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ハレーズチルドレン  作者: イリ―
チルドレン

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19/54

小旋風

 全が目を覚ましたのは二日後のことだった。

 最初に目にしたのは心配そうに覗き込む護の顔と小走りに近づいて来た舞の姿だった。

 どの位寝ていたのだろう。体の(きし)みからかなりの時間が経ったことは分かったがそれを確かめるよりも先に痛みに襲われた。


「まだ無理しちゃ駄目よ。傷だらけなんだから、でも良かった、気がついて」

「ここは?」


 見たことの無い部屋だった。少なくとも教会ではない、いや、自分達の住んでいる街でさえないように見える。天井も壁も新しく清潔で部屋そのものから生活感も感じない。こんな場所に心当たりは無かった。


「気がついたようだな」


 体を起こすと部屋に入ってきた史進(ししん)の姿が見えた。史進はにこやかな笑顔を湛えている。


「ここは梁山泊の施設だ。まぁ魔犬についての会議なんかがあった時にお偉方に泊まって頂く所さ、今は誰も居ないから気にせず自由に使ってくれて良い」


 そう言ってスイッチを押すと窓を覆っていたフィルムが上がり、明るい陽射しが部屋に差し込む。かなり高い建物のようで邪魔な建造物に遮られることも無く遠くに東京を望むことが出来る。


「それにしてもよく無事だったものだ。いや、無事ではないか。とはいえ、あれだけの怪我をしていてもう目を覚ますとは。医者も君の回復力には目を見張っていた」


 そう言うと史進は笑った。


「……すまなかった」

 その言葉に史進は笑いをとめた史進は「君のせいではない」と窓の外を見た。

「彼らは己の仕事を全うした。そのお蔭で今君達を全員ここに匿えるのだ。だから謝らなくていい、褒めてやってくれ」

「だが、死んだ」


 そうだな、と史進は目を閉じた。


「それは私の罪なのだ。私が命じた。君が責任を感じる必要は無い」

 それよりも、と話を区切った史進は努めて明るく微笑んだ。


「今は何も考えずに家族と休んでいるといい、君もまだボロボロなのだから無理はするな。それに子供達を安心させるのも君のやるべき大事なことのようだぞ」


 そう言って舞の方を見た。舞は史進に向け深く頭を下げる。


「私はもう行くが、彼を残していくから何かあれば遠慮なく言いたまえ」


 そう言って一人の若者を置いて出て行った。若者は笠木順哉(かさきじゅんや)と名乗った。

 全は包帯が巻かれている両腕を眺めた。一歩間違えばあの時自分は死んでいたと思う。しかし生きているのは自分が何かをしたからではない、ただ運が良かっただけだ。

 分かってはいたが、やはり紋章官との絶対的な差は認めざるを得なかった。




 浅野の打ち出した炎は猛獣が獲物に止めを刺そうとするかのように襲い掛かってきた。

 火球が近付くにつれて皮膚が焼ける厭な感覚が広がるのを感じた。

 諦めてはいなかったが、動くことも何もかなわなかった。

 直撃する。

 その言葉が脳裏を過ぎった瞬間に炎は弾けた。

 しかし、炎は周囲にその暴威を広げることも全に届くこともなかった。


 風が。

 風が渦巻いて炎を飲み込み掻き消した。何が起きたのかその場の誰にも判らなかったのだろう。浅野でさえも一瞬その身を固めたように見えた。

 静寂以外に何も無くなったその空間に声が響いた。


「…やりすぎだよ、紅蓮(ぐれん)の隊長殿」


 声のする方を全員が見た。

 一人の男が教会の屋根の上にしゃがむようにして座り、こちらを眺めていた。


「貴様っ、柴木(しばき)!」


 柴木と呼ばれた初老の男は口髭を撫でながら涼やかに浅野を見下ろして呆れたように言う。


「命令を受けているのもそちらだし、なにやらそこの少年とも因縁があるようだから黙って見ていたが、困るのだよ隊長殿。魔犬防壁(まけんぼうへき)の外側だからといって何をしてもいいわけではないのだ。一般人が数多く暮らしているエリアだというのに、そんな場所で紅蓮などという組織が派手に暴れたのでは情報操作も一苦労だよ。それに、君らのせいで我々も些か評判が良くないのだ。魔犬掃討(まけんそうとう)特務部隊長(とくむぶたいちょう)としては大いに迷惑なのだよ。我々は君達と違ってずっと人々に近い位置にいるのだからね」


