過去
「それで、景は無事なのか?」
「はい、今は柴木がついております。暫くすれば落ち着きを取り戻すことでしょう」
「そうか、小旋風が……それでオーブは?」
「景様が既に処分してしまったようで」
「何ということを、あれが無くては計画に支障が出るのではないのか? それに、万が一、反乱分子や列国に流れるようなことがあれば大問題だぞ。我が国が長きに渡って舐め続けてきた辛酸を、今ようやく取り除くことが出来るチャンスなのだぞ」
声を荒げ、矢上征二郎はデスクの上に掌を叩きつけた。
その音は暗闇に包まれた部屋の壁に吸い込まれるかのように消え、静寂が戻ってくる。
梶尾は矢上の気を鎮めるようにゆっくりと抑揚を抑えて話す。
「ご安心ください。計画に若干の変更は御座いますが概ね順調に進んでいます。オーブにはこんなこともあろうかと自壊プログラムも施しております。無理に解析をしようとしても無駄なこと。表層におけるデータの流出はありましょうが、ある段階まで研究の進んでいる国であればその程度の情報に意味は無い。ですが、新たなオーブの製作には時間が必要です」
「予備があったのではないのか?」
「あれではシステムの起動は出来ても十分な成果は得られません。あくまで補助的なものなのです」
「そうか……急いでくれ」
「並行し捜索も続けております」
視線を梶尾に向けたまま矢上は低く威圧的に呟きかける。
「頼むぞ梶尾。これは我が国における最重要事項なのだ。失敗は許されん」
「承知しております。その為の努力は惜しむつもりも御座いません」
矢上は頷きデスクの上に表示されている世界地図に目をむけた。所々が赤く光っている。
現在のエネルギー産業の世界勢力図だ。
かつては石油輸出で一大勢力を誇っていた中東諸国は今やチルドレンの出現によるエネルギー使用の変移によりかつての力を失いつつある。化石燃料の需要が無い訳ではないが、完全電化や魔犬の影響も加わった世界レベルの環境保護運動も相まって全盛時の僅か三十%にまで落ち込んでいる。その影響から民族間の紛争はやや形を変え、現在は特にチルドレンとの争いにその主眼が置かれている。
チルドレンを多く抱える日本や、オーストラリア、大国アメリカとの関係も険悪なものとなっているが、その力の強大さも十分に理解している中東諸国は強行手段にも出られないでいた。その苛立ちが現在の世界情勢に微妙な緊張感を生み出している。
現在、各国が抱えるチルドレンの数はその国土の狭小さに反し日本が一番多く、次いでオーストラリア、中国、アメリカ、イギリス、スペイン、ロシアと続き、かつての勢力図はその様相を大きく変えている。しかしながら日本は未だアメリカの属国体質から抜け出せずのままだ。中途半端な力で抗ったところで小国でしかないこの国はあっという間にあらゆる国々の標的となり、潰されかねない。エネルギー生産を多く自国で賄えるようになったとはいえ、まだ足りない。
だが今、その全てを凌駕する新たな力が手に入ろうとしている。
プロジェクト・バベルが成功すれば他の国々の追従を許さないほどの力を得ることが出来る。それにより、日本という国が見失った誇りと自我を取戻せるだろう。何としても、この計画は成功させねばならない。
矢上征二郎の思いは今その一点に収束しているのだった。
「それで、どの位掛かりそうなのだ?」
「急いでも一週間程は掛かるかと」
「なるべく急がせろ」
畏まりましたと一礼すると梶尾は部屋から出て行った。それを視界の端に捉えながら矢上は大きく椅子に体を預けた。机の上を軽く触れる。小さなホログラフパネルが机の中央付近に浮き上がった。
笑顔で寄り添う矢上夫妻と小さな景、まだ総理大臣になる前のものだ。写真と比べて自分は大分やつれたと矢上は感じている。妻はもう変わることの無い笑顔を湛えている。
「もうすぐ、美しい日本を取戻せるぞ。お前の求めた日本は目の前だ」
目を向けた窓の外のウェルバレーは、月光灯の青白い光に照らされ涼しげに輝いていた。
体中が痣だらけだった。
どうして自分には紋章が使えないのか解らなかったけれど、そんなことは関係なかった。そんなモノは無くても自分は自分だと知っていた。母がそう言ったからだ。だから、紋章付きをいいことにちょっかいを出してくる奴らは皆、力で黙らせた。そうすることで母が正しいと証明したつもりだった。
しかし、同級生も大人達も言うことは同じだった。
『出来損ないの野蛮な子』
その言葉と共に蔑みの目を投げかけてきた。
東京に溢れているのは、紋章の力をまるで自分のアイデンティティーだとでも言うように勘違いしている者達ばかりだった。
紋章があるのに使えない、何の属性かも分からない。
そんな自分は彼らの格好のストレスの捌け口だったに違いない。紋章が無ければ何も出来ない空っぽの人間達、同級生、そんな連中に囲まれて育った。
父と母は紋章の研究をしていたが、子供の自分には何をやっているのかは分からなかった。
ただ覚えているのはコンピューターに向かう両親の姿と研究ラボの景色。色とりどりの映像データ、丁寧に並べられた薬品やオーブ、プリントアウトされた大量の用紙、山積みの資料、中央の巨大なコンソールと円柱の装置、それらを眺めながら座っていたソファー。それが自分の世界だった。
ある時、同級生の誕生会に呼ばれた。数少ない友達で仲良くしていたのだが、彼の親は違った。
手洗いに席を立った時、通りかかった部屋から話し声が聞こえた。
――あの子が噂の?
