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ハレーズチルドレン  作者: イリ―
覚醒

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43/54

二人の決着

 時折、空間に衝撃が爆ぜる。

 炎が中空を舞う龍のように駆け回っては消える。

 二つの影が金色のホールを縦横無尽に飛び回り、磁石の極が入れ替わるように近づいては離れを繰り返していた。

 全にとってこの場所は有利に働いていた。

 装置の破壊を良しとしない浅野は遠隔攻撃を避けて近接戦闘を選んだ。一撃の威力は大きいが動きでは負けていない全にはずっとやりやすい。しかし、逆に人質をとった形になっている皮肉に辟易(へきえき)もしていた。

 必ず助けると心中に誓い、不快な気持ちを押し込めるとまた少し体が軽くなった気がした。


 不思議だった。つい先日浅野と戦った時にはもっと切羽詰(せっぱつ)まる心境だった。

 それが、今は紙一重ではあるが戦闘外に思惟(しい)を走らせる余裕もある。一体自分に何が起こっているのか判断は出来ないが、少なくとも出来ることの選択肢は増えたような気がしている。


「一つ聞きたい」


 (むち)の様に迫る炎の尾をかわし蹴り上げる。浅野は横へ避けるとその足を取るように手を伸ばす。もう一方の足でその手を蹴り飛ばすと浅野の爪先が眼前に迫っていた。耐熱強化セラミックが埋め込まれたグローブで押さえたが、全の身体は大きく弾けとんだ。


 浅野から無言の殺意が無数の針のように注がれている。

 炎に包まれた拳を構え、体勢を整えた全に向って一気に間合いを詰めてくる。

 紙一重で拳をかわすと再び浅野に問う。


「俺が答えを持っていると言ったな。何のことだ? 何の答えを俺が持っていると言うんだ」


 浅野は答えず、怜悧(れいり)な瞳を向ける。


「母さんに、母さんに関係があるのか」


 一瞬だけ浅野の瞳が湿度を増した。それを振り払うように鋭い手刀が空気を切り裂く。遠からずなのだろうが彼女の中にある『問い』がその姿を見せない。浅野は一体何を求めているというのだろう。炎を纏った氷の女、怜悧冷徹な戦士。紅蓮の巫女。

 だが、今はその姿に漲っていた圧力が感じられなくなっている。


 踊るようにさえ見える攻撃の嵐を全は辛うじて避け続けていた。

 ほんの少しでも間違えば消炭にされかねない極めて危険な綱渡りだったが、今はそうすることが最善であると思えた。


「何でだ。あんたは母さんを殺した。充分だろう? それ以上何が必要だって言うんだ。死の上に、何が必要だ!」


 浅野の無表情だった能面の眉間(みけん)に感情の線が刻まれる。


「違うっ」

「何が違うっ。母さんは殺された。娘のように思っていたあんたにだ。あんたを家族だと言ったのは母さんだった。なのにあんたは」


 怒りはなかった。だが、悲しい。母の顔が脳裏を過ぎった。


「私は、殺してなどいないっ、止めようとしたっ」

「そう言えば許されるとでも思っているのか」

「違う」とわずかに首を振る。

「彼女は私を家族などと思ってはいなかった。彼女はただ私を憐れんだのだ。死んだのは仕方のないことだ。彼女の罪だ。私は救おうとした。救おうとしたんだ。私が許される? そんな筋合いなどありはしない」


 何かが、歪んでいる。


「何の罪だ。父さんにも母さんにも罪など無かった。全て梶尾が作り出した戯言(ざれごと)だ。あんたはそうやって自分が正しいと思い込みたいだけじゃないか! 自分のやったことから、目を背けているだけじゃないかっ」

「違う、違う違う違う!」

「何が違う。梶尾の言うままに従ったのが正義だとでも言うのか。だがあんたがやったのは、罪の無い人間を死に追いやり、幸せだった家族を滅茶苦茶にすることだ。それ以上でも以下でもない。それが正義か!」

