第19話 鮭のムニエル、塩焼き
湖畔での釣りを終えた俺たちは、ランクルをゆっくりと走らせ、見晴らしのいい丘の上の拠点へ戻ってきた。
夕日が草原を茜色に染め、心地よい風が一日の熱をゆっくりと運び去っていく。
三台のランクルをいつものようにコの字型に並べると、風を遮る即席のキャンプサイトが完成した。
俺は三号車――キッチンカーのガルウィングを持ち上げ、収納されていたスライドテーブルを引き出した。
良太は昨日【ネットショッピング】で購入した料理本を開き、サケ料理のページをめくる。
「サケ料理なら、定番は塩焼き、ムニエル、ソテーですね。ホイル焼きや、ちゃんちゃん焼きも美味しそうです」
「いいな。今日は久しぶりに米も炊くぞ」
俺は湖で釣った魚が載ったリアカーへ目を向ける。
「ところで、魚はさばけるのか?」
「僕は、もし異世界へ行ったとき困らないように、魚のさばき方とロープの結び方だけはショート動画でたくさん勉強していました」
「そんな限定的な知識の集め方あるか?」
「あはは。森や川辺で、大きな包丁一本を使って豪快に料理する動画が人気だったんですよ。包丁の腹でニンニクを潰したり、焚き火で丸ごと焼いたり……見ているだけで楽しくて」
「なるほどな」
「でも、実際に魚をさばいたことはありません」
「そこが一番大事なんだが……」
俺たちは顔を見合わせ、思わず吹き出した。
「じゃあ、今日は良太が挑戦してみろ。失敗したらシルフ先生にお願いすればいい」
「先生、よろしくお願いします」
良太が笑いながら三号車へ向かって頭を下げる。
ふわりと心地よい風が頬をなでた。
「返事をしてくれたみたいだな」
「やる気満々ですね」
俺たちは思わず笑う。
「俺はその間に米を研ぐか。水加減はウンディーネ、火加減はサラマンダー任せだけどな」
「人間は見守る係ですね」
「便利すぎて、一向に料理が上達しそうにないな」
「それだけ精霊たちが優秀ってことですよ」
今日の夕飯は、俺たちが釣り上げたサケ科の魚と、炊きたての白いご飯。
食材が並ぶ調理台を前にすると、それだけで自然と気持ちが高まってくる。
「よし、それじゃあ始めるか」
「はい!」
俺は米びつに手を伸ばす。
良太は料理本を開きながら、釣ったばかりの魚をまな板にそっと乗せた。
シルフの風が包丁の横でふわりと舞い、ウンディーネの魔力水が器を満たしていく。
そしてコンロでは、サラマンダーの炎が小さく揺らめいた。
静かな草原の夕暮れ。
三号車――キッチンカーでは、俺たちと三柱の精霊による夕食作りが始まった。
「まずは……鱗を取るんでしたよね」
包丁を手にしたものの、どこから手を付ければいいのかわからず、良太の動きが止まる。
「動画では簡単そうだったんだけどなぁ……」
「見るのとやるのじゃ違うからな」
俺は米を研ぎながら苦笑する。
「困ったらシルフ先生が助けてくれるさ」
「はい……まずは挑戦してみます」
魚の尾を押さえ、包丁を逆さに持って鱗をこそげ始める。
ガリガリッ。
白銀の鱗が勢いよく飛び散った。
「うわっ!」
「派手に飛んだな」
「動画だと、もっと格好よかったんですけど……」
その様子を見かねたのか、小さな風が魚の周りをふわりと巡る。
飛び散った鱗だけが風に乗って一か所へ集まり、調理台の外へ運ばれていく。
「おっ」
「助かりますね」
良太が思わず笑う。
「ありがとう、シルフ」
返事をするように、風が心地よく頬をなでた。
「片付けまでしてくれるんですね」
「優秀すぎるな」
鱗を取り終え、今度は腹に包丁を入れる。
「えっと……ここから内臓を……」
慎重に取り出すと、ウンディーネの清らかな魔力水が魚を優しく洗い流していく。
「水道より便利ですね」
「しかも水温までちょうどいい」
コンロではサラマンダーの小さな炎が揺らめき、まるで『準備はできている』と主張しているようだった。
「次は三枚におろすんでしたよね……」
良太は料理本と魚を何度も見比べながら包丁を構える。
「骨に沿って刃を入れるんだ。焦らなくていい」
「……やってみます」
慎重に包丁を滑らせる。
「うわっ、骨に当たった」
刃先が小さく止まり、良太は思わず苦笑した。
「慌てるな。ゆっくりでいい」
「はい」
もう一度、骨の感触を確かめるように刃を進める。
ぎこちない手つきではあるものの、身は思っていたよりきれいに骨から外れていった。
「おっ、意外といけるじゃないですか」
「動画の成果か?」
「見るだけは、たくさん見ていましたから」
三枚におろした身をまな板に並べる。
「ここまでは何とかなりましたね」
