報告
二週間後――
晴天の空は高く、薄青い色が大きくグラデーションを描いている。風は心地良く吹き抜けると銜えた煙草の煙が尾を引いた。
形見となったオーブを空へと向ける。矢上景を救出したあの時の影響だろうか、もう中に泳ぐ光は見えなかった。沈黙したオーブはそれでも間違いなく自分だけに感じられる温度を発している。
岩の上に立ち、遠くにやや霞む東京を見る。
東京はあれ以来、黄金の柱を立てることは無かった。
公式には実験施設内での爆発事故として処理されたが、政府中枢では梶尾の叛乱として現在も調査が進められているらしい。矢上首相は変わらずに職務を遂行している。彼もまた事件の主犯格ではあるのだが、国のトップの複数同時交代は対外政策上不利にしかならないという評議会全体での決定らしい。確かにエネルギー問題でトップに立つ日本の足を引きたい国はいくらでもある。国のことを考えれば仕方の無いことなのだろう。
「ですが首相は、実際には多くの権限を剥奪されています。結局のところ一年後の任期満了までのお飾り首相と言い換えてもいい。しかも、任期が明ければ、ほぼ監禁と変わらない軟禁生活が待っています。仕方の無いことですが――。しかし、ここは本当に何も無いですね」
周囲を見回し感想を述べた朝倉が何を思っているのか全には分からなかった。
「こいつもまた人の為した罪の跡…ってとこかな」
「都市伝説ロスト・ヒストリーですか? そうなのかもしれませんがね。どうも実感は湧かない」
「それにしてもあんたも大変だな。わざわざこんなとこまでついてきて。首相付きのやることじゃないだろうに」
「これも職務の内です。私以外では難しいでしょうし、それに非常に勉強になる。政を行う者は足元だけ見てればいい訳ではありませんからね」
事件以後、国家機密に関わったという経緯から情報漏洩防止の為に監視が付くことになった。それは全も承知のことではあったが、まさか首相付きの秘書が自ら監視に出向くのは予想外だった。
「上原君は今回の件の最重要人物の一人ですからね、その後の情報も与えるようにと首相にも言われています。機密クラスの情報を扱うにはそれなりの地位が必要ですから。本来なら連絡役には最も関わった六紋天王のシュナイダーさんが最適なのですが、彼はやりたがらないので」
苦笑した朝倉は遠くの土煙を眺めながら「大丈夫ですか?」と聞いた。
「あぁ、問題ない」
では続けます、と朝倉は手に持っていた端末に視線を戻した。
「現在、事件については全力を挙げて調査中です。梶尾現十はシュナイダーさんが攻撃を加えた際に体内に埋め込んだ発信機の反応がコロニー内で消失したということが確認されていますので、これはまず亡くなったと見て間違いありません。それからお父上についても全力で捜索している最中ですが」
それは無駄だろう。爆発の中心であったし、脱出法があったとは到底思えない。
だが、否定も出来なかった。正しくは否定したくなかったというのが正直なところだろう。どこかでほんの僅かな期待も持っているのかもしれないなと全は思った。
「柳沢は尋問中です。やろうとしていた内容は分かっていますが、その理由については詳細を知らされていないようで、そっちは期待薄ですね。システムの解明には多少役に立ちそうですが、システム自体が危険な代物であることは間違いない。現時点ですでにアーカイブへの封印が決まっています」
「そんなんで大丈夫か? そんな危なっかしいもの残してまた同じことが秘密裏に実行されたら」
「それはご心配なく」
朝倉は真っ直ぐに全の眼を見た。攻撃的とも見える眼の力は相変わらずだ。「何故?」と全は聞き返した。
「システムの核、つまり起動の鍵を握る部分はブラックボックス化しています。しかも爆発でほぼ九十パーセントが灰燼化していましてね、解読は不可能です。そして柳沢はその部分にはまったく関与していない。その中身が分かるのは死んだ梶尾現十と行方不明の上原祐二博士だけなのです。したがって、システム関連の封印とはいっても形ばかりですよ。念には念をということです」
ガラクタを仕舞うのと変わらず、体裁として形だけ整えるということなのだろう。それは朝倉の表情からも窺うことができた。
全は一つ気がかりだったことがある。彼なら何か知っているかもしれない。
「あの…聞いて良いかな?」
「えぇ、どうぞ」
「紅蓮は」
「あぁ、紅蓮はもちろん解体です。元々評判も良くなかったということもありますが、梶尾現十の私設部隊ですからね。残しておく訳にはいかない。一応形としては炎紋院に吸収というところです。そうは言っても、上層風紋院襲撃や景様の誘拐などにも関わった者が殆どなので、実質的には完全消滅ですよ」
「で、その、隊長は?」
「隊長? 浅野真奈美ですね。彼女が確認できたのは梶尾現十と共に逃走したのが最後です。その後についてはどうなったのか情報がありませんが、梶尾と共に行動していたのなら恐らく」
「そうか…」
最後に見た彼女の顔は胸が痛くなるほど切ないものだった。色々あったが彼女の心は救ってやりたかった。それが母の願いでもあるような気がする。彼女は母の想いを解ってくれただろうか? 解ってくれたと信じたい。
