第17話 5日目、湖に到着
バハの案内で西へ向かい始めて二日目。
草原の中を走るランクル。そのカーナビを眺めていた良太が、小さく声を上げた。
「先輩、この先に湖がありますよ」
「おお、川じゃなくて湖か」
「湖があるってことは、流れ込む川や流れ出る川があるかもしれません。もし見つかれば、そのまま川を遡って山へ向かえる可能性がありますね」
「なるほど。山探しの手間も省けそうだな。それに、危険がなさそうなら、しばらく湖を拠点にするのも悪くない」
異世界へ来てから目にしてきたのは、どこまでも続く草原ばかり。
その先に待つ初めての湖。
どんな景色が広がっているのだろう。
隣の良太も、どこか楽しそうに前を見ている。
俺も自然と期待が膨らんでいく。
◇ ◇ ◇
レーダーに映る青い湖へ向かって走ること、およそ一時間。
地平線の彼方に、きらりと陽光を反射する水面が見え始める。
「見えてきました!」
「あれが湖か……」
近づくにつれて、ひんやりとした風が窓から吹き込み、草の匂いに混じって、どこか水辺らしい涼しさが感じられるようになった。
そして、最後の緩やかな丘を越えた瞬間――
「……でかい」
思わず息をのむ。
視界いっぱいに広がる巨大な湖。
対岸は遠く霞み、まるで海と見間違えるほどの雄大な水面が、午前の日差しを受けて青く輝いていた。
「湖というより、内海みたいですね」
「ああ。こんなでかい湖が草原の先にあるなんて、想像もしてなかった」
バハは嬉しそうに「きゅー!」と鳴くと、湖へ向かって一直線に飛び出していく。
俺も思わず笑みを浮かべ、その後を追ってランクルを走らせる。
◇ ◇ ◇
湖岸にランクルを停めると、目の前には透き通るような青い水がどこまでも広がっていた。
穏やかな波が、さらさらと小石混じりの岸辺をなでる。
耳を澄ませば、水面を渡る風の音と、小鳥たちのさえずりだけが静かに響いていた。
「きれいだな……」
思わず息を漏らす。
どこまでも草原が続いていた景色とは、まるで別世界だった。
湖面は青空を鏡のように映し込んでいる。
その向こうには深い緑の森が広がり、岸辺には色とりどりの草花が咲き誇っていた。
足元の澄んだ浅瀬では、小さな魚が群れをなして泳いでいる。
「ここなら、しばらくのんびり過ごせそうですね」
「ああ。水もあるし、魚も釣れそうだ。いい場所を見つけてくれたな」
俺と良太は同時にバハへ視線を向ける。
バハは胸を張るように、ふわりと宙へ浮かんでいた。
「きゅっ!」
「ありがとうな、バハ。おかげで最高の場所に来られた」
俺が頭を優しくなでると、バハは気持ちよさそうに目を細める。
「きゅ~♪」
「今日はバハちゃんが一番の功労者ですね」
「今日はおやつを奮発してやらないとな」
「きゅーー!」
その一言を理解したのか、バハは嬉しそうに俺たちの周りをくるくると飛び回る。
その姿を見て、俺も自然と頬が緩んだ。
異世界へ来て初めてたどり着いた、草原とはまったく異なる新たな景色。
この湖が、俺たちにどんな景色や出会いを見せてくれるのか。
期待に胸を膨らませながら、俺は静かに湖を見つめた。
◇ ◇ ◇
湖畔をゆっくりと走りながら、俺は周囲を見渡した。
「この辺りなら見晴らしもいいな」
湖岸から少し離れた場所に、小高い丘を見つける。
湖を広く見渡せるうえ、周囲には背の高い草木もない。
万が一、魔物が近づいてきてもすぐに気づけそうだ。
「ここで昼食にしましょうか」
「ああ、景色もいいし、ちょうど腹も減ってきた」
ランクルを停めると、俺は【車両召喚】を発動した。
淡い光とともに、二号車――白いトゥループキャリアと、三号車――キッチンカーが姿を現す。
三台をいつものようにコの字型に並べると、いつもの休憩スペースがあっという間に完成した。
「もう、この配置が定番になりましたね」
「風よけにもなるし、周りも見渡せる。一石二鳥だからな」
車両に囲まれた中央に立つと、心地よい風が頬をなでる。
