撃退する。
六道あやめはときめく心に興味があった。
というのも彼女はこれまでの10年間の人生で、一度もときめいたことがないからだ。
六道あやめは、九大家が一門、六道家の当主の孫である。
そして父は次期当主が決定している嫡子であり、その嫡子の長女があやめである。
あやめの下には弟が二人いるが、あやめと比べると普通の出来であり、将来的な当主はほぼほぼあやめになるだろうと目されている。
あやめは大変に優秀な子で、学力も武力も他と比べて飛び抜けていた。
高校にいる五業の三男や、中学にいる四天の長女、幼年部にいる八咲の長男らと比肩する、世代を代表する麒麟児であった。
そんな彼女が持つ、悩みというにはいささか必死度の足りない気がかりの様なものが、件のときめきについてである。
別に物事に無関心であるという訳ではない。
勉強も武道も学ぶのは好きだし、親も弟にも一般的な愛情を抱いている。
日々はそれなりに楽しく、将来的に六道の当主を目指すことにも不満は無く、やりがいも十二分にあり、充実していた、
しかし、ときめきはない。
恐らく、ときめきというものを感じていない。
物語などの創作物において、主人公が感じているときめき。
これが知りたかった。
絶対に知りたいというほどではない。
できれば知りたいという程度だ。
遠くの国でしか食べられない料理をみて「美味しそうだな、いつか機会があれば食べてみたいな」と、そのくらいの知りたいだった。
あやめの日々は良い意味で「乾いて」いる。
だがその乾きに悲壮感はなく、冬の早朝のように、澄み切っていて爽やかだ。
だから、やはり不満はなかった。
しかし、ときめきは唐突にやってくる。
偶然に見かけた、とんでもない美少女。
話しかけてみれば、どこまでも無邪気で幼い。
まるで本心の塊のような人で「あやめちゃん、膝枕ありがとう。好き」なんて言ってくる。
好きだなんて言ってくる。
好き。
あやめのことを好きだという。
きっとそこまで本気の好きではない。
だけど、きっと嘘ではない。
その響きを何度も思い返してしまう。
いつだって、頭の片隅にあの笑顔がある。
想っている。
そっと奥歯をかみしめるような嬉しさ。
浅く息を吸ってゆっくり吐き出してしまうような切なさ。
そっと目を瞑って一瞬だけ会いたくなる足りなさ。
多分、それは、きっと、ときめきだった。
ーーーー
あやめはずっと朝霧の情報を仕入れて続けていた。
あやめと別れたあと、その翌日には疲労に倒れ、それが元で三世に保護を受けたことも把握していた。
お見舞いに行こうか悩んだが、負担になってはいけないと思い我慢した。
始業式から復学し、放課後は鳳雛館で給仕の手伝いをするとのことなので、あやめは迅速に朝霧に会いに行くことを決めた。
本当は始業式の後には小等部の生徒会会合があったのだが、事前に根回しをして、リモートでの事前会議を慣行。会合当日には決定事項の確認だけをして、爆速で終わらせた。
自分が生徒会長だからこそできる荒技である。まぁ、小等部故に、そこまで決めることがなかったのもある。
とにかくあやめは会議を終え、早足で鳳雛館に向かった。
そして、目に飛び込んできたのは理解できない光景だった。
理解できなかったが身体は動き、気がつけば飛び蹴りを放っていた。
「…………お前は」
あやめが背後を伺えば、そこには酷い有り様の朝霧がいた。
片足は折れ曲がり、左手は血が滲んで潰されている。
口からは血が垂れていて、コメカミからも流血している。
そして。
泣いている。泣いていた。
「殺す」
あやめは美咲の眼球目掛けて貫手を放つ。
しかしその手は絡めとられ、同時に手を引かれて体を崩された。そして引かれた先にはもう明咲の拳が肉薄する。強い。
「ぐっ!?」
しかしあやめも強い。
あやめは手を引かれた方に飛び、その勢いのままに回転。回転の勢いで手を払い、その勢いのまま明咲の後頭部に回転肘打ちを食らわせる。
明咲はとっさに体を反らし、後頭部への直撃は避けるものの、鋭い肘打ちが掠って頭部の薄皮が裂けた。
「薺」
「かしこまりました」
その隙をついて、あやめの従者である鹿鳴薺が低い姿勢での高速タックルを決める。今まで気配を消していたらしく、完全に不意をついていた。
膝下に組みついて、膝を引きながら掌底で上体を押す。
「ぐぁ!?」
叩きつけられる様に明咲の背が地に着いた。そしてそこに間髪を入れず…
「死ね」
あやめによる頭部へのサッカーボールキック。
こうして明咲の意識は刈り取られた。
九大家の上澄みたる明咲の強靭な肉体だから気絶ですんだが、常人であれば首が折れて死んでいる威力であった。
「厳重に拘束しておけ」
「はっ」
あやめは鹿鳴にそう命じると、すぐに朝霧の元に向かう。
しゃがんで、地に臥す朝霧に目線を合わす。あちこち痛めていそうで、抱き起すのも躊躇われる。
「おねーさん、もう、大丈夫ですよ」
「…ぅ …ぅ」
喉が潰されている。
そう理解したあやめは怒りに拳を握る。しかし、その怒気はおくびも出さずに朝霧に微笑みかけた。
「もうおねーさんを虐める人はいませんからね。大丈夫、私が守りますから」
どうか安心してほしいと、朝霧の頬に添える程度に触れて笑いかけた。
「…っ」
朝霧は泣いた。
潰されていない手で、頬に触れる手を握り、泣いて微笑んだ。
そこが境だった。
朝霧の異能がもう一つ弾ける。
己の弱さをより痛感した朝霧は、本人の自覚のないまま、その異能に磨きをかける。
より弱く、より感謝を強める。生かしてもらえていることの喜び。人生そのものへの愛が朝霧をより魅力的にする。魅力が、溢れる。
そんな朝霧の眼差しを直で受けるあやめは…
息を、飲む。
あまあい瞳。みていると捕らわれる。
その目を見ているとまるで溺れていくよう。
とろとろと朝霧の愛おしさにひたっているよう。
「おねー、さん」
そこが境だった。
その時あやめのときめきのが終わった。
そんな目で魅られてはもう、あやめは、恋に堕ちるしかなかったのだ。




