第16話 キッチンカーでミネストローネ
バハに導かれて進んできたものの、水辺まではまだどれほど距離があるのかわからない。
空を茜色に染めていた太陽も、地平線へ沈みかけている。
「今日はここまでにするか」
無理をして夜道を進む理由はない。
俺たちは草原へ沈んでいく夕日を、しばらく何も言わず眺めていた。
三台のランクルを風よけになるように並べると、その内側だけ風が弱まり、静かな空間ができあがった。
キッチンカーのガルウィングを開き、スライドテーブルや作業台を展開する。
薄暗くなった草原を作業灯が照らし出し、小さな野営基地が完成した。
「三台並べると、ずいぶん安心感がありますね。ちょっとした基地みたいです」
「そうだな……よし、良太、ミネストローネを作ってみろ!」
「なんですか、それ。トマトのスープでしたっけ? あ、いやひき肉のパスタでしたっけ?」
「はぁ……だめだこりゃ。キャンプの夕飯といったら、ミネストローネだろ。俺の口はもうミネストローネなんだよ……」
「いやいや、先輩も知らないで言ってますよね。このくだり、二回目ですよ。どうせズッキーニも知らないくせに」
「ズッキーニくらい知っとるわ!」
「あはは、さすがにそれは知っていましたか……あっ」
良太が何か思いついたように顔を上げた。
「そうだ。さっき、風景写真集をバハちゃんに見せようって話をしたじゃないですか」
「ああ」
「だったら料理本を【ネットショッピング】で買えばいいんですよ」
「良太……それだ……」
「どうせ僕たちだけじゃ、凝った料理は作れませんしね。基本的な料理本を何冊か買ってみましょうよ。和食、中華、イタリアン……あとはスープの本なんかも」
「いいな。それなら、食べたいものを見つけたら、その都度挑戦できる」
良太は【ネットショッピング】のタブレットを操作し、初心者向けの料理本を探し始めた。
一方、俺は【車両召喚】を発動し、キャンプ用品を積んだリアカーを呼び出す。
キャンピングチェアを三つとテーブルを取り出し、キッチンカーの前に手際よく並べていった。
「この辺は、もう慣れたもんだな」
「ですね。キャンプ用品も全部リアカーに積みっぱなしにできますし、設営も片付けも楽になりました」
――数分後。
「おっ、あったぞ!」
俺が一冊の料理本を開き、声を弾ませる。
「ミネストローネだ!」
「今日の夕飯は、それで決まりですね」
俺たちはレシピ本を開き、必要な材料を【ネットショッピング】で揃えていく。
「……しかし、こうして見ると料理って、火加減だの煮込み時間だの、細かいんだな」
「普通は、そこが一番難しいんでしょうね」
「でも、このキッチンカーなら関係ないか」
神様が創ったこのキッチンカーには、料理を助ける精霊たちが宿っている。
火の精霊サラマンダーが料理ごとに最適な温度を0.1度単位で制御し、風の精霊シルフが熱と空気の流れを完璧に管理する。
さらに、水の精霊ウンディーネが生み出す魔力水を、惜しみなく料理に使える。
「つまり僕たちは、レシピどおりに材料と調味料を用意して、あとは精霊さんたちにお願いすればいいんですね」
「ああ。料理長はサラマンダー、シルフ、ウンディーネだ」
「先輩、僕たちは何担当なんです?」
「買い出しと下ごしらえ担当だ」
俺たちは顔を見合わせて笑いながら、包丁を手に取った。
レシピ本を開き、最初の手順を確認する。
「えーっと……まずは玉ねぎを炒めます」
「うん」
「塩――少々」
俺たちの動きが止まった。
「……少々って何グラムですか?」
「知らん」
「適量でもいいそうですよ」
「適量って何グラムだ?」
「知りません」
俺たちは無言で顔を見合わせた。
「料理本って、初心者向けじゃなかったのか……」
「初心者は、『少々』を知っている前提なんですね……」
俺も良太も腕を組み、真剣な顔でレシピを見つめる。
そんな様子を、バハはふわりと宙へ浮かびながら不思議そうに覗き込んでいた。
「きゅー?」
小首をかしげ、レシピ本と俺たちの顔を交互に見比べる。
「バハ、お前はわかるか?」
「きゅ?」
もう一度首をかしげるだけだった。
「だよなぁ……」
「バハちゃんでもわからないなら、仕方ないですね」
そのときだった。
キッチンカーの天井から、澄んだ電子音が静かに響く。
《塩・少々──約0.4グラムです》
俺たちはゆっくりと天井を見上げた。
