もない場で、歌は家の外へ少しだけ出た。


次に動いたのは、保存会だった。


祭りを守ってきた人たちは、歌の奥にある名を知った時、これまでの説明をどう変えるのか。


※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。

※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。

※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。

保存会の役員会は、資料館の隣にある小さな会議室で開かれた。


長机が三つ。

古いホワイトボード。

壁には、過去の祭りの写真が飾られている。


色鮮やかな衣装。

輪になって踊る人々。

観光客の笑顔。

カメラを構える人。

夏の光。


その写真の中で歌われていたナニャドヤラは、明るい祭りの歌だった。


だが今日、部屋に集まった保存会の役員たちは、その明るさの奥に別の声があることを知ろうとしていた。


三上怜司は、会議室の端に座っていた。


取材として同席している。


ただし、今日は録音しない。

記事化する発言は、後日確認。

かよ節の歌詞は書かない。

誰がどの場面で涙を見せたかも、必要がなければ書かない。


保存会側と十和田家との約束だった。


部屋には、保存会副会長の村井をはじめ、役員が六人。

十和田澪。

十和田澄江は体調を考えて欠席したが、澪に言葉を預けていた。

役場から坂本。

相馬由紀准教授。

資料館職員の佐野。

そして怜司。


前回より人数は多い。


その分、空気も硬かった。


村井が最初に口を開いた。


「今日は、保存会として、かよ節を聞きます」


役員の一人が小さく咳をした。


村井は続けた。


「これは祭りに入れるための会ではありません。録音もしません。歌詞の配布もしません。まず、私たちが何を知らずに祭りを説明してきたのかを考えるための場です」


その言葉に、何人かが視線を落とした。


保存会の中には、まだ納得していない人もいる。


それは当然だった。


ずっと守ってきたものが、急に「足りなかった」と言われている。


抵抗がないはずがない。


澪は、部屋の前に立った。


前回よりも少し落ち着いている。


だが、緊張しているのは分かった。


「歌う前に、一つだけお願いします」


澪は言った。


「この歌を、すぐに祭りへ入れるかどうかの話にしないでください」


役員たちが彼女を見る。


「かよ節は、披露するために残っていた歌ではありません。だから、聞いた後すぐに“使えるか”“使えないか”で判断されると、歌が違うものになります」


ある役員が、少し苦い顔をした。


「使うという言い方は、確かに悪いね」


澪は小さく頷いた。


「はい」


「でも、祭りをやっている側は、どうしても考えるんです。これは祭りに入れられるか。説明に使えるか。観光客にどう伝えるか」


「分かります」


澪は答えた。


「だからこそ、今日はその前の時間にしたいです」


村井が頷いた。


「では、お願いします」


部屋が静かになった。


澪は息を吸った。


そして、かよ節を歌った。


前回よりも、少し声が強かった。


だが、祭りの声ではない。


誰かに届けるというより、忘れないために置く声だった。


役員たちは、動かなかった。


最初は戸惑っているようだった。


どのような顔で聞けばよいのか分からない。


拍手する歌ではない。

合いの手を入れる歌でもない。

資料として聞くだけでも足りない。


やがて、表情が変わっていった。


一人の女性役員が、ハンカチを取り出した。


年配の男性は、唇を固く結んだ。


若い役員は、壁の祭り写真と澪を交互に見ていた。


歌が終わっても、やはり拍手はなかった。


沈黙。


前回と同じようで、違う沈黙だった。


前回は、歌を受け取った沈黙。


今回は、自分たちが何を説明してきたのかを考える沈黙だった。


村井が、ゆっくり口を開いた。


「ありがとうございました」


澪は小さく頭を下げた。


女性役員が言った。


「これは、祭りでは歌えないね」


その言葉に、部屋が少し緊張した。


澪の顔も硬くなる。


女性役員は慌てて首を振った。


「悪い意味じゃなくて。今のまま、祭りの途中に入れたら、壊れる気がする」


村井が頷いた。


「私もそう思います」


別の男性役員が言った。


「でも、知らないまま祭りを続けるのも、もう違う」


その言葉に、何人かが頷いた。


「では、どうするか」


坂本が静かに言った。


彼は役場の人間として、議論を整理する立場に回っていた。


村井はホワイトボードの前に立った。


「祭りに入れるかどうかは、今日は決めない。まず、説明を変える必要があると思います」


「説明?」


若い役員が尋ねる。


村井は頷いた。


「今まで、ナニャドヤラを“由来不明の不思議な歌”として説明してきた。キリスト伝承と結びつけて、観光客に面白い話として紹介してきた面もある」


誰も否定しなかった。


村井は続けた。


「これからは、そう言い切れない。由来不明というだけではなく、地域に残る複数の記憶が重なった歌として説明する必要がある」


相馬が少し手を挙げた。


「専門家の立場から言うと、その表現は慎重でよいと思います」


村井が相馬を見る。


「複数の記憶が重なった歌、ですか」


「はい。ナニャドヤラ全体の由来を一つに断定するのは避けるべきです。ただ、今回確認されたかよ節や録音資料は、十和田家を中心に伝わった家内伝承として扱える可能性があります」


