ちぐはぐな姿
初めは後悔だった。
抗えぬ力を湛えた目に気圧されて扉を開いてしまった。
子供をたった一人であの兵士達の中に放り出すなど見殺し以外の何者でもない。もう失いたくなかったのに、自らの手でまた大切なものを失わせた気がしていた。本来ならば子供一人の命と千にも及ぶ人々の命との天秤に傾きなどあってはいけないというのに。
だが、現実は更に奇異なものを突きつけた。
監視カメラの映像をリンクさせていたモニターに映ったものは、次々と崩れ落ちていく金色の兵士達だった。
それ以外の何も見えず、すべてが終わった後に画面中央に現われた少年の姿。
俄かには信じ難い光景だった。
十数人にも及ぶ強化装甲をまとった兵士達が、たった一人の少年に無力化されたのだ。
自分が出て行ったとしてもこんなことは出来ない。彼の小さな身体に秘められた潜在能力は、むしろ人外のもののようで、寒気さえ感じさせるものだった。彼はすぐにその姿を消したが、掌握した範囲の映像は、彼が行く手に立ち塞がった兵士を薙倒し進む姿を映し続けた。
範囲の外に出た今は彼がどうなったのか知る術もなく、ひたすらにキー操作をするしかなくなった。じきに最後のロックが外れる。そうすれば、シードとなっている人々がシステムからパージされる。
ちらと横目に装置を見る。矢上景を捕らえていた中央塔にあった装置の小型版とでも言うべきものがこの部屋にもある。これは恐らく自分が造った装置をマイナーチェンジして試験組みしたものだろう。これを完成させた後にバベルの塔の本建設が行われたはずだ。
パージが終われば、次にやるべきはこの装置の無効化だと考え、上原祐二は視線をモニターに戻した。こんな装置はあってはいけなかったのだ。
ロック解除のアラームが鳴った。
後は『マニューバ確認。パージ、実行しますか?』という音声に従いイエスという返答のキーを押すだけだ。音声が流れ、画面にイエスとノー、二つのキーが浮かび上がった。
「これですべて終わりだ」
上原祐二がキーへと手を伸ばす。
ドン!
破裂音が鼓膜を震わせると同時に、全身を鈍い衝撃が走った。
背中に熱い痺れのような感覚が広がっていく。伸ばした腕から力が抜け、ほんの数センチの距離にあるキーが遠く感じる。身体の奥から何かが込上げ、それが急激に這い上がり祐二の口から吐き出されると、鮮やかな紅い色を掌に広げた。膝から力が抜けて崩れ落ちる。何とか身体を捻りコンソールに背を預ける形になりながら、いつの間にか部屋に進入していた影に目を走らせる。彼の持つ銃口からは硝煙が尾を引いていた。
「か、梶尾……」
「させはせんよ、上原」
そう言った梶尾にいつもの余裕に満ちた微笑はなかった。疲労を滲ませるように一筋垂れる前髪もそのままに、大きく肩を上下させ、見開かれた瞳は全てを飲み込んでしまいそうなほどに暗く瞬き一つしない。
銃口を向けたまま僅かに進み出ると梶尾は視線をコンソールに向ける。ディスプレイに目を走らせその画面に映し出されているものの意味を理解すると驚愕と不快感の入り混じった表情を浮かべた。
「まさかこんなものが隠されていたとは、流石だよ。流石だ、上原祐二。紛れもなく貴様は天才だ。常に私の一歩も二歩も先を行く。だが、勝負は私の勝ちだ。紙一重ではあったが私の勝ちだ」
その瞳には狂気が宿っているようにさえ見える光があった。
「……何故だ……」
「ん?」
「何故あなたはそこまでチルドレンを憎む。なぜそこまで敵視する必要があるんだ。チルドレンの側の最高位である元帥のあなたが何故……」
わずかに頬を痙攣させたのも一瞬、冥府へと続く洞窟のような瞳を動かし、何かを探すように視線を走らせる。
「川崎の大火葬」
そう言って梶尾は祐二に視線を戻す。ほんの少しだけ人の輝きを取戻しつつ梶尾は点々と語りだした。
「あれが全ての始まりだった。あの日、川崎には三万五千に及ぶ政府機関への反抗勢力が集結した。彼らの目的は政府中枢からのチルドレンの排除と新たな政府機関の樹立。所謂クーデターだ。国家転覆にその数は少なかったが、地方に散らばる勢力への呼応の火種としては十分だった。紋章官の集う東京はともかくとしても、地方都市を制圧すれば東京以外は旧人の手に取戻すことも出来る。国を割るほどの争いへと発展する可能性もあった。それほどにあの頃の情勢は危険なものだったのは知っているだろう。だが紋章官とて同じ人間だ。力はあれ、いかな理由があったとしても同国の同胞を手にかけることなど誰とて、そう簡単に割り切れるものではない」
「…そ、それが分かっていて、なぜ…」