草原では乾いた風が吹いていたが、ここは違う。
湖から吹く涼しい風が、初夏の暑さを忘れさせてくれる。
「気持ちいいですね」
「ああ。湖があるだけで、こんなに涼しいもんなんだな」
丘の上から見下ろせば、陽の光を受けた湖面がきらきらと輝き、穏やかな波が岸辺へ打ち寄せる。
遠くでは木々が風にざわめき、水面では水鳥たちがゆったりと泳いでいる。
「こんな景色を見ながら食べる昼飯は、きっとうまいぞ」
「ですね。せっかく湖まで来たんですし、景色に負けないものを作りましょう」
「きゅー!」
バハも嬉しそうにひと鳴きすると、湖から吹く風に乗るように、青い水面の上を気持ちよさそうにひと回り飛んで戻ってきた。
「今日はそうだな……良太、クラムチャウラーを作ってくれ!」
「何ですか、そのインド軍区出身の女性技術者みたいな名前は」
良太は呆れたようにため息をつく。
「クラムチャウダーでしょ。何で先輩、毎回知らない料理に挑戦したがるんですか」
「昨日買った料理本に載ってたんだよ。写真がめちゃくちゃ美味そうだった」
「料理本の写真が美味しそうなのは当たり前ですよ。あれはプロが一番美味しく見えるように撮ってるんですから。昨日、一品成功しただけで、ずいぶん強気ですね」
「お前は理屈が多いな! ミネストローネだって美味かったろうが」
「たしかに、それは認めます」
「正解する道を選ぶんじゃない。選んだ道を正解にするために頑張るんだ! ホストの帝王もそう言ってたぞ」
「正解にしてくれるのは、精霊さんたちなんですけどね……」
「よし、決まりだな。レシピはこのページに書いてある。材料を頼んだぞ」
「はいはい」
良太は苦笑しながら【ネットショッピング】を開き、レシピに並ぶ材料を次々と注文していく。
俺はバハの頭を優しくなでながら笑った。
「今日も美味いもんが食べられるぞ」
「きゅー!」
バハは嬉しそうにひと鳴きすると、待ちきれない様子でキッチンカーの周りをふわふわと飛び回り始めた。
どうやら今日も、一番楽しみにしているのはバハのようだった。
◇ ◇ ◇
良太が料理本を開き、クラムチャウダーのページをキッチンカウンターに立てかける。
「まずは、玉ねぎ、じゃがいも、にんじんを一センチ角に切る……ですね」
「また一センチかよ」
「昨日のミネストローネも一センチでしたし、この本の著者、一センチ好きなんですかね」
「もう適当でいいだろ」
「ダメです。レシピどおりにいきます」
「『やくざの小指の先くらい』とか、もっとウィットにとんだ言い回しにしてくれよ」
「料理が不味くなるようなこと言わないでくださいよ」
俺たちは包丁を手に取り、慣れない手つきで野菜を刻み始める。
コトン、コトン。
まな板の上で小気味よい音が響く。
「指切るなよ」
「そんなフリには乗りませんよ。……先輩、それ一センチじゃなくて三センチくらいありますよ」
「煮れば縮む」
「縮みませんよ。セーターじゃないんだから」
「……まあ、いいだろ」
そこへ、ふわりと赤い光がコンロに宿る。
火の精霊サラマンダー。
鍋がコンロに置かれると同時に、サラマンダーはレシピどおりの火加減に炎を合わせた。
「毎回思いますけど、火力調整が完璧すぎますね」
「0.1度単位で制御してくれるらしいからな」
鍋にバターが落ちる。
じゅわっと溶けて香ばしい匂いが立ち上ると、バハの鼻がぴくりと動いた。
「きゅ?」
「まだ完成じゃないぞ」
続いて玉ねぎが鍋に入る。
料理本には『透明になるまで炒める』と書かれていたが、サラマンダーは焦がすことなく、ちょうどいい火加減を保っている。
「これなら僕でも失敗しませんね」
「むしろ、どこまでサボったら失敗するのか、知りたくなってくるな」
そこへ今度は、そよ風が鍋の周りを優しく包み込んだ。
風の精霊シルフ。
熱を逃がしすぎることなく、鍋全体へ均一に熱を巡らせる。
さらに、水の精霊ウンディーネが生み出した透き通る魔力水が計量カップを満たし、レシピどおりの分量だけ鍋に注がれていく。
