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雪のゴルゴタ ― 青森に眠る男 ―  作者: たむ


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第二十三話 本帳の外へ

悠一の録音テープは、壊さないために専門的なデジタル化へ進むことになった。

さらに大学資料からは、「かよ節」の聞き取りメモも見つかった。


一方、役場で確認された「女名控」。

本帳の外へ置かれた女たちの名。


それを記事にするのか。

するなら、どこまで出すのか。


怜司は、村と新聞社の間で調整に入る。


※本作は、青森県に伝わる「キリストの墓」伝承を題材にしたフィクションです。

※実在の宗教、信仰、団体、地域、人物を否定・揶揄する意図はありません。

※作中の歴史解釈、文書、事件、人物関係は物語上の創作です。

連載第三回の原稿は、書き出す前から重かった。


三上怜司は資料館の一室で、白い画面を見つめていた。


仮題は決まっている。


――本帳の外へ置かれた名


だが、その一文を本文に入れるだけで、何かが動いてしまう気がした。


本帳。


それは寄合座が残した公式の記録だった。


そこに書かれた名は、共同体が「残してよい」と判断した名でもある。


一方で、女名控は外に置かれていた。


女たちの名。

女たちの言い伝え。

本帳には入れられなかった記憶。


それを公表することは、単に新資料を紹介することではない。


村が何を中心に置き、何を外へ押し出してきたのかを問うことになる。


怜司は手帳を開いた。


確認済み。


役場文書箱に「女名控」と記された封筒あり。

中に「寄合座外控 女名并言伝」と記された和紙束あり。

複数の女性名らしき記載あり。

カヨと読める名あり。

詳細解読は専門家確認待ち。


未確認。


成立年代。

筆者。

本帳との正式な関係。

カヨの記述内容。

リクの記載有無。

公開可能範囲。


この記事で出せるのは、存在確認まで。


それも、役場と関係者の同意が必要だった。


午前十時、役場で会議が開かれた。


出席者は、地域振興課の坂本、総務課の文書管理担当者、文化財担当、そして怜司。オンラインで編集デスクも参加している。


坂本の顔は硬かった。


「率直に言うと、役場内では公表に慎重な意見が強いです」


「理由を伺えますか」


怜司が尋ねると、坂本は紙を見た。


「一つは、文書の性質がまだ確定していないこと。もう一つは、“女名控”という言葉が独り歩きする懸念です」


文化財担当が続けた。


「専門家確認の前に公表すると、後から読みや年代が変わる可能性があります。特に崩し字の読みは慎重に扱う必要があります」


「その点は理解しています」


怜司は頷いた。


「記事では内容の断定はしません。文書の存在も、“確認された”ではなく、“関連文書とみられる資料が保管されていることが分かった”程度に抑えます」


編集デスクが画面越しに言った。


「写真は出さない方針で考えています。少なくとも第三回では」


坂本は少し驚いたように画面を見た。


「写真を出さないんですか」


編集デスクは頷いた。


「出せば拡散されます。表紙の文字だけでも十分に強い。本文で扱うにしても、写真は後でいい」


怜司は内心で少し安堵した。


新聞社側が、数字より保全を優先する姿勢を示してくれた。


それだけで、役場との空気が少し変わった。


文書管理担当者が言った。


「ただ、存在自体を完全に伏せるのも難しい気がしています。田崎さんのように知っている方がいますし、今後調査を進めれば、いずれ明らかになります」


坂本は頷いた。


「問題は、どう出るかですね」


怜司は資料を一枚差し出した。


「第三回の掲載方針案です」


そこには、短く整理していた。


公開すること。


古い記録には、本帳に入らなかった関連資料がある。

役場に、寄合座関連とみられる外控文書が保管されている。

文書には女性名や言い伝えが含まれる可能性がある。

専門家による確認を進めている。


公開しないこと。


文書名の写真。

具体的な女性名。

歌詞との対応関係。

解読前の内容。

保管場所の詳細。


怜司は説明した。


「第三回では、“女名控”という表題そのものは出さず、“本帳の外に置かれた関連文書”と表現します」


坂本が顔を上げた。


「女名控という言葉を出さない?」


「はい」


怜司は言った。


「いずれ出す可能性はあります。ただ、今はその言葉だけが強すぎます。読者にはまず、本帳と外控という構造を理解してもらう必要があります」


文化財担当が、少し表情を緩めた。


「それなら、こちらも説明しやすいです」


編集デスクも頷いた。


「見出しにも入れない。第三回は“公式記録の外に残された声”くらいで調整する」


坂本はしばらく黙っていた。


やがて、深く息を吐いた。


