第24話 7日目 ブルーム王国へ
夜露に濡れた草原を、朝日がゆっくりと照らしていく。
湖面は風ひとつない鏡のように静まり返り、空を流れる白い雲をそのまま映し出していた。
時折、水鳥が湖面を滑るたび、小さな波紋だけが静かな景色をゆらす。
三台のランクルは昨夜と同じようにコの字に並び、その内側では、朝食の支度が始まっていた。
紺色のキッチンカーからは、焼きたてのパンやベーコンの香ばしい匂いが漂っている。
テーブルでは、シルフが摘んできた野の花を、ウンディーネがコップに丁寧に活けていた。
「今日もいい天気ですね」
良太が空を見上げた。
「ああ。気持ちのいい朝だ」
俺がコーヒーを口へ運んだ、そのとき。
足元に、淡い魔法陣が広がった。
「来たか」
金色の光が立ち上り、小さな人影が現れた。
「おはよう」
「おはようございます」
現れたのはマオだった。
そして今日は一人ではない。
その隣には、長身の男性が静かに立っていた。
白銀の長い髪に、切れ長の翡翠色の瞳。
長く尖った耳と、年老いてなお端正な顔立ち。
漆黒の燕尾服を着こなし、片手には黒檀の杖を携えている。
その所作には、一流の執事というより、一国の重臣を思わせる品格があった。
その男性は胸に手を当て、優雅に一礼した。
「初めまして。私は魔王国宰相、バンポーと申します」
穏やかで落ち着いた声だった。
「昨晩はマオ様へ、おいしい夕食と数々のお土産まで賜り、誠にありがとうございました」
そう言って深々と頭を下げる。
「魔王国を代表し、心より御礼申し上げます」
あまりにも丁寧な挨拶に、俺と良太は慌てて立ち上がった。
「い、いえいえ!」
「そんな大したことじゃないですから!」
良太は慌てて【ネットショッピング】を開く。
「椅子が足りませんね」
軽い音とともに、新しいキャンピングチェアが現れた。
「どうぞ、座ってください」
「ありがとうございます」
バンポーさんは優雅に腰を下ろし、マオも当然のように昨日と同じ席へ座った。
すると――
待っていましたと言わんばかりに精霊たちが飛び回り始める。
シルフは新しい花を摘み、
ウンディーネはそれをコップに丁寧に活け、
サラマンダーは焼き加減を見ながら卵焼きを仕上げ、
ノームは皿を次々と運んでいった。
あっという間に、食卓が彩られていった。
「お見事ですな……」
バンポーさんが感心したように目を細める。
「精霊たちが、これほど息の合った働きをするとは」
「……おいしい」
マオが小さくうなずくと、バハも嬉しそうに朝食を頬張った。
「きゅっ!」
朝食を囲みながら、俺は改めて頭を下げた。
「昨日は本当にありがとうございました。あの魔剣、大切に使わせてもらいます」
「ありがとうございます!」
良太も続いて頭を下げる。
マオは小さくうなずいた。
「ん」
そのまま、和やかな朝食の時間が過ぎていく。
朝食を一通り食べ終えたところで、マオが俺を見上げた。
「売る素材」
「……ん?」
「街で売る素材、出して」
俺が首をかしげていると、マオは短く続ける。
「拓海が売ると、疑われる」
「え?」
その横で、バンポーさんが穏やかに微笑みながら説明を引き継いだ。
「Sランク魔物の素材ともなりますと、どこの誰とも知れぬ者が持ち込めば、出どころを厳しく問われるでしょう。
場合によっては、盗品や密猟品を疑われることもございます。
ですが、マオ様なら問題ありません。世界に七人しか存在しないSランク冒険者のお一人ですので、そのような素材をお持ちでも何ら不自然ではございません」
「なるほど……そういうことでしたか」
俺は納得すると、【車両召喚】へ意識を向けた。
昨日バハが解体してくれたタキタロウの素材を取り出す。
鱗、骨、尾、ヒレが、次々と草の上に並んでいった。
「売る素材は、これで全部です」
ふと、収納に残してあるベヒーモスの頭骨を思い出す。
……あれは記念に残しておくか。
バハが初めて狩ってきてくれた魔物だ。今は売る気になれない。
俺が取り出さないことを決めると、マオがタキタロウの素材へ小さく手を向けた。
「【収納】」
淡い光が素材を包み込み、一瞬でその場から消え去った。
「これでいい」
「よろしくお願いします」
俺と良太は頭を下げた。
その姿を見て、マオは小さく首を振った。
「いらない」
「え?」
「敬語も」
小さな赤い瞳が俺たちを見つめる。
「普通に話して」