良太は料理本をぱらりとめくった。
「次は塩焼き用とムニエル用に切り分けます」
「厚めに切ったほうが食べ応えがありそうだな」
「はい。せっかくの大物ですから」
結局、今日の献立は――
塩焼き。
バター香るムニエル。
そして、炊きたての白いご飯。
サラマンダーが火力を絶妙に調整すると、魚の皮目がこんがりと色づいていく。
ジュウッという音とともに、香ばしい匂いが調理スペースいっぱいに広がった。
「この匂いは反則ですね……」
「腹が減るな」
その隣では、ウンディーネの力が炊飯鍋の水分を細かく調整している。
米が鍋の中で踊るたび、水分量をほんのわずかに整え、立ち上る蒸気さえ繊細に操っていく。
そして、水分がちょうどいい頃合いになると、サラマンダーが火力をすっと弱めた。
強火、中火、弱火、蒸らし――
人なら経験を重ねて身につける炊飯の加減を、二柱の精霊は息を合わせるように完璧にこなしていく。
――しばらくして。
蓋を開けると、ふわりと湯気が立ち上り、つやつやと輝く白いご飯が姿を現した。
「……これ、普通の炊飯器じゃ真似できませんね」
「神様のキッチンは反則だな」
「きゅーーっ!」
待ちきれなくなったバハが、いつの間にかキッチンカーの入り口まで飛んできていた。
鼻をひくひくさせながら、焼き魚だけでなく、炊きたてのご飯の香りまで一生懸命確かめている。
そのたびに尻尾が、ぶん、ぶん、と嬉しそうにゆれた。
「お前もわかるか」
俺は笑う。
「もう少し待て」
「きゅっ!」
返事だけは誰よりも元気だ。
夕日に染まる草原を眺めながら、俺たちは調理スペースいっぱいに広がる焼き魚と炊きたてのご飯の香りを楽しんだ。
◇ ◇ ◇
夜の帳がゆっくりと湖を包み込む。
昼間は青く輝いていた湖面も、今は月明かりを映す銀色の鏡へと姿を変えていた。
風が吹くたび、水面には細かな波紋が広がり、砕けた月明かりが静かにゆれている。
三台のランクルが作るコの字型のキャンプサイト。
その中央にテーブルと椅子を並べ、俺たちは夕食を囲んでいた。
できたての料理を前に、バハは待ちきれない様子で尻尾をゆらしている。
「いただきます」
「いただきます」
「きゅー!」
まずは炊きたての白いご飯を一口。
つやつやと輝くご飯は、一粒一粒がふっくらと立ち、噛むたびに優しい甘みが口いっぱいに広がっていく。
「……うまい」
俺は思わずつぶやいた。
「ご飯だけでも、何杯でもいけそうですね」
「これだけでもご馳走だな」
続いて塩焼きを一口。
皮は香ばしく、中はふっくらと柔らかい。
噛むたびに上品な脂の甘みが広がり、炊きたての白いご飯が自然と進む。
「……うまい」
「想像どおり、サケ科らしい味ですね」
「ああ。臭みも全然ないな」
「ウンディーネが魔力水で洗ってくれたからですかね?」
良太はムニエルへレモンを絞り、一口頬張る。
表面はこんがりと香ばしく、中はしっとりと柔らかい。
バターの風味とレモンの爽やかな酸味が、魚の旨味をさらに引き立てていた。
「こっちも最高です。バターとよく合います」
「魚が新鮮だからだろうな」
「味噌汁も作ればよかったですね。インスタントを買ってお湯を入れてきます」
バハは少し冷ました塩焼きを夢中になって頬張っている。
「きゅっ、きゅー!」
気に入ったらしく、小さな翼をぱたぱたと動かしていた。
「今日は魚のほうが気に入ったか?」
「きゅっ!」
返事をすると、また魚へかぶりつく。
「釣った甲斐があったな。また釣りをしよう」
湖から吹く夜風に乗って、焼き魚の香ばしい香りがゆっくりと辺りへ広がっていく。
見上げれば、満天の星空。
月明かりが、静かな湖畔を優しく照らしていた。
虫の声が絶え間なく響き、ときおり水面で魚が跳ねる音が、夜の静寂に小さな波紋を広げる。
◇ ◇ ◇
食後のコーヒーを淹れると、俺たちはキャンピングチェアに深く腰かけた。
焚き火台の炎がゆらゆらと揺れ、月明かりと橙色の光が湖面へ静かに重なり合う。
「……贅沢ですね」
良太が湯気の立つカップを両手で包み込みながら、ぽつりとつぶやく。
「異世界で、自分たちで釣った魚を食べながら、湖を眺めるなんて」
「こんな景色を見ながら飲むコーヒーは格別だな」
俺も湖へ目を向ける。
バハはルーフラックへ飛び乗ると、顎を手すりに預けるようにして静かに湖を眺めていた。
「さて、明日はどうしましょう」
良太がコーヒーを一口飲む。
「今日みたいに釣りをするのもいいですが、せっかくここまで来たので湖も見て回りたいですね」
「そうだな。今日は東側しか見ていないからな」
