第46話 釣りをしながら、この10日間を振り返る(後編)
しばらくすると、バハがまた小さな寝息を立て始めた。
湖面も相変わらず穏やかだ。
風が吹くたびに細かな波が陽の光を反射し、きらきらと輝いている。
俺はキャンピングチェアへ深く腰掛け直し、浮きを眺めながら口を開いた。
「それで、タキタロウを獲った日にマオと初めて会ったんだよな」
「そうですね」
良太も竿を持ったままうなずく。
「次の日の王都案内をお願いしたお礼に、お酒とかタバコを渡したら、マオちゃんが魔剣を創ってくれたんでしたっけ」
「そうそう」
あのときのことを思い出す。
こちらとしては、翌日世話になる礼のつもりで渡しただけだったのに。
それがまさか、魔王お手製の魔剣になって返ってくるとは思いもしなかった。
「とんでもないものを貰ってしまったな」
「先輩が土属性で、僕が水属性でしたよね」
「ああ」
俺は自分の手に視線を落とす。
今は収納している【テラブレイカー】も、念じればいつでも手元に呼び出せる。
良太の【タイダルロッド】も同じだ。
「俺たちが、あれを本気で使うときが来るのかね」
「どうでしょう」
良太は少し考えてから苦笑した。
「できれば、来ないほうがいいんじゃないですか?」
「まあな」
魔剣が必要になるような相手と戦わずに済むなら、それに越したことはない。
俺たちの目的は、ラスボスを倒すことでも世界を救うことでもない。
ランクルで知らない土地を走って、うまいものを食って、気に入った場所があればそこでのんびりする。
最初から、それだけだ。
「でも、持ってるだけで安心感はありますよね」
「それはある」
使わないに越したことはない。
だが、いざというときの切り札があるのはありがたい。
そのとき――
ちょん。
浮きがゆれた。
「おっ」
竿を握り直す。
ちょん、ちょん。
今度こそきたか。
じっと待っていると――
すっ。
浮きが水中へ消えた。
「よし!」
竿を立てる。
ぐっと手元に重みが伝わった。
「来ました?」
「掛かった!」
竿先が大きく曲がる。
これは元気な魚だ。
無理に引っ張らず、泳ぐ方向に合わせながら少しずつ岸へ寄せていく。
やがて水面が激しく跳ね、銀色の魚体が姿を現した。
「またラズライトトラウトですね」
「さっきのより大きいな」
最後に竿を持ち上げる。
ばしゃっ!
銀色の魚体が岸辺の芝生へ跳ね上がった。
「よし」
針を外しながら、その魚体を眺める。
なかなか立派だ。
「こいつもいいサイズだな」
「ですね。でも、食べる分はもう十分ありますし」
「そうだな。今日は逃がしてやるか」
俺はラズライトトラウトをそっと湖へ戻す。
ぱしゃん。
魚は勢いよく尾びれを振り、あっという間に青い水の中へ消えていった。
「きゅ?」
水音が気になったのか、さっきまで寝ていたバハが顔を上げる。
「魚を逃がしただけだ。お前の飯はちゃんとあるから安心しろ」
「きゅっ!」
元気よく返事をして、また頭を芝生へ落とす。
「また寝るんですね」
「飯までは起きる気がないんじゃないか?」
俺たちは笑う。
俺は再び餌をつけて仕掛けを投げ込んだ。
ぽちゃん。
また静かな時間が戻ってくる。
「それで、次の日か」
「はい。バンポーさんとマオちゃんが来て、一緒にブルーム王国へ行ったんです」
「あれも濃い一日だったな」
「王都まで行きましたからね」
それまで、俺たちが見てきたのは大自然ばかりだった。
どこまでも続く大草原。
そして、このラズライト湖。
人の暮らす大きな街へ行くのは、あれが初めてだった。
「王都へ入る前に買ったのが、四号車――グレーのランクル105でしたね」
「そうだ」
あの105を手に入れたときのことも、まだよく覚えている。ずっと憧れていた車だしな。
「一号車から始まって、十日で五台だからな」
「増えましたねぇ」
「増えすぎだろ」
「でも、全部ちゃんと役割がありますよ」
「それはそうなんだけどな」
一号車は赤いショート。
二号車は白いトゥループキャリア。
三号車は紺色のキッチンカー。
四号車はグレーの105。
そして五号車が、ベージュのオープン仕様のショート。
たった十日。
それだけの期間で、ずいぶん賑やかになったものだ。
「今朝なんて、五台分の自動車税と保険料を払う夢を見て、ぐわっ! って飛び起きたからな」