「違う! 私は、私はただ助けようとしたんだ。でも彼女の瞳が私を…。あの目が、私を否定するんだ。お前の目も彼女と同じだ。だから死んで当然なんだ」


 浅野の心の揺れに伴うように彼女の動きそのものも精彩(せいさい)()き始めている。

 既に過去を責める気持ちなど全には無くなっていた。


 幼い時分(じぶん)には納得がいかずに怨みも怒りもした。だからだろう最後に与えられた母の言葉も感情のうねりに呑まれて今の今まで心の底に沈みこんでいた。その言葉の意味も考えなかった。今その時の言葉が彼女との会話に、交わす拳に反応するように滲み出してくる。思えば、それが母の願いだったのかもしれない。


「上原(れん)は私を(さげす)み、見下した。私の大事なものを奪ったんだ」

「大事なもの?」


 浅野は自分の吐き出した言葉に僅かに動きを止めた。戸惑っている。


「大事なものって、なんだ」

「それは…」


 開きかけた何かを閉じるように浅野は炎を燃え上がらせる。だが、力強さが失われている。


「母さんは、あんたを蔑んでなどいなかった」

「嘘だ!」

「嘘じゃない、なんで嘘だと思う。母さんはあんたに嘘など言ったことは無いはずだ」

「だったら何故。何故あの時彼女は私を否定した! 幼かった貴様を抱き私を否定した?私には決して分からないと、何故言った! 私を蔑んだのだろう? 見下したのだろう? 私は…、私は……」


 浅野の涼やかな表情は今にも砕け散りそうな(もろ)さを(にじ)ませ哀しみに満ちて見えた。

 その口から痛みを(たた)える言葉を叫んだ。


「信じていたのにっ!」


 一筋の涙が浅野の左目から落ちた。


 あぁ、そうだったのか。


 全はすべてを理解した。彼女も同じだったのだ。母が彼女を家族だと言ったように、彼女もまた上原を家族だと思っていたのだ。

 だが、時間が足りなかった。足りなかったのだ。

 彼女にはまだ母の心を受け止める為の器が出来上がっていなかったのだ。

 だとしたら、それはとてつもなく苦しかっただろう、悲しかっただろう。

 命を潤す想いをすべて受け取ることも出来ずに溢れさせてしまっている。

 流れ出し失われた心こそ彼女には必要だった筈なのに。

 真実を彼女は知らないのだ。そして信じていたものに裏切られたのだと勘違いした。それは悲劇とも言える。あの時もう少し時間があれば、共に過ごす時間があれば彼女は母の想いを受け止められたかもしれない。そうすれば、今のような彼女は無かったかもしれない。


 力なく繰り出され続ける攻撃を避ける。

 彼女の姿を見ていると心が痛む。その痛みは全身に拡がり愛おしさにさえ思える。

 もう答えは出ていた。彼女とは戦えない。


「またそんな眼で私を見てっ!」


 突き出された手刀を首の動きだけでかわすと、その手首を掴んだ。

 「血迷ったか」と口元を歪めると浅野は右腕に高熱を伝導させた。じゅううと皮膚が焼ける音がする。だが、全はその手を離さなかった。


「な、に……」


 腕を放そうとしない全に浅野は驚愕(きょうがく)した。

 全は浅野の細い肩を掴むと顔と顔が触れそうな距離まで近づいた。その瞳を真っ直ぐに見つめる。

 僅かな怯えに似たような震えが浅野の瞳を揺らしている。


「母さんはあんたを蔑んでなどいない」

「ふざけるなっ、放せっ」

「聞けっ!」


 眼前で発せられた大声に浅野は固まった。全は深く落ち着いた声でゆっくりと言葉を紡いでいく。


「母さんは、あんたを大切に思ってた。本当の娘のように。だが、あの頃のあんたはそれが分からなかった。どれだけ愛されていたか気付くことが出来なかった。心が、未熟だったんだ。思い出してみろ。母さんは言ったはずだ。『今の』あなたには分からない、と」


