裏切り
「馬鹿な、人間を組み込んでいたなど、そんなはずは無い。あれはまだオーブでの試運転段階のはずだ」
「でも私は見たんです。だからこそ紅蓮に、梶尾に狙われているんです。あの光景が焼きついて忘れられません」
俄かに信じられない様子で上原祐二が景を見る。だが景は揺らぐことの無い視線を上原に返した。ここで引くわけにはいかない。
「もしそれが事実だとすれば、私の与り知らぬところでシステムに手を加えて梶尾が完成させたということになる。梶尾は本来政治屋ではない、むしろ科学者としての才能を持った男。そう考えればあり得ない事でもないが、仮にそうだとしても、私はそれを止める気など毛頭無い」
その言葉に景は立ち上がり身を乗り出す。
「どうして! 貴方もチルドレンじゃないですか。私達の仲間がモノのように扱われて苦しんでいるのですよ。それを許すとそう言うのですか! 私は――」
私はね、遮るように上原は言う。
「チルドレンという存在を嫌悪しているのですよ。その力ゆえ傲慢に、その力ゆえ他者を見下し、その力ゆえに悲劇を生み出す。自分もその一人なのかと思うだけでも吐き気がする」
その言葉にはひんやりと冷たく暗い意思が漂う。景は息を呑み男から目をそらす。何かに飲み込まれるような気がしたのだ。気を取り直し座って心を落ち着ける。
「違います。確かにそういう者も居ないとはいえません。でも、チルドレンは本来人々と共に歩もうとしたのではないのですか。その力を人類の為に使おうと。でも人々はそれを許してはくれなかった。紋章を持つ者達を化物と忌み嫌い、人として扱ってはくれなかった。初めに虐げたのは人類の方ではないですか。だからチルドレンはお互いを助け合うために集まり、東京でここまでの組織として認められるように頑張ってきたのではないですか。でもそれは紋章のない者たちに反抗するためじゃない。
そうすることで漸く一人の人間として認められる場所を得ようとしたのではないですか。その力をエネルギーとして利用することで、人類として理解されるようにと努力してきたのではないのですか。それなのに、今度は同胞である者達に命を道具のように使われて、それでも構わないのだと、あなたはそう仰るのですか!」
景の瞳からは大粒の涙が零れ落ちた。
背後の壁に寄りかかったシュナイダーはその様子を感心したように眺めている。
「だから言っているのですよ。その力が無ければ虐げられることも無く、利用されることも、そして、あなたや私のように苦しむことも無かったのです。全ては紋章という呪いの為に起こった悲劇なのですよ」
「そうかもしれません。そうかもしれませんが、あんなのは間違ってる。チルドレンだって人間なんです。その命を弄んでいい訳ない。人間は変わっていけるのに、変えていけるのに、博士にはその力があるのに、このままその呪いに縛られたままで生きていこうというのですか!」
僅かに上原の視線が揺らぐ。
「あなたには……わからんよ。所詮は矢上の娘として何不自由なく生きてきたお嬢様だ。紋章に全てを奪われた者の苦しみなど…」
上原は胡乱な視線を落とした。
「わかりません。でも貴方だって何も分かってない」
祐二は無言で睨み返す。
初めてその目に人間らしい感情が浮かんで見えた。顔を上げた眼に宿る怒り。
「何も分かっていないと、君のような子供に何が分かるというんだ」
「私は何不自由なく育った。その通りだと思います。何も知らなかった。知ろうともしなかった。
でも私は外の世界を見ました。魔犬に脅かされながらも強く生きる人達がいた。紋章の力にも立ち向かう人がいた。そういう人に私は出会ったんです。全さんはあんなに真っ直ぐ正しく生きようとしているのに、父親のあなたは諦めてしまうのですか!」
上原は一瞬、時が止まったかのように固まった。
僅かに唇を震わせて身を乗り出す。
「いま…何と?」
「上原全と言いました」
「馬鹿な。冗談でも許さんぞ。あの日、十二年前のあの日、妻と共に息子は…全は……」
「彼は生き伸びていたんです。嘘は嫌いです。それにそんな嘘を言ってはいけないことくらい私にだって分かります。私はつい先日、全さんに助けられました。残念ながら奥様は亡くなったそうです。これは今や柴木様もご存知の事実」
「柴木殿も……」
上原は脱力しソファーに沈み込む、そして虚空を見つめた。その瞳には僅かに光が戻って見えた。
「全が…生きているのか。全が、生きている。本当に全なのか? 私の…息子なのか…」
