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第15話 西へ移動


 十分な食事と休息を終えた俺たちは、再び一号車――赤いランクルへ乗り込み、草原を走り出していた。


 サンルーフから心地よい風が吹き込み、慣れ親しんだ1HZエンジンの鼓動が車内に響く。


「……昼のベヒテキは美味かったな」


「昭和のおじさんみたいなこと言わないでくださいよ」


 そんなやり取りをしながら、良太は何かを思い出したようにグローブボックスを開いた。


「あっ、先輩。神様から返事が届いてますよ」


 中から一通の手紙を取り出し、目を通しながら読み上げる。


「えっと……『バハちゃんは毒や状態異常を完全に無効化するため、食事については心配ないよ』だそうです」


「きゅ~?」 


 後部座席からひょこっと顔を出したバハが、自分の名前を呼ばれたことに気づき、不思議そうに首を傾げる。


 良太は微笑みながら続きを読む。


「それと、『食べられるか判断できない食材は、三号車に積載されているウンディーネの魔力水で洗浄すれば、安全に食べられるようになるよ。毒キノコも大丈夫。説明書にも書いてあるから読んでみてね』ですって」


「そんなにすごい水なのか」


 俺は思わず感心した。


「今度、多めに汲んでおくか。運転中も飲めるようにしておきたいしな」


「いいですね。水筒に入れておけば便利そうですし、お茶やコーヒーを淹れるのにも使えそうです」


「そうだな。料理にも遠慮なく使えるし、かなり便利そうだ」


 良太は手紙を丁寧に畳み、再びグローブボックスに戻した。


 バックミラー越しに見るバハは、『きゅー♪』と上機嫌に尻尾を揺らしている。


 どうやら本人は、自分が「何を食べても平気」だと言われていることなど、まったくわかっていないようだ。


「それにしても、三号車――キッチンカーは買って正解だったな。これからは休憩時間も楽しみになりそうだ」


「たしかにそうですね。異世界の食材集めも、やってみたくなってきましたよ」


「あんな美味い肉は初めて食ったな。『ひまわり食堂』のおばちゃんには悪いけど……」


「あはは。あそこの生姜焼き定食も美味しいですけどね」


 良太と笑い合いながら、フロントガラスの向こうへ広がる草原へ目を向けた。


「また旅の目的が一つ増えたな。まずは川を見つけて、投石用の石を拾う。それから山を探して、お前の温泉探しと、俺のクロカン遊び。あとは美味い食材探しだ」


「いいですね」


「水辺があったら釣りにも挑戦したい。鮎《あゆ》やヤマメなんかがいたら、塩焼きにしたら最高だろうな」


「きゅ~!」


 バハも楽しそうに翼をぱたぱたさせながら鳴き声を上げる。


「そういえば……」


 良太は振り返ってバハを見た。


「バハちゃんって、川の場所とかわかったりするの?」


「きゅ~?」


 バハは俺たちの顔を交互に見ながら、不思議そうな声を上げる。


「うーん、まだ小さいから無理かな」


 その反応を見て、良太は【ネットショッピング】のタブレットに視線を落とした。


「……風景写真集でも買って見せてみます?」


「見せた後の使い道がないだろ。魚の写真でも見せてやれば分かるんじゃないか?」


「あ、それもそうですね」


 良太は納得したようにタブレットを操作し、魚の写真を表示させる。