「そういえば彼女はかつて上原一家と関わりがあったらしいですね。そして崩壊させた言わば仇とも言える」
朝倉の口にした『仇』という言葉が妙に痛く感じた。
「ある意味では良かったのではないですか? 少し前にあなたも殺されかけたと聞いていますし。生きていれば梶尾の死を逆恨みする可能性だってある。彼女はある意味で梶尾に洗脳された都合のいい人形とも――」
「あんた、浅野のことは?」
全の真っ直ぐの視線に朝倉は小さく首を振る。
「直接は。実働記録などわかる範囲のものは把握してますが」
「上辺は上辺でしかない、俺はそれに気づくのが遅かった」
彼の言うことも一理だが、それはすべてでもないのだ。上辺の奥にあるものがどれだけの深さを持っているかは知りえないが、あの時、彼女の真の姿が見えた気がした。それは、少なくとも上辺を形作っていたものとは違うものだった。
「これはすみません。少々言い過ぎたようです。不適切な発言を許して下さい」
潔く非を認めて頭を垂れた朝倉の姿に、熱を帯びた思考が冷めていくのを感じた。彼女のしたことを考えれば何を言われても仕方無いというのも確かな事実である。
「いや、俺の方こそ」
「ではお互い様ということで」
そう言って微笑んだ朝倉の瞳を見て、彼は自分を試したのではないかと全には思えた。人間を値踏みする様な印象。シュナイダーとはまた全然違うが、彼もまた一筋縄ではいかない掴みどころの無い人間のようだ。
つくづく世界は広い、こんな人間がきっとまだまだいるのだろうと思うと自分の青臭さに活を入れなければならないと全は思った。
「ところで、本当に良かったのですか? あの時の首相の申し出を受けなくて。東京へ移住できるのですよ。特例で一緒に暮らしていた方々もご家族ということで移れたのに」
「俺らは今の暮らしが好きなんですよ。それにどうせ監視されているなら好きなところに居たいでしょう。それとも強制的に連れて行きますか?」
煙草を落として踏んだ。
「いいえまさか。ですが、上原君。あなたの紋章は発動した。その特殊性もありますが、もし誰かに知られれば面倒なことになりますよ。それは君の方が良く分かっているのでしょうけれど」
確かに紋章のことが知れれば、差別意識の高い現状ではトラブルに発展しかねない。家族を巻き込むぐらいならばいっそ、とも思うが、それでも東京に行く気にはなれなかった。すべてを納得するにはまだ時間が必要なのだと思う。
無言の全に朝倉は諦めたように言う。
「まぁ、思うところがあるのは分かります。色々あったばかりということもあるでしょう。気が変わったら言ってください。その時にはお手伝いさせてもらいますから」
「えぇ、そうならないように頑張ってみますよ」
全は荒涼とした景色に視線を向けた。
また土煙が上がった。今度はさっきよりも近い。
「本当に大丈夫ですか?」
「んー、多分」
「でもあれ、さっきより増えてません?」
確かに増えている。どうも近頃、顕著に魔犬の数が増えているようだ。梁山泊からの報告でもかなりの数が上がっている。今まで考えたことも無かったが、柴木を失った魔犬掃討部隊の機能が回復しきっていないのが一因であるなら、やはりその部隊の存在意義は大きいのかもしれない。
「行ったほうが良くありません? なんなら私もお手伝いしますけど、報告も一通り終わりましたし」
「大丈夫だとは思うけど、まぁお言葉に甘えて行きますか。あいつが泣いてたら可哀想だ」
そう言って笑うと全と朝倉は岩場を蹴って飛び降りた。
降り立った大地を駆け、土煙に近づいていくと護の逃げ回る姿が見えた。
1234…8匹の魔犬が護を追っていた。
全の肩を貫いた護のあの時の戦いっぷりはめっきりその鳴りを潜めている。
あれは幻だったのかもしれないとさえ思える。だが、全も紋章を自由に使えないのだから人のことばかりも言っていられない。
こちらに気づいた護が情けない声で叫んだ。
「全ニィ~~」
あまりに情けない声に溜息をつく。追われる護に並走する形で叫んだ。
「情けねぇ声を出すな。男はな、こういう時こそ胸を張って悪態をつくもんだぜ! 何しに来やがった、俺の見せ場だ下がってろ! くらい言ってみせろっ」
「そんな無茶言わないでよ、これでも向こうで二匹やったんだから~」
「凄いじゃないですか」
隣で手を叩き笑う朝倉は魔犬の数に驚く様子も無い。
「それじゃ首相付きの力、見せてもらうぜ」
「いやぁ、そんな大層なものじゃないですよ。むしろ上原君の戦いを間近に見られるなんて楽しみです」
「よく言う」
「おっと、また増えてませんか?」
更に三匹の群れが向ってきている。
「こいつは大量だな。分け前は歩合ってことでいいかい」
「いえいえ、私は結構ですよ。これもある意味で職務のうちですから」
そう言って余裕の笑みを浮かべる朝倉から視線を戻すと、全は腰から二本のナイフを引き抜いた。
「いくぞ、護っ」
そして踵を返した三人は、合流を果たした飢えた魔犬の群れに同時に飛び込んでいった。