景は頷く。
震えだした手を止めようとするように組み合わせた上原祐二の表情は困惑に満ちていた。
「全が生きている。蓮が守り抜いてくれたのか。今彼は、息子はどうしているんだ」
「彼は自分と同じように身寄りのない子供達を守りながらハンターをしています。とても強く、たくましく、そして優しい方です。自分が傷付いても誰かの為に何かをしようとする人です」
「立派な、男になっているのだね」
「えぇ、とても」
上原博士は何度も頷いた。
「そうか、ならもう十九か。十分に大人だ。そんな息子に父親のこんな情けない姿は見せるわけにはいかないな」
上原祐二は大きく息を吐き、景に向き直った。その瞳は先刻までとは全く別人であるかのような輝きと強さを放っていた。
「景様、理由はどうあれ私が生み出した装置だ。責任を持って何とかしましょう。ですが根本的なことを言えば、あの装置はあなたが言うような、チルドレンを物のように扱う為の装置ではないのです。ですから本当に完成しているのならば、このままにしたとしても惨事になることは無い」
「どういうことですか?」
景は予想外の答えに眉を顰める。
上原祐二は思い出すように話し始めた。
「あの装置を作ろうと決意したのは妻と全が死んだと聞いたあの日でした。梶尾の一派に捕えられた私はその報告に絶望し、紋章を呪った。こんなものが無ければ妻も息子も死ぬことは無かったとね。そして思ったのですよ。紋章を無くせたら、もし紋章を取り除くことが出来たのならばこんな悲劇は起こらなかったのだと。そして私は紋章のエネルギーを人体から抜き取るための装置を造ることにしたのです。それが残された私の役目だと。だが私には研究を続けられるような施設も経済力も無かった。そこで梶尾に話を持ちかけてパトロンとして利用しようと考えたのです」
「仇なのに?」
「確かにその通りです。家族を奪った張本人だ。だが、その時はもう何でも良かったのですよ。紋章というものを無くしたい、それが最優先事項になっていたのです。それに、例え逆らったところで家族は戻らない、あまつさえ研究も出来ないとなればこの苦渋、甘んじて受け入れるしかなかった」
上原祐二は後を追うなどという愚答を選ばぬ人であったということだ。どちらにしても苦しむのなら出来ることをしようとした博士は強いのかもしれないと景は思う。
「だが梶尾は紋章を人から取り除くという私の目論見を知りません。彼にはその途中段階までの話しかしなかった。それが――」
「紋章の力を一つにし、新たなエネルギーを生み出すこと」
今まで黙っていたシュナイダーが不意に口を開いた。上原は頷く。
「その通り。プロトコルオーブを改良し全ての属性の力をまとめることが出来ればエネルギー経済界でこの国を追従できる国は無くなる。その為のシステムを作らせて欲しいと願い出て、彼はそれを受け入れました。ただし、それは紋章の力を保持者から取り出す過程で不要になるエネルギーを有効利用する為の方法でしかないのです」
「では、装置でエネルギーを奪われた人達はどうなるのですか?」
「全ての紋章の力を失い、普通の人間に戻ります」
「普通の、人間に?」
しかし上原は溜息を吐いた。
「だが現状あの装置はオーブでの実験に留まっている。それは実際に人から抜き取ろうとしても抵抗が生じてそれが出来ないからです。効率よく完全に抜き取らねば意味は無い。しかし抵抗があればそうも行かず、無理に抜き取ろうとしても意味はない。それを解決しない限り実益ある成果は出せないのです。あなたが見たのは生体実験と考えて間違いなさそうだが、解決法が見つかったとも思えない……」
上原博士は考え込む、やはりまだすべては受け容れ難いといった様子だった。それは自分の研究に対する正直な意見なのだと思えた。
「でも本当に見たんです」
「いや、疑っているのではないのですよ。あなたの言う装置の詳細は見ていなければ分からないことだ。だが、だとするとやや気になる点がある」
上原はソファーから立ち上がり、白衣を羽織った。
「何にしても私も見てみなければなんとも言えない。とりあえず装置のある場所へ行きましょう。話はそれからだ」
それからすぐに三人は装置を目指し施設を出た。
軟禁状態にある以上、紅蓮の妨害があるかとも思ったが不思議とそれはなかった。
道中は紅蓮どころかそれ以外の気配さえもなく、通路には自分達の足音だけが響いていた。
