第63話 13日目 山下り
翌朝――
朝食を済ませた俺たちは、湖畔に停めたグレーの四号車へ乗り込んだ。
今日も昨日に引き続き、北の山を調べていく予定だ。
とはいえ、俺たち自身が山へ向かう必要はない。
赤い一号車は、昨日の探索を終えた場所にそのまま残してある。
「それじゃあ、続きから行くか」
「はい。今日は山を越えられるといいですね」
「ああ。向こう側がどうなっているのかも見てみたいしな」
俺は【自動操縦】を発動する。
同時に、フロントガラスへ一号車のドラレコ映像が半透明で重なって表示された。
映し出されたのは、朝の山中。
昨日は西日に染まっていた斜面も、今は朝の澄んだ光に照らされている。
赤い一号車は、昨日停めた場所からまったく動いていない。
レーダーにも、目立った反応はなかった。
「一晩置いておいても、何もなかったみたいですね」
「みたいだな」
もっとも、神様仕様のランクルだ。
俺たちが見ていない間に魔物が近寄っていたとしても、一号車そのものがどうにかされるとは思えない。
「今日はどこまで行くんじゃ?」
助手席のバンデランテが、フロントガラスに映る山の景色を眺めながらたずねる。
「できれば、このまま山を越えたいな」
「昨日の調子なら、十分行けるじゃろう」
「俺もそう思う」
山の向こうへ抜ければ、ドワーフ王国にも一歩近づく。
それに、ここから先は俺たちにとって完全に未知の場所だ。
どんな景色が広がっているのか、それを見るだけでも楽しみだな。
「じゃあ、行くぞ」
「はい」
俺は【自動操縦】で一号車を発進させる。
山中に停まっていた赤いショートがゆっくりと動き始め、朝日に照らされた斜面を再び北へ向かって登っていった。
◇ ◇ ◇
それからしばらく、赤い一号車を山の斜面に沿って登らせていった。
標高が上がるにつれて木々は少なくなり、代わりに岩肌が目立つようになってくる。
当然、道などない。
大きな岩を避け、ときにはあえて乗り越えながら、通れそうな場所を選んで一号車を進ませていく。
「こうして外から見ながらルートを決めるのも、結構楽しいな」
「自分で運転するのとは、また違いそうですね」
「ああ。実際にハンドルを握るほうが好きだけど、これはこれで新鮮だ」
ドラレコの視点を動かせば、運転席からでは見えにくいタイヤの位置や、その先の地形まで確認できる。
赤いショートが岩に前輪を乗せ、足回りを大きく動かしながら越えていく姿を外から眺められるのも面白い。
もっとも、今日はクロカンを楽しむのが目的ではない。
俺はなるべく進みやすい場所を選び、そのまま高度を上げていった。
やがて、迂回するには大きすぎる急斜面が正面に現れる。
「ここはウィンチだな」
「この前のやつですね」
「ああ」
俺は一号車の【ウィンチ】を起動した。
フロントバンパーから飛び出した黒金鎖が斜面の上へ伸び、固定できそうな大岩に回り込む。
《対象へロック》
《固定強度――正常》
そのまま巻き上げを開始。
黒金鎖に引かれた一号車が急斜面に乗り上げ、四輪で岩肌をつかみながら登っていく。
「やっぱり便利ですね、これ」
「こういう場所だと頼りになるな」
途中に大きな段差があっても、【3次元牽引(レスキュー・フライト)】が牽引方向を自動で補正する。
必要に応じて車体をわずかに持ち上げながら、赤いショートは危なげなく斜面を越えていった。
その後も、走れるところは四輪で。
厳しい斜面ではウィンチを使う。
そんな調子で山を登り続ける。
そして――
「おっ、先が開けてきたな」
ドラレコに映る斜面の先から、青い空が大きくのぞいていた。
一号車をさらに進ませる。
岩を一つ越え、最後の斜面を登り切ったところで――視界が一気に開けた。
「着いたか」
「みたいですね」
そこから先に、もう上り坂はない。
赤い一号車は、ついに山の稜線まで登り切っていた。
◇ ◇ ◇
赤い一号車を稜線の少し開けた場所まで進ませ、停車させた。
山頂というよりは、長く続く尾根の一角といったところだろう。
周囲には背の低い木や灌木が点在し、その間から灰色の岩肌がのぞいている。
「結構登ったな」
「森の中からずっと走らせてきましたからね」
ドラレコの視点を南へ向けてみる。
「おお……」
思わず声が漏れた。
眼下には、広大なセラフィナイト大森林が広がっている。
ここまで高度を上げると一本一本の木など見分けられず、巨大な緑の絨毯が山の麓から南へ向かって延々と続いているように見えた。
地形に合わせて緩やかに盛り上がり、谷へ向かって沈み込み、さらにその先まで深い緑が続いている。