「貴様の息子にも言った。私は大火葬に関与してはいない」
「なんだと」
「あの時、川崎から多摩川に沿って集結する人々をテラスから見ていた。封鎖した橋に押し寄せる人々。叫び声は混ざり合い大きな塊として周囲に響いていた。あの数ではいかな紋章官でも止められない。恐怖であったよ。時代の変わり目とはこういうものかと恐れ戦いた。情けないがそれがあの時の私だった。何も出来なかったのだ。止むを得ず前線の兵に撤退指令を出した。だがその様子を見た人々がここぞとばかりに勢いに乗って橋に押し寄せてきた。まるで津波のようだったよ」
嘘とは思えなかった。梶尾の口調には悔恨や自嘲の色がみえる。それに、今更そんな嘘を吐く意味も無い。どくりと脈動した傷口に痛みが走り、溢れそうになった呻きを噛み殺した。「その時だ」梶尾が小刻みに首を振る。
「密集する人々の中心で大きな爆炎が上がったのだ。とんでもなく大きな炎だ。立ち昇った炎の柱はゆっくりと崩れるように周囲に流れ出し…いや、ゆっくりに見えただけかもしれん、あの大きさならかなりの速度で拡がったはずだ……」
脳裏に浮かんでいるのであろう映像を分析するように虚空を視線が走っている。
「何が起こったのか、まったく理解できなかった。気がつけば目前には炎の海が広がっていたのだ。上昇気流が巻き起こり火災旋風が起こり、炎の竜巻が幾つも生み出されていく。まるであれは龍だったよ。何匹もの炎龍が人々を虫けらのように飲み込み、炎の海を広げ大地を蹂躙していった。あの光景は正に世界の終わりのようだった。貴様も研究者なら映像くらい目にしたことはあるだろう?」
確かに。極秘扱いされ一般に出回ることはなかったが、偶然に映像を目にする機会はあった。ほんの僅かな時間の映像ではあったが、そこに映っていたのはこの世のものとは思えないものだった。灼熱地獄。そんなものがあればアレをそう言うのだろうと思ったほどだ。
「これは、誰にも言っていない話だ…」
一段下がった声のトーンに含まれた妙な迫力に呑まれそうになる。梶尾の表情は悲しみとも喜びともつかない複雑な表情を浮かべる。
「上原祐二。君には言っておくべきであったのかもしれないな。そうすればこんなことには……いや、君もチルドレンだ。これは変えられない運命だったのだろうな」
「なにが、言いたい…」
「私は見たのだよ。巨大な炎の海に、人の生きられぬあの場所に、いたのだ。あれは決して人間ではない、人間であるはずが無いのだ!」
言葉を紡ぐ度に梶尾の声は大きく、感情に呑まれていった。誰に話しているのでもない。まるで世界に懺悔でもするように、抱えていた秘密という苦しみを吐き出し、世界に知らしめるように梶尾は叫んでいた。
「炎の海に立っていたのは、ほんの、ほんの小さな子供だったのだ!」
「なにを…馬鹿な…」
「馬鹿なものか。私以外の誰も見なかったが間違いなどでは決して無い。あの子供が大火葬をやってのけた! たった一人の子供が! 私は我が目を疑った。疑ったのだよ、幾度も疑ったのだ上原祐二! だが間違いない。あれが全てを燃やし尽くした。三万五千のレジスタンスと五千の一般市民を巻き込んだ総勢四万を燃やし尽くしたのだ! そして私は見た。その子供の身体には全身に走る紋様が輝いていたのを! あれは間違いない、チルドレンだった! 全身に紋章が及んでいるチルドレンだった! チルドレンであったのだ!」
悲痛ともいえる叫びが響く。
そして、叫びが静寂に溶けると梶尾はゆっくりと問いかけた。
「上原よ。チルドレンとは何だ? 降って湧いた奇跡、貴様もそう言うのか? かつての人類は持ち得なかった力。魔犬という未知の脅威に対抗するために与えられた力か? 人という種の新たな姿か? ハレーという流れ星の与え賜うた御業か?」
答えられなかった。いや、この問いに答えられるものなどいはしない。力そのものの解明さえも闇を抜けるには程遠いのだ。この力がどこから来て何を意味するのか、その答えに至るにはどれほどの時間が必要なのかも分からない。もしかしたら、そこに至ることは出来ないのかもしれない。
「違うのだよ、上原。そのどれもが間違いなのだ」
「間違いだと…」
「あの地獄の中で見た姿、あれこそ正にこの世を破壊する悪魔の力」
「悪魔…」
「私には分かった。間違いであったのだ。この世に溢れるチルドレン達、彼らは人ではない。彼ら全てが悪魔たる可能性を秘めた種だと気がついたのだ。そして、この世界にはその種を蒔いた者が存在するはずだ。それがこの世界を混沌へと導く邪悪なる存在。この世界の、人類の敵なのだ! だから私は決めた。この世から悪の尖兵であるチルドレンを消し去り、絶対悪たるその存在との来るべき戦いに備えなければならない、その為にはどんなことでもやらねばならぬのだと」
