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ハレーズチルドレン  作者: イリ―
チルドレン

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21/54

下弦の月の夜

「本当にあの男がそう言ったのか!」


 唐突に聞かされた話に動揺し、半ば怒声に近い叫びが室内に響く。

 その声に中の様子を気にした護衛の笠木(かさき)が室内を窺ったが、何事もないと分かると再び入口の前で控えた。


「うん、そう言ってた。それからこれも」


 護は柴木に渡されたカードを差し出した。全は受け取るとそれを注視する。

 護は再び黙って椅子に腰掛けた。

 先刻、全の過去を護と舞は黙って聞き終えた。

 その言葉の一つ一つから今まで知らなかった全の本当の姿が垣間見えた。それ自体を知ることに嬉しさもあったが、内容は決して喜ばしいものではなかった。東京で受け続けた差別。紋章研究者の両親の死。母を殺した浅野との再会。

 護は紋章というモノそのものが持つ(ごう)というものを子供なりに飲み込もうと努力した。しかし、努力はしても直ぐにはどうこう出来ない。その幼い感情がついてこなかった。

 浅野という傍若無人な紋章付きを目の当たりにし、彼女の存在が紋章官そのもののイメージとなって固着する。

 紋章付きは簡単に人も殺せる恐ろしいものだとそう思う一方、あの矢上景もまた紋章付きであるという事実に揺らぐ。

 護にとって景は浅野と対極に位置している。

 景の与えてくれたものは安らぎや笑い、何かを守ろうとする思いだった。そしてまた、自分の一番尊敬する父であり兄であり、友である全が紋章付きであったという事実を知った。

 自分と同じだと思っていた人が、生まれも育ちも抱えているものも違っていたのだと知った。


 今まで何も無かった場所に巨大な隔たりが出来たような喪失感がある。

 置き去りにされたような不安と孤独が去来する。

 だが、それで何が変わるのかと言えば変わらないような気もしている。

 それでも、確実に以前とは違うズレのようなものを感じていた。それらはまだ幼い護を混乱させている。

 舞は思うところがあるのか、全が話している間も話し終えた後も一言もしゃべらなかった。

 只ひたすら理解しようと努めているらしい姿には、護とはまた違った想いがあるのだろうが、護にはそれを気にする余裕も無い。

 全の話を聞き終えた二人は暫く無言でいたが、突然思い出したように護は顔を上げた。

 そして、柴木からの伝言を伝えたのだった。


 全の父親は生きている。




 夜の(とばり)()り、雲の無い空に星が輝いて見える。しかし東京に面した夜空は巨大な箱の攻撃的な光によって彩るはずの儚い輝きを奪われている。

 この箱は宇宙からでもさぞハッキリと輝いて観えるのだろうと全は思った。


 屋上の柵の前に立つと一陣の風が吹く。

 松葉杖で体を支え、目を瞑る。風は強めだが寒くは無い、昔から風に晒されるのが好きだった。だからきっと高い所が好きなのだ。優しかった母の(まと)う柔らかな風を思い出すから――。


「父さんは生きているんだってよ、母さん。良かったな」


 懐から煙草を取り出そうとしたが松葉杖が邪魔して手間取った。一本(くわ)えライターを(かざ)して火をつけようとしたが、その小さな火に浅野の顔が重なり苦虫(にがむし)を噛んだ気分になる。

 右掌の白い紋章を忌々(いまいま)しい気持ちで見た。

 この紋章が全ての苦しみを生み出しているのではないか、こんなものが無ければ自分は旧人(くと)として育ち、母も死ぬことは無かったのではないか。何も守れない紋章に意味など無いというのに。

 いっそこの手を切り落としてしまえば楽になれるのだろうか。


「怪我人が勝手に抜け出して煙草なんて吸ってるんじゃないわよ。松葉杖なんて突いちゃってさ、それとも何? コテンパンに負けてちょっとセンチな気分なのかしら?」


 思索を切り裂くような憎まれ口が背後から投げかけられる。不思議と不快さは無く、むしろ安堵を感じた。


「うるせぇよ」


 苦笑しながら煙を吐き出す。その隣に立った舞は「東京ってすごいね」と呟く。


「そうか? 護も同じようなこと言ってたっけな」

「あそこに住んでたんだね、全は」


 あぁと答え、箱を眺める。確かに住んではいたが嫌なことばかりが思い出される。


「あんなとこよりも、こっちのほうが俺はずっと好きだけどな」

「ねぇ、どんな気持ち?」


 全は舞の横顔を見る。透き通るような緑色の目は東京の明かりが映りこんでいるのか一際(ひときわ)綺麗に見えた。


「本当のお父さんがいるってどんな気持ち?」


 先刻の反応を見られているから今更強がったところで道化のようだし、正直な気持ちを口にした。


「……よくわかんね。ずっと死んだと思ってたし、会ってもいないからな。でも、嬉しいのかもな」

「そう……」


 舞は五歳の時にジェイに拾われた。一五年も前のことだ。

 だが記憶を失っている舞が本当に五歳だったのかも正直怪しい。当然両親が生きているのか死んでいるのかさえも闇の中。

 もし記憶が戻ればそのすべてが思い出せるのだろうか? 

