第28話 王国での午後、湖畔へ帰還
「ごちそうさまでした」
おいしい料理にすっかり満足し、俺たちはレストランを後にした。
店の外へ出たところで、ふと気になることが頭に浮かぶ。
「そういえば」
振り返って店を見る。
「俺たち、支払いしてなくないか?」
あれだけの料理を食べたというのに、誰からも会計を求められなかった。
マオは小さくうなずく。
「ん」
「いや、『ん』じゃなくて……」
俺が苦笑すると、その横でバンポーさんが穏やかに補足した。
「チップはお支払いしましたが、食事代は不要でございます」
「え?」
俺と良太が同時に声を上げる。
「不要って……どういうことですか?」
「Sランク冒険者の特典の一つでございます」
バンポーさんは微笑みながら続ける。
「この国では、Sランク冒険者が国内で利用した宿泊施設や飲食店の代金は、冒険者ギルドを通して国から支払われる仕組みになっております」
バンポーさんは一拍置いて、言葉を続けた。
「国を守る最高戦力への待遇、とお考えいただければ、わかりやすいでしょう」
「そんな特典まであるんですか」
良太が目を丸くする。
俺も感心してうなずいた。
「Sランクって、本当に別格なんだな」
「ん」
そして、先ほどまでいた店を振り返った。
「おいしかった」
「そっちかよ」
俺は思わず笑う。
良太とバンポーさんもつられるように笑みを浮かべた。
◇ ◇ ◇
その後は良太の提案で、市場や商店街を見て回ることになった。
食材を扱う市場では、新鮮な野菜や果物、肉や魚が所狭しと並び、威勢のいいかけ声が飛び交っている。
道具屋では冒険者向けの雑貨や生活用品が並び、鍛冶屋には剣や鎧、魔道具店にはさまざまな魔道具が陳列されていた。
良太は目についた品の値札を確認し、ときには店主へ質問をしながら、手帳へ熱心に書きとめていく。
「やっぱり、街の相場は知っておきたいですからね。【ネットショッピング】で売るにしても、現地で売るにしても、基準がわかっているほうが動きやすいです」
俺もうなずく。
「たしかに、知らないままじゃ損をするかもしれないしな」
「それと――」
良太は店先に並んだ商品を眺めながら、少し声を落とした。
「日本人がいた痕跡も探しておきたいんですよね」
「ああ、さっきのリバーシの話か」
「はい」
良太はうなずく。
「マオちゃんやバンポーさんが知らなくても、僕たちなら見ただけで気づけるものがあるかもしれませんから」
「たしかにな」
俺も改めて周囲の商品へ目を向ける。
道具の形。
料理。
遊び。
便利な生活用品。
名前は違っていても、日本人ならではの発想がどこかに残っているかもしれない。
「たとえば、箸とか?」
「箸だけなら偶然ありそうですけど……もっとわかりやすいものですね。日本にしかないような道具とか、明らかにこっちの文化から浮いているものとか」
「なるほどな」
「まあ、そんな簡単には見つからないでしょうけど」
そう言いながらも、良太は値段だけでなく、並んでいる商品そのものを一つひとつ注意深く観察していく。
俺も気になったものがあれば、足を止めて確認するようになった。
「ん」
マオもうなずく。
「探す」
「ありがとうございます」
良太が笑うと、バンポーさんも口を開いた。
「私も気にとめておきましょう。もっとも、お二人にしか気づけないものもあるのでしょうな」
「そうなんです。僕たちの世界では当たり前すぎて、逆に説明しづらいものもありますからね」
その後も市場や商店を巡ってみたものの、今のところ日本人が関わったと断定できるような品は見つからなかった。
良太は少し残念そうにしながらも、手帳へ新たな情報を書き込んでいく。
「まあ、こっちは気長に探していきましょう」
「ああ。世界は広いみたいだしな」
バンポーさんが穏やかに微笑んだ。
「良い考えですな。ちなみに、魔王国のある大陸とは大きな海で隔てられておりますので、物価や素材の相場もかなり異なります」
「そんなに違うんですか?」
良太が興味を示す。
「ええ」
バンポーさんはうなずいた。
「こちらでは珍しい品が、向こうではありふれていたり、その逆もございます。同じ素材でも、国や大陸が変われば価値が倍以上違うことも珍しくありません」
「なるほど……」
良太は手帳へ書き込みながらうなずく。
「それなら、なおさら調べておいて正解ですね」
「ん」
マオも小さくうなずいた。
「知る」
「大事」
相場を知ること。
この世界の文化を知ること。
そして、俺たちと同じ世界から来た者の痕跡を探すこと。
そんな目的も加わり、俺たちは王都ブルームの市場や商店を見て回っていった。
◇ ◇ ◇
「そういえば……」
良太が手帳を閉じながらマオを見た。
「マオちゃんは、海の向こうから来ているんですよね?」
「ん」
マオは小さくうなずく。
「海の向こう」
「魔王国」
「そんなに遠い場所だったんですね」
良太が感心すると、バンポーさんが穏やかに口を開いた。
「両大陸の間には、とてつもなく大きな海が広がっております。普通の船で渡るのは、極めて困難ですな」
「そんなに危険なんですか?」
俺が尋ねる。
「ええ」
バンポーさんは静かにうなずいた。
「海には巨大な海竜や魔物が数多くすんでおりますし、天候も極めて不安定でございます。安全に海を越えられるのは、マオ様のように【転移】を扱える方か……」
バンポーさんが微笑む。
「あるいは、数千年を生きた古代竜くらいでしょうな」
「数千年……」
俺は思わず苦笑した。
「また、とんでもない話が出てきたな」