「……これ、本当に僕たち必要ですか?」
「いるだろ」
「どこがです?」
「……試食担当だ」
「はぁ……この手際、人間じゃ勝てませんね」
「だな」
「『来々飯店』のおっちゃんが見たら腰抜かしますよ」
「あそこの天津飯は美味かったな」
「僕は麻婆豆腐も好きでした。また食べたくなってきましたよ」
続いて、下処理を済ませたあさりと、角切りにしたジャガイモやニンジンを鍋に加えていく。
野菜が柔らかく煮えたところで、牛乳と生クリームがシルフの力によって静かに注がれる。
白いスープがゆっくりと混ざり合い、優しい香りが調理スペースいっぱいに広がっていく。
「うわぁ……これ、絶対うまいやつですね」
「まだ完成してないぞ」
「匂いだけでわかります」
「きゅーー!」
待ちきれなくなったバハは、鍋の周りをくるくる飛び回りながら、小さな鼻をひくひくと動かしていた。
◇ ◇ ◇
しばらくすると、鍋いっぱいに白くまろやかなクラムチャウダーが完成した。
仕上げに乾燥パセリを散らすと、白いスープに鮮やかな緑が映える。
「わぁ……料理本と同じだ」
「料理って、見た目も大事なんだな」
「はい。見た瞬間、美味しそうって思いました」
「まだ食ってないのにな」
「でも、絶対おいしいですよ」
「たしかに」
俺たちは苦笑しながら器にスープをよそう。
サラマンダーが絶妙な火加減でフランスパンを焼き上げ、シルフが熱を均一に巡らせる。
表面は香ばしいきつね色に色づき、焼き立てのパンがかごに並べられていく。
俺たちは器と焼き立てのフランスパンを持ち、湖を見下ろせる場所へ移動する。
目の前には、青く透き通る湖。
穏やかな波が岸辺へ寄せては返し、昼の日差しを受けた水面が宝石のようにきらめく。
湖畔を渡る涼しい風を感じながら、俺たちは景色のいい場所に腰を落ち着けた。
良太がバハの器にもクラムチャウダーを取り分ける。
「バハちゃん、熱いから冷ましてからね」
「きゅっ!」
バハは返事だけすると、器の前でおとなしく待っている。
「いただきます」
「いただきます」
「きゅー!」
俺たちはそろって、昼食を楽しみ始めた。
俺は木製スプーンでひと口すくい、ふうっと息を吹きかけて口へ運んだ。
「……うまい」
思わず漏れた一言だった。
あさりの旨味がスープいっぱいに溶け込み、野菜の甘みと牛乳のまろやかさが優しく広がる。
涼しい湖畔の空気の中で飲む熱々のスープは、いつも以上に体へ染み渡った。
「これは反則ですね」
良太も笑顔になる。
「これなら次の料理も楽しみだな」
「全部制覇したくなる気持ちがわかってきました」
バハが器を覗き込んでいると、不意に優しい風がふわりと吹き抜けた。
立ち上っていた湯気がすっと薄れ、スープの表面を心地よくなでていく。
「おっ?」
俺は首をかしげる。
「湖からの風ですかね」
良太も気に留めることなく笑った。
「ちょうど食べ頃になりましたよ。バハちゃん、どうぞ」
「きゅっ!」
バハはそっとひと口飲む。
次の瞬間、ぱっと表情が輝く。
「きゅーーーーー!」
嬉しそうに何度もうなずきながら、夢中でスープを飲み始めた。
「気に入ったみたいですね」
「また一つ、レパートリーが増えたな」
湖から吹く風が頬をなで、水面が陽光を受けてきらきらと輝く。
俺たちはそんな景色を眺めながら、穏やかな昼のひとときをゆっくりと味わった。
あとがき
大草原編が終わり、ここから湖編へと入りました。
本文中ではシルフが牛乳や生クリームを注いでいますが、精霊の姿が見えているわけではありません。牛乳パックがふわりと浮かび、そのまま静かに注がれているようなイメージです。
「そこまでできるなら、野菜も切ってもらえば?」というツッコミもありそうですが、『今のところ』はそのくらい拓海たちに頑張ってもらいます。
拓海さん、『垂直ジャンプ』や『投石』は今のところコントロールできないのに、車の運転や包丁は普通に使えるという、ご都合主義にばんざい!




