第8話 3日目 今後の目標設定
夜中、ふとカーナビのレーダーへ目をやると、緑色の丸がゆっくりと離れていくのが見えた。
バハがどこかに出かけたのか。
大草原には、淡い月明かりと星々の光が降り注いでいる。
風にゆれる草原は、黒い波が寄せては返す夜の海のように、どこまでも静かに広がっていた。
もともと外で自由に暮らしていたんだ。狭い車内にずっといさせるのも、かわいそうだったな。
晴れている日は、サンルーフだけ開けておいてやろう。
――深夜二時。
二号車――白いランクルの車内で、交代の時間を知らせるアラームが鳴り始める。
「……ふぁ~。おはようございます。この荷室はなかなか快適ですね」
俺が乗る一号車の無線から、良太の声が聞こえてきた。
夜間は交代で眠り、もう片方が見張りを兼ねて起きている。その間は音楽を聴けるよう、一号車で過ごすことにしていた。
「良太、バハがどこかへ出かけたみたいだ」
「そうなんですね。ちょっと外で歯を磨いてから、一号車へ行きます」
ジャージにサンダル姿で外に出た良太は、ミネラルウォーターで顔を洗い、歯を磨いたあと、一号車へ乗り込んだ。
「はぁ……車内にいれば、汚れは落ちますが、やはり歯磨きをするとスッとして気持ちがいいですね」
良太は白い歯を見せて、にこりと笑った。
「どうぞ先輩、朝まで寝てきてください」
「ああ、その前になんだが、ちょっと確認しておきたくてな」
正面を向いていた良太が、不思議そうにこちらを見る。
「俺たちは、とんでもない流れでこの世界に来たわけだが……正直、俺はこれから何をすべきなのか、まだよくわかっていない。まあ、ランクルに思う存分乗れているだけでも楽しいけどな」
「……はい」
「……良太はこの先どうしたいんだ? お前は、こういう異世界に憧れていたんだろ……? 強くなったら街へ行って商売をするとか、冒険者だったか? それになるとか……そういう目標はないのか?」
「……そうですね」
良太は少しだけ視線を落とし、しばらく考え込んだ。
「正直、憧れのシチュエーションはいくつもあります。モンスターをバンバン倒して、その素材を大量に冒険者ギルドへ持ち込んで、『なんだこの量は!?』って驚かれるのも、『お決まり』の一つなんですよ」
「ほう……」
「それで、美人で巨乳の受付嬢が青ざめた顔でギルドマスターの部屋に駆け込んで――」
――その後も良太は、これまで読んできた『異世界もの』の王道展開を、楽しそうに語り続けた。
「それで、辺境の広大な土地を王様にもらって、武功を重ねて叙爵していくとかですね。お姫様と結婚するパターンも『お決まり』ですよ。いわゆる『俺TUEEE』ってやつです」
「なるほどな。良太は、そういう異世界生活に憧れていたわけか」
「あ……すみません。話がそれてしまいました。いえ、あくまで『お決まり』の展開の話です。
でも、強くはなりたいです。強くなれば心配事も減りますし。
貴族は……どうですかね。その国に縛られてしまうので、意外と面倒だと思いますよ。もちろん、そのあたりをうまくやっている物語もありますけど……」
大きく開けたサンルーフから、草むらで鳴く虫の音が静かに流れ込んでくる。
「今の状況にも、とても満足していますよ。こうしてのんびり過ごすのも、『スローライフもの』っていう人気のジャンルなんです」
「現代人はみんな疲れているからな……」
「そうなんです! ただ、そのスローライフを守るために強くなる必要があるので、結局ドタバタする展開になっちゃうんですよね……」
目を輝かせながら語る良太を見ているのは、昔から嫌いじゃなかった。
「それに、バハちゃんと友達になれるなんて、もう……最高じゃないですか!」
バハの名前が出たところで、俺たちは自然とカーナビのレーダーへ視線を向けた。
