第59話 葉巻とブランデー
熊料理をたっぷり楽しんだあと――
料理の皿が片づけられても、俺たちはそのまま湖畔でのんびりと過ごしていた。
俺とバンポーさん、バンデランテの三人はワインを飲みながら、食後のひと休み。
良太は酒を飲まないので、いつものブラックコーヒーだ。
そしてマオとバハはというと――
「きゅ~♪」
「おいしい」
キッチンカーのカウンターに並び、揃ってスムージーを飲んでいる。
飲んでいるのは、精霊たちが凍らせたブルーベリーで作ってくれたスムージーだ。
シルフが凍った実を細かく砕き、ウンディーネの魔力水と合わせて滑らかに仕上げている。
濃い紫色のスムージーをストローで吸いながら、マオは満足そうに小さくうなずいた。
「ん」
「冷たい」
「きゅ~♪」
バハも夢中になって飲んでいる。
「バハちゃん、勢いよく飲むと頭キーンってなるよ」
「きゅ?」
「バハムート、平気」
「そうなんですか……」
良太がコーヒーを飲みながら苦笑する。
俺もワインを一口飲み、椅子へ深く体を預けた。
熊肉で腹はいっぱい。
目の前には夜のラズライト湖。
食後に飲む酒まである。
今日は朝からいろいろあったが、こうして一日を振り返る余裕ができると、ようやく気持ちも落ち着いてくる。
◇ ◇ ◇
「そうだ」
良太がコーヒーカップをテーブルへ置く。
「バンポーさんとバンデランテさん、葉巻もどうですか?」
「ほう」
「葉巻とな?」
二人が同時に反応した。
「せっかくですから、今日は何種類か用意してみたんですよ」
良太が【ネットショッピング】を開き、いくつかの葉巻を取り出してテーブルへ並べる。
長さも太さも少しずつ違う。
一本ずつ個包装されたものや、木箱にきれいに収められたものまであった。
「昨日バンポーさんにお渡ししたものとは、また違う種類です。好きなのを選んでください」
「これはありがたいですな」
バンポーさんの表情が明らかに緩む。
一方のバンデランテは、テーブルに並んだ葉巻を興味深そうにのぞき込んでいた。
「これが、おぬしらの世界の煙草か?」
「そうです。バンデランテさんは葉巻、吸ったことあります?」
「葉巻という呼び方はせんが、似たものならあるぞ。乾燥させた煙草の葉を巻いたものじゃろ?」
「それなら、だいたい同じですね」
「ほう……」
バンデランテが一本を手に取り、鼻先へ近づける。
火をつける前の香りを確かめるように、ゆっくりと鼻から息を吸った。
「……面白い香りじゃのう」
「おわかりになりますか」
バンポーさんも自分の一本を選びながらうなずく。
「先日、いただいたものもそうでしたが、こちらの葉巻は実に丁寧に作られております。葉そのものの香りもよろしい」
「そこまで違うものなのか?」
俺も一本取りながら尋ねる。
「違いますな」
バンポーさんは手元の葉巻へ目を落とす。
「香りはもちろんですが、巻きの均一さも見事でございます。これほどきれいに揃った品を大量に作るとなれば、相応の技術が必要でしょう」
「たしかに、こりゃきれいじゃ」
バンデランテは葉巻を指先で転がしながら、巻きの具合までじっくり確かめている。
「では、これをいただくとするかの」
「どうぞ」
良太が葉巻用のカッターとターボライターも用意する。
俺とバンポーさんは慣れた手つきで先端を切り、バンデランテは俺たちのやり方を見てから同じように切った。
火をつけ、ゆっくりと煙を含む。
「…………」
バンデランテの太い眉が上がった。
すぐには煙を吐き出さず、口の中で味を確かめるようにしてから、ふうっとゆっくり吐き出す。
「どうだ?」
「……こりゃうまいのう」
手元の葉巻を眺め、もう一度ゆっくりと煙を含む。
「煙が柔らかい。それに香りが濃いわい。酒を飲んだあとには、たまらんのう」
「よくわかっていらっしゃいますな」
バンポーさんが嬉しそうに笑い、自分の葉巻をくゆらせる。
「葉巻は酒と合わせると、また違った楽しみ方ができますので」
