第15話 西へ移動
十分な食事と休息を終えた俺たちは、再び一号車――赤いランクルへ乗り込み、草原を走り出していた。
サンルーフから心地よい風が吹き込み、慣れ親しんだ1HZエンジンの鼓動が車内に響く。
「……昼のベヒテキは美味かったな」
「昭和のおじさんみたいなこと言わないでくださいよ」
そんなやり取りをしながら、良太は何かを思い出したようにグローブボックスを開いた。
「あっ、先輩。神様から返事が届いてますよ」
中から一通の手紙を取り出し、目を通しながら読み上げる。
「えっと……『バハちゃんは毒や状態異常を完全に無効化するため、食事については心配ないよ』だそうです」
「きゅ~?」
後部座席からひょこっと顔を出したバハが、自分の名前を呼ばれたことに気づき、不思議そうに首を傾げる。
良太は微笑みながら続きを読む。
「それと、『食べられるか判断できない食材は、三号車に積載されているウンディーネの魔力水で洗浄すれば、安全に食べられるようになるよ。毒キノコも大丈夫。説明書にも書いてあるから読んでみてね』ですって」
「そんなにすごい水なのか」
俺は思わず感心した。
「今度、多めに汲んでおくか。運転中も飲めるようにしておきたいしな」
「いいですね。水筒に入れておけば便利そうですし、お茶やコーヒーを淹れるのにも使えそうです」
「そうだな。料理にも遠慮なく使えるし、かなり便利そうだ」
良太は手紙を丁寧に畳み、再びグローブボックスに戻した。
バックミラー越しに見るバハは、『きゅー♪』と上機嫌に尻尾を揺らしている。
どうやら本人は、自分が「何を食べても平気」だと言われていることなど、まったくわかっていないようだ。
「それにしても、三号車――キッチンカーは買って正解だったな。これからは休憩時間も楽しみになりそうだ」
「たしかにそうですね。異世界の食材集めも、やってみたくなってきましたよ」
「あんな美味い肉は初めて食ったな。『ひまわり食堂』のおばちゃんには悪いけど……」
「あはは。あそこの生姜焼き定食も美味しいですけどね」
良太と笑い合いながら、フロントガラスの向こうへ広がる草原へ目を向けた。
「また旅の目的が一つ増えたな。まずは川を見つけて、投石用の石を拾う。それから山を探して、お前の温泉探しと、俺のクロカン遊び。あとは美味い食材探しだ」
「いいですね」
「水辺があったら釣りにも挑戦したい。鮎やヤマメなんかがいたら、塩焼きにしたら最高だろうな」
「きゅ~!」
バハも楽しそうに翼をぱたぱたさせながら鳴き声を上げる。
「そういえば……」
良太は振り返ってバハを見た。
「バハちゃんって、川の場所とかわかったりするの?」
「きゅ~?」
バハは俺たちの顔を交互に見ながら、不思議そうな声を上げる。
「うーん、まだ小さいから無理かな」
その反応を見て、良太は【ネットショッピング】のタブレットに視線を落とした。
「……風景写真集でも買って見せてみます?」
「見せた後の使い道がないだろ。魚の写真でも見せてやれば分かるんじゃないか?」
「あ、それもそうですね」
良太は納得したようにタブレットを操作し、魚の写真を表示させる。
「バハちゃん、こういう魚がたくさんいる場所、知ってる?」
「きゅ~?」
写真をじっと見つめていたバハの目が、ぱっと輝いた。
「きゅー! きゅー!」
「おっ。どこか知ってるのか?」
バハは勢いよく宙へ浮かび上がると、開け放たれたサンルーフからひょいっと外へ飛び出した。
以前のように巨大化することはなく、そのままランクルの進行方向へ飛んでいく。
バハは少し速度を上げ、こちらを振り返る。
『きゅー!』
そのまま俺たちを先導するように、西へ向かって飛び始めた。
「先輩、案内してくれるみたいですよ」
「ああ。じゃあ、はぐれないようについて行こう」