ラズライト湖も、その東側に広がるマラカイト大草原も見えない。
ただ、大森林だけが視界いっぱいに広がっていた。
「昨日も見ましたけど、ここまで登るとまた違いますね」
「ああ。こうして見ると、本当に広い森だな」
「うむ。セラフィナイト大森林は広いぞ」
バンデランテもフロントガラスに映る景色を眺めている。
昨日は西日に染まった森を眺めながら、しばらくのんびりした。
朝の光に照らされた大森林は、また違った景色に見える。
しばらく眺めてから、ドラレコの視点を北へ回した。
「さて……こっちはどうなっている?」
尾根の反対側。
そこには岩の多い斜面が続き、その向こうにも山々が重なっていた。
ここから先は、俺たちにとって初めて見る土地だ。
「バンデランテ。ドワーフ王国は、この方向でいいんだよな?」
「うむ。北へ山を越えていけばよい」
「わかった」
俺は一号車を再び動かした。
尾根を越え、今度は北側の斜面をゆっくりと下っていく。
登りとは違い、こちら側は背の高い木がほとんどない。
岩と低い草の間を選びながら進ませていると――
「ん?」
一号車の少し先で、何かが動いた。
俺は速度を落とす。
岩陰から姿を現したのは、ヤギによく似た獣だった。
灰褐色の毛に覆われ、頭には後ろへ緩く湾曲した二本の角が伸びている。
一頭ではない。
その後ろから二頭、三頭と続き、全部で六頭ほどが岩場に姿を現した。
「魔物ですかね?」
「いや、レーダーは赤くないな」
一号車をその場で停める。
向こうもこちらに気づいたようで、先頭の一頭が足を止めた。
しばらく赤いショートをじっと見つめる。
「ただのヤギみたいなもんか?」
「ヤギとは少し違うが、魔物ではないぞ」
バンデランテが答えた。
「山に棲んどる獣じゃ。こちらから近づかねば、まず襲ってはこん」
「なら、そのまま行かせるか」
わざわざ狩る理由もない。
一号車を停めたまま待っていると、警戒していた一頭がゆっくりと歩き始めた。
それに続いて、残りも岩場を横切っていく。
細い脚でごつごつした岩を軽々と踏み越え、俺なら足場を探しそうな急斜面まで、当たり前のように登っていった。
「すごいところを歩くな」
「山の獣ですからね」
最後の一頭が岩陰へ消える。
戦うことも、何かを採ることもない。
ただ山の中で野生の獣とすれ違っただけだ。
こういう出会いも、旅をしている感じがして悪くない。
「よし、行くか」
一号車を再び発進させる。
赤いショートはヤギたちが消えていった岩場を横目に、北側の斜面をゆっくりと下り始めた。
◇ ◇ ◇
北側の斜面を下っていくと、南側とは少し違う景色が広がっていた。
岩の多かった山頂付近を離れるにつれて、斜面には再び木々が増え始めた。
セラフィナイト大森林ほど深くはないものの、針葉樹らしい背の高い木が目立つ。
「こっち側も結構な斜面だな」
「登るより、下るほうが気を使いそうですね」
「ああ」
俺はドラレコの映像を見ながら、一号車の速度をかなり抑えて下らせていく。
急な場所では斜面をまっすぐ下らず、なるべく傾斜の緩い場所を選ぶ。
大きな岩を避け、木々の間を抜けながら下っていく。
しばらく進むと、かなり急な斜面が現れた。
「ここはウィンチを使ったほうがよさそうだな」
「登るときとは逆ですね」
「ああ。ウィンチで支えながら、後ろ向きに下ろしてみるか」
一号車を斜面の手前で止める。
フロントバンパーの【ウィンチ】を起動すると、黒金鎖が飛び出し、斜面の上にある大岩へ向かって伸びていった。
《対象へロック》
《固定強度――正常》
フックが大岩に固定され、黒金鎖がぴんと張る。
「よし、下ろすぞ」
ドラレコの映像を後方へ切り替え、一号車をゆっくりとバックさせる。
フロントガラスいっぱいに、これから下っていく急斜面が映し出された。
「おお……これは迫力がありますね」
「ああ。かなり急だな」
ウィンチで車体を支えながら、一号車を少しずつバックさせていく。
後輪が斜面に入り、続いて前輪もゆっくりと下がり始めた。
フロントガラスには、斜面を下っていく景色が大きく流れていく。
「……なんか変な感じだな」
「何がです?」
「後ろの映像がフロントガラスに映ってるから、バックしているのに前へ進んでいるように見える」
「ああ、たしかに」
俺がいるのは、ラズライト湖畔に停めた四号車の運転席だ。
なのに目の前には、遠く離れた山中をバックで下っている一号車の後方映像が広がっている。
前世でランクルごと崖から落ちて死んだ俺だが、神様仕様のシートに座っているおかげか、不思議と恐怖は感じなかった。
「これは外から見たほうがいいな」