「まったく、小市民なんだからなあ~もう、情けない……」
「いやでもさあ、お前これが日本だったら、さらに駐車場代に車検代に重量税だぜ? かぁ~、恐ろしい!」
「たしかに言われてみればここでは、住民税も消費税もないですからね……」
「稼いだぶんをまるまる使えるって、考えてみたらすごいことだぞ。もちろんブルーム王国や魔王国の住人になったりしたら払うんだろうけど」
「そりゃそうですよ。それで、そのブルーム王都に入ったんですよね。グレーの105に乗って」
「ああ。ブルーム王都は、これぞ異世界って感じの街だったな」
「わかります」
良太もうなずく。
「城壁が見えてきたときは、ちょっと感動しました」
「俺もだ」
それまで見てきた大自然とは、まったく違う景色だった。
大きな城壁に囲まれた街。
門を行き交う馬車。
石造りの建物。
大通りを埋める大勢の人々。
「ようやく異世界の街に来たって感じだったな」
「大草原をランクルで走っているだけだと、異世界というより外国の大自然みたいな感じもありましたからね」
「魔物は出てきたけどな」
「そこだけは完全に異世界でしたけど」
思わず笑う。
「冒険者ギルドも面白かったですよね」
「ああ」
「本当にゲームとか小説に出てくるような場所があるんだって、ちょっと感動しました」
「俺は、マオのほうに驚いたけどな」
「まるで英雄でしたからね」
良太が笑う。
「街の人たちから声を掛けられて、ギルドでも完全に有名人でしたし」
「高級レストランでも、店員が総出で頭を下げていたもんな」
「S級冒険者って、あそこまですごいんですね」
「しかも、その中でも一番なんだろ?」
「バンポーさんがそう言ってましたね」
俺たちの前では、植物を見つけて写真を撮ったり、うまいものを食べて喜んだりしている女の子にしか見えない。
でも、人間の国では名の知れたS級冒険者で、魔王国では魔王。
おまけに神様や王様とも友達だ。
「マオはもう、なんでもありだな」
「ですねぇ」
良太も苦笑する。
「神様のお友達だったのも驚きましたけど、王様のお友達だったのもびっくりしました」
「知れば知るほど、とんでもないやつだよな」
「本人は全然偉そうにしませんけどね」
「そこがいいところなんじゃないか?」
「たしかに」
会話が途切れる。
さらさらと草がゆれる音。
湖岸へ小さな波が打ち寄せる音。
どこか遠くから聞こえる鳥の鳴き声。
俺は背もたれへ体を預けた。
「……こうやって話していると、本当に十日間のこととは思えないな」
「ですよね」
良太も湖を眺めたままうなずく。
「王都へ行ったのだって、つい三日前ですからね」
「三日前……」
思わず顔をしかめる。
「もっと前に感じるぞ」
「僕もです」
「時間の感覚がおかしくなってきたな」
「一日一日の内容が濃すぎるんですよ」
「それだな」
間違いない。
そして、その翌日も大人しくしていたわけではなかった。
「それで、一昨日が大草原か」
「はい」
良太がうなずく。
「魔剣のテストをして、午後から湖畔を西側から回ったんですよね」
「ああ。せっかく作ってもらったから、一度くらい性能を確認しておこうってな」
「確認で済む威力じゃありませんでしたけどね」
「本当にな」
俺は苦笑する。
あれを見て改めて思った。
魔剣は、必要なとき以外は出さないほうがいい。
「その途中で買ったのが、五号車――ベージュのオープンカーです」
「あれも、まさか次の日に役立つとは思わなかったな」
「今は大庭園に置きっぱなしです」
「この先、マオ専用車みたいになりそうだな」
今ごろ、マオはあの車で大庭園を走り回っているかもしれない。
そんな姿を想像すると、自然と笑みが浮かんだ。
「【自動操縦】でまとめ狩りしたのも、その日だな」
「そうでしたね」
「車を無人で走らせて魔物を集めるなんて、最初の頃じゃ考えもしなかったな」
「スキルも増えましたからね」
「ああ」
最初は、車両を出して、しまう。
それだけだった【車両召喚】も、今では――
【自動操縦】。
【車両入れ替え】。
【ハウジング】。
気づけば、ただ車を召喚するだけのスキルではなくなっている。
「そして昨日か」
「はい」
良太が少し身を起こす。
「先輩が覚えたばかりの【ハウジング】で、ランクルごと湖の底に潜ったんですよね」
湖底へ沈んでいくグレーのランクル。