「バハちゃん、こういう魚がたくさんいる場所、知ってる?」


「きゅ~?」


 写真をじっと見つめていたバハの目が、ぱっと輝いた。


「きゅー! きゅー!」


「おっ。どこか知ってるのか?」


 バハは勢いよく宙へ浮かび上がると、開け放たれたサンルーフからひょいっと外へ飛び出した。


 以前のように巨大化することはなく、そのままランクルの進行方向へ飛んでいく。


 バハは少し速度を上げ、こちらを振り返る。


『きゅー!』


 そのまま俺たちを先導するように、西へ向かって飛び始めた。


「先輩、案内してくれるみたいですよ」


「ああ。じゃあ、はぐれないようについて行こう」


 俺はアクセルを少しだけ踏み込み、小さな案内人の後を追った。


「それにしても、小さいままで案内してくれるのは助かりますね。以前みたいに巨大化して猛スピードで飛ばれたら、見失っちゃいますよ」


「ああ、その心配はなさそうだな」


 そう返しながらも、俺は前を見たまま眉をひそめる。


「……なあ、良太」


「はい?」


「これ、バハがやって来た西へ向かってるよな」


「そうですね」


「……この先に、またベヒーモスがいたりしないだろうな」


 一瞬、車内が静まり返る。


 良太は苦笑しながら肩をすくめた。


「いやぁ……それだけは勘弁してほしいですね」


「きゅー?」


 不思議そうに振り返ったバハは、すぐに前を向く。


 今日も上機嫌に、西の空へ向かって飛び続けていた。





 ◇ ◇ ◇





 バハに導かれるまま、西へ向かって十数キロ。


 見渡す限りの草原は相変わらず穏やかで、ランクルのタイヤが草を踏み分ける音だけが静かに響いていた。


 その途中、前方百メートルほどの草むらから飛び出してきた角ウサギが、こちらを見ると、慌てて進路を変え、一目散に走り去っていく。


 少し先では、イノシシによく似た魔物がバハの姿を認めた途端、


「ブフゥッ!」


 と短く鳴いてきびすを返し、土煙を巻き上げながら逃げ出した。


 空ではロック・バルチャーによく似た大型の鳥が悠々と旋回していたが、バハに視線を向けた瞬間、大きく翼をはためかせ、そのまま高度を上げてかなたへ飛び去っていく。


 まるで、この一帯の魔物たちが、バハの存在そのものを避けているかのようだった。


「……何か、みんな逃げてません?」


 助手席の良太が周囲を見回しながらつぶやく。


「ああ。俺たちからじゃないな」


 俺は前方を飛ぶ小さな背中へ視線を向けた。


「きゅ~♪」


 本人は鼻歌でも歌うように上機嫌で飛んでいる。


 もちろん、自分が魔物たちを怯えさせていることなど、まるで気づいていない。


 だが、魔物たちにはわかるのだろう。


 あれが、この草原の食物連鎖の頂点に立つ存在だということを。





 ◇ ◇ ◇





 バハの案内でさらに草原を進んでいると、不意に良太が思い出したように口を開いた。


「先輩、この前のレベルアップで【ガラス類】がVer.1.1になったじゃないですか」


「ああ、そういえば何か増えてたな」


「『結界ガラス』っていう機能です。試してみませんか?」


「結界ガラス?」


「はい。風や音だけを通して、虫や砂、小石なんかは車内に入ってこないそうです。もちろん、魔物の攻撃を含めて、あらゆる攻撃も遮断します。切り替えはハンドルのボタンでできますよ」