「……」
「……神様、ありがとうございます」
料理の第一歩は、『少々』を知ることから始まった。
「まあ、最後は神様キッチンが何とかしてくれるだろ」
「先輩、その発想はちょっと神頼みすぎません?」
「神様がそういう仕様で創ったんだから、いいんだよ」
そう言いながらも、良太は玉ねぎをまな板に乗せ、レシピ本を見ながら包丁を入れていく。
「次は……ニンジンを一センチ角」
「おう」
「ジャガイモも一センチ角」
「ほい」
「ベーコンも一センチ幅」
「なんか全部一センチだな」
「初心者向けだからじゃないですか?」
「料理って、思ったより算数なんだな……」
そんな俺たちのやり取りを、バハはふわふわと宙に浮かびながら眺めていた。
まな板の上に顔を近づけては、切られていく野菜を興味深そうにのぞき込む。
そして、ベーコンがまな板に置かれた瞬間――
ぴくっ。
小さな鼻が反応した。
「きゅ~」
「バハ。これは食べる前だから、つまみ食いは禁止な」
「きゅっ!」
返事だけはいい。
だが、その視線は刻まれていくベーコンに釘づけだった。
「絶対狙ってますね」
「ああ。あの目は完全に獲物を見る目だ」
まずは玉ねぎを鍋で軽く炒める。
しんなりしてきたところでベーコンを加え、香りが立ったらニンジンとジャガイモも投入する。
そこへカットトマトとレシピどおりの調味料を加え、最後にウンディーネの魔力水を注いだ。
良太がコンロに鍋を載せると、サラマンダーの魔法陣が淡く輝く。
ボッ――
一瞬だけ炎が高く立ち上がる。
だが次の瞬間には、鍋底を優しく包み込む穏やかな火加減へと落ち着いていた。
サラマンダーは料理に最適な温度に自動で調整し、0.1度の狂いもなく維持し続ける。
さらにシルフが鍋の周囲を静かに巡り、熱を均一に行き渡らせていく。
食材は鍋の中でゆっくりと煮え、やがてトマトと野菜が溶け合った優しい香りが、キッチンカーいっぱいに広がり始めた。
「……すごいな」
俺は鍋の中を覗き込みながら、思わずつぶやく。
「見てるだけで、美味いってわかる」
「僕たちは材料を切って入れただけですよ?」
「料理人は俺たちじゃないな」
「ええ、八割くらい精霊さんたちです」
「残り二割は?」
「材料を間違えずに鍋に入れる係です」
「そこだけは人間の仕事か」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
「きゅー!」
バハは待ちきれない様子で鍋の周りをくるくる飛び回り、小さな鼻をひくひくと動かしていた。
どうやら、この場で一番完成を心待ちにしているのは、バハだった。
◇ ◇ ◇
「待っている間に、ベヒーモスの熟成肉を作りましょうか。えっと、取扱説明書には――」
【熟成システム】
地の精霊ノームとの契約による『床下熟成システム』
【豊穣の地底蔵】
ランクルの床下に設けられた神の熟成庫。
ワインやチーズ、酒類、魔獣の肉などを最適な環境で保存・熟成する。
通常十日から四十五日ほど必要となる最高級の熟成肉も、魔力制御によって数時間で完成。保存中に品質が劣化したり、熟成が進みすぎたりすることもない。
「――と、書いてあります」
「またとんでもない機能が出てきたな」
説明書を閉じた良太は、感心したようにうなずく。
「本来なら何週間もかけて作る熟成肉を、たった数時間で仕上げられるみたいです。今日入れておけば、明日には食べられそうですね」
「明日の昼飯は熟成ベヒーモスステーキか」
「食べ比べもしてみたいですね。熟成前と、どれくらい変わるんでしょう」
「神様のチートアイテムだからな。きっと別物だぞ」
良太は【ネットショッピング】の【買い物加護】からベヒーモスの肉を取り出す。
大きな赤身の塊肉を両手で抱え、キッチンカーの床下に設けられた熟成庫へ納めた。
その瞬間――
床下から、淡い光が静かに漏れ始める。
ノームの魔法陣がゆっくりと回転し、淡い土色の光が肉の周囲を包み込む。
まるで、大地そのものに抱かれているようだった。
「始まったみたいですね」
「明日が楽しみだな」
◇ ◇ ◇
やがて、鍋の中で野菜が柔らかく煮え、真っ赤なスープから食欲をそそる香りが立ち上る。
「おぉ……」
「ちゃんとミネストローネになってますね」
良太がお玉でゆっくりとかき混ぜる。
角が立っていたジャガイモやニンジンはほどよく柔らかくなり、先に炒めた玉ねぎの甘みもスープへしっかり溶け込んでいた。