そのことが景には違和感に感じられ、もう既に獣の腹の中にいるのではないかという心持ちさえした。
「柴木殿は今どこに、このことはご存知なのでしょう?」
一瞬だけ振り返った上原博士は、歩速を落とすことなく無機質な通路を進んでいる。
「分かりません。父に会いに行ったはずなのですが連絡が取れず」
「矢上に会いに行った? いつ?」
今朝方にと景が答えると博士は顔を曇らせた。
「もう夕方です上層王風紋院まで襲われて姿を見せないとは彼らしくない。何も無ければ良いのですが。ところで」
博士は景にのみ聞こえるように声を下げた。
「後ろのあの男、本当に六紋天王なのですか? あんな若者が? 名前は聞いたことはあるが本人を見たことが無い。万が一違えば」
「それは大丈夫です、間違いはありません。彼が木の最高位ホワイト・E・シュナイダーです」
振り返ると、その視線に気づいたシュナイダーは頭の後ろで手を組んだまま満面の笑みを作って返した。景もどこか緊迫感が薄れる気がして苦笑した。
「それから…景様、その…全……、息子のことなのですが」
「はい?」
「いや、その……」
急にぎこちなくなった博士はまだどこかで息子が生きているのだと信じられないでいるのかもしれなかった。話だけではそれも仕方が無いと景も思う。
博士は漸く問いを口にした。
「あれの紋章は、どうなっていましたか?」
彼の右手の白い紋章が全ての苦しみの原因だとするのなら気になって当然だろう、その力の発現が彼は知りたいのだ。
「右掌に紋章はありましたが、力は使えないようでした。あれは一体何なのですか。あんな紋章は初めて見ました」
そう、あれは正に規格外と言っていい。
「あれが何なのかは私にも分かりません。ただ紋章であることは間違いない、それはチルドレンなら分かることです。そうですか、力は使えないのですね。普通に暮らす上ではそのほうがいい」
納得するように博士は頷く。その表情は最初に会った時とはもう別人のような温かさがあった。ただ、どこか一抹の寂しさもあるように景には見える。
「凄いんですよ全さんは。紋章の力は使えなくても凄く強いんです。だって紅蓮の隊長、あの浅野に引けを取らない戦いをしたんですから。この目で見ても信じられませんでした」
景は興奮しながらその時の様子を博士に語った。全の様子を話すことで博士に少しでも元気を出して欲しいと思ったのだ。
だが博士の表情は焦燥に染まった。
「紋章の力を使わぬ人間が紅蓮の隊長に迫る? 馬鹿な。浅野真奈美、私も彼女は知っている。彼女がまだ十代の時から。だからどれほどの力を持っているのかも知っているつもりです。あれに対抗するなど紋章を使わずには絶対無理だ。まさか…」
その言葉を最後に博士は考え込むように押し黙ってしまい、その後、景は話しかける切掛けを失った。
数分後、上原博士に先導されながら、縦に吹き抜けた空間のキャットウォークを経由して、景ら一行はシステムの鎮座するホールに辿り着いた。
だがそこは景の記憶にある場所とは規模も状況も違っていた。
空間の形状は同じく球体を潰したような形をしているが遥かに小さい。
塔のような装置の手前には5つほどのカプセルが並んでいる。
カプセルの数も大きさも違う、こちらのカプセルには直径二十センチ程のオーブが据えられていた。
「ここはどこですか? 私の見たのはここじゃない。似ているけどもっとずっと広かった」
やはりと言うように上原は景を見る。
「これが私の作った未完成のオリジナル・バベルシステムなのですよ。だとすれば、やはり梶尾は別の場所にシステムを増設したと考えて間違いなさそうだ。だが一体どこにそんなものが――」
景は中央の塔のようなものに近付いた。
「これは?」
「それがシステムの中枢です。そこにプロトコルを設置するのです。いいですか、原理はこうです。伝導率を上げるため空気を排除し、カプセル内部を特殊な溶液で満たしています。そしてまず紋章のエネルギーを引き出し、オーブを介して一つにまとめる。このエネルギーを我々はヘキサと呼んでいます。ヘキサは属性を並列に並べた紋章エネルギーとお考え下さい。そしてそのヘキサを再びカプセルへと循環させて紋章に干渉させる。この循環を繰り返すことでオリジナルの紋章エネルギーを抜き出していくのです。このヘキサこそが新たなエネルギーとして大きな意味を持つ」
今、そこに据えられるべきオーブは無い。
「先程言っていた抵抗というのは?」
シュナイダーが尋ねる。