その一言に、俺と良太は顔を見合わせ、バンポーさんへ視線を向けた。
「いや……宰相さんもいるし、さすがにそういうわけには……」
すると、バンポーさんが穏やかに微笑む。
「どうかお気になさらず。マオ様がそう望まれるのであれば、それが何よりでございます。私はあくまで付き添いですので、どうぞ普段どおりお話しください」
マオも小さくうなずく。
「友達」
そう言って、隣のバハを優しくなでる。
「バハムートの友達は、マオの友達」
「きゅっ!」
俺と良太は顔を見合わせ、小さく笑った。
「……わかった。じゃあ、お言葉に甘えるよ」
「僕も、これからは普通に話します」
「ん」
マオは満足そうにうなずいた。
すると良太が、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば……バンポーさん、さっき『マオちゃんは世界に七人しかいないSランク冒険者の一人』って言っていましたよね?」
「はい。その通りでございます」
「すごい! マオちゃん、Sランク冒険者だったんですか!」
良太は目を丸くした。
マオはこくりとうなずく。
「ん」
そして、隣で朝食を頬張っているバハを指さす。
「バハムート」
次に、バンポーさんへ視線を向ける。
「爺」
最後に、いつもの調子で短く言った。
「みんな、Sランク」
胸を張るバハ。
「きゅっ!」
バンポーさんは苦笑しながら一礼した。
「恐縮ながら、私もSランク冒険者の末席を汚しております」
良太は口をぽかんと開けた。
「えっ……じゃあ、世界に七人しかいないSランク冒険者が、この場に三人もいるってことですか!?」
「はい」
バンポーさんは穏やかにうなずく。
「マオ様、私、そしてバハムート様です」
「す、すごい……。七人中三人って、四割以上じゃないですか」
良太は思わず俺を振り返った。
「先輩、僕たち、とんでもない人たちと朝ご飯を食べていますよ……」
俺も苦笑した。
「……世界に七人しかいないうちの三人と知り合いになるなんて、想像もしなかったな」
バハがどこか誇らしげに胸を張る。
「きゅっ♪」
話が一段落すると、マオは椅子から静かに降りた。
「じゃあ、行く」
「もう街へ?」
「ん」
マオは俺たちを見渡した。
「このままじゃ、目立つ」
「たしかに……ランクルもありますし、バハちゃんもいますからね」
良太が納得すると、マオは首を横に振る。
「大丈夫」
マオは小さく右手を掲げた。
「【認識改変】」
淡い金色の魔力が波紋のように広がり、俺たちの体を優しく包み込んでいった。
やがて光が静かに収まる。
「……え?」
良太が思わず声を漏らす。
幼い魔王の姿はもうない。
そこには身長百六十センチほどの、美しいハイエルフの少女が立っていた。
長い金髪が風になびき、透き通るような白い肌に翡翠色の瞳、長く尖った耳。
華やかでありながら気品のあるエルフ族の民族衣装を身にまとい、その姿は王族そのものだった。
「これが……マオちゃん?」
「ん」
マオは短くうなずく。
その隣では、バンポーさんの姿も変わっていた。
白銀の髪はつややかな金髪へと変わり、顔から年齢を感じさせるしわは消え去っている。
百八十センチほどの長身に整った顔立ち。
知性を感じさせる碧眼と長い耳を持つ、美青年のハイエルフだった。
「……若返ってる」
良太が思わずつぶやく。
「こちらが本来の姿に近いですね」
バンポーさんは柔らかく微笑む。
「普段は威厳を保つため、老いた姿でおります」
「そういうことだったんですか」
そして――
「うわっ!?」
俺と良太は互いの顔を見て、同時に声を上げた。
俺たちもそろって、金髪碧眼のハイエルフへと姿を変えている。
長い耳に整った顔立ち。白を基調とした民族衣装まで身につけていた。
「先輩……耳、長くなってます」
「良太もだ」
俺と良太は思わず、自分の耳に触れた。
「……そういえば僕、神様に『エルフやドワーフがいる世界がいい』ってお願いしてましたね」
良太は少し嬉しそうに笑う。
「まさか、自分までエルフになれるとは思いませんでした」
そして最後にバハを見る。
そこにいたのは、百六十センチほどの美しい少年だった。
金髪碧眼に長い耳。
どこか中性的な整った顔立ちのハイエルフで、上質な民族衣装を身にまとっている。
「……バハ?」
「きゅっ!」
声だけは、いつものままだった。
