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第58話 熊肉料理(後編)


 マオはその様子をじっと見てから、小さくうなずく。


「たぶん」


「フェンリル」


「……やはり、そうでございますか」


 バンポーさんが納得したようにうなずく。


「フェンリル?」


 俺と良太が顔を見合わせた。


「マオ、知ってるのか?」


「ん」


「会ったことある」


「あるのかよ」


 あっさり返され、思わず声が出た。


 マオは右手を持ち上げる。


「昔」


「もらった」


 その指には、青いリングがはめられていた。


「それ、フェンリルにもらったのか?」


「ん」


 マオは青いリングを眺めながら、小さくうなずく。


「二百年前」


「バハムートと一緒に、会った」


「二百年前……」


 俺は思わずバハを見る。


「きゅ?」


 当の本人は、何でもないことのように小さく首をかしげていた。


「相変わらず、とんでもないもの持ってるな……」


「マオちゃん、本当にいろいろなところへ行ってるんですね」


 良太も感心したように指輪を眺めている。


 そこでマオが、ふと良太へ顔を向けた。


「狼」


「【鑑定】した?」


「え?」


 良太が一瞬固まる。


「あ……」


 そのまま俺を見る。


「そういえば、しませんでした」


「俺も今まで忘れていたな」


「……そういえば、わしも調べようとはしなかったのお」


 バンデランテもひげをなでながら首をかしげる。


「ん」


 マオは俺たち三人を順番に見た。


「みんなそう」


「みんな?」


「会うと」


「忘れる」


「……そういうことか?」


 たしかに、今になって考えると妙だ。


 正体のわからない巨大な白い狼。


 良太やバンデランテには【鑑定】があるのに、あのときは誰も調べようと言い出さなかった。


 未知の植物や鉱石を見つければ、すぐに調べているというのに。


「フェンリルは、神の領域に近しい存在と言われておりますので」


 バンポーさんが静かに口を開いた。


「その姿を目にすること自体が極めてまれでございます。そして、出会った者がその正体を探ろうとしないのも、古くから語られる特徴の一つですな」


「わざと【鑑定】させないようにしているってことですか?」


「それすら定かではございません」


 バンポーさんは穏やかに首を横に振る。


「ただ、我々のような者とは異なる理の中に存在しているのでしょう」


「神の領域に近しい存在か……」


 俺は今日見た白銀の狼を思い出す。


 突然現れた泉。


 ドラレコを通してこちらを見ていたような仕草。


 遠く離れたバハの声にも反応していた。


 普通の生き物ではないことだけは、俺にもわかる。


「この世界には、フェンリルのように、ときおり人々の前へ姿を見せる白きものたちがおります」


 バンポーさんが続ける。


「その一柱がフェンリル。そして、星還の霊竜『シルフィード・アルヴァ』も、その一つですな……拓海様たちの白い車に宿っている『光の妖精アルフ』も、白きものに連なる存在でございます」