「ほう! では、さっきのワインと合わせてみるか!」
「葉巻なら、ブランデーなんかも合うんじゃないか?」
俺も詳しいわけではないが、その組み合わせくらいは聞いたことがある。
「良太、コニャックをいくつか出してくれ」
「はい。せっかくですから、飲み比べてみてください」
良太が【ネットショッピング】を開き、画面を見ながら何本か選んでいく。
やがてテーブルの上へ並んだのは、形もラベルも異なる数種類のコニャックだった。
「これは、また違う酒なのか?」
「ああ。ブランデーの一種だな」
「ほう……」
バンデランテが並んだ瓶を一本ずつ眺める。
「シルフ、ウンディーネ。器に氷を入れて持ってきてくれ」
俺が声をかけると、二つの光がキッチンカーへ飛んでいった。
しばらくして戻ってきたシルフが風で運んでいるのは、ステンレス製のアイスペールだ。
中には、ウンディーネの魔力水をきれいな球形に凍らせた氷がいくつも入っている。
「氷まで丸いのか……」
バンデランテがアイスペールをのぞき込んだ。
「飲み方はどうするんじゃ?」
「まずは、そのままでいいんじゃないか? そのあと氷も入れてみよう」
「まずはストレートでございますな」
バンポーさんがグラスを手に取る。
俺も二人のグラスへコニャックを少量ずつ注いでいった。
琥珀色の酒がグラスの底へ溜まり、あたりに甘く芳醇な香りが漂う。
「おお……」
バンデランテがグラスへ鼻を近づける。
「飲む前から、ずいぶん香る酒じゃのう」
「香りを楽しむ酒でもございますからな」
バンポーさんは慣れた様子でグラスを傾け、少量を口に含んだ。
それを見て、バンデランテもグラスを傾ける。
「…………」
一口。
今度はすぐに飲み込まず、ゆっくりと味わっている。
「強いのう……じゃが、うまい」
満足そうに息を吐き、続いて葉巻を口元へ運んだ。
ゆっくりと煙を含む。
「…………」
バンデランテが目を閉じた。
そのまま数秒。
やがて煙を吐き出すと――。
「がははは! なるほど! こりゃいい!」
豪快な笑い声が湖畔へ響いた。
「この酒だけでもうまいが、葉巻と合わせると香りがまた変わるのう!」
もう一度コニャックを少しだけ口に含み、続けて葉巻をくゆらせる。
バンデランテの口元が大きく緩んだ。
「酒の甘い香りが残っとるところへ、こいつの煙が重なるのか。こりゃ面白いわい!」
「お気に召したようですな」
バンポーさんも満足そうに葉巻をくゆらせる。
バンデランテほど大きな反応は見せないが、葉巻を一口楽しんではコニャックを傾けている。
その表情も、普段より少し柔らかい。
「良太様、こちらも実に素晴らしい品でございます。以前いただいたものとは、香りの方向がまた違いますな」
「よかったです。まだ別の種類もありますから、気に入ったものがあったら言ってください」
「それは楽しみでございます」
「おお、まだあるのか!」
バンデランテまで食いついた。
「ありますよ。それに葉巻にもいろいろ種類があるみたいですから」
「なら、この酒に一番合うやつも探してみたいのう」
「いいですね。僕は飲めませんけど、いろいろ出すことはできますから、飲み比べてみてください」
「おお! そいつはありがたい!」
「良太。あんまり教えると、全部試し始めるぞ」
「それはそれで面白そうじゃないですか?」
「わしは一向に構わんぞ!」
良太は気前がいいだけじゃなく、もともと検証することが好きだからな。
「酒も葉巻も、知らんものを試すのは楽しいからのう!」
すでにバンデランテの目は、テーブルに並んだ別のコニャックへ向いている。
「酒に葉巻か……」
バンデランテが満足そうに椅子へ背を預け、夜空へ煙を吐き出した。
「おぬしらと旅をしとると、舌が肥えて仕方ないわい」
「今日会ったばっかりだろ」
「がははは! それもそうじゃった!」
俺も笑いながら葉巻をくゆらせる。
