幕間 姉の激怒
朝霧の姉、九醸明咲は激怒していた。
実弟である朝霧にぶち切れていた。
明咲は実のところ、元々朝霧に対し良い感情を持っていなかった。
と言うのも、彼女の尊敬する母と祖父が、朝霧に関する時だけ、少しおかしくなるからだ。
強く気高く、そして公明正大な母と祖父が、朝霧を前にした時だけ少し不公平になる。
それが我慢ならなかった。幼いころは、母と祖父がおかしくなるのは全て弟のせいで、とにかく弟が悪いのだと思った。
彼女の父は、そうではなく祖母を亡くした悲しみを朝霧で慰めているのだ、仕方ない感情というのがあるのだ、と言っていたがどうにも納得出来なかった。
朝霧は肥え太っていて醜く、とても祖母には似ていない。だから祖母の代わりになどなるはずがない。やはり朝霧が悪い。きっと奴が母と祖父をおかしくしているのだと幼少のころは信じていて、明咲はただただ朝霧に恨みを募らせていた。
今となっては母と祖父もちょっとおかしいのだと明咲も理解している。あの二人は祖母に関してだけ、おかしいと。
だが、それでも積もった悪感情は消えることなく、明咲の心にあった。
母と祖父の事を抜きにしても明咲は朝霧に思うところがあった。
それは朝霧の怠惰さだ。これが許せなかった。
朝霧は努力をしていない。何をやってもダメな奴で、きっと毎日遊び呆けているのだと思っている。家に帰ると習い事もせずずっと部屋に引きこもっていて、きっと娯楽と菓子を貪っているのだろう。本当に腹が立つ。努力していない奴が甘やかされるなんて間違っている。到底納得出来ない。
明咲はずっとそう考えて怒っていた。
まだある。
それは明咲が小等部三回生の頃だった。
彼女の誕生日に朝霧が熱を出したのだ。
そのせいで、母と祖父は朝霧の看病へと行ってしまった。
明咲は母と祖父のいない誕生パーティーを過ごすこととなったのだ。
そして、そんな「朝霧優先」の事柄は小さいのも含めると、本当に多くあった。
その度に明咲はやるせない気持ちを抱えていったのだ。
これで朝霧ができる奴ならまだ良かっただろう。きっともっと、諦めがついたはずだ。
出来が良くなくとも、努力家であれば違ったはずだ。きっともっと、可愛がれたはずなのだ。
自分は悪くない。朝霧が悪い。
朝霧は本当に情けない奴である。弱きを挫き、強きに媚びる。そんな腐った根性の持ち主で、九醸家の面汚しである。奴のせいで家の品位が下げられている。努力している自分が、努力してない朝霧に貶められている。許せない、許せない、許せない。
そのようにして、明咲はずっと朝霧に怒っていた。
だが、あくまでその怒りは表には出さず、理知的に対応するように努めた。
理路整然と、具体的に問題点を指摘して、少しでも朝霧が良くなるよう指導した。
だが、次第に朝霧は明咲に寄り付かなくなり、いつしか完全に没交渉となった。
それもまた明咲の苛立ちを募らせた。
その、溜めに溜めた怒りが、ついに決壊する。
原因は顔面蒼白の父八切であった。
ある日、どう見ても平常ではない父がいたのだ。
そんな父を見るのは初めてだった明咲は「どうしたのか?」「なにがあったのか?」と聞いた。
最初こそ誤魔化し話さなかった父だが、明咲が必死に縋るように「家族なんだから」「出来る事があるかもしれないから」と親身に聞き続け、八切はついに話してしまう。
そして明咲は激怒した。
勘当したと思ったら、そのまま家を出て三世家に転がりこんだ?
性転化したと思ったら、祖母とうり二つになっている?
連絡を一度もよこさず、連絡が取れないまま?
あまりにも、身勝手。
あまりにも、恩知らず。
あまりにも、恥知らず。
しかも父の身が危ない。
祖母を溺愛していた母と祖父が祖母そっくりとなった朝霧を他家に盗られたと知れば、その原因たる父に怒りの矛先が向くのは想像にかたくない。
良くて離婚、悪くて私刑だ。
何故、父が。
悪いことなど一切していない父が、何故。
明咲にとって八切は本当に良き父であった。
母と祖父を朝霧に取られた時は、いつだって父がその寂しさを埋めてくれた。
いつだって、明咲に対して一番親身になってくれたのは父なのだ。
本当に許せなかった。
今までの、全ての恨み辛みが集束していた。
明咲は激怒していた。
「父様、私が必ず朝霧を説得して連れ戻してみせます」
そう、実力行使で。
何をしてでも。




