第20話 6日目、ラズライト湖の北側
翌朝。
湖から吹くさわやかな風を受けながら、俺たちは朝食を囲んでいた。
朝食は、昨夜多めに炊いておいた白いご飯に納豆、それとインスタントの味噌汁。
質素だが、日本の朝を思い出すような落ち着く献立だ。
一方のバハは納豆には興味を示さなかったため、いつものブドウに加えて、今日は青リンゴとみかん、それにウンディーネが生み出した透き通る魔力水が並んでいる。
シャクッ。
バハは青リンゴへ勢いよくかぶりついた。
夢中になって頬張る姿がかわいらしく、尻尾まで機嫌よさそうにゆれている。
その様子を微笑ましく眺めながら、良太は隣でみかんの皮を丁寧にむいた。
「リンゴも気に入ったみたいだな」
「ですね。日本の果物の前では、異世界の龍王もすっかりメロメロです」
良太は笑いながら、むき終えたみかんをバハの前に置く。
「ちなみに、このリンゴは青森県産の王林です」
「王林か」
「甘くて香りがいい品種らしいですよ」
「きゅー♪」
バハは返事をするように鳴くと、今度はみかんを器用に口へ運び、うれしそうに頬張り始めた。
「先輩、今日は僕も二号車を運転します。せっかく二台あるんですからね」
「ああ、たまにはいいだろ」
◇ ◇ ◇
二台のランクルがゆっくりと走り出す。
先頭は一号車――赤いランクル・ショート。
その後ろを、二号車――白いランクル・トゥルーピーが一定の車間距離を保ちながら続く。
俺と良太はそれぞれハンドルを握り、湖を左手に眺めながら、湖畔を反時計回りに北へ向かった。
朝の日差しを受けた湖面は青く澄み渡り、風が吹くたびに無数のさざ波がきらきらと輝いていた。
岸辺には背の低い草原が広がり、その先には白い砂利と大小さまざまな岩が点々と続いている。
ときおり水鳥が羽ばたき、水面すれすれを滑るように飛び去っていく。
その姿を目で追いながら、俺は自然とアクセルをゆるめた。
「いい景色だな……」
ハンドルの無線ボタンを押す。
『――ザッ……そうですね。こんな道、日本にもありそうで、意外とないんですよね……プツッ』
「ああ。信号もガードレールもない。ただ湖と草原だけだ」
『……しかも貸し切りです……プツッ』
無線には、あえて本物らしいノイズが混じる。
そのおかげで急に声が聞こえても、良太からの通信だとすぐにわかった。
周囲には人影どころか、大きな魔物の姿もほとんど見当たらない。
聞こえるのは、タイヤが草を踏みしめる音と、湖から吹き抜ける風だけ。
【結界ガラス】のおかげで、窓を閉めたままでも風や草木の香りだけが車内を吹き抜ける。
まるで窓を全開にしているような心地よさだった。
舗装路ではないため速度は控えめだが、そのぶん景色をゆっくり楽しめる。
湖畔へ近づけば、水面がすぐそばまで迫る。
少し高い丘へ上がれば、青く輝く湖を一望できた。
地形が変わるたび、景色も少しずつ表情を変えていく。
バックミラーには、一定の距離を保ってついてくる白いトゥルーピーが映っていた。
朝日に照らされた白いボディは湖の青によく映え、思わず見とれてしまうほど美しい。
赤と白……二台並ぶと、思っていた以上にかっこいいな。
バハはサンルーフから顔をのぞかせ、心地よい風を受けながら流れる景色を眺めている。
「きゅー♪」
風を受けて気持ちよさそうに目を細める姿に、思わず笑みを浮かべた。
「今日はドライブ日和だな」
『――ザザッ……はい。異世界でこんな景色の中をランクル二台でツーリングできるなんて、最高ですよ……プツッ』
二台のランクルは、景色を楽しむように湖畔の道をゆっくりと北へ進んでいく。
◇ ◇ ◇
二時間ほど湖畔を走り続けると、湖の北側からラズライト湖へ流れ込む大きな川へたどり着いた。
俺は赤いランクルを河原の手前へ停める。
山から流れてきた澄んだ水は、絶え間なく湖へ注ぎ込み、その両岸には長い年月をかけて磨かれた丸石が一面に転がっている。
拳ほどのものから、人の頭ほどあるものまで、大きさもさまざまだ。
車を降りた俺の視線は川ではなく、河原一面に転がる丸石に吸い寄せられていた。
「良太、これは弾薬庫だ」
良太もすぐに察したように笑みを浮かべる。
「投石用の石ですね」
「ああ。この前、俺が試したときには十分な威力があった。これだけ丸くて硬い石なら、魔物相手にもかなり効くだろうな」
「草原には石がほとんどありませんでしたからね。補充できるときに補充しておきましょう」
「そうだな。備えあれば憂いなしだ」
俺は【車両召喚】で黄色く塗られたリアカーを取り出すと、良太と一緒に河原へ散らばった丸石を拾い始めた。
ゴトン。
ゴトン。
丸石が次々と積まれていく。
拳ほどの大きさの石は連射用。
一回り大きい石は大型の魔物用。
扱いやすいように、大きさごとに積み分けていく。