バンポーさんは穏やかに煙を漂わせ、バンデランテはコニャックと葉巻を交互に楽しんでいる。
俺もグラスを傾けてみる。
食後の満腹感が残る中、コニャックの濃い香りと葉巻の煙をゆっくり楽しむ。
騒がしく飲む酒とはまた違う。
夜の湖を眺めながら、こうしてのんびり飲むのも悪くなかった。
その向こうでは、マオとバハが仲良くブルーベリースムージーを飲んでいる。
良太は一人、ブラックコーヒー。
同じテーブルを囲んでいるのに、食後の楽しみ方は見事なくらいバラバラだった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、良太がふと思い出したように口を開いた。
「そうだ、マオちゃん。ちょっと試してみてほしいんですけど」
「ん?」
マオがストローから口を離し、良太を見る。
「このランクルを【収納】してみてもらえませんか?」
「ん」
マオはうなずくと、俺たちのすぐそばに停まっているランクルへ顔を向けた。
少しの間、そのまま車体を見つめる。
「…………」
やがて、小さく首をかしげた。
「できない」
「やっぱりですか」
良太は驚く様子もなく、納得したようにうなずく。
「神様が創ったもので、先輩の【車両召喚】に紐づいているから収納できないんですかね」
「たぶん」
マオが小さくうなずく。
俺も葉巻をくゆらせながら、すぐそばのランクルへ目を向けた。
マオの【収納】がどれほどの容量なのかは知らないが、少なくとも俺のランクルは対象外ということか。
「ということは……」
良太がコーヒーを一口飲み、少し考えてから続ける。
「マオちゃんでも【収納】できないなら、遠くに置いてあるランクルも勝手に【収納】される心配はなさそうですね」
「遠くに置いてあるやつ?」
「はい。例えば、今も北の森に置いてある赤いランクルです」
「ああ、あれか」
今日の探索を終えたあとも、赤いショートはセラフィナイト大森林に残してある。
明日になれば、そこからまた探索を再開する予定だ。
「今みたいに僕たちが離れている間に誰かが見つけても、【収納】できなければ盗めないですよね。持ち運ぶことはできますけど、それなら先輩の【格納】で取り返せますし」
「たしかに、【収納】できないことを確認できたのは大きいな」
この世界には【収納】という便利な能力がある。
もし車体を丸ごと収納できる相手がいたら――という可能性は、今まで考えていなかった。
「マオでも無理なら、かなり安心できそうだな」
「ですよね」
「これなら、旅をしていく先々にランクルを置いていくことができそうです」
良太が少し嬉しそうにうなずく。
「リアカーだと誰かに【収納】されるかもしれませんし、先ほどみたいにドラレコ映像で現地を観ることもできませんからね」
「ん」
マオも小さくうなずいた。
「今度」
「魔王国にも置く」
「いいな。ぜひ連れて行ってくれ」
俺も賛成だ。
「さすがに海の向こうには、ランクルじゃ行けないしな」
以前バンポーさんから聞いた話では、この大陸と魔王国のある大陸との間には、とてつもなく広大な海が広がっている。
巨大な海竜や魔物も多く、普通の船で渡ることすら難しいらしい。
「マオ様は、魔王国にも行けるのですか?」
バンデランテが不思議そうに尋ねた。
「ん」
マオはそれだけ答えて、ブルーベリースムージーを一口飲む。
魔王国へ行けることは話しても、自分がその魔王だとは言わないつもりか。
「さて……」
そのバンデランテがグラスを置き、椅子から立ち上がった。
そのまま草むらのほうへ歩いていこうとする。
「バンデランテ。トイレなら、ランクルに座れば解決するぞ」
「……なんじゃと?」
「車内クリーンがあるからな。座ってればきれいにしてくれる」
「そんなことまでできるのか、おぬしらの車は……」
「ああ。ただし、酔いも醒めるけどな」
「…………」
バンデランテが足を止めた。
自分のグラスを見る。