 男は屋根から軽やかに飛び降りると浅野と全の間に立った。

 緑色の縁取りラインが入った灰色のスーツに身を包んでいる。胸元には魔犬掃討特務部隊を示すXを模った徽章が鈍く光っている。細身でやたらと身長が高い、何かの棒切れのような印象を受ける。だがその体から滲み出る圧力はその男が只者でないことを物語っていた。


「ここまでにしていただこう。これ以上の暴挙は見るに堪えない。ただでさえ人も死んでいるようだし」


 男は辺りを見回し遺体を目で追った。浅野は未だ殺気のこもった視線で男を睨み付ける。


「邪魔するな小旋風(しょうせんぷう)。貴公には関係の無い話だ。魔犬を殲滅するのが貴公の仕事であろう。我々は梶尾様の命で動いているのだ」

「そうか? 私には私怨で暴れているようにしか見えなかったが? それに今は隊長殿のほうが魔犬よりも余程人間にとって脅威では?」


 緩やかな口調とは裏腹にその視線には有無を言わせぬ圧力が込められていた。辺りには小さな空気の渦が幾つも出来上がっている。更によく見れば辺りの建物の上には男の配下らしき影が幾つも確認できる。いつでも叩き潰せるぞ、そう言っているようでもあった。

 柴木は振り返り、全を見る。何かを値踏みするような眼差しは細部まで注がれているようだった。その視線が右手で止まる。それまで変わることの無かった冷静な瞳が衝かれたように見開かれる。


「貴公、名はなんと言う」

「……全。上原全(うえはらぜん)だ」

「な、なんと言うことだ。浅野、貴様!」


 柴木は浅野に振り返り片腕を振る。そこから生まれた小さな衝撃波が大きさを増して浅野を弾き飛ばした。壁に叩きつけられた浅野は地面に(ひざまづ)く。浅野の身体も限界が近いのだろうと思われた。その表情は苦悶に満ち、初めの流麗な姿はもう無い。


「母の名は、蓮だな?」


 全は怪訝(けげん)に思いながらも小さく頷く。


「よもや蓮の息子が生きていようとは……。まさか梶尾殿は未だに」


 浅野は咳き込みながらも(わら)う。


「何を勘違いしている…、その男の存在を知ったのは私とて今さっきのこと。梶尾様の与り知らぬこと…。私はただ我等の邪魔をする者を排除しようとしたまで」

「邪魔……か」


 柴木は車の中に(けい)の姿を確認するとそちらへと歩き出す。それを察知した黒岩は震える身で立ち塞がった。そうしなければ後で待つのは紅蓮の粛清だからだ。しかし、この行動もまた破滅へと続いている。