俺はアクセルを少しだけ踏み込み、小さな案内人の後を追った。
「それにしても、小さいままで案内してくれるのは助かりますね。以前みたいに巨大化して猛スピードで飛ばれたら、見失っちゃいますよ」
「ああ、その心配はなさそうだな」
そう返しながらも、俺は前を見たまま眉をひそめる。
「……なあ、良太」
「はい?」
「これ、バハがやって来た西へ向かってるよな」
「そうですね」
「……この先に、またベヒーモスがいたりしないだろうな」
一瞬、車内が静まり返る。
良太は苦笑しながら肩をすくめた。
「いやぁ……それだけは勘弁してほしいですね」
「きゅー?」
不思議そうに振り返ったバハは、すぐに前を向く。
今日も上機嫌に、西の空へ向かって飛び続けていた。
◇ ◇ ◇
バハに導かれるまま、西へ向かって十数キロ。
見渡す限りの草原は相変わらず穏やかで、ランクルのタイヤが草を踏み分ける音だけが静かに響いていた。
その途中、前方百メートルほどの草むらから飛び出してきた角ウサギが、こちらを見ると、慌てて進路を変え、一目散に走り去っていく。
少し先では、イノシシによく似た魔物がバハの姿を認めた途端、
「ブフゥッ!」
と短く鳴いてきびすを返し、土煙を巻き上げながら逃げ出した。
空ではロック・バルチャーによく似た大型の鳥が悠々と旋回していたが、バハに視線を向けた瞬間、大きく翼をはためかせ、そのまま高度を上げてかなたへ飛び去っていく。
まるで、この一帯の魔物たちが、バハの存在そのものを避けているかのようだった。
「……何か、みんな逃げてません?」
助手席の良太が周囲を見回しながらつぶやく。
「ああ。俺たちからじゃないな」
俺は前方を飛ぶ小さな背中へ視線を向けた。
「きゅ~♪」
本人は鼻歌でも歌うように上機嫌で飛んでいる。
もちろん、自分が魔物たちを怯えさせていることなど、まるで気づいていない。
だが、魔物たちにはわかるのだろう。
あれが、この草原の食物連鎖の頂点に立つ存在だということを。
◇ ◇ ◇
バハの案内でさらに草原を進んでいると、不意に良太が思い出したように口を開いた。
「先輩、この前のレベルアップで【ガラス類】がVer.1.1になったじゃないですか」
「ああ、そういえば何か増えてたな」
「『結界ガラス』っていう機能です。試してみませんか?」
「結界ガラス?」
「はい。風や音だけを通して、虫や砂、小石なんかは車内に入ってこないそうです。もちろん、魔物の攻撃を含めて、あらゆる攻撃も遮断します。切り替えはハンドルのボタンでできますよ」
「へえ……」
「他にも、ガラスを乳白色にしたり、外から見えない真っ黒――フルスモークにしたりもできるみたいです」
「便利になったもんだな」
俺はハンドルについたボタンを押し、『結界ガラス』に切り替えた。
――次の瞬間。
フロントガラス越しに走行風が自然と車内に入り、リアやサイドのガラスから抜けていく。
ガラスは閉まっているのに、風だけが車内を通っていた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
窓をすべて開け放って走っているような開放感だ。
それでいて風は穏やかで、目に砂埃が入ることもない。
草原を渡る風の匂いが、車内を優しく満たしていく。
「これは快適ですね」
良太が窓際に手をかざすと、心地よい風が指の間を通り抜ける。
その直後、一匹の羽虫が車内へ飛び込もうとすると――見えない壁に弾かれたように、車体の上方へ流されていった。
「なるほど。本当に風だけ通してるんですね」
「虫嫌いにはありがたい機能だな」
そのときだった。
草原の先で、強い横風が巻き起こる。
乾いた土が舞い上がり、茶色い砂埃が壁のように広がっていく。