「これなら投げやすそうですね」
良太は片手で石を持ち、軽く重さを確かめる。
「ああ。このくらいなら何十発でも投げられそうだ」
「丸いから空気抵抗も少なそうです」
「野球のボールみたいだな」
気に入った石を見つけるたび、俺たちは無言で拾い上げてリアカーに放り込んでいく。
いっぱいになるたびに新しいリアカーを【車両召喚】し、黙々と作業を続けること、およそ一時間。
石を満載した黄色いリアカーが一台、二台、三台……。
河原の一角には、弾薬庫さながらの光景ができあがっていた。
「これだけあれば当分困らないな――【格納】」
「そうですね。だいぶ拾いました」
石を満載したリアカーが、一台ずつ光に包まれて消えていく。
石を積み終えた良太は、大きく腰を伸ばして息をつく。
「ふう……さすがにいい運動になりました」
「ああ。足りなくなったら、また拾いに来ればいい」
河原には、まだ無数の丸石が転がっている。
「このあと、川を渡ってみますか? それとも、少し上流のほうまで見に行ってみます?」
俺は軽く肩を回してから、腕時計にちらりと目を落とした。
「まあ、そろそろ昼飯の時間だな。腹が減ると集中力も落ちる。飯でも食いながら、この先どうするか考えよう」
「了解です」
俺たちはそれぞれのランクルへ乗り込んだ。
◇ ◇ ◇
川沿いの開けた場所へ移動すると、俺は【車両召喚】で三号車を呼び出し、三台のランクルをいつものようにコの字型に並べた。
中央には三号車――オーバーランド仕様のキッチンカー。
俺は運転席を降りると、操作パネルを軽くタッチする。
ウィィン――。
三面のガルウィングがゆっくりと持ち上がり、キッチンが姿を現した。
「そういえば、この三号車はキッチンとしてしか使ってなかったな。せっかくの6×6(六輪)だ。どこかで乗らないともったいないな」
「たしかに。神様仕様ですし、走りも気になりますね」
良太は開いたガルウィングを見上げながら笑った。
「これ、開いたまま走っても神様仕様なら平気そうですよね。翼を広げた装甲車みたいでかっこいいかもです」
「開けたまま走るか……考えたことはなかったな。中は精霊たちが管理してくれてるし、荷物が崩れることもなさそうだな」
「それどころか、四精霊が戦ってくれたりして」
「たとえば?」
「サラマンダーが火球を撃って、シルフが風の刃を飛ばして、ウンディーネが水鉄砲で、ノームが岩を投げるとか」
「完全に移動要塞じゃないか」
俺たちは思わず笑う。
――そのときだった。
ヒュンッ。
どこからともなく鋭い風切り音が響いた。
次の瞬間。
ズズズ……。
森の入口に立っていた一本の木が、ゆっくりと傾き始める。
「……え?」
パキパキパキッ――ドォン!
大木が地響きを立てて倒れた。
俺たちは弾かれたようにキッチンカーへ振り返る。
――そこに、小さな何かが浮かんでいた。
ガルウィングの中で、小さな光が『どう?』と言いたげに、くるりと一回転する。
「……」
「……」
「今の」
「シルフ……ですよね」
「ああ……」
俺は目を丸くしたまま、小さくうなずく。
ガルウィングの中には、手のひらほどの淡い緑色の光が、ふわりふわりと宙を漂っていた。
よく目を凝らしてみると、その中心には親指ほどの小さな少女の姿が見える。
体を包む風は羽衣のように揺れ、透き通った髪も風そのものからできているかのようだ。
「精霊が姿を見せてくれたのは……初めてですよね」
「ああ。この世界に来てから、ずっと気配だけだったからな」
調理も、洗い物も、掃除も。
そのすべてを当たり前のようにこなしてくれていた精霊たち。
シルフは褒めてもらえると思ったのか、得意げにくるりと一回転し、うれしそうに宙を舞う。
「それにしても……冗談だったんだけどな」
俺が額に手を当てると、良太は苦笑いを浮かべた。
「神様仕様って、やっぱり予想の斜め上をいきますね……」
先ほどの切り株を見にいくと、切断面は鏡のようになめらかだった。
◇ ◇ ◇
昼食は、ベヒーモスの熟成肉ステーキにすることになった。
シルフが姿を現してからというもの、まるで『もう隠さなくていいよね』と言わんばかりに、キッチンカーで働くサラマンダー、ウンディーネ、ノームたちも次々と姿を見せ始めた。
どの精霊も手のひらほどの淡い光の玉で、よく見るとその中には、小さな妖精や小人のような姿が見える。
さらには、ランクルのタイヤやホイールに宿るシルフやノームたちまで姿を現し、車両の周囲は一気ににぎやかになった。
その中の一柱――土の精霊ノームが、しきりに手招きをしながらキッチンカーの下へ潜り込んでいく。
「……呼んでますね」
「ああ、行ってみるか」
俺たちが後を追うと、そこにはノームの熟成庫があった。