「アルフも……」


 俺は、アルフが嬉しそうに庭園を飛び回っていたのを思い返した。


「シルフィード・アルヴァ……」


 良太が名前を繰り返し――何か思い出したように目を見開く。


「あ、タイヤのホイールの」


「ああ、そうだ」


 俺も思い出した。


「ホイールに使われている竜の骨だ」


 ランクルに装着されている、星竜神環《せいりゅうしんかん》・アルヴァ・リム。


 星還の霊竜『シルフィード・アルヴァ』の骨から、神様が作ったものだったはずだ。


「……ちょっと待てよ」


 そこまで考えて、もう一つ思い出す。


「シャックルもフェンリルの素材だったよな」


「そうでした!」


 良太も声を上げる。


「『フェンリルの顎』と『フェンリルの腱』ですよ。リーフと車体をつないでいるところです」


「そう考えると、俺たちのランクル、とんでもない素材を普通に使っているんだな……」


「今さらですけどね」


「…………」


 バンデランテが黙り込み、ゆっくりとランクルへ目を向けた。


「……そうじゃったな」


「どうした?」


「前にこの車を調べたとき、シャックルにフェンリルの素材が使われておった」


「ああ」


 バンデランテは額へ手を当て、大きく息を吐く。


「わしは今日、その素材の主を目の前で見ておったわけか……」


「俺たちも最初に聞いたときは驚いたけど……こうしてフェンリルに会ったあとだと、また感じ方が違うな」


「そうですね。さっきまで森にいた相手の素材が、普段乗っているランクルに使われているんですもんね」


「まったく……神の御業《みわざ》とは、わしらの常識では測れんものじゃのう」


 バンデランテはあきれたように首を振りながら、もう一度ランクルへ目を向けた。


「それで、フェンリルが消えたあとに、これが残っていたんだ」


 俺は【車両召喚】からヴェントディーヴァを取り出し、テーブルの上へ置いた。


 透明感のある、鮮やかな青。


 内部では細い光の筋が絶えず流れ、夕暮れの光を受けて淡く輝いている。


「ヴェントディーヴァでございます」


 バンデランテがマオたちへ説明する。


「風属性の魔力と極めて親和性が高い宝石結晶でございます。しかも、これほど大きく上質なものはめったにございません」


「俺たちが腕輪を作るのに必要としていた素材なんだ」


「グリフォンのSランク魔核と組み合わせる予定なんです」


 良太が付け加える。


 マオはテーブルの上の結晶をじっと見つめたあと、小さくうなずいた。


「ん」


「フェンリルから、贈り物」


「やっぱりそう思うか?」


「ん」


 俺もそんな気がしていた。


 あの白銀の狼――フェンリルが、俺たちが必要としていたものを残していった。


 偶然にしてはできすぎている。


 バンポーさんもヴェントディーヴァを眺めながら、静かに目を細めた。


「フェンリルからの贈り物であるならば、なおさら大切になさったほうがよろしいでしょう」


 そう言われると、この青い結晶がさっきまでとは少し違って見えてくる。


 ただ珍しいだけの素材ではない。


 セラフィナイト大森林で出会った、神の領域に近しいという白銀の獣。


 そいつが俺たちのために残してくれたものなのかもしれない。





 ◇ ◇ ◇





 しばらくすると、キッチンカーから料理が次々と運ばれてきた。


 まずテーブルの中央へ置かれたのは、厚切りの熊肉ステーキ。


 表面にはこんがりと焼き色が付き、切り口からは透明な脂がじわりとにじんでいる。


 続いて、大きな鍋でじっくり煮込んだ熊肉と香草の煮込み。


 別の器には、大根やニンジン、ゴボウと一緒に煮込まれたモツ煮もたっぷりと盛られていた。


 そして――