 浅野の瞳は見開かれたまま動かない。


「母さんはあんたの成長に期待していた。あんたはいつか素晴らしい人間になると、心から信じていたんだ」

「……嘘だ……」


 呟くような弱々しい言葉が漏れる。


「嘘じゃない。あんたが幸せになれるように、いつだって母さんはあんたの心に語りかけていたはずだ。思い出してみろ」


 浅野は小刻みに首を振る。「いや…」


「目を背けるな。あの後だ、病床に臥して最後の瞬間に母さんがなんて言ったのか、あんたは知らない。意識も薄れ、うわ言のようにいった言葉だ。あんたはそれを知らなければならない」


 母が最後に残したのはこの言葉だったのだと全ははっきりと思い出した。

 これを彼女に、浅野真奈美に伝えなければならない。

 母の残した言葉。


 ――――真奈美、必ず幸せになって。


「そう母さんは言ったんだ!」


「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 強烈な力で全は吹き飛ばされた。

 浅野はその場で頭を抱え、悲痛な叫びを上げていた。


「いやだ、いやだ。嘘、嘘、嘘ぉぉ、ちがう、ちがうの、ちがうの、いやぁぁ、いやぁぁぁ、そんなはずない、そんなはず、なんでなんで、なんでよぉ。わたしは、わたしはぁぁ」


 先の衝突で刃の溶けたナイフを投げ捨てた。もう必要ない。

 全は立ち上がり浅野のいる方へと一歩、また一歩と近づく。

 錯乱状態の浅野はその姿に怯えた瞳を向ける。

 その瞳からは大粒の涙が零れ落ちていた。


「うそよ、うそ、うそに決まっている。やめて、近寄らないで、あなたはウソつきよ」


 しきりにピアスを触る。触れすぎたピアスが千切れてはずれた。

 チリンと軽やかな鈴のように音が響く。

 震えているのが見て取れた。既に『紅蓮の巫女』たる面影はない。その痛々しさに胸が苦しくなる。

 彼女を救ってあげて、そう言う母の声が聞こえた気がした。

 ジワリと(てのひら)が熱くなる。


「こないでよぉ」


 炎の玉が中空に生まれる。複数生まれた玉の一つが全に向かって飛んだ。

 火球が迫る。だが避けてはいけない。これは彼女の苦しみだ、と自然に思えた。

 火球は全の左腕に直撃した。

 弾けた炎は皮膚を焼き、肉をえぐりとった。

 まるで猛獣に噛み千切られたように生々しい傷が晒される。

 だが、痛みも構わずに全はまた一歩前に出た。


 次の瞬間、えぐられて無くなった筈の肉体は、何事もなかったかのように生体繊維(せんい)が伸び絡まるようにして再生していった。

 その速度は瞬きの間ほどの刹那であった。


 微動だにせず迫るその姿に驚愕し、浅野が後ずさる。


「いや、いやぁぁ」


 火球が次々に飛来する。しかし、全はその全てを身体で受け止めていく。

 この痛みは彼女の痛みだ。その度に大きな傷が刻まれた。

 だが、全の身体は傷を受ける傍からあっという間に修復されていく。

 次の瞬間には無傷の全が一歩、また一歩と浅野に近づいていく。

 それは神の起こした奇跡のようだった。そして、全の右手では紋章が白く眩い輝きを解き放っていた。


「なんだ、なんなんだ。なんでお前は死なないっ。くるな、こないでっ」


 浅野から熱波が(ほとばし)る。だが数百度に及ぶ熱波さえ今は何でもなかった。焼かれた皮膚は瞬時に再生し痛みを覚える暇さえ与えない。


 一体何なんだ?

 自分の身に起きていることに驚いているのは誰より自分だった。

 これが自分の紋章の力? どの属性にも無い力。まるで再生の紋章とでも言うべき力。しかしこんな能力は聞いたことが無かった。明らかに六属性とは一線を引いた力である。

 梶尾は自分を悪魔に選ばれた者と言った。これがその悪魔の力だと言うのだろうか。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。

