第41話 湖底の大庭園
連休中は6:00と18:00の二回投稿をしています。
小さく手を掲げる。
「【転移】」
視界が金色の光に包まれた。
次の瞬間、俺たちは花々が咲き誇る静かな庭園の中に立っていた。
柔らかな風が頬をなでる。
湖底にいることなど忘れてしまいそうな、心地よい空気だった。
「わあ……」
良太が思わず息をのむ。
あたり一面には、色とりどりの花々が咲き誇っている。
透き通った小川がさらさらと流れ、そのほとりでは見たこともない草花が風にゆれていた。
頭上では枝葉を大きく広げた巨木が、優しい木漏れ日のような光を落とし、色鮮やかな蝶たちが花から花へ舞っている。
「ここが……湖の底?」
俺も思わず周囲を見回す。
結界の外には冷たい湖水が広がっているはずなのに、この庭園だけはまるで別世界だった。
「素晴らしい……見事でございますな」
バンポーさんが静かに目を細める。
「これほど長い年月を経ても、なお美しさを保っている庭園は、私も初めて目にいたしました」
そのときだった。
「……!」
マオの表情が変わる。
普段は無表情に近いその顔が、ぱっと明るくなった。
小走りで花壇へ駆け寄る。
一輪の花を見つめ、葉にそっと触れ、香りを確かめると、首から提げたカメラを構えた。
カシャッ。
別の花へ移って、もう一枚。
カシャッ。
舞い降りた蝶へレンズを向けたかと思えば、今度は小川のほとりに咲く青い花、さらにその向こうに見つけた珍しいつる植物へと、次々にレンズを向けていく。
すっかり夢中になっている。
俺はそんなマオを眺めながら、声をかけた。
「そんなに植物が好きだったんだな」
マオは写真を撮りながら、小さくうなずく。
「好き」
短い一言だったが、その声はどこか嬉しそうだ。
バンポーさんも穏やかに目を細める。
「マオ様は昔から植物がお好きでして、世界中を巡り、珍しい植物を集めて育てておられます」
「ああ」
良太が思い出したようにうなずく。
「昨日見せてもらった、あの大きな植物園みたいな場所ですね」
「はい」
バンポーさんは静かにうなずく。
「魔王城の庭園にある植物も、長い年月をかけて少しずつ集められたものでございます」
マオは目の前の花を見つめながら、小さくうなずいた。
「宝物」
その一言と表情を見れば、どれだけ植物が好きなのかは十分に伝わってくる。
「好きなものを見つけたときの顔って、みんな同じなんだな」
しばらく庭園を見回していた良太が、ふと思い出したように口を開く。
「先輩、安全のためにランクルを呼んでおきませんか?」
「ランクル?」
俺は首をかしげる。
「もし何かあったら、すぐ車に避難できますし。荷物も積んでありますから、拠点代わりになります」
「ああ、それはたしかに安心だな」
俺はうなずきかけたが、ふと考え直す。
「……いや、待てよ」
「どうしました?」
「白いランクルをそのまま呼び寄せると、結界の外からこっちへ来るだろ」
「あっ」
良太もすぐに気づいた。
「そうすると、帰りに結界の外を調べるとき、車がなくなっちゃいますね」
「そういうことだ」
俺はうなずく。
「せっかく見つけた遺跡の調査も続けたいしな」
少し考え、俺は小さくうなずいた。
「まずリアカーを出そう」
【車両召喚】を開く。
一台のリアカーが姿を現した。
「これを使えば、白いランクルを庭園の中へ持ってこられる」
「なるほど! 【車両入れ替え】ですね」
「そういうことだ」
俺はリアカーに意識を向ける。
「【車両入れ替え】」
次の瞬間、リアカーと白いランクルの位置が入れ替わる。
白いランクルは庭園の中に現れ、わずかな高さから芝生の上に着地する。
リアカーは入れ替わるように、結界の外の湖底へ移動した。
「これでよし」
俺は満足してうなずく。
「帰るときは、また【車両入れ替え】を使えばいい」
「なるほど!」
良太も納得したように笑う。
「これなら庭園も遺跡も、どちらも調査できますね」
良太が嬉しそうにうなずいた、そのとき――
白いランクルのボディが、ふわりと淡い金色の光を放つ。
「先輩、車が……!」
俺たちは振り返った。
ボディを包む柔らかな光が一か所へ集まり、小さな光の妖精の姿を形作っていく。