「へえ……」


「他にも、ガラスを乳白色にしたり、外から見えない真っ黒――フルスモークにしたりもできるみたいです」


「便利になったもんだな」


 俺はハンドルについたボタンを押し、『結界ガラス』に切り替えた。


 ――次の瞬間。


 フロントガラス越しに走行風が自然と車内に入り、リアやサイドのガラスから抜けていく。


 ガラスは閉まっているのに、風だけが車内を通っていた。


「おお……」


 思わず感嘆の声が漏れた。


 窓をすべて開け放って走っているような開放感だ。


 それでいて風は穏やかで、目に砂埃が入ることもない。


 草原を渡る風の匂いが、車内を優しく満たしていく。


「これは快適ですね」


 良太が窓際に手をかざすと、心地よい風が指の間を通り抜ける。


 その直後、一匹の羽虫が車内へ飛び込もうとすると――見えない壁に弾かれたように、車体の上方へ流されていった。


「なるほど。本当に風だけ通してるんですね」


「虫嫌いにはありがたい機能だな」


 そのときだった。


 草原の先で、強い横風が巻き起こる。


 乾いた土が舞い上がり、茶色い砂埃が壁のように広がっていく。


「先輩、来ますよ」


「ああ」


 俺は速度を落とさず、そのまま砂埃の中へランクルを走らせた。


 視界は一瞬、薄茶色に染まる。


 フロントガラスの向こうでは砂粒が激しく舞い、車体を叩く音だけが車内に響いてくる。


 だが、車内へ流れ込んでくるのは、草原の匂いを運ぶ心地よい風だけ。


 良太は窓際に手を伸ばし、砂一粒入っていない車内を改めて確かめる。


「……本当に風だけ通ってるんだな」


 俺は思わず感心してつぶやいた。


「すごいですね。音もちゃんと聞こえるし、風も気持ちいい。それでいて砂は一粒も入ってこない。それに、風はちゃんと入ってくるのに、強風特有の不快さがない……風量まで調整してくれてるんですかね」