「先輩、来ますよ」
「ああ」
俺は速度を落とさず、そのまま砂埃の中へランクルを走らせた。
視界は一瞬、薄茶色に染まる。
フロントガラスの向こうでは砂粒が激しく舞い、車体を叩く音だけが車内に響いてくる。
だが、車内へ流れ込んでくるのは、草原の匂いを運ぶ心地よい風だけ。
良太は窓際に手を伸ばし、砂一粒入っていない車内を改めて確かめる。
「……本当に風だけ通ってるんだな」
俺は思わず感心してつぶやいた。
「すごいですね。音もちゃんと聞こえるし、風も気持ちいい。それでいて砂は一粒も入ってこない。それに、風はちゃんと入ってくるのに、強風特有の不快さがない……風量まで調整してくれてるんですかね」
良太は指先に流れる風を確かめながら、感心したようにうなずく。
「これは便利だな」
「あとは雨の中でも同じなら最高ですね」
「それも試す機会が、そのうち来るだろう」
砂埃を抜けると、再び青空とどこまでも続く草原が姿を現した。
小さな案内人は、何事もなかったかのように「きゅー♪」と鳴きながら、西へ西へと飛び続けていた。
俺は笑みを浮かべながらアクセルを踏み込む。
異世界を走るランクルは、また一つ旅を快適にする力を手に入れた。
◇ ◇ ◇
さらに一時間ほど草原を走り続けたところで、俺は速度を落とした。
先導するバハは、まだ元気いっぱいに空を飛んでいる。
俺はクラクションを軽く一度だけ鳴らした。
――プッ。
このランクルのホーンは、バハムートの威厳ある咆哮を再現したものだ。
だが、当のバハにはそう聞こえてはいないようだ。
「きゅー!」
こちらを振り返って小さく一声鳴くと、そのまま弧を描くように旋回して戻ってきた。
まるで、友達に呼ばれた子どものような無邪気さだ。
ランクルを止め、車外へ出る。
「ふう……」
傾いた強い西日の空の下で、思いきり背伸びをすると体中の力がほぐれていく。
「バハ、ちょっと休憩にしよう」
「きゅー♪」
返事をするように飛びついてきたバハを受け止めていると、良太はさっそく【ネットショッピング】のタブレットを取り出した。
「飲み物と……果物は多めに買っておきますね」
手際よく注文を済ませていく良太の隣で、俺は【車両召喚】を発動する。
淡い光とともに、キャンプ用品を積み込んだリアカーが姿を現した。
キャンピングチェアを三つと、折りたたみ式のテーブルを取り出し、草の上に並べていく。
その様子を眺めながら、良太がふと口を開いた。
「そういえば先輩、このリアカーって、荷物を固定しなくても収納できるんですね」
「ああ」
俺はリアカーに目を向けながらうなずく。
「たぶん、荷台の壁より上に飛び出さなければ、そのまま収納できるみたいだな」
「なるほど。収納するときに積み荷まで一緒に判定してくれるんですね」
「そんな感じだろう。いちいち紐で縛らなくて済むのは助かるな」
良太が注文を終えると、テーブルの上に次々と品物が現れた。
真っ赤なさくらんぼ。
大粒のイチゴ。
そして、宝石のようにつやめく紫色のブドウ。
「きゅー!」
目を輝かせたバハが、待ちきれないとばかりに椅子から飛び立つ。
「はいはい。慌てなくても逃げませんよ」
良太が皿に果物を盛り付けると、バハはブドウを一粒ぱくり。
「きゅ~~~♪」
幸せそうに目を細めると、続けてさくらんぼ、イチゴと、次々に頬張っていく。
その姿に思わず頬が緩んだ。
「相変わらず、よく食うな」
「食レポなら百点なんですけどね」
「きゅー♪」
褒められたと思ったのか、バハは得意げに胸を張る。
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
「先輩」
良太は缶コーヒーを一本こちらへ放る。
「ほい」
受け取ったブラックコーヒーのプルタブを起こす。