「アルフですね」
良太が声を上げる。
「ああ」
俺もうなずいた。
一柱の光の妖精――アルフは、ふわりと宙へ舞い上がった。
花畑の上をゆっくりと飛び、花びらに触れ、小川の上を滑るように進んでいく。
初めて見るはずの場所なのに、妙にこの庭園になじんでいるように見えた。
やがてアルフは庭園の奥へ向かって飛び始める。
途中で一度だけこちらを振り返り、また奥へ進んでいった。
まるで「ついてきて」とうながしているようにも見える。
「行く」
マオが短くつぶやく。
「ああ」
俺もうなずいた。
「案内してくれているのかもしれないな」
俺たちはアルフの後を追って、庭園のさらに奥へ歩き始めた。
◇ ◇ ◇
石畳の小道は花々に囲まれ、その両脇には見たこともない植物が生い茂っている。
紫色に輝く花。
七色の葉を広げる低木。
透明な花びらを持つ小さな花。
マオは気になる植物を見つけるたびに足を止め、カメラを構えていく。
蝶が舞えばレンズでその姿を追い、珍しい花を見つければ、しゃがみ込んで葉脈までじっくり観察してからシャッターを切る。
「本当に好きなんですね」
良太が楽しそうにその様子を眺める。
バンポーさんも穏やかに目を細めた。
「このようなマオ様を見るのは、久しぶりでございます」
しばらく歩くと、小川に架かる石橋が現れた。
アルフは橋を渡り、その先へ進んでいく。
さらに進むにつれ、周囲の木々は次第に大きくなっていった。
整えられた花壇は少なくなり、足元には草花が自然に広がっている。
木々も一本一本が太くなり、見上げるほどの高さになっていく。
「何かありますね……」
良太が前方を見つめる。
木々の隙間から、ひときわ大きな幹が見えた。
アルフは迷うことなく、その方向へ飛んでいく。
やがて視界が開けた。
「……!」
俺は思わず足を止める。
庭園の中心。
そこには一本の巨大な樹が、天へ向かってそびえ立っていた。
その幹は、家など比べ物にならないほど太い。
見上げても枝先が見えないほど高く伸び、無数の枝には黄金色の果実がたわわに実っている。
ただそこに立っているだけで、神々しいほどの威厳を感じさせる巨木だった。
「世界樹」
マオが小さくつぶやく。
「これが……世界樹なのか?」
「ん」
アルフは嬉しそうに幹の周囲を一周すると、一本の枝へ近づき、ふわりと舞い降りた。
――そのとき、世界樹の根元にある古い石碑が、ほんの一瞬だけ淡い光を放つ。
だが、その小さな変化に俺たちは誰も気づかなかった。
◇ ◇ ◇
「きゅっ!」
そのときだった。
バハが嬉しそうに声を上げると、一目散に世界樹へ向かって飛んでいく。
「あっ、おい!」
俺が呼び止める間もなく、バハは枝の間を器用にすり抜け、一つの黄金色の実に抱きついた。
ぎゅっと両腕で抱え、そのままふわりと飛び立つ。
「力持ちだな……」
俺は苦笑する。
バハは大きな実を両腕で抱えたまま戻ってくると、俺たちの前にそっと降ろした。
ドスッ。
芝生に置かれた実は、大きなスイカほどもある。
黄金色の果皮は柔らかな光をまとい、甘く爽やかな香りがあたりに広がった。
良太は思わず世界樹を見上げる。
「うわぁ……」
枝という枝には、同じ黄金色の実が数え切れないほど実っていた。
見上げるほど高い場所まで、鈴なりになっている。
「これが……」
俺は目を丸くする。
「世界樹の実か」
バンポーさんも穏やかにうなずいた。
「はい。バハムート様の大好物でございます」
マオは小さくうなずく。
「食べる」
そう言うと、世界樹の実がふわりと宙に浮かび上がった。
しかし、すぐには切らない。
じっと実を見つめると、小さくつぶやく。
「……種」
マオは【収納】から一本のナイフを取り出した。
宙に浮かぶ世界樹の実に刃を滑らせる。
世界樹の実は美しく二つに割れ、その中心には黄金色に輝く一つの種が収まっていた。
「……まさか」
バンポーさんが目を見開く。
「世界樹の種でございます」
「そんなに珍しいんですか?」
良太が尋ねる。
バンポーさんは静かにうなずいた。
「はい。世界樹の実に種が入っていることは極めてまれなのでございます。私も実物を拝見するのは、これが初めてでございます」