「循環がスムーズに進めば何ら問題は無いのだが、残念ながらそう上手くもいかない。紋章はエネルギー体であり物質ではない。その為に個体差に大きく影響を受けてしまう。能力者のエネルギーの質や量といったものです。また所持者そのものの生物としての本能がエネルギーの剥離を拒絶する。
心理状態までが影響を及ぼすほど紋章というのはチルドレンに強く根づいてしまっている。それらが抵抗となってエネルギーの還元率を著しく下げてしまう」
「梶尾はそれを強引に引き剥がそうとしているのですか」
博士は難しい顔をした。
「それは一概に言えません。もしちゃんと完成しているのであれば紋章エネルギーは抜き取られて終わり、ただそれだけです。しかし、もしそうでないのならば景様の察しの通り、強引に引き剥がすことは能力者への大きな負担となる。先ほど話した通り紋章は精神に紐づいています。精神に影響が出る可能性がある。最悪の場合は精神の死という可能性さえある。そもそも手に入るエネルギーも還元率が低いのでたかが知れる。
仮にそれでエネルギーの抽出そのものが上手くいったとしても、無理にそんな状態で繰り返したところでチルドレンは次第にその数を減らす。消耗品となんら変わらないとなれば、梶尾の目指す新たなエネルギーの活用は刹那的なものとなるでしょう。そもそもあまりにも非人道的だ。それを周りが許すはずがない」
上原博士の視線はシュナイダーに向けられた。
確かにそれでは世界の頂点に立つことも一時的なものとなってしまうだろう。シュナイダー含め、他の六紋天王も黙ってはいないだろうことは想像に難くない。
だとすれば、梶尾は一体何をしようというのか。
「いずれにせよまだ実験段階であるこの装置を無理に使うのには大きなリスクが伴うことは間違いない。もし、なにか別の目的があるのだとすればそもそも話が違ってくるが」
景がその目にした光景は博士が述べるものとは違うものであった。何れにしても梶尾が行おうとしていることは阻止する必要がある。
「では早くそれを――」
突如、周囲に嫌な気配がした。
一つ二つ、いや五人はいる。
それらの気配が部屋を取り囲んだ。恐らく紅蓮の手のものだ。
「探す必要はないよ景様」
シュナイダーが不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「貴様、まさか」
博士が鋭い視線を彼に向けた。
「いやだなぁ、そんなに怒らないでよ。僕がそのシステムのところまで連れて行ってあげると言っているんだよ、おまけはついてくるけどね」
そう言うと、部屋の扉が開き、紅蓮のメンバーらしい五人が無表情に景たちを取り囲んだ。景は身構える。
「やめた方がいいよ。この場所で抵抗したって無駄さ、僕もいるしね。言うことを聞いたほうが身のためだと思うけど」
「どうして? 六紋天王のあなたが梶尾の仲間だと言うの?」
シュナイダーは装置に近づき、それに触れた。
「別に元帥と敵対していたつもりも無いけどね、かといって仲間でもない。そうだな、利害関係の一致といったところかな。彼の研究は僕にとっても興味があるし、だから一時的に協力しているんだ」
取り囲んだ五人が景と上原を拘束した。
「貴様は分かっているのか? 今この装置を誤って使えばどれだけのチルドレンが――」
「これを作ったのは貴方でしょう、上原博士」
その言葉に上原博士は目をそらすように俯いた。
「貴方は天才ですよ。発明とは二通りの使い方が出来なければ価値は無い。白と黒だ。かのアインシュタインでさえ副産物として原子爆弾を作り上げてしまった。それは彼とて不本意であったはずで、現実にそれが大きな悲劇を生んだ。だが反対にその原理をもって世界に大きな貢献もした。彼の発明なくして世界の発展は無かったでしょう。それと同じこと。これは新たな世界の第一歩となる。あなたの名は語り継がれることでしょうね」
「その為には悲劇已む無し、とでも言うつもりか。私はそんなことは望んでいない!」
「だから言っているでしょう。あなたの意思は関係ないのですよ。事実あなたはこれを生み出してしまった」
装置に触れながらシュナイダーは微笑んだままだ。両手を特殊合金の錠で固定され景は痛みに僅かに声を上げる。簡単には外せないだろう。せめて水があれば。
「あまり手荒にしないでくれよ。大事なレディーなんだからね」
一瞬鋭さを増したシュナイダーの瞳に紅蓮の兵士が息を呑む音が聞こえた。
「さて、それじゃあ行こうか」