「確証は…あるのか? チルドレンが悪であり…その多くの犠牲が間違いでないという確証は…」
「貴様らの、チルドレンの存在がその証拠。それ自体がすべてを物語っているのだ!」
「馬鹿な、我々は同じ人間だ…。もし仮にこの力が…貴様の言うものであったとして…、この世界を…滅ぼす……など…」
「いずれ貴様も目覚めるときが来る。そうなってからでは遅いのだ」
狂気、それに近い何かが梶尾の瞳に宿っている。己が正義だと信じて止まない強い意思といえば聞こえはいい、だが、妄信と言い換えた時、それはとても脆く危ういものとなる。
「手始めに私はあの子供を捜すことにした。その為に作り出した組織が紅蓮。火炎能力者だけを集めたのはその為だ。だが結局見つからなかった。そして大火葬を私の仕業とし反抗の意思を抑え、邪魔が入らぬようにしたのは何よりも未来を担う人類を守る為だ。チルドレン無き後にこの世界を救うのは旧人たる彼らだ。だから今は苦しくとも雌伏の時を耐え忍んでもらわねばならなかった。だが、何も進展は無く、状況は遅々として変わらなかった。そして、そんな中でチルドレンは新たな段階を迎えた。それが貴様の息子だ、上原祐二」
全の幼い笑顔が脳裏に浮かび、たくましくなった背中と重なる。
「上原全。彼の持った紋章は今までのどの紋章とも違う。新たな力の発生は新たな段階への移行を示すものだ。不確定要素は取り除く必要があった」
「そんな、それが我々に行ったことの、総ての理由だというのか…そんなことの為に…」
「私は才能を認めていたのだ。だからこそ、不確定要素の排除と貴様という優れた人材の確保、これは重要なことだった。想定外だったのは上原蓮の死だったが、仕方がない。よもや息子が生き延びていたのは最悪の事態とも言えるが…それもここまでの話だ」
梶尾は懐から小さなオーブを取り出した。薄い褐色の球体の中を六つの光がゆっくりと走っている。コピープロトコル。梶尾は翳すように見つめると奥にある小さな装置へと足を向けた。
「このコロニーに存在するチルドレンだけでも消し去っておく。そうすれば、時間はかかるがもう一度やり直すことが出来る。もう一度、新たなバベルシステムが完成した時、人類は一歩前に進むことが出来るのだ。来るべき時に向け、世界は一つにならねばならない」
確かに正論にも聞こえる。だがそれでもチルドレンという人々を、命を踏み躙っていることに違いは無い。
他の道も在るのではないのか? それこそを力合わせ見つけ出すべきではないのか? ただ命を消し去れば良いという答えには決して同意も共感も出来ない。その計画の一端を担った罪人である自分が吐いていい綺麗事ではないかもしれないが、それでも、これは本来あるべき未来とは違う。
身体から銃弾がゆっくり吐き出された。祐二は微弱な電磁場を発生させて弾丸を抜き取っていた。しかし当たり所がよくない。患部に電流を流し焼いているが、血は一向に止まらず周囲に血だまりを作っている。
梶尾が語っていた間、何もせずに黙っていたわけではなかった。弾丸を抜く作業に平行して脳内に働きかけ一時的に痛覚を麻痺させるように電流を操作していた。デリケートな作業の為に時間はかかったが、すべてが完了した。普通なら動けるはずなどない。通常、脳が自動的に行う身体の操作を自分で行うには高度な計算と技術が必要だ。致命傷ともいえる傷を受けた身体を動かすのは容易いことではなかったが、天才と呼ばれ、また電流を操る能力者である上原祐二に出来ないことではなかった。
僅かに指先を動かし、いける、そう確信した祐二は血に滑らぬように集中し一気に立ち上がってコンソールに向った。
「何が正しいのか私には分からない。だが梶尾現十。あんたが正しいとも思えないよ」
画面に触れた。音声が鳴り響く。
『承認確認。マニューバ実行します。カプセル、パージします』
死体が動いたような驚きを浮かべ梶尾が振り返った。
「うえはらぁぁぁ、きさまぁぁぁぁ」
銃口が向けられる。続けざまに発砲の閃光がゆっくりと弾けるのが見えた。
たった一度でいい、成長した全の顔を見たかった。
大きな息子の後ろ姿が網膜に焼きついている。だが、重なり浮かぶ顔はどれも幼い息子のものだ。
完成したちぐはぐな姿に苦笑しながら祐二は妻の名を呼んだ。
「蓮……俺達の息子は……立派な背中をしていたよ」
上原祐二は、蓮が傍で微笑んだような暖かな気持ちに包まれた。