 良太は指先に流れる風を確かめながら、感心したようにうなずく。


「これは便利だな」


「あとは雨の中でも同じなら最高ですね」


「それも試す機会が、そのうち来るだろう」


 砂埃を抜けると、再び青空とどこまでも続く草原が姿を現した。


 小さな案内人は、何事もなかったかのように「きゅー♪」と鳴きながら、西へ西へと飛び続けていた。


 俺は笑みを浮かべながらアクセルを踏み込む。


 異世界を走るランクルは、また一つ旅を快適にする力を手に入れた。





 ◇ ◇ ◇





 さらに一時間ほど草原を走り続けたところで、俺は速度を落とした。


 先導するバハは、まだ元気いっぱいに空を飛んでいる。


 俺はクラクションを軽く一度だけ鳴らした。


 ――プッ。


 このランクルのホーンは、バハムートの威厳ある咆哮を再現したものだ。


 だが、当のバハにはそう聞こえてはいないようだ。


「きゅー!」


 こちらを振り返って小さく一声鳴くと、そのまま弧を描くように旋回して戻ってきた。


 まるで、友達に呼ばれた子どものような無邪気さだ。


 ランクルを止め、車外へ出る。


「ふう……」


 傾いた強い西日の空の下で、思いきり背伸びをすると体中の力がほぐれていく。


「バハ、ちょっと休憩にしよう」


「きゅー♪」


 返事をするように飛びついてきたバハを受け止めていると、良太はさっそく【ネットショッピング】のタブレットを取り出した。


「飲み物と……果物は多めに買っておきますね」


 手際よく注文を済ませていく良太の隣で、俺は【車両召喚】を発動する。


 淡い光とともに、キャンプ用品を積み込んだリアカーが姿を現した。


 キャンピングチェアを三つと、折りたたみ式のテーブルを取り出し、草の上に並べていく。


 その様子を眺めながら、良太がふと口を開いた。


「そういえば先輩、このリアカーって、荷物を固定しなくても収納できるんですね」


「ああ」


 俺はリアカーに目を向けながらうなずく。


「たぶん、荷台の壁より上に飛び出さなければ、そのまま収納できるみたいだな」


「なるほど。収納するときに積み荷まで一緒に判定してくれるんですね」


「そんな感じだろう。いちいち紐で縛らなくて済むのは助かるな」


 良太が注文を終えると、テーブルの上に次々と品物が現れた。


 真っ赤なさくらんぼ。

 大粒のイチゴ。

 そして、宝石のようにつやめく紫色のブドウ。


「きゅー!」


 目を輝かせたバハが、待ちきれないとばかりに椅子から飛び立つ。


「はいはい。慌てなくても逃げませんよ」


 良太が皿に果物を盛り付けると、バハはブドウを一粒ぱくり。


「きゅ~~~♪」


 幸せそうに目を細めると、続けてさくらんぼ、イチゴと、次々に頬張っていく。


 その姿に思わず頬が緩んだ。


「相変わらず、よく食うな」


「食レポなら百点なんですけどね」


「きゅー♪」


 褒められたと思ったのか、バハは得意げに胸を張る。


 俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


「先輩」


 良太は缶コーヒーを一本こちらへ放る。


「ほい」


 受け取ったブラックコーヒーのプルタブを起こす。


 プシュッ。


 立ち上ったコーヒーの香りを楽しみながら、ひと口飲む。


 ほろ苦い味わいが口いっぱいに広がった。


「……やっぱりコーヒーはブラックだな」


「ですね。甘い果物を見てると、余計に飲みたくなります」


 草原を眺めながら、良太とゆっくり缶を傾ける。


 西へ傾いた陽は、草原を黄金色に染め始めていた。


 風がそよぎ、草が波のように揺れる。


 その穏やかな景色の中、バハだけは目の前の果物に夢中だった。


「きゅー♪」


 お気に入りのブドウを大事そうに抱え、幸せそうに頬張る。


「……あいつ、本当に幸せそうだな」


「ですね」


 良太も笑みを浮かべる。


「見てるだけで、お腹いっぱいになります」


「それは嘘だろ」


「嘘です」


 俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 平凡だった日常は、この世界へ来て一変した。


 それでも、こうして気の合う仲間と笑い合いながらコーヒーを飲む時間だけは、元の世界にいた頃と何も変わらない。


 俺はそんな時間を、これからも大切にしていきたいと思った。











 十分な食事と休息を終えた俺たちは、再び一号車――赤いランクルへ乗り込み、草原を走り出していた。


 サンルーフから心地よい風が吹き込み、慣れ親しんだ1HZエンジンの鼓動が車内へ響く。


「……昼のベヒテキは美味かったな」


「昭和のおじさんみたいなこと言わないでくださいよ」


 そんなやり取りをしながら、良太は何かを思い出したようにグローブボックスを開いた。


「あっ、先輩。神様から返事が届いてますよ」


 中から一通の手紙を取り出し、目を通しながら読み上げる。


「えっと……『バハちゃんは毒や状態異常を完全に無効化するため、食事については心配ないよ』だそうです」


「きゅ~?」 


 後部座席からひょこっと顔を出したバハが、自分の名前を呼ばれたことに気づき、不思議そうに首を傾げる。


 良太は微笑みながら続きを読む。


「それと、『食べられるか判断できない食材は、三号車に積載されているウンディーネの魔力水で洗浄すれば、安全に食べられるようになるよ。毒キノコも大丈夫。説明書にも書いてあるから読んでみてね』ですって」