坂本がメモを取る。


「つまり、祭りのナニャドヤラと、かよ節を同一視しない」


「そうです」


相馬は答えた。


「つながりはある。しかし、同じものとして扱いすぎると、どちらも歪みます」


怜司は、その言葉を心に留めた。


つながりはある。

同じものとして扱いすぎると歪む。


伝承も、記録も、人間関係も、すべてそうだった。


若い役員が言った。


「説明板を変えるんですか」


坂本が答える。


「可能性はあります。ただ、すぐには難しいです。役場、保存会、資料館、十和田家、専門家で文面を作る必要があります」


男性役員が腕を組んだ。


「観光パンフレットも変えるのか」


「いずれは」


村井が言った。


「でも、まず保存会の口頭説明から変えましょう。案内する時の言葉を」


女性役員が頷いた。


「“面白い伝説です”みたいな言い方は、もうできないね」


その言葉で、部屋の空気が少し変わった。


それは、小さな変化だった。


だが、重要だった。


面白い伝説です。


その一言が消えるだけで、伝承の扱いは変わる。


「代わりに、何と言う?」


若い役員が聞いた。


村井は少し考えた。


「この歌には、地域で長く受け継がれてきた祭りの歌としての面と、家々の中で語られてきた記憶の層がある。今、その関係を調べています」


「長いな」


男性役員が言った。


少しだけ笑いが起きた。


緊張が緩んだ。


坂本も苦笑した。


「観光客には長いですね」


相馬が言った。


「短くするなら、“由来は一つに決められませんが、地域の記憶を重ねてきた歌です”でしょうか」


村井はホワイトボードに書いた。


――由来は一つに決められない。

――地域の記憶を重ねてきた歌。


女性役員が頷いた。


「それなら言える」


若い役員が付け加えた。


「あと、今までは明るく紹介していたけど、少し丁寧に話した方がいいですね」


村井が書く。


――面白さより、丁寧さ。


怜司は、その言葉を忘れないように心の中で繰り返した。


面白さより、丁寧さ。


保存会の言葉としては、とても大きな変化だった。


議論は一時間ほど続いた。


かよ節を祭り本番で歌うことは、当面しない。

保存会役員向けの勉強会を続ける。

祭りの口頭説明を見直す。

パンフレットや説明板は、専門家と関係者の確認を経て将来的に改訂する。

十和田家に過度な負担をかけない。

かよ節の歌詞や音声は公開しない。

ただし、存在自体は隠さない。


最後に、村井が澪へ向き直った。


「十和田さん」


「はい」


「今日は、ありがとうございました」


「いえ」


「保存会は、これまであなたたちの家に、歌を預けっぱなしにしていたのかもしれません」


澪は少し驚いた顔をした。


村井は続けた。


「祭りで歌う部分だけをもらって、奥にあるものを見ないままにしていた」


澪は静かに首を横に振った。


「十和田家も、話してきませんでした」


「それでも、これからは一緒に考えたい」


村井の声は、先ほどより柔らかかった。


「保存会だけで決めることではないと分かりました」


澪は、少しだけ目を潤ませた。


「ありがとうございます」


会議が終わると、外は暗くなっていた。


会議室の壁の祭り写真は、蛍光灯の下で少し色あせて見えた。


だが、怜司には、その写真が以前とは違って見えた。


そこに写っている人たちは、何かを隠していた悪人ではない。


足りない説明の中で、それでも祭りを続けてきた人たちだった。


その足りなさを、今からどう補うか。


それが第三章の仕事だった。


資料館へ戻る途中、澪が怜司に言った。


「今日は、少し楽でした」


「前回より?」


「はい」


「なぜですか」


澪は考えた。


「歌った後、保存会の人たちが“使えるか”ではなく、“説明を変えよう”と言ってくれたから」


「はい」


「それだけで、歌が少し守られた気がしました」


怜司は頷いた。


「記事にしてもいいですか」


澪は少し笑った。


「その言葉は、いいです」


「分かりました」


夜、怜司は第十一回の原稿を書き始めた。


仮題。


――面白さより、丁寧さ


冒頭は、保存会の会議室に飾られた祭り写真から入った。


明るい祭りの写真。

その下で歌われたかよ節。

拍手のない沈黙。

そして、保存会が出した最初の結論。


祭りには、まだ入れない。

だが、説明は変える。


記事の中心はそこだった。


――変化は、歌を大きく披露することではなく、日々の説明から始まった。


怜司はそう書いた。


ナニャドヤラを「面白い伝説」として語らない。

由来を一つに決めつけない。

地域の記憶が重なった歌として扱う。

かよ節の存在を隠さないが、消費もしない。

十和田家だけに背負わせない。


本文の後半では、相馬のコメントを入れた。


祭りの歌と家内伝承を同一視しすぎないこと。