「バハちゃんにも、縄張りがあったり、眷属がいたりするんですかね……」
「……どうだろうな。龍王様だからな」
運転席の窓を下げると、真夜中の冷えた空気が音もなく流れ込んできた。
見渡す限り続く草の海は月明かりを受けて銀色にゆれ、昼間なら果てしなく広く感じる景色も、夜になると闇に飲み込まれて境界を失っている。
良太が同じく窓を開けて、空を見上げる。
「あれ、月がひとつしかありませんね。月がふたつあるのも『お決まり』なんですが……」
「ここまで地球と瓜二つな惑星が存在するものなんだな……」
「別の地球かもしれませんね……一日の時間も二十四時間ですし」
「案外、この世界そのものを、神様がランクルと一緒にぽんと創っちまったのかもしれんな……」
「あはは、『五分前仮説』っていう話もありましたよね。
この世界のすべては、たった五分前に神様が創ったとする説です。
僕たちの『昼間、ランクルで走った』『子どもの頃、こんなことがあった』という記憶も、全部、五分前に神様が頭の中へ与えたものだという考え方ですね。
五分より前の歴史や古い建物、化石なんかがあっても、それらも全部『五分前に古い状態で創られた』というわけです」
「……そんな馬鹿な、と言いたいところだが、この経験をしたあとじゃ否定もできんな」
そのとき、涼しい夜風が草原を渡り、俺たちの頬をそっとなでた。
「よし、そろそろ寝るわ。日が昇っても起きてこなかったら、無線で呼んでくれ」
「わかりました。おやすみなさい、先輩」
◇ ◇ ◇
朝の光は昨日と変わらず草原を照らし、風は草をゆらしていた。
そんな景色に身を委ねながら、俺はしばらく大草原を眺める。
やがて小さく息をつくと、ステアリングの無線ボタンへ指を伸ばした。
「良太、おはよう。何か変わったことはあったか?」
「……おはようございます。とくに何も起きませんでした。バハちゃんも、まだ戻っていないみたいです」
「そうか。外で歯を磨いたら、そっちへ行く。見張りを交代しよう。朝飯を頼む」
外へ出ると、朝露をまとった草原が朝日にきらめき、ひんやりと澄んだ空気がゆっくりと体へ染み渡っていく。
歯を磨き終えた俺は、一号車の運転席へ乗り込んだ。
「先輩、一晩考えたんですけど、いくつかやりたいことを思いつきました!」
「そうなのか、聞かせてくれ」
「温泉探しです……!」
「温泉? 異世界に来てまで?」
「もう……先輩っ! 温泉は異世界ものの定番なんですよ! 『お決まり』なんです! 女性キャラのお色気イベントも入れられますし、海水浴と並んで鉄板イベントなんですよ!」
「そ、そうなのか……」
日本にいたときには連休でも家に引きこもっていた良太が、温泉ねぇ……。お前、誘っても来なかったじゃねえか……。
「まあ、目標があるのはいいことだな」
「そうなんです! 目標に向かって努力するべきなんですっ。そうじゃないと、『主人公の行動原理がよくわからない』ってコメント欄で叩かれるんですから!」
それは、よくわからんが……。
「僕は強くなりたい! 先輩はどうですか?」
「……まあ……強いほうがいい……だろうな?」
「僕は強くなりたい! 先輩も強くなりたい! 僕は温泉に入りたい! 先輩はランクルを運転したい! 目指すは火山! はい論破ぁ!」
……行動原理って、そういうことなのか? もっとこう、過去の自分を乗り越えるためとか、大切な誰かを守るためとか、そういう話じゃないのか。
「お前、温泉って言ってもどこに向かって走ればいいのかもわからないだろう」
「作戦は、ありまぁす!」
何とか細胞みたいに言うな。古臭いっ。
「まず、とにかく同じ方向にだけ進み続けるんです。そうするとどうなりますか? はい! 吉原君!」
うぜー!