その無邪気な笑顔を見て、俺と良太はようやく目の前の美少年がバハなのだと理解した。
マオはバハへ視線を向ける。
「バハムート」
「きゅっ?」
「街では、話さない」
バハは意味を理解したように、小さくうなずいた。
「きゅっ」
「いつもそう」
「なるほど。人型になっても、しゃべると目立つってことか」
「ん」
マオは続いて俺と良太を見た。
「二人」
「はい」
「ハイエルフで、冒険者登録」
「冒険者登録ですか?」
「あとで便利」
一拍置いて、付け加える。
「身分証、なる」
「なるほど。それなら、早めに済ませておいたほうがよさそうですね」
良太も納得したようにうなずいた。
マオは周囲を見回した。
「じゃあ、行く」
マオは小さな手を軽く掲げた。
「【転移】」
◇ ◇ ◇
足元に巨大な魔法陣が広がり、俺たちを金色の光が包み込んだ。
視界が白く染まる。
光が晴れると、爽やかな風が頬をなでた。
「……!」
俺は目の前の光景に息をのむ。
小高い丘の上。
眼下には、高い城壁に囲まれた巨大な都市がどこまでも広がっていた。
石畳の大通りが幾筋も街を貫き、青や赤の屋根が立ち並ぶ。
中心には天を突くような白亜の城。
朝日に照らされ、街全体が黄金色に輝いている。
「すごい……」
良太も思わず街並みに見入った。
「これが、この世界の街……」
マオが振り返る。
「車」
「え?」
「出して」
俺は少し困って頭をかいた。
「いや……さすがに街の近くでランクルを出すのはまずいだろ。見られたくないし」
マオは小さく首を横に振る。
「平気」
「ん?」
「【認識改変】」
「車、馬車に見える」
「……馬車?」
俺と良太は思わず顔を見合わせた。
「ん」
マオは当然のようにうなずく。
「そういうことか……」
俺は小さくうなずくと、【車両召喚】のガレージへ意識を向けた。
赤いショートボディ。
白いトゥループキャリア。
そして紺色のキッチンカー。
「……いや、ダメだな」
「どうしたんですか?」
「俺たち全員で乗るには都合が悪い」
俺はひとつずつ理由を挙げる。
「ショートは後席への乗り降りが面倒だし、トゥループは乗降口が真後ろ。キッチンカーは二人しか乗れない」
「たしかに……」
良太も納得してうなずく。
「どうせなら、この機会に全員が普通に乗れるランクルを一台追加しよう」
「了解です!」
良太は【ネットショッピング】を開き、タブレットを俺へ差し出した。
「どれにします?」
俺は車種一覧を眺めながら、次々と画面をスクロールしていく。
「俺が昔から憧れていたランクルの中で、全員が楽に乗り降りできるとなると……」
指がぴたりと止まった。
「これだ」
画面には、丸みを帯びた堂々としたボディのランクル105系が映し出されている。
「ランクル105系」
俺は思わず頬を緩めた。
「色はグレーで頼む」
「了解です。じゃあ、注文しますね」
良太は購入ボタンを押し、二、三歩その場を離れた。
直後――
ドンッ!!
重厚な着地音とともに、一台のランクルが丘の上に姿を現した。
落ち着いたグレーのボディは、ショートやトゥループキャリアとはまた違った堂々たる風格を漂わせている。
「おおっ!」
俺は思わず駆け寄った。
「ランクル105系だ! しかも、1HZエンジン!」
ボンネットにそっと手を置き、車体を眺める。
「100系のボディに、前後リジッドと1HZを組み合わせた名車なんだ。やっぱりかっこいいな……!」
その姿を見たバンポーさんは、感心したように目を細めた。
「ほほう……」
ゆっくりと車体を見回し、小さくうなずく。
「実に堂々とした乗り物ですな。見たことのない造形ですが、不思議と風格を感じます」
「これなら、全員乗れるだろ」
俺は後部座席のドアを開いた。
「どうぞ――」
しかし、そのときだった。
「前」
マオが助手席を指さす。
「ん?」
「そこ、乗る」
俺は小さく笑った。
「助手席がいいのか?」
「ん」
迷いのない返事だった。
「じゃあ、どうぞ」
マオは嬉しそうに助手席へ乗り込んだ。
俺は運転席へ。
後部座席には、良太、バハ、バンポーさんが腰を下ろす。
「みんな、シートベルトを忘れずにな」
全員が装着したことを確認すると、俺はエンジンを始動させる。
――ブルルルル……。
聞き慣れたHZエンジンのディーゼル音が静かに響く。
「よし、行こう」
ゆっくりとアクセルを踏み込む。
グレーのランクルは、丘を下るように動き始めた。