プシュッ。
立ち上ったコーヒーの香りを楽しみながら、ひと口飲む。
ほろ苦い味わいが口いっぱいに広がった。
「……やっぱりコーヒーはブラックだな」
「ですね。甘い果物を見てると、余計に飲みたくなります」
草原を眺めながら、良太とゆっくり缶を傾ける。
西へ傾いた陽は、草原を黄金色に染め始めていた。
風がそよぎ、草が波のように揺れる。
その穏やかな景色の中、バハだけは目の前の果物に夢中だった。
「きゅー♪」
お気に入りのブドウを大事そうに抱え、幸せそうに頬張る。
「……あいつ、本当に幸せそうだな」
「ですね」
良太も笑みを浮かべる。
「見てるだけで、お腹いっぱいになります」
「それは嘘だろ」
「嘘です」
俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
平凡だった日常は、この世界へ来て一変した。
それでも、こうして気の合う仲間と笑い合いながらコーヒーを飲む時間だけは、元の世界にいた頃と何も変わらない。
俺はそんな時間を、これからも大切にしていきたいと思った。
十分な食事と休息を終えた俺たちは、再び一号車――赤いランクルへ乗り込み、草原を走り出していた。
サンルーフから心地よい風が吹き込み、慣れ親しんだ1HZエンジンの鼓動が車内へ響く。
「……昼のベヒテキは美味かったな」
「昭和のおじさんみたいなこと言わないでくださいよ」
そんなやり取りをしながら、良太は何かを思い出したようにグローブボックスを開いた。
「あっ、先輩。神様から返事が届いてますよ」
中から一通の手紙を取り出し、目を通しながら読み上げる。
「えっと……『バハちゃんは毒や状態異常を完全に無効化するため、食事については心配ないよ』だそうです」
「きゅ~?」
後部座席からひょこっと顔を出したバハが、自分の名前を呼ばれたことに気づき、不思議そうに首を傾げる。
良太は微笑みながら続きを読む。
「それと、『食べられるか判断できない食材は、三号車に積載されているウンディーネの魔力水で洗浄すれば、安全に食べられるようになるよ。毒キノコも大丈夫。説明書にも書いてあるから読んでみてね』ですって」
「そんなにすごい水なのか」
俺は思わず感心した。
「今度、多めに汲んでおくか。運転中も飲めるようにしておきたいしな」
「いいですね。水筒へ入れておけば便利そうですし、お茶やコーヒーを淹れるのにも使えそうです」
「そうだな。料理にも遠慮なく使えるし、かなり便利そうだ」
良太は手紙を丁寧に畳み、再びグローブボックスへ戻した。
バックミラー越しに見るバハは、『きゅー♪』と上機嫌に尻尾を揺らしている。
どうやら本人は、自分が「何を食べても平気」だと言われていることなど、まったくわかっていないようだ。
「それにしても、三号車――キッチンカーは買って正解だったな。これからは休憩時間も楽しみになりそうだ」
「たしかにそうですね。異世界の食材集めも、やってみたくなってきましたよ」
「あんな美味い肉は初めて食ったな。『ひまわり食堂』のおばちゃんには悪いけど……」
「あはは。あそこの生姜焼き定食も美味しいですけどね」
良太と笑い合いながら、フロントガラスの向こうへ広がる草原へ目を向けた。
「また旅の目的が一つ増えたな。まずは川を見つけて、投石用の石を拾う。それから山を探して、お前の温泉探しと、俺のクロカン遊び。あとは美味い食材探しだ」
「いいですね」
「水辺があったら釣りにも挑戦したい。鮎やヤマメなんかがいたら、塩焼きにしたら最高だろうな」
「きゅ~!」
バハも楽しそうに翼をぱたぱたさせながら鳴き声を上げる。
「そういえば……」
良太は振り返ってバハを見た。
「バハちゃんって、川の場所とかわかったりするの?」