「分かりました。役場としては、文書の存在について“専門家確認中の関連資料がある”という範囲なら、コメント可能です」


怜司は頭を下げた。


「ありがとうございます」


「ただし」


坂本の声が強くなる。


「村民への説明も必要です。新聞に出てから役場が慌てる形にはしたくありません」


「掲載前に、記事の該当箇所を確認していただきます」


「お願いします」


会議は一時間ほどで終わった。


廊下に出ると、坂本が怜司を呼び止めた。


「三上さん」


「はい」


「正直、最初はあなたが村を掘り返しに来たと思っていました」


怜司は返事をしなかった。


そう思われても仕方がない。


坂本は続けた。


「今も、怖いです。記事が出るたびに電話が増える。変な動画も出る。職員も疲れている」


「はい」


「でも、今日の話を聞いて、少なくともあなたは手順を考えていると分かりました」


「ありがとうございます」


「ただ、手順を守っても、傷つく人は出ます」


その言葉は、重かった。


怜司は頷いた。


「分かっています」


「本当に?」


坂本の目は厳しかった。


怜司は少し考えてから答えた。


「分かっているつもりでも、分かりきれてはいないと思います」


坂本は少しだけ目を細めた。


「その答えなら、まだ信用できます」


怜司は苦く笑った。


「厳しいですね」


「村の側も必死なんです」


「はい」


坂本は窓の外を見た。


「でも、隠し続けるのも限界なんでしょうね」


その声には、諦めではなく、疲れた理解があった。


資料館へ戻ると、澪が待っていた。


「どうでしたか」


「第三回で女名控という言葉は出しません」


澪は少し驚いた。


「出さないんですか」


「はい。“本帳の外に置かれた関連文書”として触れます。具体名もまだ出しません」


澪は少し考え、頷いた。


「その方がいいと思います」


「でも、物足りなく感じる読者もいるでしょう」


「いると思います」


澪は椅子に座った。


「でも、カヨの名は見つかったばかりです。いきなり外に出されたら、また隠された場所から見世物の場所へ連れていかれる気がします」


怜司は、その表現を手帳に書きそうになって、やめた。


今の言葉は、記事の材料ではなく、澪自身の感覚として受け取るべきだった。


「澄江さんには説明しましたか」


「これからです」


「一緒に行きますか」


「お願いします」


午後、二人は十和田家を訪ねた。


澄江は居間の座布団に座っていた。膝には毛布がかけられている。


怜司が第三回の方針を説明すると、澄江は黙って聞いていた。


女名控という言葉はまだ出さない。

カヨやリクの名も出さない。

本帳の外に置かれた記録があることだけを示す。

歌詞も出さない。

悠一の録音も、デジタル化後に確認してから扱う。


説明が終わると、澄江は静かに言った。


「遅いね」


怜司の胸が少し冷えた。


「遅すぎますか」


澄江は首を横に振った。


「違う。四十年前にそうしてくれればよかった、と思った」


怜司は言葉を失った。


澄江は続けた。


「久我さんは急いだ。宗一郎さんは黙った。葛原さんは書ききれなかった。誰か一人でも、こうやって順番を作っていたら、悠一は死ななかったかもしれない」


澪が祖母の手を握った。


澄江は怜司を見た。


「だから、遅い。でも、今からでも遅すぎるとは言わない」


その言葉に、怜司は深く頭を下げた。


「最後まで、手順を守ります」


「手順だけでは足りない」


澄江は言った。


「人の顔を見なさい」


怜司は顔を上げた。


「はい」


「記録を読む時も、歌を聞く時も、記事を書く時も。そこに誰の顔があるのか、忘れなければいい」


怜司は静かに頷いた。


「忘れません」


帰り道、澪が言った。


「祖母の“遅い”は、責めているだけじゃないと思います」


「はい」


「間に合わなかった人たちのために、今度は間に合わせろって意味だと思います」


怜司は雪道を見つめた。


間に合わせる。


何に。


名が消費される前に。

声が壊れる前に。

村が防御だけに固まる前に。

新聞社が数字に引っ張られる前に。

自分が父の影に飲まれる前に。


やるべきことは多い。


だが、少しずつ道は見えてきた。


夕方、怜司は第三回の原稿を書き始めた。


冒頭は、こうした。


――古い帳面には、書かれた名だけでなく、書かれなかった名がある。

――共同体の記録は、事実を残す一方で、何を中心に置き、何を外へ押し出したのかも示している。


その下に、座帳の説明を入れる。


寄合座の記録。

村の決定。

清之進、伊佐衛門、アラムに関わる記載。

しかし、そこにすべてが書かれていたわけではないこと。


次に、関連資料の存在。


――役場には、寄合座の記録と関連するとみられる外控文書が保管されている。文書には、本帳に記されなかった人物や言い伝えが含まれる可能性があり、現在、専門家による確認が進められている。