「きた」


 マオの視線がそちらへ向く。


 最後に運ばれてきたのは、熊の手の赤ワイン煮込みだ。


 しっかり煮込まれたからか、見た目はずいぶん柔らかそうになっている。


 赤ワインを使った濃い色のソースが全体に絡み、香草の香りも漂っていた。


「全部揃いましたね」


「ずいぶん豪華になったな」


 俺は目の前に並んだ料理を見渡す。


 熊肉ステーキ。


 熊肉と香草の煮込み。


 熊の手の赤ワイン煮込み。


 それにモツ煮。


 炊きたての白飯まである。


 昼の時点では、まさか夕飯が熊料理尽くしになるとは思ってもいなかった。


「きゅ~♪」


 バハはもう待ちきれないらしく、料理と俺たちの顔を交互に見ている。


「じゃあ、食うか」


「はい」


「ん」


「いただきます」


 まずは、一番気になっていたステーキからだ。


 ナイフを入れると、思っていたよりもすんなり刃が通る。


 食べやすい大きさに切り分け、そのまま口へ運んだ。


「……おっ」


 噛んだ瞬間、濃厚な肉の旨味が広がる。


 牛肉とも豚肉とも違う。


 赤身の味がかなり濃いのに、嫌な獣臭さはほとんど感じない。


 そして何より印象に残るのが、脂だった。


「脂、甘いな」


「本当ですね」


 良太も驚いたようにうなずく。


「もっと癖が強いのかと思ってましたけど、すごく食べやすいです。それに赤身の味が濃いですね」


「じゃろう?」


 バンデランテが得意そうに笑った。


「アーマー・グリズリーは脂がうまいと言ったじゃろ。森で仕留めれば、肉目当てで買い付けに来る商人がおるくらいじゃ」


「なるほどな」


 もう一切れ食べてみる。


 噛むほどに赤身から濃い旨味が出てきて、そこへ脂の甘さが重なる。


 今日採った香草も効いているのか、口の中には爽やかな香りが残った。


「これ、ごはんにも合いますね」


「ああ」


 ステーキを一口。


 すぐに白飯を頬張る。


 間違いない組み合わせだ。


「きゅ~!」


 バハも小さく切り分けてもらった肉を勢いよく頬張り、翼をぱたぱたと動かしている。


「気に入ったみたいだな」


「きゅ!」


 その横では、マオが別の料理をじっと見ていた。


 熊の手だ。


「マオちゃん、そっちからいくんですね」


「ん」


 マオは迷いなく熊の手へ手を伸ばす。


 よく煮込まれた肉へナイフを入れると、ほとんど力を加えていないように見えるのに、ほろりと身が外れた。


 赤ワインのソースを絡め、そのまま口へ運ぶ。


「…………」


 ゆっくりと噛む。


「どうだ?」


「おいしい」


 さらにもう一口。


「柔らかい」


「とろとろ」


「本当に好物なんですね」


「ん」


 マオは小さくうなずくと、また熊の手へナイフを入れ始めた。


 その食べっぷりを見る限り、わざわざ用意した甲斐はあったようだ。


「皆様、こちらもいかがでしょう」


 バンポーさんが持参したワインの栓を開けた。


 深い赤色のワインが、三人のグラスへ注がれていく。


「魔王国でも北部で作られているものでございます。肉料理にはよく合いますよ」


「そんな高そうな酒、わしまでいただいてよいのですかな?」


 バンデランテが遠慮がちにグラスへ目を落とす。


「もちろんでございます。どうぞ遠慮なさらずに」


「じゃが、わしは今日会ったばかりの身ですぞ」


 すると良太が笑った。


「バンデランテさんは、今日大活躍だったんですよ」


「わしが?」


「はい。香草や薬草もたくさん教えてもらいましたし、銀脈草も見つかりました。それに、バンデランテさんの案内で森を進まなかったら、フェンリルにも出会えなかったかもしれません」