――あぁ、なんでも紋章自体が機能せず使えんらしい。旧人と変わらんよ。
――そんな子が紋章院に通っているなんて、他の子にはついていけないでしょうに。
――そうだろうな、何かの病気で無ければいいが。
――まぁ、恐ろしい。上原夫妻は優れた紋章官なのに可愛そうですわね、うちの子がそうだったらと思うと……。
――あぁ、哀れなものだよ、上原の子でなければ旧人区に送ったほうが良いというのにな、その方があの子の為だろう。
そう言って笑っていた。
何がおかしいの?
そう心で叫びながら拳を握り締めていた。
紋章院は紋章官の教育機関である。
東京のほぼ中心に位置する市ヶ谷エリアの中層、約300階付近にある。
円柱の独特な形状で小規模のウェルバレーの内部にある。その本体からは連絡通路が網のように伸びて外部と繋がっている。壁面をスカイビジョンに囲われたその姿は、大空に浮かぶ伝説の都市のように見えた。
所属する者の年齢は三歳から十八歳まで、卒業後はそれぞれの能力に見合った国務機関へと配属される。寮も完備され両親のいない者も等しく教育を受けられた。
しかし、見方によれば国の手駒たる紋章官を効率よく且つ従順に育てる為の洗脳機関とも言えた。
そこに居る誰もが自分は特別だと信じ、他人を見下し、妬み、己の能力を振りかざし優越感に浸る。そんな連中の製造工場としか思えなかった。
そうではない者も当然いた。自分の力を何かの役に立てようと勉学に励む者も少なくなかったし、そういった者達は大体がエネルギー研究の道へと進む。
エネルギー分野がこの国を支えているのは間違いないのだが、そんな自負もまたそうでない者達への差別へと変わっていった。
そんな中で紋章の力を使えない自分の所在の無さは誰よりも感じていた。
母の言葉はいつも胸にあったが、それだけで心強くいられるような世界でもなかった。
紋章付きならば旧人からは化物を見るように扱われるし、力が足りなければ紋章付きにも見下される。例えどこへ行こうとも同じことであるのならば一人で耐え続けるしかなかった。
もうじき七歳の誕生日が訪れるかという頃だった。
研究室に掛かってきた一本の電話で父が珍しく声を荒げていた。母はそのやり取りを心配そうに遠巻きに眺めている。受話器を置いた父と母は小声でなにやら話をし、時折言い争う姿も見えて不安になったが、じっとソファーの上で座っていた。
「だめだ、まったく話が通じない。このままでは全が危険だ。政府の連中に渡せば実験動物にされるのがおちだ」
「でも何故今になって?」
「大火葬以来、梶尾の様子もおかしい。以前に増して紋章研究に熱を上げているようだ。その情報網に引っかかったのかもしれない」
「だったら早く東京を離れましょう。じきに政府の手が回るわ、全を渡すわけにはいかない」
直後、呼鈴が鳴った。
視線を合わせた二人はお互いに無駄の無い動きで素早く行動を始める。母はコンピューターからデータを抜き取り、父は外の様子をモニターで窺う。
「さぁ全、こっちへ」
母は囁くようにいうと手を引いて裏口へと向かった。そこへ父も合流する。
「僕が時間を稼ぐよ」
「そんな、あなたも一緒に行きましょう?」
心配そうな母の表情を見上げる。
「大丈夫、見たところまだ正規部隊は動いていないようだし僕が足止めする。なぁに、無理はしないさ」
父は優しく微笑むと母の頭を撫でた。そしてしゃがんで息子の顔を両手で撫でる。
「全、いいかい? お母さんは君が守ってあげるんだよ。男の子だからね。それから…」
父の目から不思議な温度を感じた。優しく、そして何故か哀しかった。
「君の掌に握られているのは希望かもしれない、絶望かもしれない。今まで辛い思いをしてきただろう、そして、それはきっとこれからも続いていくだろう。私は父として何もしてやれない、苦しみを取り除くことさえも出来なかった。謝ることしか出来ない私を許して欲しい。愛している。全、お前はただ生きてくれ」
その言葉を最後に立ち上がると母と目を合わせた父は頷き、背を向け玄関へと歩いていった。
母に手を引かれて裏の非常用隠し通路へ向う。そこから伸びる薄暗いトンネルに入ると通路をひたすら手を引かれて進んだ。
オレンジの電燈が点々と続き、母の姿は光と影に交互に浮かび上がる。途中何度か振り返ったがその度に強く引かれ、既に視界から消えた非常口には父の姿を見ることが出来なくなっていた。
そして、遠くに銃声が響いた。