しばらく走ると、助手席のマオが首をかしげる。
「……静か」
「乗り心地も実に滑らかですな。舗装されていない道を走っているとは思えません」
後部座席のバンポーさんも感心した様子だ。
良太も笑ってうなずく。
「初めて乗ると、みんなそう言いますよね」
俺もうなずいた。
「神様が魔改造してくれた特別仕様だからな。普通のランクルでも十分すごい車だけど、これは別格だ」
「これも欲しい」
俺は思わず吹き出した。
「気に入ってくれたのは嬉しいけど、これは俺の【車両召喚】の能力と紐づいている車だからな。所有権を渡すのは難しいかもしれないな」
「なら」
マオは当然のように言った。
「神に頼む」
「え?」
「友達」
あまりにもさらりとした一言に、車内の空気が止まった。
「神様と友達なのか……?」
俺が思わず聞き返すと、マオはうなずいた。
「ん」
俺は苦笑した。
「神様がいいって言うなら構わないけど、作ってもらうなら、マニュアルじゃなくてオートマのほうがいいかもな」
「おーとま?」
「クラッチ操作がいらないから、誰でも運転しやすいんだ」
マオは小さくうなずいた。
「ん」
そして後部座席のバンポーさんを見た。
「爺、運転する」
「ははは。それでは、私も練習せねばなりませんな」
穏やかに笑うバンポーさんを見て、車内には和やかな笑い声が広がった。
街へ向かって走るランクルの車内で、マオがふと思い出したように口を開いた。
「名前」
「ん?」
「偽名、いる」
「偽名?」
俺が聞き返すと、マオはこくりとうなずいた。
「街では本当の名前、ダメ」
「そういうものなのか」
「ん」
マオは後部座席のバンポーさんを指さした。
「爺」
一拍置いて、短く告げる。
「ジー」
「私の偽名でございます」
バンポーさんは微笑みながら軽く頭を下げた。
次にマオは自分の胸に手を当てる。
「マオ」
「……それ、本名じゃないのか?」
俺は首をかしげた。
マオは首を横に振る。
「違う」
「真名は」
ほんの一瞬だけ間を置く。
「オヴァール」
「オヴァール……」
俺がつぶやくと、すぐに納得したようにうなずいた。
「なるほど。もし誰かが『魔王様』って呼びかけても、『マオ様』に聞こえるわけか」
「ん」
マオは満足そうにうなずく。
「言い間違えても、大丈夫」
「よく考えられてるな……」
マオは今度は後部座席のバハを指さした。
「バハムート」
「バー」
「きゅっ!」
バハが元気よくうなずいた。
バンポーさんが補足するように口を開く。
「バハムート様は、街では『バー』という偽名で冒険者登録をされております」
「なるほど……。だから街では『バー』って呼ぶんですね」
良太が納得したようにうなずく。
「ん」
マオは人差し指を一本立てた。
「だから」
「バハ、ダメ」
「バー」
「きゅっ!」
バハは素直に返事をした。
俺は思わず笑う。
「癖で『バハ』って呼ばないように気をつけないとな」
「ん」
マオは満足そうにうなずき、今度は俺と良太へ視線を向けた。
「タクー」
「リョー」
俺は苦笑した。
「……タクー? リョーは普通なのに、俺だけおかしくないか?」
マオは少し考えたあと、小さく首を振る。
「覚えられない」
「そっちの都合かよ」
俺がツッコミを入れると、良太が吹き出した。
しかしマオは真面目な顔のまま続けた。
「でも」
「二人は、魔族じゃない」
「魔物でもない」
「だから、そのままでも平気」
「人間の名前なら、特に隠す必要はないってことか」
「ん」
マオは満足そうにうなずいた。
「じゃあ、街では俺たちは本名で」
「マオちゃんたちは偽名ですね」
「そう」
これで街での呼び名も決まり、俺たちはそのまま街の正門へと向かっていった。
あとがき
今回は、新たな仲間(?)として、ランクル105系が仲間入りしました。
マオの真名「オヴァール」と、爺こと「バンポー」の名前は、どちらもランクルの海外生産工場がある地名からつけています。
また、今回のお話には関係ありませんが、
良太の能力【買い物加護】に設定を追加しています。
Lv30【買い物加護】買うときだけでなく売るときにも一時保存でき、取引をキャンセルした場合も元の場所にもどることなく手元にだせる。
「第6話 戦闘後の後始末」に加筆しています。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。




