さらわれる。
翌日。
三世永久子は朝八時に朝霧宅へ現着した。
先日、永久子が朝霧の晩御飯用に高級弁当を買ってあげたとき、翌日の朝食はどうするのか聞いた。その際、朝霧が「おうちにあるレトルトを食べます」とのことだったので「それならば朝食をご一緒しましょう!」と約束した次第だ。
約束の時間ぴったりに着いた永久子は朝霧宅のインターホンを鳴らし、「朝霧さーんっ!わたくしが来ましたわー!」と声をかけた。ちょっと近所迷惑である。
「…………返事がありませんわ」
小首を傾げた永久子は、おもむろにドアノブを回して見る。すると空いた。
「不用心ですわぁ」
未だに鍵を閉めるという概念が備わっていない朝霧の所業である。
「失礼しますわ!」
「お嬢様ぁ、勝手に入ってよいのでぇ?」
「良いのですわ!」
糸目のメイドこと壬生沙那恵の制止も聞かず突入する永久子。
永久子はなんとなく嫌な予感がしていた。
「朝霧さん? まだ寝てらして…」
そしてその予感は的中する。
「ちょっ、 朝霧さんっ!! 大丈夫ですの!?」
永久子がリビングに入れば、そこにはカーペットに倒れる朝霧の姿があった。
そう、昨日朝霧が這ってたどり着いた寝床とはリビングのカーペットだったのだ。そこで力尽きたとも言う。
「ちょっとだけ熱いですわっ!!」
抱き起こして見れば、微熱のままぐったりとしている朝霧がいた。呼吸はやや浅く、衰弱しているのが見て取れた。
「…っ昨夜が涼しい夜で助かりましたわね」
今はまだ八月。昨日はたまたま涼しい夜だったのが幸いした。これが熱帯夜であったら熱中症も併発し、えらいことになっていただろう。
「…ッチ、どうやら朝霧さんの護衛どもは、クソの役にも立たないようですわねっ!」
そして永久子は朝霧を抱き上げると、そのまま飛び出す。
こんな所には置いておけない。このまま家に連れて帰るのだと。
しかし。
「……なんのつもりですの?」
そこに立ち塞がる男がいた。
男は朝霧の護衛兵の代表であった。
「すみません、坊ちゃんをお渡しください」
男は申し訳なさそうに言った。
「坊ちゃんの看病は我らが九醸邸にて致します」
そして深く頭を下げて「どうかお渡しください」と願った。
しかし…
「お断りですわ」
永久子はばっさり、一考の価値なしと切り捨てる。
「……な、なぜ、もしや我らが偽物とお疑いですか!?それでしたら九醸にご確認頂ければっ!」
まさか断られると思っていなかった男は声を荒げる。
「お黙りなさい」
「っひ!?」
しかし、そんな男を威圧して黙らせる永久子。
三世家長女の風格は伊達では無い。
「あなた方は、わたくしのお友達をこんなになるまで放っておいた…」
彼女は一呼吸置いてから、一層眼力を強くした。
「これは到底許せることではありませんわ、なにより信用できません!」
そして、男以外の護衛も見回して「邪魔をするな」と威圧した。
周りの護衛兵は気圧されてしまい、息を飲むことしか出来ない。
「では失礼致しますわ」
永久子は朝霧を抱え直して男の横をとおり過ぎる。
「…っま」
気圧されていた男だが、永久子が横を抜けて数歩進んだあたりで我に帰り、追い縋ろうとした。
「ダメですよぉ」
「ひぃぃいい!」
しかし無理だった。
「そこから動いたら…」
糸目から薄く除く瞳孔が。
「殺しますからねぇ」
ヤバい殺気を放っていたから。
ーーーー
因みにだが。
実のところ今回、護衛兵達にそこまでの落ち度はない。
そう。
全ての元凶は朝霧の父、八切である。
彼は朝霧の監視体制を敷くにあたり、護衛兵から「室内に監視カメラをつけて良いか」との打診をされていた。
八切は、しばし考えたあとそれに「止めてやれ」と指示を出していたのだ。
それは自らの指示で、勘当という辛い立場に立たせた朝霧を憐れんでのことだった。
知らない間にプライベートを全て覗かれるなんて可哀想だと、彼なりの気遣いだったのだ。
その中途半端な優しさが、此度の事態へと繋がったのだが。
朝霧は実は先日の、夏の暑さにバテてあやめに膝枕をしてもらっていたその時点で、もう肉体的に限界だった。
それを持前の忍耐で無理くり限界を超え続けたのだ。疲れきっているのに怒られて泣きじゃくり、疲れきっているのにメイド試験をした。
彼女は普通そうに見えたがその実、疲労を通り越して衰弱していたのだ。
だから盗聴だけでは気づかなかった。
肉体が疲弊しきっていたため、呼吸が荒くなったり、呻いたりしなかったのだ。
静かに、身じろぎもせず、気絶していたのだ。
故に朝霧の状況に気づけなかった。
ただ、疲れて寝ているものと思っていた。
だから、ぐったりとした朝霧を抱えた永久子が飛び出して来た時は、本当に驚いた護衛兵なのであった。
言い訳をするなら、十時頃まで朝霧にアクションがなければ、探りに行く予定ではあったのだ。それより早く永久子が来訪しただけで。
更に、もう一つ八切には落ち度がある。
それは、朝霧に従族家を派遣していないことだ。
今回、朝霧の再教育のため、当主の朝月と先代の宗大を海外にいかせた。
そのせいで、多くの従族家こと球磨川家がついて行ってしまったのだ。
それ以外の球磨川家は八切と長女と次男(今は長男)についている。
つまり、朝霧につけるべき従族家の者が、海外に持っていかれてしまったのだ。
八切としては当然朝霧に一人はつけたかったのだが、球磨川家が九醸の汚点である朝霧に着くより、当主と先代の海外出張に着いて行きたがったのだ。
とても嫌がり、また、球磨川側が正論であるため諭しきれなかった。
従族家の家名を名乗れるものはすべからく強い。そこいらの分家では束になっても敵わないのだ。
よって、三世家の従族家こと壬生沙那恵の眼力に、分家排出の低レア護衛兵はビビってしまい、なすすべなく朝霧を持ってかれてしまったのだ。
当時の護衛兵曰く「自分の喉笛が握り潰される瞬間がリアルに過った、そういう眼力だった」とのことである。
要するに。
だいたい八切のせいで、朝霧はまんまと三世家に持ってかれたのであった。