マオも種を見つめ、小さくつぶやく。
「珍しい」
両手でそっと包み込むように取り上げる。
そして俺へ差し出した。
「いる?」
俺は笑って首を横に振る。
「いや、マオが持って帰ってくれ」
「ん」
マオは種を大切そうに両手で包み、小さくうなずく。
「魔王城」
一拍置いて続けた。
「植える」
マオは種を【収納】にしまう。
それを見守っていたバンポーさんも、穏やかに微笑んだ。
「何百年後かには、立派な世界樹へ育ってくれるかもしれませんな」
俺は苦笑する。
「そんな頃には、俺たちはもう生きていませんよ」
バンポーさんは世界樹を見上げたまま、静かに微笑んだ。
「それは……どうでしょうか」
その意味深な一言に、俺と良太は顔を見合わせた。
マオは二つに割れた世界樹の実を再び空中へ浮かべる。
先ほどのナイフを軽く振るう。
シュパパッ。
シュパパパパッ――
今度は果肉だけが美しく均等な大きさに切り分けられ、黄金色の果肉が空中に整然と並んでいく。
果汁を一滴もこぼすことなく、切り分けられた果肉がそれぞれの手元へふわりと運ばれてくる。
「食べてみよう。いただきます」
俺は一切れ口に運ぶ。
「……うまい」
口いっぱいに、優しい甘さが広がった。
桃にも、梨にも、マンゴーにも似ている。
それでいて、そのどれとも違う。
みずみずしく、後味は驚くほど澄んでいた。
「おいしい!」
良太も思わず笑顔になる。
バハは待ちきれなかったように、大きな一切れを夢中で頬張っている。
「きゅっ!」
マオは自分の果肉をさらに真空刃で一口大に切り分けると、空中に浮かせたまま一切れずつ口へ運んでいく。
その様子からは、果物をゆっくり味わっているように見えた。
一方、バンポーさんはどこからともなく銀色の小さなスプーンを取り出す。
一口大に切られた果肉を静かにすくい、上品な所作で口へ運んだ。
「……これは素晴らしい」
ゆっくりと味わうように目を閉じる。
「何度いただいても、この味だけは飽きることがございません」
食べ終えた、その瞬間――
俺たちの体が淡い金色の光に包まれる。
「えっ?」
良太が自分の手を見る。
俺も自分の体に目を落とした。
体の奥から力が湧いてくるような、不思議な感覚がある。
バンポーさんが静かに微笑む。
「世界樹の実には、生命力を高める力がございます。古くから『長寿の果実』とも呼ばれておりますな」
「長寿……?」
俺が聞き返す。
「はい。不老不死になるほどではございませんが、食した者は皆、健やかに長く生きると言われております」
良太は思わず世界樹を見上げた。
「だからバハちゃんも……」
そのときだった。
「きゅっ!」
バハは再び世界樹へ飛び立つと、新たな実を一つ抱えて戻ってきた。
どうやら一つでは足りなかったようだ。
その様子に、俺たちの間から思わず笑いがこぼれた。
「食べ過ぎるなよ」
俺が声をかけると、
「きゅっ!」
バハは元気よく返事をした。
それを見て、バンポーさんが穏やかに微笑む。
「バハムート様は、世界樹の実が大好物でございまして、見つけると、つい食べ過ぎてしまわれるのです」
マオも小さくうなずく。
「いっぱい食べる」
「なるほどな」
俺は苦笑する。
「だから、あんなに嬉しそうだったのか」
バンポーさんも穏やかに続けた。
「私もマオ様も、これまで幾度となくいただいております」
俺は改めて世界樹を見上げた。
「ずいぶん貴重なものをご馳走になったな」
マオは名残惜しそうに庭園を見回し、小さくつぶやく。
「また来る」
その言葉に、俺も自然と笑みが浮かぶ。
「ああ。またみんなで来よう」
俺はもう一度、巨大な世界樹と、その周囲に広がる大庭園を見渡した。
ここには、まだまだ調べてみたいものがありそうだ。
あとがき
40-41話でマオが着ている、生成りのブラウスとドロワーズのイメージを近況ノートにアップしました。
https://kakuyomu.jp/users/misato_ooshima/news/2912051606845170509
※作中では今のところ10歳ほどの見た目ですが【認識改変】でハイエルフになっているマオに着てもらっています。