「きゅ~?」
バハは俺たちの顔を交互に見ながら、不思議そうな声を上げる。
「うーん、まだ小さいから無理かな」
その反応を見て、良太は【ネットショッピング】のタブレットへ視線を落とした。
「……風景写真集でも買って見せてみます?」
「見せた後の使い道がないだろ。魚の写真でも見せてやれば分かるんじゃないか?」
「あ、それもそうですね」
良太は納得したようにタブレットを操作し、魚の写真を表示させる。
「バハちゃん、こういう魚がたくさんいる場所、知ってる?」
「きゅ~?」
写真をじっと見つめていたバハの目が、ぱっと輝いた。
「きゅー! きゅー!」
「おっ。どこか知ってるのか?」
バハは勢いよく宙へ浮かび上がると、開け放たれたサンルーフからひょいっと外へ飛び出した。
以前のように巨大化することはなく、そのままランクルの進行方向へ飛んでいく。
バハは少し速度を上げ、こちらを振り返る。
『きゅー!』
そのまま俺たちを先導するように、西へ向かって飛び始めた。
「先輩、案内してくれるみたいですよ」
「ああ。じゃあ、はぐれないようについて行こう」
俺はアクセルを少しだけ踏み込み、小さな案内人の後を追った。
「それにしても、小さいままで案内してくれるのは助かりますね。以前みたいに巨大化して猛スピードで飛ばれたら、見失っちゃいますよ」
「ああ、その心配はなさそうだな」
そう返しながらも、俺は前を見たまま眉をひそめる。
「……なあ、良太」
「はい?」
「これ、バハがやって来た西へ向かってるよな」
「そうですね」
「……この先に、またベヒーモスがいたりしないだろうな」
一瞬、車内が静まり返る。
良太は苦笑しながら肩をすくめた。
「いやぁ……それだけは勘弁してほしいですね」
「きゅー?」
不思議そうに振り返ったバハは、すぐに前を向く。
今日も上機嫌に、西の空へ向かって飛び続けていた。
◇ ◇ ◇
バハに導かれるまま、西へ向かって十数キロ。
見渡す限りの草原は相変わらず穏やかで、ランクルのタイヤが草を踏み分ける音だけが静かに響いていた。
その途中、前方百メートルほどの草むらから飛び出してきた角ウサギが、こちらを見ると、慌てて進路を変え、一目散に走り去っていく。
少し先では、イノシシによく似た魔物がバハの姿を認めた途端、
「ブフゥッ!」
と短く鳴いてきびすを返し、土煙を巻き上げながら逃げ出した。
空ではロック・バルチャーによく似た大型の鳥が悠々と旋回していたが、バハへ視線を向けた瞬間、大きく翼をはためかせ、そのまま高度を上げてかなたへ飛び去っていく。
まるで、この一帯の魔物たちが、バハの存在そのものを避けているかのようだった。
「……何か、みんな逃げてません?」
助手席の良太が周囲を見回しながらつぶやく。
「ああ。俺たちからじゃないな」
俺は前方を飛ぶ小さな背中へ視線を向けた。
「きゅ~♪」
本人は鼻歌でも歌うように上機嫌で飛んでいる。
もちろん、自分が魔物たちを怯えさせていることなど、まるで気づいていない。
だが、魔物たちにはわかるのだろう。
あれが、この草原の食物連鎖の頂点に立つ存在だということを。
◇ ◇ ◇
バハの案内でさらに草原を進んでいると、不意に良太が思い出したように口を開いた。
「先輩、この前のレベルアップで【ガラス類】がVer.1.1になったじゃないですか」
「ああ、そういえば何か増えてたな」
「『結界ガラス』っていう機能です。試してみませんか?」
「結界ガラス?」
「はい。風や音だけを通して、虫や砂、小石なんかは車内に入ってこないそうです。もちろん、魔物の攻撃を含めて、あらゆる攻撃も遮断します。切り替えはハンドルのボタンでできますよ」
「へえ……」
「他にも、ガラスを乳白色にしたり、外から見えない真っ黒――フルスモークにしたりもできるみたいです」