つながりを認めつつ、違いを守ること。

資料と実演の距離を考えること。


さらに、坂本の言葉も使った。


――進める慎重さ。


怜司は記事の最後に、村井の発言を書いた。


――「面白さより、丁寧さを選ぶところから始めたい」


村井は確認時に少し照れていた。


「そんな格好いいこと言いましたか」


「ホワイトボードに書いてありました」


「なら、まあ、いいです」


翌朝、第十一回が公開された。


――雪の下の名 第十一回

――面白さより、丁寧さ 保存会が変える祭りの説明


反応は大きかった。


これまでとは違い、観光や地域づくりに関心のある読者からも意見が寄せられた。


「伝承を捨てずに説明を変えるのは現実的」

「観光地の説明って、面白さ優先になりがち」

「由来は一つに決められない、という説明は誠実」

「祭りに入れない判断がよかった」

「保存会の人たちも大変だと思う」


一方で、観光関係者らしき投稿もあった。


「面白さを削ったら客は減る」

「暗い説明ばかりだと誰も来ない」

「伝承は伝承として楽しめばいいのでは」


怜司は、その意見も記録した。


それも現実だった。


観光で地域を支えてきた面はある。


面白さを完全に捨てればいいわけではない。


ただし、人の名を踏んだ面白さなら、変えなければならない。


昼過ぎ、村井から電話があった。


「記事、出ましたね」


「はい」


「保存会に問い合わせが来ています」


「すみません」


「いえ、今回は悪い問い合わせばかりではありません」


村井の声は、少し明るかった。


「他の地域の保存会の人から、“うちも説明を見直したい”という連絡がありました」


怜司は驚いた。


「そうですか」


「はい。うちだけの話ではないのかもしれません」


「伝承の説明をどう変えるか、ということですね」


「ええ」


村井は少し黙った後、言った。


「三上さん。祭りは、変わると壊れると思っていました」


「はい」


「でも、変わらないことで壊れるものもあるんですね」


怜司は、その言葉を静かに受け止めた。


「記事にしても?」


「今度は、少し待ってください」


村井は笑った。


「考える時間がほしい」


「分かりました」


電話を切った後、怜司はメモだけ残した。


変わらないことで壊れるものもある。


今すぐ記事にはしない。


だが、いつか必要になる言葉だった。


夕方、澪が資料館に来た。


「保存会の記事、読みました」


「どうでしたか」


「少し、ほっとしました」


「よかったです」


「祖母も読みました。“祭りはまだ大丈夫だね”と言っていました」


怜司は少し笑った。


「大丈夫」


「はい。壊れたのではなく、少し向きが変わっただけだと」


澪は窓の外を見た。


「でも、次は資料館ですよね」


怜司は頷いた。


そうだった。


祭りの説明が変わるなら、資料館の展示も変わる。


現在の展示は、キリスト伝承を中心に作られている。


そこに、アラム、カヨ、リク、女名控、悠一の録音、かよ節をどう入れるのか。


入れるのか。

入れないのか。

展示するのか。

非公開資料として保管するのか。


次の難題だった。


澪は静かに言った。


「歌より、展示の方が怖いかもしれません」


「なぜですか」


「展示されると、固定されるから」


怜司は、その言葉に頷いた。


歌は、歌う人の体を通る。

説明は、話す人によって変えられる。

だが展示は、そこに置かれる。


一度置けば、見た人はそれを「答え」として受け取る。


資料館の展示を変えることは、記事を書くことと似ていた。


置き方を間違えれば、また誰かを固定してしまう。


怜司は手帳を開いた。


次回。


――展示するということ


資料館。

見せること。

隠すこと。

固定すること。

女名控。

音源。

写真。

歌詞。

花。

来館者。


第三章は、まだ続く。


名と生きる村は、祭りの次に、展示と向き合わなければならない。


怜司は、資料館の展示室へ視線を向けた。


そこには、今も昔の説明パネルが立っている。


キリスト伝承。

墓。

祭り。

不思議な歌。


そのパネルが、もう以前と同じには見えなかった。


変える時が来ている。


だが、どう変えるのか。


それを、次に書かなければならない。

お読みいただきありがとうございます。

第34話では、保存会がかよ節を聞き、祭りにすぐ入れるのではなく、まず説明を変えることを選びました。


「面白さより、丁寧さ」

「由来は一つに決められない」

「地域の記憶を重ねてきた歌」


祭りは壊れたのではなく、少し向きを変え始めました。


次回は、資料館の展示をどう変えるかへ進みます。

見せること、隠すこと、固定してしまうことの難しさが焦点になります。

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