「……そうだな。何かに当たるんじゃないか? この前目指した街道とか、川や海とか、それこそ山とか……」
「正解っ! はい! まるごとバ〇ナ」
良太が、ケーキの中にまるごと一本バナナが入った菓子を差し出した。
「いやお前、朝から甘いものは……」
「それで例えば、川なら上流へ向かえば、いずれ山が見えてくるでしょう。海に出たら左へ曲がります。街道なら突っ切ります」
「街道はなん――」
「シャラップッ! 先生まだ話していますよ!」
「で……」
最後まで言わせろよ……。
「海なら、海を右手に見ながら走ります。運転席が右側なので、右手に海を眺めながら走ったほうが気分がいいです!」
……まあ、それはわかる。
「街道の場合は、タイヤ痕を残してしまいます。こちらの人は見慣れていませんから、未知の魔物の足跡だと勘違いして追ってくる可能性があります」
なるほど。
この世界にはタイヤの跡なんて存在しないんだよな。
「もうひとつ! 道を走っていると、盗賊や魔物に襲われている美少女に出くわします! 商人の娘だったり、侯爵家のお嬢様だったりするんですが、なぜか毎回、護衛もろくにいない馬車一台なんですよ! なんでーっ!」
「……それは知らんが、そんなに頻繁に盗賊が出るのか? そんな世界じゃ物流が成り立たないだろう」
「これが『お決まり』なんです! 主人公が遭遇するイベントランキングを作ったら、間違いなく上位ですよ!」
以前、俺たちも街道を目指していたわけだが……あのときは、そこまで考えていなかったな。
「先輩、どうですか? 馬車が襲われていたら、助けちゃいますよね?」
「そりゃあ、まあ……ランクルで何とかできる相手なら、助けるんじゃないか」
「あ~っ、もう! 助けちゃうんだからなぁ……」
「……ダメなのか?」
「そこから『助けていただいたお礼がしたいので、ぜひ街までご一緒に』ってなるわけですよ」
「ああ。同じ目に遭わないように、護衛も頼みたいってことか」
「その場面で助けるのはいい人ばかりなので、お礼をしたい気持ちも本当でしょうけど、結局そこから面倒ごとが始まるんですよ。ランクルも見られちゃいますし」
「……そうだろうな」
「なので道が見えたら、とにかく横切って離れましょう。そのときのタイヤ痕はほうきで掃くか、【格納】してから歩いて渡るとか」
「街へ入ったら、バハが帰ってこられなくなるかもしれんしな」
「そうなんですよ。それで、そのバハちゃんなのですが……しばらくはここで待ってみて、それでも帰ってこなければ移動しましょう。先々で【バハムートホーン】を鳴らせば、きっと気づいて追いかけてきてくれると思います」
「なるほど。それがいいかもしれないな。ずっと同じ場所にいたら、またあの青丸の人たちがやってくるかもしれないしな」
「実は騎士団の女性団長さんで、仲間になるパターンも『お決まり』なんですけどね。でも今は、圧倒的にこちらが強くなるまでは、人とは距離を置いたほうがいいでしょう」
「それでいいんじゃないか。俺も山を走ってみたいしな。久しぶりにクロスカントリーをしてみたい」
「よく林道にも連れていってもらいましたね」
「ああ。日本中の林道を走破するのが夢だった。
整備が追いつかず、国道とは名ばかりの悪路は『酷道』なんて呼ばれていてな。どこが一番ひどいのか、そんな道を紹介しているサイトをよく見ていたよ」
「よかった! これで僕たちにも目標ができましたね。ヒロインとの邂逅を避けて通る異世界ものも、なかなか珍しいですよ」
「存分に強くなったら、良太の彼女でも探しに行くか」
「あはは。僕、理想だけは高いですよ。最近は恋愛ものが人気だったので、予習のつもりで読んでいましたから!」
「よし、じゃあまずは腹ごしらえだ。そのまるごとバ〇ナはデザートにして、朝飯は卵焼きでも作ってくれ」
「了解です。じゃあ料理は僕がやるので、その間は見張りをお願いします」
作中に登場する吉原拓海の名前は、ランドクルーザー300や70を製造している吉原工場からいただきました。
また、「拓海」という名前は、有名なオフロードホイール「ブラッドレーV」の「匠シリーズ」が由来です。
一方、田原良太の名字は、ランドクルーザー250などを製造している田原工場からいただきました。
本来であれば二人は「社長」と「社員」という関係だったので、良太は拓海を「社長」と呼ぶ立場です。
ただ、「社長」と呼び続けると上下関係が強く見えすぎるため、作中では「先輩」と「良太」という呼び方にしています。
また、名字の「吉原」と「田原」は文字の並びがよく似ているため、読者の皆さんが混乱しにくいよう、基本的には名前や立場で呼び分ける形にしました。
本日も最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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