 彼女の父や母の元に戻れるのだろうか? 

 だが取戻したとして今の生活を捨てられるだろうか、護や雪月花と離れられるのか? 

 そして何もかもを思い出した時、彼女は舞のままでいられるのだろうか?

 それ以前に、もしかしたら記憶は戻らないかもしれないのだ。

 舞は強く、優しい。母親役として子供たちを優しく見守り包み込んでいる。だが本当はその彼女自身が一番の不安を抱えているのだということを全は知っていた。


「それより雪達は大丈夫か?」

「うん、何とか。でもやっぱりショックだったみたい、さっきも花矢が泣いて大変だったんだけど……」

「そっか、そうだよな」


 嘆息(ためいき)が胸の奥から(にじ)み出る。

 幼い子供の繊細な心を傷つけるには、ほんの僅かな恐怖で十分だ。子供達は暫く悪夢に魘されるかもしれない。


「でも一番心配なのは護」

「護か……」

「あの子ずっと暗い顔しているの、ほんの少しの間に色々なことがありすぎて戸惑っているんだと思う」


 護は大人になりたいと願っていた。だが今回のことで自分は子供でしかないと思い知ったに違いない。

 何も出来ず、景を奪われ、圧倒的な力を持つ大人が人を殺す様を見せつけられ、自分も死を予感したはずだ。それは十二歳の少年には残酷過ぎる現実だろう。

 巨大な見えない何かに押し潰されているような重圧感。何も出来ない怒り。その気持ちが全にはよく分かった。今の護には昔の自分が重なって見える。


「それでも飲み込むしかないんだよな……」


 泣こうが(わめ)こうが世界は何も変わらない。

 泣けば死んだものが甦り、喚けば全てを覆せる、そんな道理は無いのだ。

 己の無力と想像の遥か高みに君臨する世界というものを知覚し、それでも尚、人は歩かねばならない。立ち向かわねばならない。それが例え子供であろうと何だろうと。


「そうだ、怪我が治ったらどこかに行こうよ。しばらく皆で旅するの、きっと楽しいよ。みんな元気を取戻せるわ」


 舞は良い考えだと手を叩き、あっちはどうだこっちはどうだとまだ決まりもしていない旅行の計画を話す。だが、その表情が心から楽しんでいるのではないことぐらい全には解る。不安を押し殺す姿が儚げに見えた。


「わりぃな、舞」


 舞はぴたりと言葉を止めた。風が、長くしなやかな金髪を躍らせる。その横顔は影になり表情は窺えない。


「やっぱり行くんだ……」


 無感情な声音だった。


「何も、終わってないと思うんだ。とんでもなく嫌な予感がする。それが一体何なのか、俺はきっと東京に行って確かめないといけないんだと思う」


 目覚めてからずっと、体の奥の方で聞こえない声が木霊(こだま)しているような忸怩(じくじ)とした感触がある。身体がそれに反応し、動けと命じる。

 一体何をしろというのか。だが何故だろう、東京に行けばその正体が分かるような予感があった。


「だからさ、わりぃけど護たちのこと頼む。お前だって大変なのは分かってるけど」


 不意に舞が笑い出した。虚を突かれた全は唖然として舞を見る。

 舞は口元に手を当てて笑い続けていた。


「ぷふふ、何シリアスな雰囲気出しちゃってんのよ、可笑(おか)しいったらないわ。しかも何よ、お前だって大変なのは分かってるけど、とか柄にも無いこと言っちゃって。気持ち悪いわね。古典的に言うと、どんだけ~って話よ」


 予想外の反応に全の頭には血が逆流する。


「う、うっせーよバカ」


 まるで子供のように舞に背を向ける。

 舞はその背中を軽く叩いた。まるでその背を押すかのように。


「あんたの思う通りにすればいい。いってらっしゃい」

「……ありがとよ」


 そのまま二人は緩やかになった風の中で下弦の月を見上げていた。

 屋上の出口の裏で座っていた影が動く。

 影は立ち上がり、非常灯の緑光の照らす中、一人階段を駆け下りていった。



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