「サラマンダーとシルフのおかげですね」
「ウンディーネの水もな」
「そうでした」
良太がお玉で器に盛り付けると、赤いスープに色鮮やかな野菜が映え、湯気とともにトマトの爽やかな香りが鼻をくすぐる。
「きゅ~……」
バハは器の前でふわふわと浮きながら、待ちきれない様子で尻尾を揺らしていた。
「熱いから、ちゃんと冷ましてからだぞ」
「きゅっ!」
返事はいい。
しかし、視線は一瞬たりともスープから離れない。
「それじゃ」
「いただきます」
「きゅー!」
俺と良太はスプーンを取り、バハも器に顔を近づける。
「……うまい」
思わずつぶやく。
トマトの優しい酸味と野菜の甘みが溶け合い、ベーコンの旨味が全体をまとめている。
「初めて作ったとは思えない味ですね」
「いや……作ったというより、俺たちは切って入れただけだ」
「ですよね」
俺たちは顔を見合わせて笑う。
「きゅーーーーー!」
バハは夢中でスープを飲み、翼をぱたぱたさせながら嬉しそうに体を揺らしている。
「気に入ったみたいですね」
「明日からは毎食これでもいいんじゃないか?」
「それはさすがに飽きますよ」
「そうか。せっかく料理本も買ったんだし、明日は別の料理に挑戦するか」
初めてレシピを見ながら料理を作って食べる時間は、想像していた以上に楽しかった。
夜の草原を穏やかな風が吹き抜ける。
三台のランクルに囲まれた即席の野営地には、異世界にいるはずなのに、不思議と『帰ってきた』と思えるような温かさがあった。
◇ ◇ ◇
――食後。
「片づけは俺がやるから、バハにおやつでも出してやってくれ」
「そうですね。今日は何がいいかな」
良太は【ネットショッピング】のタブレットを取り出し、画面を眺め始めた。
「この前は最高級イチゴの食べ比べをしましたからね。今日はブドウの食べ比べにしてみようかな。えっと……じゃあ――」
指先で画面を滑らせながら、次々と買い物かごに入れていく。
「石川県の『ルビーロマン』。巨峰よりもかなり大粒で、鮮やかな赤色をした高級ブドウ」
「岡山県の『晴王』。厳しい基準をクリアした、大粒で甘い最高品質のシャインマスカット」
「いろいろ、あるんだな」
良太が読み上げる説明を聞きながら、俺は食器を食洗機に並べていく。
「長野県の『ナガノパープル』。皮ごと食べられる、種のない大粒の黒紫色のブドウ」
「うーん……山梨県の幻のブドウ『アジロン』も気になるんですけど、今日はこの三種類にしましょう」
「きゅー!」
自分に話しかけられたのがわかったのか、バハは嬉しそうに宙をくるりと一回転した。
「ちょっと洗ってきますね。バハちゃん、少し待ってて」
「きゅっ!」
良太がウンディーネの魔力水でブドウを優しく洗う。
すると、一粒一粒がほんのりと冷気をまとい始めた。
「先輩、見てください。水洗いしただけなのに冷やしてくれるんですよ」
「おお、ウンディーネの気遣いか」
「そうみたいですね。ちょうど食べ頃まで冷やしてくれたんでしょうね」
つややかな果皮には細かな水滴が浮かび、作業灯の光を受けて宝石のようにきらめいている。
「きゅ~……」
バハは目を輝かせながらブドウの周りをふわふわと飛び回り、小さな鼻をひくひくと動かしていた。
今にも飛びつきそうだが、『待て』と言われたのを覚えているのか、その場で一生懸命我慢している。
「バハちゃん、今日は大活躍だったね。明日もよろしくね」
良太は三種類のブドウをキッチンバサミで切り分けて皿に並べ、バハの前へ差し出した。
「じゃあ、どうぞ。食べてみてください」
「きゅーーーーっ!」
待ってましたと言わんばかりに、バハは最初の一粒に勢いよく飛びついた。
俺たちは思わず笑ってしまう。
見上げれば、草原の空いっぱいに、数えきれないほどの星々が瞬いていた。
作業灯の暖かな光が、三台のランクルに囲まれた小さな野営地を優しく照らしている。
果てしない闇の向こうから、草原を渡る夜風だけが静かに吹き抜けていく。
今日という一日も、笑って終えることができた。
旅は始まったばかり。
そんな何気ない時間も、『大精霊クロノア』が宿るドライブレコーダーには、一画素の欠けもなく残されていく。
いつか見返す日がくるのだろうか。
そんなことを思いながら、俺たちは静かな草原の夜へと溶け込んでいった。