「そんなにすごい水なのか」


 俺は思わず感心した。


「今度、多めに汲んでおくか。運転中も飲めるようにしておきたいしな」


「いいですね。水筒へ入れておけば便利そうですし、お茶やコーヒーを淹れるのにも使えそうです」


「そうだな。料理にも遠慮なく使えるし、かなり便利そうだ」


 良太は手紙を丁寧に畳み、再びグローブボックスへ戻した。


 バックミラー越しに見るバハは、『きゅー♪』と上機嫌に尻尾を揺らしている。


 どうやら本人は、自分が「何を食べても平気」だと言われていることなど、まったくわかっていないようだ。


「それにしても、三号車――キッチンカーは買って正解だったな。これからは休憩時間も楽しみになりそうだ」


「たしかにそうですね。異世界の食材集めも、やってみたくなってきましたよ」


「あんな美味い肉は初めて食ったな。『ひまわり食堂』のおばちゃんには悪いけど……」


「あはは。あそこの生姜焼き定食も美味しいですけどね」


 良太と笑い合いながら、フロントガラスの向こうへ広がる草原へ目を向けた。


「また旅の目的が一つ増えたな。まずは川を見つけて、投石用の石を拾う。それから山を探して、お前の温泉探しと、俺のクロカン遊び。あとは美味い食材探しだ」


「いいですね」


「水辺があったら釣りにも挑戦したい。鮎《あゆ》やヤマメなんかがいたら、塩焼きにしたら最高だろうな」


「きゅ~!」


 バハも楽しそうに翼をぱたぱたさせながら鳴き声を上げる。


「そういえば……」


 良太は振り返ってバハを見た。


「バハちゃんって、川の場所とかわかったりするの?」


「きゅ~?」


 バハは俺たちの顔を交互に見ながら、不思議そうな声を上げる。


「うーん、まだ小さいから無理かな」


 その反応を見て、良太は【ネットショッピング】のタブレットへ視線を落とした。


「……風景写真集でも買って見せてみます?」


「見せた後の使い道がないだろ。魚の写真でも見せてやれば分かるんじゃないか?」


「あ、それもそうですね」


 良太は納得したようにタブレットを操作し、魚の写真を表示させる。


「バハちゃん、こういう魚がたくさんいる場所、知ってる?」


「きゅ~?」


 写真をじっと見つめていたバハの目が、ぱっと輝いた。


「きゅー! きゅー!」


「おっ。どこか知ってるのか?」


 バハは勢いよく宙へ浮かび上がると、開け放たれたサンルーフからひょいっと外へ飛び出した。


 以前のように巨大化することはなく、そのままランクルの進行方向へ飛んでいく。


 バハは少し速度を上げ、こちらを振り返る。


『きゅー!』


 そのまま俺たちを先導するように、西へ向かって飛び始めた。


「先輩、案内してくれるみたいですよ」


「ああ。じゃあ、はぐれないようについて行こう」


 俺はアクセルを少しだけ踏み込み、小さな案内人の後を追った。


「それにしても、小さいままで案内してくれるのは助かりますね。以前みたいに巨大化して猛スピードで飛ばれたら、見失っちゃいますよ」


「ああ、その心配はなさそうだな」


 そう返しながらも、俺は前を見たまま眉をひそめる。


「……なあ、良太」


「はい?」


「これ、バハがやって来た西へ向かってるよな」


「そうですね」


「……この先に、またベヒーモスがいたりしないだろうな」


 一瞬、車内が静まり返る。


 良太は苦笑しながら肩をすくめた。


「いやぁ……それだけは勘弁してほしいですね」


「きゅー?」


 不思議そうに振り返ったバハは、すぐに前を向く。


 今日も上機嫌に、西の空へ向かって飛び続けていた。





 ◇ ◇ ◇





 バハに導かれるまま、西へ向かって十数キロ。


 見渡す限りの草原は相変わらず穏やかで、ランクルのタイヤが草を踏み分ける音だけが静かに響いていた。


 その途中、前方百メートルほどの草むらから飛び出してきた角ウサギが、こちらを見ると、慌てて進路を変え、一目散に走り去っていく。


 少し先では、イノシシによく似た魔物がバハの姿を認めた途端、


「ブフゥッ!」


 と短く鳴いてきびすを返し、土煙を巻き上げながら逃げ出した。


 空ではロック・バルチャーによく似た大型の鳥が悠々と旋回していたが、バハへ視線を向けた瞬間、大きく翼をはためかせ、そのまま高度を上げてかなたへ飛び去っていく。


 まるで、この一帯の魔物たちが、バハの存在そのものを避けているかのようだった。


「……何か、みんな逃げてません?」


 助手席の良太が周囲を見回しながらつぶやく。


「ああ。俺たちからじゃないな」


 俺は前方を飛ぶ小さな背中へ視線を向けた。


「きゅ~♪」


 本人は鼻歌でも歌うように上機嫌で飛んでいる。


 もちろん、自分が魔物たちを怯えさせていることなど、まるで気づいていない。


 だが、魔物たちにはわかるのだろう。


 あれが、この草原の食物連鎖の頂点に立つ存在だということを。





 ◇ ◇ ◇





 バハの案内でさらに草原を進んでいると、不意に良太が思い出したように口を開いた。


「先輩、この前のレベルアップで【ガラス類】がVer.1.1になったじゃないですか」


「ああ、そういえば何か増えてたな」


「『結界ガラス』っていう機能です。試してみませんか?」


「結界ガラス?」


「はい。風や音だけを通して、虫や砂、小石なんかは車内に入ってこないそうです。もちろん、魔物の攻撃を含めて、あらゆる攻撃も遮断します。切り替えはハンドルのボタンでできますよ」