「ほう、職務に忠実とは紅蓮にも気骨のあるものが居るのだな。だが、私の邪魔は認めぬよ。下がれ」


 その気配に中てられた黒岩は脱力して座り込んだ。すでに黒岩の神経は限界だった。

 柴木は車の扉を開くと(ひざまづ)いた。


「景様、お迎えに上がりました。正規の命令ではありませんが紅蓮などに貴女様を渡す訳には参りません。私が責任を持って総理の元にお連れいたします」

 景は目も合わせず頷き、「頼みます」そう言うと車を降りて全の元へと駆け寄った。

 既に護が寄り添い支えている。護は声も出さずに泣いていた。


「全さん、大丈夫ですか」


 何とか目を開いていたがその視線は定まらなかった。戦いの緊張から解放された為か疲労が一気に圧し掛かったのだろう。そして身体も火傷を受け限界だった。


「へっ、大丈夫に決まってんだろ」


 そんな状態でも笑った。景は水をと叫ぶ、だが護は全にしがみ付いたままだ。


「護、しっかりして早く水を出来るだけたくさん、手遅れにならないうちに」


 護は景に肩を揺すられ漸く細かく何度も頷き教会に走った。全を横たえた景はその姿を見て唇を噛んだ。

 柴木は浅野の前に立つと手を差し伸べる。しかし、浅野はその手を払った。


「隊長殿の任務は景様の保護であろう? その任は私が引き継ごう、梶尾殿にそう伝えるがいい。それから、彼にももう手出しはするな。彼とて十分に苦しんだのだから」


 そう言った柴木は横たわる全の方を見つめた。


「貴公、こんなことをして許されると思うなよ。私は梶尾様の、ひいては総理の命によって動いているのだ。私の邪魔をすると言うことはこの国に叛すると同義だぞ」

「大層な物言いだな、直接総理にお伺いを立てることにしよう。私は梶尾殿の直属ではないからな、異議があるのなら評議会裁判でも何でも開けばよろしい。逃げはせぬよ」


 身を翻して柴木は全の傍らに歩み寄った。


「立派になった。蓮は……」


 目を伏せた全を見て柴木は「そうか、残念だ」と己の胸に手を当て黙祷(もくとう)した。

 そこへ護がバケツに水を一杯にして運んできた。

 手元に置くように指示し景は水の中に掌を浸けながら、そのまま全の身体にバケツの水を掛けた。

 水は薄幕となって全身を覆う。水幕は体表面の温度を吸収発散すると同時に紋章の力で浸透圧を変え、傷口を保護し体液の循環を促進し回復の補助をする。個人差はあるが出血を止め薄皮一枚張りなおす程度ならそう時間は掛からない筈だ。

 痛みの緩和もあってか全はそこで意識を失った。柴木が辺りを見回すとそこに浅野達の姿はもう無かった。


「少年」

 呼ばれた護は誰とも知れぬ長身の男を見上げる。


「我々は東京に戻らねばならない。この後は彼次第だろう。全を……彼を頼むぞ、何かあれば私を頼ってくるといい。これを渡しておこう、彼にもそう伝えて欲しい」


 数枚のカードが手渡される。護は何がどうなっているのか状況がまだ飲み込めていなかったが黙ってカードを受け取り、再び全の顔を見つめた。

 それから暫くの後、立ち去った景と柴木達と入れ替わるように史進達が現れ保護された。




 それが凡その顛末であったようだ。

「僕は、景を止められなかったよ」

「仕方ないさ」


 護の頭に手を置いた。そして気がつく、全身に負ったはずの火傷の跡がどこにも無いことに。


「それにしても、紋章の力は本当にすげぇな、殆ど傷なんて無いじゃねぇか」


 身体中見ると痛みは残っているものの、信じられないほどに傷は治っているように思えた。この調子なら直ぐにでも動けそうだ。

 そんな様子を察してか舞が真剣な顔で腕を掴んだ。


「もう大丈夫だよね。終わったんだよね?」


 オーブはこちらの手にある。景も紅蓮ではなく柴木が保護した。確かに形としては問題ない。再度オーブを作ろうとしたところで恐らく柴木達が何とかするだろう。だが妙な不安は感じていた。


「全ニィ…」


 一層沈んだ護が呟く。


「チルドレンって一体何? 全ニィは……全ニィだよね……」


 その言葉は胸を貫いた。理由はどうあれ自分は長きに渡って嘘を吐いていたことになるのだ。舞の表情もまた護と同じ気持ちを無言で訴えていた。

 そろそろ真実を話す時なのかもしれないと思った。自分には両親が居たこと、紋章付きとして東京で生まれ育ったこと、そして自分が(ただ)の全ではなく、上原全であるということ。

 紋章付きの自分を認めてくれるのだろうか。

 もう逃げることは出来ないのだと自分に言い聞かせ、全は窓の外に屹立している巨大な東京という因果を眺めた。



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