窓の外いっぱいに広がる青い世界。
魚の群れ。
湖底に残されていた遺跡。
そして【車両入れ替え】を使って、再び湖畔へ戻ってきた。
「その話を夜、マオに聞かせたら行きたがって――」
「今朝、みんなで湖底へ行ったと」
「そういうことだな」
俺たちは揃って湖を見る。
この水面のはるか下。
そこに、あの場所は存在している。
「今日見つけた大庭園もすごかったです」
俺は素直にうなずいた。
「あれには驚いたな」
湖底にあるとは思えない、花と緑に満ちた大庭園。
想像以上に広い空間。
ばかでかい世界樹。
黄金色の果実。
そして、数えきれないほどの見たこともない植物。
「あのマオちゃんが夢中になっていましたし」
「カメラ持って走り回っていたもんな」
「今ごろ、また写真を撮りまくってるんじゃないですか?」
「撮っているだろうな」
俺は笑う。
「アルバム、すぐいっぱいになりそうだ」
「また作ってあげましょう」
「ああ」
写真用紙ならいくらでも買える。
アルバムだって同じだ。
マオが撮りたいだけ撮ればいい。
それに――
「俺たちが調べなくても、マオがいろいろ調べてくれそうだな」
「毎日通いそうですからね」
「四号車のドラレコにも残るし、何か見つけたらわかるだろ」
「五号車もありますし、探索も楽でしょうね」
「だから置いてきたんだけどな」
俺は再び竿先へ目を向ける。
浮きは静かに水面を漂っている。
魚が掛かる気配はない。
でも、それでいい。
「……こうして振り返ると、本当にいろいろあった十日間だったな」
「はい」
「この先、ひと月、一年と経ったときには、俺たちはどうなってるんだ?」
良太は少し考えた。
「のんびりしたい気持ちはあるんですが……」
「ああ」
「何かしらイベントが起きますね」
「起きるな」
「まあ、異世界ものとかを読んでいても、これが『お決まり』なのですが」
「その『お決まり』、回避できないのか?」
「無理じゃないですか?」
「できないか」
「だって先輩」
良太は周囲を見回す。
美しい湖。
広大な森。
赤いランクル。
昼寝しているバハ。
そして、この湖の底には今日見つけたばかりの大庭園がある。
「僕たち、のんびり釣りをしているだけなのに、もう十分普通じゃないですよ」
「……言われてみればそうだな」
何も起きていない今ですら、元の世界の俺たちからすれば、とんでもない日常だ。
俺は赤いランクルへ目を向けた。
十日前。
この一台で大草原へ走り出した。
舗装された道もない。
行き先も決めていない。
ただ、見たことのない景色の中を走ってみたかった。
「何はともあれ、大自然の中をランクルで駆け抜けてこれたのは、いい経験になったよ」
「はい」
「そういう暮らしに、ずっと憧れていたしな」
良太も静かにうなずく。
「僕も、貸し切りみたいな湖畔で焚き火をしたり、ご飯を食べたり……」
ちらりとバハを見る。
「バハちゃんや、マオちゃんたちに出会えたのも、本当に良かったです」
「そうだな」
俺もバハを見る。
「きゅ~……」
相変わらず気持ちよさそうに眠っている。
出会ってから、まだ十日も経っていない。
それなのに、こうして隣にいるのが当たり前になっている。
「大自然の中で、仲間たちと食う飯がまたうまいんだ」
「それは間違いないですね」
「今日のカレーも美味かったしな」
「あのベヒーモスカレーは病みつきになります」
そのとき――
ぴくっ。
俺たちの浮きが、ほぼ同時にゆれた。
「先輩」
「ああ」
今度は俺も良太も竿を握り直す。
すっ。
二つの浮きが同時に水中へ沈んだ。
「来た!」
「こっちもです!」
二人揃って竿を立てる。
静かだった湖面が、一気に二か所で弾けた。
「おっ、こいつ結構引くぞ!」
「僕のもです!」
「きゅっ!?」
騒ぎに驚いたバハが飛び起きる。
「ははっ!」
俺は竿を握りながら思わず笑った。
十日間。
いろいろありすぎた。
これから先も、きっと何かが起こるのだろう。
それでも――
「良太、こっちに絡ませるなよ!」
「先輩こそ!」
「きゅーっ!」
こうしてランクルで旅をして。
気に入った場所で足を止めて。
仲間たちとうまい飯を食べて、のんびり過ごす。
そんな毎日を続けていければ、それで十分だ。
午後のラズライト湖に、俺たちの賑やかな声がいつまでも響いていた。