「へえ……」


「他にも、ガラスを乳白色にしたり、外から見えない真っ黒――フルスモークにしたりもできるみたいです」


「便利になったもんだな」


 俺はハンドルについたボタンを押し、『結界ガラス』へ切り替えた。


 ――次の瞬間。


 フロントガラス越しに走行風が自然と車内へ入り、リアやサイドのガラスから抜けていく。


 ガラスは閉まっているのに、風だけが車内を通っていた。


「おお……」


 思わず感嘆の声が漏れた。


 窓をすべて開け放って走っているような開放感だ。


 それでいて風は穏やかで、目に砂埃が入ることもない。


 草原を渡る風の匂いが、車内を優しく満たしていく。


「これは快適ですね」


 良太が窓際へ手をかざすと、心地よい風が指の間を通り抜ける。


 その直後、一匹の羽虫が車内へ飛び込もうとすると――見えない壁に弾かれたように、車体の上方へ流されていった。


「なるほど。本当に風だけ通してるんですね」


「虫嫌いにはありがたい機能だな」


 そのときだった。


 草原の先で、強い横風が巻き起こる。


 乾いた土が舞い上がり、茶色い砂埃が壁のように広がっていく。


「先輩、来ますよ」


「ああ」


 俺は速度を落とさず、そのまま砂埃の中へランクルを走らせた。


 視界は一瞬、薄茶色に染まる。


 フロントガラスの向こうでは砂粒が激しく舞い、車体を叩く音だけが車内へ響いてくる。


 だが、車内へ流れ込んでくるのは、草原の匂いを運ぶ心地よい風だけ。


 良太は窓際へ手を伸ばし、砂一粒入っていない車内を改めて確かめる。


「……本当に風だけ通ってるんだな」


 俺は思わず感心してつぶやいた。


「すごいですね。音もちゃんと聞こえるし、風も気持ちいい。それでいて砂は一粒も入ってこない。それに、風はちゃんと入ってくるのに、強風特有の不快さがない……風量まで調整してくれてるんですかね」