それから、まだテーブルに並んでいるワインとコニャックを見る。
「そんなもったいないことできるか!」
「そこまでかよ」
「せっかくうまい酒を飲んどるんじゃぞ! わざわざ酔いを消してどうする!」
そう言い残し、バンデランテはそのまま草むらへ歩いていった。
「手はキッチンカーの水で洗ってくれよ」
バンデランテは振り返らず、片手だけをあげた。
「本当に酒好きなんですね……」
「良き飲み仲間になれそうでございます」
バンポーさんは嬉しそうだ。
良太は遠ざかっていくバンデランテの背中を見送り、それからマオへ顔を向けた。
「そういえば、マオちゃん。もう一つお願いがあるんですけど」
「ん?」
「どこか、広くて何もない場所を知りませんか?」
「何もない?」
「はい。魔剣の固有魔法を思い切り撃てる場所が欲しいんです」
「ああ、あれか」
俺もすぐに何のことかわかった。
俺の【テラブレイカー】と、良太の【タイダルロッド】。
一度だけ大草原で試したが、どちらも気軽に撃てるような威力ではなかった。
「草原でも湖でも、自然を壊すのはちょっと気が引けるんですよね。できれば、周りを気にせず撃てる場所があればいいんですけど」
「ん」
マオは少し考えてから答えた。
「魔王国にある」
「本当ですか?」
「ございますよ」
今度はバンポーさんがうなずく。
「魔王国には広大な荒野がございましてな。周囲に街や村もなく、植物もほとんど生えておりません」
「それなら良さそうですね」
「ええ。そこで魔剣の試し撃ちや、撃ち比べをすることもございます」
「魔剣の撃ち比べ……」
良太の目が少し輝く。
魔王国には、そんなことが普通にできる場所まであるのか。
「今度」
「連れて行く」
「ありがとうございます、マオちゃん」
「それは助かるな」
俺にとってもありがたい話だ。
一度行くだけでも十分意味がある。
「そこにランクルを一台置かせてもらえれば、そのあとは【車両入れ替え】でいつでも行けるようになるしな」
「そうですね!」
良太もすぐにうなずく。
湖底の大庭園や、今探索しているセラフィナイト大森林と同じだ。
魔剣を思い切り試せる場所まで自由に行き来できるとなれば、これからの検証もずいぶんやりやすくなる。
「よし。じゃあ、今度お願いするよ」
「ん」
マオはいつもの調子で小さくうなずき、再びスムージーへ口をつけた。
その隣では、バハも負けじとストローを吸っている。
「きゅ~♪」
少し離れた草むらへ向かったバンデランテは、まだ戻ってこない。
テーブルの上には飲みかけのコニャックと葉巻。
湖畔には、夜風に混じってその香りが淡く漂っていた。
今日は朝から、本当にいろいろあった。
新しく出会ったドワーフの鍛冶師。
セラフィナイト大森林の探索。
アーマー・グリズリーとの戦闘。
突然現れた幻想的な泉と、白銀のフェンリル。
そして、こうして夜になれば、みんなで熊料理を囲み、酒やコーヒーを飲みながらのんびり過ごしている。
異世界へ来る前には、こんな一日を過ごすことになるなんて想像もしていなかった。
俺はグラスに残ったコニャックを一口だけ飲み、静かな湖へ目を向ける。
月明かりが水面へ細長く伸び、波に合わせてゆらゆらと揺れていた。
「……いい夜だな」
思わず口からこぼれる。
「ですね」
良太もコーヒーカップを片手に、湖を眺めながらうなずいた。
マオは何も言わず、スムージーを飲みながらこちらを見る。
バンポーさんは葉巻の煙を静かに吐き出し、穏やかに笑った。
「こうして皆様と過ごす夜も、なかなかよいものでございますな」
俺も小さくうなずく。
明日になれば、またセラフィナイト大森林の探索が始まる。
その先に何があるのかは、まだわからない。
それでも――
今夜くらいは、何も考えず、この時間をゆっくり過ごしてもいいだろう。
夜のラズライト湖を眺めながら、俺たちはまだしばらく、それぞれの飲み物と食後の時間を楽しんでいた。