「湖を一周するには大きすぎますけど、北側くらいまでは行ってみたいです」
俺はうなずいた。
「あっちは森だったな」
「はい。川も流れ込んでいましたし、魚や水鳥も集まっていそうです」
「景色も変わりそうだな」
「東側は草原でしたからね。違う景色が見られるかもしれません」
「焦る必要はない。一日で全部見ようとしなくてもいいさ」
「そうですね。この湖だけでも数日は楽しめそうです」
俺はコーヒーを口に運びながら、月明かりに照らされた湖を眺める。
「昔の俺なら、同じ場所で何日も過ごすなんて考えもしなかったな」
「ラノベを読んでると、こういう時間が一番うらやましかったんですよ」
「うらやましかった?」
「戦うシーンも好きですけど、焚き火を囲んでご飯を食べたり、景色を眺めたりする場面ってあるじゃないですか。ああいう時間が、本当の贅沢なんだろうなって思ってました」
「なるほどな」
「今日は魚も釣れましたし、明日は湖畔の北側ですかね。川の幅や深さも見てみたいですし」
「深くなさそうなら、ランクルで向こう岸まで渡河してみるか」
「それもいいですけど、今の僕たちなら三十メートルくらい跳び越えられるかもしれません。一度試してみたいですね」
「たしかに、それも確認しておきたいな」
「きゅっ」
バハも話がわかったのか、小さく返事をした。
静かな夜風が草原を渡り、焚き火の炎が小さく揺れた。
明日は、湖の北側。
どんな景色が待っているのか。
俺たちはそんなことを話しながら、ゆっくりとコーヒーを味わった。
◇ ◇ ◇
「そういえばこの前、神様がバハちゃんは何でも食べられるって手紙で教えてくれたじゃないですか」
「ああ」
「でも前に聞いた、『この世界の人たちってどれくらい強いのか』『今の僕たちはどのくらいの位置にいるのか』って質問には、まだ返事がないんですよね」
「そういえばそうだな」
良太はコーヒーを一口飲み、少し考えてから口を開いた。
「たぶん、あれは『ネタバレ』になるからじゃないでしょうか」
「ネタバレ?」
「はい。たとえば、この世界が一つのMMORPGだとしたら、神様はゲームを作った開発者であり、運営であり、ゲームマスターみたいな存在です」
「なるほど」
「そんなゲームマスターが、『今のレベルならここへ行け』とか、『ラスボスはここだ』なんて教えたら、冒険がつまらなくなりますよね」
「まあ、それはそうか」
「でも、『バハちゃんは何でも食べられます』とか、『ベッドキットを用意しておいたよ』くらいなら、ゲームバランスには影響しません」
「生活を便利にする程度なら問題ないってことか」
「そういうことです」
良太は嬉しそうにうなずいた。
「神様が教えてくれないことは、自分たちで見つけてくださいってことなんでしょうね」
俺は焚き火の向こうで静かに揺れる湖面を見つめる。
「……それも旅か」
「ええ。全部教えてもらうより、そのほうが面白いじゃないですか」
「お前らしい考え方だな」
「あはは」
良太は照れ笑いを浮かべながら、湯気の立つコーヒーを口へ運んだ。
「だから僕たちは、焦らず少しずつ世界を知っていけばいいんですよ。強さも、この世界の常識も、まだ知らない土地のことも」
「全部、自分たちの足でか」
「はい。そのほうが絶対に楽しいです」
「そのためにも、生き残ることが最優先だな」
「はい。死んだらゲームオーバーですから」
「コンティニューはないだろうしな」
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
夜風が湖面を渡り、月の光が静かに波間でゆれていた。
焚き火の薪が、ぱちり、と小さく音を立てる。
ルーフラックでは、バハが丸くなり、規則正しい寝息を立てている。
見上げれば、満天の星空。
街の灯りひとつない夜空には、数え切れないほどの星々が瞬き、その光が湖面へ静かに映り込んでいた。
俺たちは言葉を交わすことなく、しばらくその景色を眺め続ける。
今日釣った魚のこと。
明日走る湖畔のこと。
そして、この先どんな景色に出会えるのか。
そんなことをぼんやりと思い浮かべる。
静かな湖畔の夜は、ゆっくりと更けていった。
あとがき
まだ二人には精霊が見えていませんが、すっかり息の合った料理チームになってきましたね。
ノームに預けてある熟成肉も、そろそろ食べ頃を迎えそうです。
次回は湖の北側へ向かいます。
またどんな景色や出会いが待っているのか、お楽しみに!
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。