俺はドラレコの視点を切り替えた。
映像が一号車を外から見下ろす視点へ変わる。
「おお、こっちのほうがわかりやすい」
「車全体が見えますからね」
斜面の上に固定された黒金鎖が、フロントバンパーまでまっすぐ伸びている。
その鎖に車体を支えられながら、赤いショートは四輪で岩肌をとらえ、ゆっくりとバックで斜面を下っていく。
後輪が大きな岩を越える。
車体がぐっと傾くが、黒金鎖がその重さを受け止めた。
「こっちならタイヤの位置も見えるな」
「この操作方法、こういう場所では便利ですね」
「ああ。車内からじゃ見えないところまで確認できる」
俺は一号車全体を見ながら、ウィンチと車体を少しずつ操作していく。
やがて四輪すべてが斜面の下へ着いた。
「よし」
黒金鎖の固定を解除する。
大岩から離れた鎖が斜面を下り、そのままフロントバンパーの中に巻き取られていった。
「登るだけじゃなく、下りでも使えるのは便利だな」
「しかも外から車を見ながら操作できますからね」
「ああ。こういう場所なら、こっちのほうが安全そうだ」
昨日から散々一号車を山中で走らせてきたこともあり、今さら一つひとつの難所で騒ぐようなこともない。
赤いショートは、ときおり大きく車体を傾けながらも、着実に高度を下げていった。
「しかし、本当に越えてしもうたのう……」
助手席のバンデランテが、フロントガラスに映る景色を眺めながらつぶやく。
「まだ下りている途中だけどな」
「それでもじゃ。わしが何日もかけて迷いながら越えた山を、湖畔に座ったまま車だけで越えてしまうとはのう」
「たしかに不思議な話ですよね」
良太が笑う。
俺たちは今日も湖畔の四号車に乗ったままだ。
山を越えたのは、誰も乗っていない赤い一号車だけ。
こういう旅の仕方にも、だいぶ慣れてきた。
しばらく下っていくと、斜面は少しずつ緩やかになってきた。
岩ばかりだった地面にも土が増え、木々の間には低い草が広がっている。
さらに一号車を進ませていると――
「先輩、少し先に川がありますよ」
「川?」
良太に言われ、俺はドラレコの表示範囲を広げてみる。
山の北側を流れる一本の川が映し出された。
どうやら、このまま斜面を下っていけば自然とぶつかる位置にあるらしい。
「結構大きそうだな」
「ですね。ここからなら、それほど遠くありません」
「じゃあ、そこまで下りてみるか」
進む方向を川へ合わせ、再び一号車を動かす。
斜面を下るにつれて、やがてドラレコ越しにも水の流れる音が聞こえ始めた。
サァァァァ――
木々の向こうには、陽の光を反射する水面も見えてくる。
さらに進ませると、森が途切れ――思っていたよりも立派な川が姿を現した。
川幅はかなり広い。
山から流れてきた水は澄んでおり、浅い場所では川底に転がる大小の石まではっきりと見える。
流れもそれなりに速く、大きな岩にぶつかるたびに白い飛沫が上がっていた。
「結構でかい川だな」
「きれいですね」
「きゅー」
後部座席のバハも、フロントガラスに映る川を眺めている。
俺は一号車を川岸の少し手前で停めた。
「……おお」
そのとき、バンデランテが小さく声を漏らした。
「どうした?」
「この川、知っとるぞ」
「本当か?」
「うむ」
バンデランテの表情が、明らかに変わった。
「間違いない。この川じゃ」
そう言って、嬉しそうにひげをなでた。
「ここまで来れば、もう迷うことはないわい」
「ドワーフ王国までつながっているのか?」
「つながっておる。この川は、わしらの国の近くを流れとる川じゃ」
「なるほど」
ようやく、バンデランテが知っている場所までたどり着いたわけか。
山の中では道を失い、自分がどこにいるのかも分からなくなっていた。
だが、これだけ大きな川なら目印としては十分だ。
「ここからは川沿いに行けばいいのか?」
「うむ。流れに沿って進めばよい」
「それなら楽だな」
俺はドラレコの視点を川の先へ向ける。
川は山裾の間を縫うように流れ、その先で緩やかに曲がって見えなくなっていた。
川岸には多少の岩や木々があるものの、これまで走ってきた山中に比べればずっと走りやすそうだ。
「先輩、これなら明日からは川沿いドライブですね」
「ああ」
山越えは山越えで面白かった。
だが、昨日からずっと岩場や急斜面ばかり見ていたせいか、開けた川沿いの景色が妙に新鮮に感じる。
それに――
ここから先には、目的地がある。
バンデランテの工房がある、ドワーフ王国。
どんな国なのか。
そして、どんなランクル旅になるのか。
俺は川沿いに続く景色を眺めながら、少しだけ楽しみになってきた。