「便利になったもんだな」
俺はハンドルについたボタンを押し、『結界ガラス』へ切り替えた。
――次の瞬間。
フロントガラス越しに走行風が自然と車内へ入り、リアやサイドのガラスから抜けていく。
ガラスは閉まっているのに、風だけが車内を通っていた。
「おお……」
思わず感嘆の声が漏れた。
窓をすべて開け放って走っているような開放感だ。
それでいて風は穏やかで、目に砂埃が入ることもない。
草原を渡る風の匂いが、車内を優しく満たしていく。
「これは快適ですね」
良太が窓際へ手をかざすと、心地よい風が指の間を通り抜ける。
その直後、一匹の羽虫が車内へ飛び込もうとすると――見えない壁に弾かれたように、車体の上方へ流されていった。
「なるほど。本当に風だけ通してるんですね」
「虫嫌いにはありがたい機能だな」
そのときだった。
草原の先で、強い横風が巻き起こる。
乾いた土が舞い上がり、茶色い砂埃が壁のように広がっていく。
「先輩、来ますよ」
「ああ」
俺は速度を落とさず、そのまま砂埃の中へランクルを走らせた。
視界は一瞬、薄茶色に染まる。
フロントガラスの向こうでは砂粒が激しく舞い、車体を叩く音だけが車内へ響いてくる。
だが、車内へ流れ込んでくるのは、草原の匂いを運ぶ心地よい風だけ。
良太は窓際へ手を伸ばし、砂一粒入っていない車内を改めて確かめる。
「……本当に風だけ通ってるんだな」
俺は思わず感心してつぶやいた。
「すごいですね。音もちゃんと聞こえるし、風も気持ちいい。それでいて砂は一粒も入ってこない。それに、風はちゃんと入ってくるのに、強風特有の不快さがない……風量まで調整してくれてるんですかね」
良太は指先へ流れる風を確かめながら、感心したようにうなずく。
「これは便利だな」
「あとは雨の中でも同じなら最高ですね」
「それも試す機会が、そのうち来るだろう」
砂埃を抜けると、再び青空とどこまでも続く草原が姿を現した。
小さな案内人は、何事もなかったかのように「きゅー♪」と鳴きながら、西へ西へと飛び続けていた。
俺は笑みを浮かべながらアクセルを踏み込む。
異世界を走るランクルは、また一つ旅を快適にする力を手に入れた。
◇ ◇ ◇
さらに一時間ほど草原を走り続けたところで、俺は速度を落とした。
先導するバハは、まだ元気いっぱいに空を飛んでいる。
俺はクラクションを軽く一度だけ鳴らした。
――プッ。
このランクルのホーンは、バハムートの威厳ある咆哮を再現したものだ。
だが、当のバハにはそう聞こえてはいないようだ。
「きゅー!」
こちらを振り返って小さく一声鳴くと、そのまま弧を描くように旋回して戻ってきた。
まるで、友達に呼ばれた子どものような無邪気さだ。
ランクルを止め、車外へ出る。
「ふう……」
傾いた強い西日の空の下で、思いきり背伸びをすると体中の力がほぐれていく。
「バハ、ちょっと休憩にしよう」
「きゅー♪」
返事をするように飛びついてきたバハを受け止めていると、良太はさっそく【ネットショッピング】のタブレットを取り出した。
「飲み物と……果物は多めに買っておきますね」
手際よく注文を済ませていく良太の隣で、俺は【車両召喚】を発動する。
淡い光とともに、キャンプ用品を積み込んだリアカーが姿を現した。
キャンプチェアを三つと、折りたたみ式のテーブルを取り出し、草の上へ並べていく。
その様子を眺めながら、良太がふと口を開いた。
「そういえば先輩、このリアカーって、荷物を固定しなくても収納できるんですね」
「ああ」
俺はリアカーへ目を向けながらうなずく。
「たぶん、荷台の壁より上に飛び出さなければ、そのまま収納できるみたいだな」