 良太は指先へ流れる風を確かめながら、感心したようにうなずく。


「これは便利だな」


「あとは雨の中でも同じなら最高ですね」


「それも試す機会が、そのうち来るだろう」


 砂埃を抜けると、再び青空とどこまでも続く草原が姿を現した。


 小さな案内人は、何事もなかったかのように「きゅー♪」と鳴きながら、西へ西へと飛び続けていた。


 俺は笑みを浮かべながらアクセルを踏み込む。


 異世界を走るランクルは、また一つ旅を快適にする力を手に入れた。





 ◇ ◇ ◇





 さらに一時間ほど草原を走り続けたところで、俺は速度を落とした。


 先導するバハは、まだ元気いっぱいに空を飛んでいる。


 俺はクラクションを軽く一度だけ鳴らした。


 ――プッ。


 このランクルのホーンは、バハムートの威厳ある咆哮を再現したものだ。


 だが、当のバハにはそう聞こえてはいないようだ。


「きゅー!」


 こちらを振り返って小さく一声鳴くと、そのまま弧を描くように旋回して戻ってきた。


 まるで、友達に呼ばれた子どものような無邪気さだ。


 ランクルを止め、車外へ出る。


「ふう……」


 傾いた強い西日の空の下で、思いきり背伸びをすると体中の力がほぐれていく。


「バハ、ちょっと休憩にしよう」


「きゅー♪」


 返事をするように飛びついてきたバハを受け止めていると、良太はさっそく【ネットショッピング】のタブレットを取り出した。


「飲み物と……果物は多めに買っておきますね」


 手際よく注文を済ませていく良太の隣で、俺は【車両召喚】を発動する。


 淡い光とともに、キャンプ用品を積み込んだリアカーが姿を現した。


 キャンプチェアを三つと、折りたたみ式のテーブルを取り出し、草の上へ並べていく。


 その様子を眺めながら、良太がふと口を開いた。


「そういえば先輩、このリアカーって、荷物を固定しなくても収納できるんですね」


「ああ」


 俺はリアカーへ目を向けながらうなずく。


「たぶん、荷台の壁より上に飛び出さなければ、そのまま収納できるみたいだな」


「なるほど。収納するときに積み荷まで一緒に判定してくれるんですね」


「そんな感じだろう。いちいち紐で縛らなくて済むのは助かるな」


 良太が注文を終えると、テーブルの上へ次々と品物が現れた。


 真っ赤なさくらんぼ。

 大粒のイチゴ。

 そして、宝石のようにつやめく紫色のブドウ。


「きゅー!」


 目を輝かせたバハが、待ちきれないとばかりに椅子から飛び立つ。


「はいはい。慌てなくても逃げませんよ」


 良太が皿へ果物を盛り付けると、バハはブドウを一粒ぱくり。


「きゅ~~~♪」


 幸せそうに目を細めると、続けてさくらんぼ、イチゴと、次々に頬張っていく。


 その姿に思わず頬が緩んだ。


「相変わらず、よく食うな」


「食レポなら百点なんですけどね」


「きゅー♪」


 褒められたと思ったのか、バハは得意げに胸を張る。


 俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


「先輩」


 良太は缶コーヒーを一本こちらへ放る。


「ほい」


 受け取ったブラックコーヒーのプルタブを起こす。


 プシュッ。


 立ち上ったコーヒーの香りを楽しみながら、ひと口飲む。


 ほろ苦い味わいが口いっぱいに広がった。


「……やっぱりコーヒーはブラックだな」


「ですね。甘い果物を見てると、余計に飲みたくなります」


 草原を眺めながら、良太とゆっくり缶を傾ける。


 西へ傾いた陽は、草原を黄金色に染め始めていた。


 風がそよぎ、草が波のように揺れる。


 その穏やかな景色の中、バハだけは目の前の果物に夢中だった。


「きゅー♪」


 お気に入りのブドウを大事そうに抱え、幸せそうに頬張る。


「……あいつ、本当に幸せそうだな」


「ですね」


 良太も笑みを浮かべる。


「見てるだけで、お腹いっぱいになります」


「それは嘘だろ」


「嘘です」


 俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。


 平凡だった日常は、この世界へ来て一変した。


 それでも、こうして気の合う仲間と笑い合いながらコーヒーを飲む時間だけは、元の世界にいた頃と何も変わらない。


 俺はそんな時間を、これからも大切にしていきたいと思った。





 ───────────────


 あとがき


 バハちゃんは、最小サイズ(約一メートル)でも、ランクルが巡航する時速七十~八十キロ程度なら、鼻歌交じりで飛び続けられます。


 三メートルサイズでは、何も運んでいない状態であれば、短時間限定ですが音速飛行も可能です。


 ちなみに、今回(と次のお話)では、キャンプチェアを「三脚」ではなく「三つ」と数えています。


 これは、カメラ機材の三脚と混同しないよう、あえて使い分けているためです。


 実際、この先では、良太が三脚にカメラを載せて記念撮影する場面も出てきます。


 今後も三人分のキャンプチェアを出す際は「三つ」と書くことがありますが、気にせずお楽しみいただければ幸いです。


 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。


 

 

 あとがき


 バハちゃんは、最小サイズ(約一メートル)でも、ランクルが巡航する時速70~80キロ程度なら、鼻歌交じりで飛び続けられます。


 三メートルサイズでは、何も運んでいない状態であれば、短時間限定ですが音速飛行も可能です。


 ちなみに、今回(と次のお話)では、キャンプチェアを「三脚」ではなく「三つ」と数えています。


 これは、カメラ機材の三脚と混同しないよう、あえて使い分けているためです。


 実際、この先では、良太が三脚にカメラを載せて記念撮影する場面も出てきます。


 今後も三人分のキャンプチェアを出す際は「三つ」と書くことがありますが、気にせずお楽しみいただければ幸いです。


 本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。


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