そういえば、ここへベヒーモスの肉を入れて熟成させていた。
「そうだった。せっかくだし、今日の昼飯はこれにしよう」
俺が熟成庫を開けると、ノームたちは満足そうにうなずき、小さな胸を張っていた。
ずしり、と両手に重みが伝わる。
二キロほどはある大きな塊のベヒーモス肉だ。
深い赤色をした赤身には細かなサシが入り、表面は熟成によってわずかにつやを帯びている。
「これは……迫力あるな」
「スーパーだったら、こんな塊肉はまず売ってませんよね」
まな板の上に肉を置く。
すると、ふわりとシルフが舞い降りてきた。
小さな両手を広げると、目には見えないほど薄い風の刃が幾筋も肉の上を走る。
シュッ。
シュッ。
シュッ。
包丁では考えられないほど滑らかな音だけが響き、肉は一切つぶれることなく切り分けられていく。
「……すご」
良太が思わず声を漏らした。
「繊維をまったくつぶしてないですね」
切り口は驚くほど滑らかで、肉汁は一滴も流れ出ていない。
二キロの塊肉は、やがて六枚の豪快な厚切りステーキへと姿を変えた。
一枚三百グラムを超える、食べ応え十分の厚切りステーキである。
最後にシルフは得意げにくるりと一回転すると、胸を張るようにして俺たちを見上げた。
「ありがとう、シルフ」
「職人ですね……」
褒められたシルフはうれしそうに小さな風をまといながら、サラマンダーが待つ鉄板のそばへ舞っていった。
切り分けられた厚い肉は深い赤色を帯び、滑らかな断面には、凝縮された旨味を思わせるつやが浮かんでいる。
「……これは期待できそうだな」
良太が思わず息をのむ。
「今日は余計なことはしない。塩だけで食べてみよう」
「素材勝負ですね」
切り分けたステーキ肉に軽く岩塩を振る。
サラマンダーが待っていましたと言わんばかりに鉄板を一気に熱し始めた。
ジュワァァァッ――。
肉を置いた瞬間、鉄板から豪快な音があたりへ響く。
焼けた脂が弾け、食欲を誘う香りが調理スペースいっぱいに広がった。
「うわぁ……」
良太が思わず声を漏らす。
「これは反則ですよ……」
表面にはみるみるこんがりとした焼き色がついていく。
サラマンダーは絶妙な火加減で焼き上げると、最後に一瞬だけ強火を当て、肉汁を逃がさない最高の状態へ仕上げた。
焼き上がったステーキから、香ばしい湯気が立ち上る。
◇ ◇ ◇
焼き上がった厚切りステーキがテーブルへ運ばれ、一人一枚ずつ皿に盛り付けられる。
そのかたわらには、シルフが摘んできた野花をウンディーネが小さなコップに生けてくれていた。
色とりどりの可憐な花々が、素朴な食卓へそっと彩りを添えている。
「テーブルに花があるだけで、なんだか雰囲気が違いますね」
「ああ」
花が添えられているだけで、不思議と食卓が華やいで見える。
俺はナイフを手に取り、ステーキへ静かに刃を入れる。
すっと吸い込まれるように刃が入り、ほとんど力を入れることなく切り分けられていく。
切り口からは澄んだ肉汁がゆっくりとあふれ出し、香ばしい湯気とともに濃厚な肉の香りが立ち上った。
「いただきます」
俺と良太は同時に一切れを口へ運ぶ。
噛んだ瞬間。
口いっぱいに肉汁が広がり、凝縮された赤身の旨味がじわりと押し寄せてきた。
「……うまい」
俺は思わずつぶやく。
余計な脂っこさはなく、それでいて力強い赤身の風味が何層にも重なって広がっていく。
塩がその美味しさをさらに引き立て、噛むたびに肉本来の甘みまで感じられた。
「これ……本当に塩だけですよね?」
良太は驚いたようにもう一切れ頬張る。
「塩だけで十分ですね」
その横では、バハが自分の皿に並べられた一口大のステーキを見つめていた。
「きゅっ!」
ぱくり。
もぐもぐ。
次の瞬間。
「きゅーーーっ♪」
目を細め、翼をぱたぱたさせながら、夢中になって頬張り始める。
「あはは。バハちゃんも気に入ったみたいですね」
「果物ばかり食べてるかと思ったが、やっぱり肉も好きなんだな」
「きゅー♪」
皿の上のステーキは、あっという間になくなっていく。
外では川のせせらぎが静かに響き、キッチンカーでは精霊たちがどこか誇らしげに忙しく動き回っていた。
自分たちで釣った魚もいい。
だが、ノームたちが極上の状態まで熟成させたベヒーモスの肉もまた、この世界だからこそ味わえる最高のごちそうだった。
結局、俺たちはもう一枚ずつステーキを平らげ、空になった熟成庫には、新たにベヒーモスの肉を補充しておいた。
あとがき
精霊たちが、かわいらしい姿を見せてくれるようになりました。
川のせせらぎを聞きながらいただく、ベヒーモスの熟成肉ステーキ。
とてもおいしそうですよね。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。