「なるほど。収納するときに積み荷まで一緒に判定してくれるんですね」
「そんな感じだろう。いちいち紐で縛らなくて済むのは助かるな」
良太が注文を終えると、テーブルの上へ次々と品物が現れた。
真っ赤なさくらんぼ。
大粒のイチゴ。
そして、宝石のようにつやめく紫色のブドウ。
「きゅー!」
目を輝かせたバハが、待ちきれないとばかりに椅子から飛び立つ。
「はいはい。慌てなくても逃げませんよ」
良太が皿へ果物を盛り付けると、バハはブドウを一粒ぱくり。
「きゅ~~~♪」
幸せそうに目を細めると、続けてさくらんぼ、イチゴと、次々に頬張っていく。
その姿に思わず頬が緩んだ。
「相変わらず、よく食うな」
「食レポなら百点なんですけどね」
「きゅー♪」
褒められたと思ったのか、バハは得意げに胸を張る。
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
「先輩」
良太は缶コーヒーを一本こちらへ放る。
「ほい」
受け取ったブラックコーヒーのプルタブを起こす。
プシュッ。
立ち上ったコーヒーの香りを楽しみながら、ひと口飲む。
ほろ苦い味わいが口いっぱいに広がった。
「……やっぱりコーヒーはブラックだな」
「ですね。甘い果物を見てると、余計に飲みたくなります」
草原を眺めながら、良太とゆっくり缶を傾ける。
西へ傾いた陽は、草原を黄金色に染め始めていた。
風がそよぎ、草が波のように揺れる。
その穏やかな景色の中、バハだけは目の前の果物に夢中だった。
「きゅー♪」
お気に入りのブドウを大事そうに抱え、幸せそうに頬張る。
「……あいつ、本当に幸せそうだな」
「ですね」
良太も笑みを浮かべる。
「見てるだけで、お腹いっぱいになります」
「それは嘘だろ」
「嘘です」
俺たちは顔を見合わせ、声を上げて笑った。
平凡だった日常は、この世界へ来て一変した。
それでも、こうして気の合う仲間と笑い合いながらコーヒーを飲む時間だけは、元の世界にいた頃と何も変わらない。
俺はそんな時間を、これからも大切にしていきたいと思った。
───────────────
あとがき
バハちゃんは、最小サイズ(約一メートル)でも、ランクルが巡航する時速七十~八十キロ程度なら、鼻歌交じりで飛び続けられます。
三メートルサイズでは、何も運んでいない状態であれば、短時間限定ですが音速飛行も可能です。
ちなみに、今回(と次のお話)では、キャンプチェアを「三脚」ではなく「三つ」と数えています。
これは、カメラ機材の三脚と混同しないよう、あえて使い分けているためです。
実際、この先では、良太が三脚にカメラを載せて記念撮影する場面も出てきます。
今後も三人分のキャンプチェアを出す際は「三つ」と書くことがありますが、気にせずお楽しみいただければ幸いです。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。
あとがき
バハちゃんは、最小サイズ(約一メートル)でも、ランクルが巡航する時速70~80キロ程度なら、鼻歌交じりで飛び続けられます。
三メートルサイズでは、何も運んでいない状態であれば、短時間限定ですが音速飛行も可能です。
ちなみに、今回(と次のお話)では、キャンプチェアを「三脚」ではなく「三つ」と数えています。
これは、カメラ機材の三脚と混同しないよう、あえて使い分けているためです。
実際、この先では、良太が三脚にカメラを載せて記念撮影する場面も出てきます。
今後も三人分のキャンプチェアを出す際は「三つ」と書くことがありますが、気にせずお楽しみいただければ幸いです。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございます。