「世界は広いですね……」
良太もうなずく。
「ん」
マオは短く答えた。
「広い」
「まだまだ、いっぱいある」
◇ ◇ ◇
一通り街を見て回ったところで、マオが足を止めた。
「今日は」
「どうする?」
「この国、泊まる?」
「湖、帰る?」
俺は少し考え、停めてあるランクルへ視線を向ける。
「王都で一泊していくのも魅力的だけどな……でも、まだこの世界に来たばかりだ」
街は賑やかで、見る限り治安も悪くない。
それでも、宿の部屋ではランクルを出すことができない。
何かあったとき、すぐに逃げ込める安全地帯がなくなるのは、まだ少し怖かった。
「ランクルから離れて泊まるのは、さすがに少し不安かな」
良太もうなずく。
「僕も同じです。街は安全そうですけど、何が起こるかわかりませんしね。ランクルの中なら、何が来ても安心ですけど……宿だとそうはいきませんから」
「ああ」
俺もうなずく。
「今日は湖へ戻って、また改めて来よう」
「そうしましょう」
「ん」
マオは小さくうなずいた。
「また来る」
「そのときは、もっとゆっくり街を見て回りたいですね」
良太がそう言うと、マオもうなずいた。
◇ ◇ ◇
マオの【転移】で、俺たちは見慣れた湖畔へ戻ってきた。
夕日に照らされた湖面がきらきらと輝き、穏やかな風が草原を渡っていく。
「やっぱり落ち着くな」
俺はそうつぶやくと、右手をかざした。
「【車両召喚】」
淡い光とともに、白いトゥループキャリア、赤いショート、そして紺色のキッチンカーが次々と姿を現す。
三台をいつものようにコの字へ並べると、いつものキャンプサイトがあっという間に完成した。
今日購入したグレーのランクル105も、少し離れた場所へ出しておいた。
俺は並んだランクルを見渡して笑った。
「四台あるなら、口の字に並べて囲ってしまうこともできるけどな。そうすると、せっかくの湖が見えなくなっちまう」
「たしかに」
良太も湖を眺めながらうなずく。
「この景色が見えなくなるのは、もったいないですね」
そして、グレーのランクルへ視線を移した。
「マオちゃんたちが泊まりに来るときは、グレーのランクルも並べましょう」
「四台なら、みんなゆっくり休めますし」
「ああ」
俺もうなずく。
「そのときは、本当にキャンプ場みたいになりそうだな」
「ん」
マオも小さくうなずいた。
「楽しみ」
穏やかな湖畔に、夕暮れの風が静かに吹き抜けていった。
◇ ◇ ◇
その後は湖を眺めながら、のんびりとお茶の時間を過ごした。
今日見て回った王都や、この世界の文化について、他愛もない会話に花を咲かせる。
気づけば日はさらに西へ傾き、湖面を照らす光も赤みを増していた。
「そろそろ帰る」
マオが静かに立ち上がる。
バンポーさんも席を立ち、俺たちへ丁寧に一礼した。
「本日は誠にありがとうございました」
「こちらこそ、街を案内してもらって助かったよ」
俺が礼を言うと、良太も笑顔でうなずいた。
「本当にありがとうございました。そうだ、バンポーさん。これを」
良太が【ネットショッピング】を開くと、迷うことなくいくつかの商品を購入した。
取り出したのは、昨日とは別の銘柄のウイスキーとバーボン、それに葉巻のセットだった。
「今日のお礼です。また違う種類を選んでみました」
バンポーさんが目を丸くする。
「これは……」
「昼間のうちにいくつか選んで、買い物かごに入れておいたんです」
良太は笑う。
「バンポーさん、お酒も葉巻も好きそうでしたから」
バンポーさんは嬉しそうな表情を浮かべながらも、遠慮して両手を振った。
「いえいえ、お気持ちだけで十分でございます。昨日もいただいておりますし、これ以上は――」
「遠慮しないでください」
良太は笑顔で首を横に振った。
「今度来たときに、感想を聞かせてください。それが一番のお礼です」
その言葉に、バンポーさんは少しだけ目を細めた。
「……そこまで仰るのでしたら」
両手で大切そうに受け取り、深く頭を下げる。
「ありがたく頂戴いたします。次にお会いするときには、ぜひ感想をお伝えいたしましょう」
「楽しみにしています」
「ん」
マオも小さくうなずいた。
「また来る」
「ああ。またな」
「また遊びに来てください」
「きゅ~!」
バハも別れを惜しむように、小さく手を振る。
マオもそれに応えるように、小さく手を上げた。
「【転移】」
足元へ淡い魔法陣が広がり、マオとバンポーさんの姿が柔らかな光に包まれていく。
「それでは、またお会いいたしましょう」
バンポーさんが最後に丁寧に一礼する。
次の瞬間、光が静かに弾け、二人の姿はその場から消えた。
あとには、夕暮れに染まる静かな湖畔だけが残った。
◇ ◇ ◇
光が消えると同時に、俺たちにかけられていた【認識改変】の魔法も静かに解けていく。
俺と良太の金色だった髪は元の色へ戻り、尖っていた耳もいつもの形へと変わった。
ハイエルフの民族衣装も消え、見慣れた服装へと変わっていく。
隣では、少年の姿だったバハも淡い光に包まれ、いつもの小さな竜へ戻った。
「きゅっ!」
バハは小さな翼をぱたぱたと動かした。
「終わったか」
俺は手を見下ろしながらつぶやく。
良太も髪を触り、苦笑した。
「美男子のハイエルフも悪くなかったですけど……やっぱり、こっちの姿のほうが落ち着きますね」
「だな」
俺も笑ってうなずく。
「慣れているっていうのもあるんだろうな」
良太と顔を見合わせて、小さく笑った。
目の前では、夕暮れに染まったラズライト湖が穏やかにゆれていた。