具体名は出さない。


女名控とも書かない。


だが、外に置かれた名があったことは示す。


さらに、大学資料についても慎重に触れる。


――また、大学の未整理資料には、地元の歌の古い節に関する聞き取りメモが残る可能性が確認された。歌は、公式記録とは異なる形で、言葉にされにくい記憶を伝えてきたとみられる。


歌詞は出さない。


悠一の名も、まだここでは出さない。


読者にはもどかしいかもしれない。


だが、これでいい。


怜司は何度も見直した。


強すぎる表現を削る。


曖昧すぎる部分を補う。


「可能性がある」と「確認された」を分ける。


「伝承」と「記録」と「証言」を混ぜない。


書くたびに、文章が少し硬くなる。


それを読みやすくするために、事例を入れる。


しかし、事例を入れすぎると核心に近づきすぎる。


その間で何度も行き来した。


夜八時、編集デスクに送信した。


返信は三十分後に来た。


――硬い。

――でも必要な硬さ。

――読者を置いていかないよう、冒頭に現場の描写を少し戻せ。

――沢や雪の話ではなく、役場の文書箱を開ける場面。

――写真はなし。

――見出し案はこちらで出す。


怜司は修正に入った。


文書箱が開く場面。

古い紙の匂い。

本帳の外に置かれた封筒。

ただし、表題は書かない。


描写を入れると、文章に呼吸が戻った。


書きながら、怜司は思った。


記事は、感情を消すものではない。


感情に溺れないように、事実の形を与えるものだ。


深夜近く、第三回の最終稿が整った。


見出しは、編集デスクがつけた。


――雪の下の名 第三回

――本帳の外へ置かれた記録 書かれなかった名をどう読むか


怜司は見出しを見て、静かに頷いた。


強すぎない。


弱すぎない。


第三回としては、これでいい。


原稿を送信した後、怜司は椅子にもたれた。


その時、スマートフォンが震えた。


非通知ではない。


榊原道隆。


またメッセージだった。


――外へ置いたものは、外から燃える。


怜司は画面を見つめた。


胸の奥が冷える。


すぐにスクリーンショットを保存し、警察と編集デスクに送る。


返信はしない。


澪にも見せる。


澪の顔色が変わった。


「これ、脅しですよね」


「はい」


怜司は答えた。


「外控文書のことを知っている」


「なぜ……」


「分かりません」


だが、分かっていることもある。


榊原はまだ、資料の周辺にいる。


役場の文書箱。

父の録音。

女名控。

外へ置かれた名。


彼は、燃やすという言葉を繰り返す。


旧集会所を燃やそうとした男が。


怜司は警察からの返信を待った。


数分後、刑事から電話が来た。


「三上さん、今どこですか」


「資料館です」


「今日はそこから動かないでください。役場にも連絡します。文書の保管体制を確認します」


「分かりました」


「榊原本人の所在確認も進めます」


電話を切った後、怜司は深く息を吐いた。


澪が言った。


「怖いです」


「はい」


「でも、今度は一人じゃないですね」


怜司は顔を上げた。


澪は震えていた。


それでも、目を逸らしていなかった。


「警察も、役場も、新聞社も、十和田家も知っている。三上さん一人の箱の中じゃない」


その言葉に、怜司は強く頷いた。


父の時とは違う。


久我の時とも違う。


秘密は、もう一人の胸の中にはない。


複数の手に分けられている。


だから燃やしにくい。

だから隠しにくい。

だから奪われにくい。


夜更け、第三回の公開準備が完了した。


怜司は机の上に並べたメモを見た。


本帳。

外控。

カヨ。

リク。

悠一の声。

榊原の脅し。


すべてが少しずつ繋がっている。


だが、まだ核心には届いていない。


それでいい。


急ぐな。


けれど、止まるな。


怜司は父の手紙を開いた。


――誰も、簡単な形にするな。


今なら、その意味が前より少し分かる。


簡単にしないとは、複雑さをそのまま放り投げることではない。


複雑なものを、人が受け取れる順番に置いていくことだ。


その順番を作るために、怜司は書いている。


外では雪解け水が静かに落ちていた。


ぽたり。


ぽたり。


ぽたり。


その音は、もうただの水音ではなかった。


本帳の外へ置かれた名が、少しずつ内側へ戻ってくる音に聞こえた。

お読みいただきありがとうございます。

第23話では、「女名控」をどこまで公表するかをめぐり、怜司が役場・新聞社・十和田家と調整しました。


今回はあえて「女名控」という言葉やカヨの名を出さず、本帳の外に置かれた記録の存在だけを示す方針になります。

真実を急がず、けれど隠さないための一歩です。


一方で、榊原は「外へ置いたものは、外から燃える」と脅しを送ってきます。

次回は、連載第三回の公開と、外控文書を守るための動き、そして榊原との対峙へ進みます。

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