「ああ、それはそうだな」


 俺もうなずく。


 バンデランテを送り届けるために森を北上し、その途中でいろいろと教えてもらった。


 今日一日だけでも、かなりの収穫があったのは間違いない。


「それに腕輪も作ってもらうんですから、こっちがお世話になってますよ」


「……そう言われると、断りづらいのう」


 バンデランテがひげをなでる。


「では、一杯だけいただくとするか」


「一杯と言わず、いくらでもどうぞ」


 バンポーさんが穏やかに笑った。


「僕も何本か出しますよ」


 良太が【ネットショッピング】を開く。


「せっかくですから、いろいろ飲み比べてみてください」


「お、良太も出すのか?」


「はい。バンデランテさん、かなりお酒がお好きみたいですし」


「まあ、バンポーさんとも話が合っているみたいだからな」


「飲み比べるなら、何種類かあったほうが楽しいでしょう」


 そう言いながら、良太は赤ワインを何本か買い足していく。


「では……いただきますぞ」


 バンデランテが、まずバンポーさんの持ってきたワインを口にした。


 一口。


「…………」


 動きが止まった。


「どうした?」


 バンデランテは答えず、もう一口飲む。


 今度は舌の上でじっくり味わってから、ゆっくりとグラスを置いた。


「……うまい」


 低い声だった。


「これはうまいぞ……!」


 次の瞬間、声が一気に大きくなる。


「香りが強いのに、口当たりがまろやかじゃ! 渋みもあるが嫌な残り方をせん。それに、この熊肉の脂と合わせると――」


 ステーキを一切れ口へ放り込み、すぐにワインを含む。


「がははは! こりゃたまらんわい!」


「お気に召したようで何よりでございます」


 バンポーさんの顔にも笑みが広がる。


「これはどこの酒ですかな!? 樽は何を使っておるのです? 何年物ですかな?」


「こちらは魔王国北部の――」


 バンポーさんが嬉しそうに説明を始めた。


 産地。


 使われているブドウ。


 熟成期間や樽の種類。


 バンデランテはその一つ一つを興味深そうに聞きながら、ワインを飲んでは熊肉を口にしている。


「……すごいですね」


「完全に意気投合したな」


 俺と良太が眺めている間にも、二人の酒談義は止まらない。


「こちらの酒も、ぜひお試しください」


「おお、いただきますぞ!」


 酒談義を続けるバンポーさんも、普段の穏やかな笑顔とはまた少し違う、楽しげな表情を浮かべていた。


 ――一杯だけ。


 さっきバンデランテがそう言っていた気がするが。


 まあ、楽しそうだからいいか。


 俺もグラスのワインを一口飲み、ステーキをもう一切れ取る。


 濃厚な赤身と甘い脂。


 そこへ赤ワインの渋みが加わると、たしかに相性がいい。


 俺は炊きたての白飯にも手を伸ばしながら、すっかり盛り上がっている二人を眺めていた。


「先輩、こっちの煮込みもおいしいですよ」


「お、食ってみるか」


 良太に勧められ、今度は熊肉と香草の煮込みを取り分ける。


 ステーキとは違い、こちらの肉は箸でも簡単にほぐれるほど柔らかい。


 一口食べると、汁には熊肉の旨味がたっぷりと溶け込んでいた。


「こっちはまた違うな」


「今日採った香草も合っていますね。後味がさっぱりしています」


「うむ。この香草は脂の多い肉と相性がいいんじゃ」


 バンデランテがワイン片手にうなずく。


 モツ煮のほうも臭みはまったくなく、大根やゴボウには熊の脂と旨味がしっかり染み込んでいる。


 これなら白飯がいくらあっても足りそうにない。


「きゅ~♪」


 隣ではバハがステーキを平らげ、今度は煮込みへ狙いを定めていた。


「バハちゃん、モツ煮も食べる?」


「きゅ!」


「本当に何でも食うな、お前は」


「きゅ~♪」


 そして向かい側では、マオが相変わらず熊の手を黙々と食べ続けている。


「マオ、それそんなにうまいのか?」


「ん」


「おいしい」


 短く答えると、また一口。


 本当に好きなんだな。


 熊肉のステーキに、香草の煮込み、モツ煮、熊の手の赤ワイン煮込み。


 最初は熊肉を一度食べてみたいという程度だったのに、気づけばずいぶん豪華な夕食になったものだ。


「拓海様も、もう一杯いかがですかな?」


「あ、いただきます」


 バンポーさんが俺のグラスへワインを注いでくれる。


 その隣では、バンデランテが良太の出した別の赤ワインを早速試していた。


「ほう……こっちはまたずいぶんと味が違うのう!」


「そちらも熊肉に合いそうでございますな」


「うむ! この酒もうまい!」


 二人の酒談義は、まだまだ終わりそうにない。


 テーブルの上には熊肉料理が並び、グラスには赤ワイン。


 バハは次に何を食べようかと料理を見回し、マオは熊の手を黙々と味わっている。


「きゅ~♪」


 楽しそうな鳴き声に、思わず笑みがこぼれた。


 昼は森雫茸。


 夜はBランクのアーマー・グリズリー。


 朝には想像もしていなかった、ずいぶん豪華な食卓だ。


 湖の向こうでは夕日が沈み、空が少しずつ夜の色へ変わっていく。


 ランクルに囲まれた湖畔には、料理の香りと楽しげな話し声がいつまでも残っていた。




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