 子供が泣き叫びおもちゃを投げつけるように次々に炎の攻撃が降り注ぐ。

 しかし、眠っていた紋章が発動した今、そのどれも全の足を止めることはできなかった。一歩、また一歩とその歩みは確実に距離を縮める。

 全は遂に浅野の目の前に辿り着いた。彼女は怯えたような瞳を向けている。


「もう苦しまなくていい。答えは手に入れただろう?」


 その瞬間、浅野から戦意が消えた。そして一気に繰り出した力も底を尽いたのだろう、紋章の気配もまた消えた。


「こんなことはもう止めるんだ。梶尾はあんたまで殺そうとしてる。急がないと手遅れになる。教えてくれ、梶尾はどこにいる」


 浅野の瞳は抜け殻のように焦点が合っていない。ただ小さな声で「私は…」そう呟いていた。


 その時だった。殺気立つ気配がもの凄い勢いで近づいて来た。

 全は迫ってくる異様な気配に振り向いた。


「あれは、、マモル?」

 少年の影が迫っている。まるで別人のような怒りに満ちた気をその身から発しているのは間違いなく護だった。

 護は刀を引き抜き真っ直ぐこちらへと向かってくる。とんでもなく早い。一瞬背筋が寒くなった。


「護っ、どうした、何があった?」

「景を…助けるんだ……敵は…倒す…」


 鋭くも虚ろな瞳が真っ直ぐに浅野に向けられていた。護は浅野を狙っている。だが、今の浅野にはもう戦う力など無い。


「護、待て!」


 声が届いていない。あっという間に近付いて来た護は刀を突き出した。その刃は真っ直ぐに浅野の胸めがけて伸びていく。


「待てって言ってんだろうがっ」


 (すんで)の所で刀身を横から蹴り飛ばすと、刃は浅野の腕をかすめて()れる。


「なんで邪魔するのさ…」

「どうした護っ、目を覚ませ」

「景を…助けるんだ…あんたも…敵だ」

「おい、なに言って」


 刀が閃く。浅野を突き飛ばし、自分も何とかかわしたが髪の毛が僅かに舞った。首を両断しようとする剣閃は明らかな殺意に満ちている。

 何があったのか分からないが護は今、明らかに己を見失ってしまっている。

 景を救うという意識は残っているようだが、それ以外は完全に怒りを主とした何かに飲み込まれているようだ。だが何故か不思議と悪意を感じない、むしろ(みなぎ)っているのは静謐(せいひつ)な気配である。その相反する気配を混在させている不協和音に違和感を覚えながら、繰り出される斬撃をかわす。

 浅野との戦いでさえ乗り切った今の全に護の刃が届くことはないが、その刃先は驚くほど鋭い剣閃を描く。護の素質は以前より感じていたが、ここまで急激な変化はにわかに信じ難い。自分の変化も慮ればありえないことでもないが、あまりにも異常だった。


『すべては平等に訪れる可能性』


 シュナイダーの言葉が不意に脳裏を過ぎった。これもまた起こりうる必然であるというのか。

 視界の端に浅野が力なくどこかへと行こうとする背中が見えた。一瞬そちらに気を取られた隙を見逃すほど今の護は甘くなかった。刀が全の右肩をめがけその刃を突き立てる。


「くっ…」


 無遠慮に力が込められた剣先はスッと肩を突き抜け、刀身に冷たい輝きを湛えている。

 無表情なままの護は視線さえも突き抜けた刃のその先を見据えていた。そこにはバベルの塔がそびえ建っている。


「いい加減に……」


 全は左手で刀の(つば)を握ると下に向けて力を入れた。刀を引き下げられガクリと体勢を崩した護の顔が無防備になる。肩を突き貫かれた右手を思いきり振り上げ叫んだ。


「目ぇ覚ませっ!」


 振り下ろされた拳は護の横面を撃ちぬく。

 直撃を食らい、壊れたおもちゃのように吹き飛んだ護は通路に身体を打ちつけて転がり、動かなくなった。

 ゆっくりと右肩に突き立った刀を引き抜くと傷口はあっという間に塞がってゆく。

 浅野の姿を周囲に追ったが、その姿はもうどこにも見当たらなかった。


 彼女は分かってくれただろうか、彼女への母の想いを……。

 全は過去から現在に至る彼女の姿を思い浮かべつつ、己が掌で輝く紋章を握り締めた。



 


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