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ハレーズチルドレン  作者: イリ―
浅野真奈美

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17/54

全と浅野

 景は窓の外の様子に目を見開いた。

 初めてだった。初めて浅野が動揺しその感情を顕にしているのを見た。

 しかもそこに浮かんでいる感情は焦燥であり、それを与えているのが全であるのだ。

 あの浅野を雰囲気で呑んでしまっている。あの冷酷で梶尾にのみ忠実な、誰に対してもそのスタイルを崩すことは無かった浅野の仮面にひびが入ったように見える。しかも僅かに聞こえる会話から彼らは過去に繋がりまであるようにも窺えた。

 全、白い紋章を持つ謎に包まれた存在、彼は一体何者だというのだろうか。

 景はただ成り行きを見守るしかなかった。




「あんたらの狙いは何だ? 光の塔に関係あるんだろ? 昔のよしみだ、話してくれよ」

「よしみ? もうあの頃とは違うのよ」


 そうだろうなと全は煙草を取り出してすぐ傍で燃える木片にかざして火を着ける。煙草をふかし煙を吐いた全は浅野の目を見ると微かに笑って言った。


「今のアンタの目、腐っちまってるな。昔はもう少しまともだったぜ」


 浅野の表情が一瞬強張ったが直ぐに元の無表情に戻る。


「これもアンタがやったのか?」


 未だ燻る火種が臭いを発している。


「それがどうした?」と浅野はなんでもないことのように言い放つ。

 既に感情の揺らぎを抑えている。

 切替えの速さは常に事象・状況の変化に的確に対応する為に軍務機関では必須の技能である。紅蓮の幹部ともなればその程度のことは難なくやってのける。全もそのことは理解していた。


「家は(すす)でまっ黒、玄関先には焦げたでっかいクレーター、家族を危険に晒し、おまけに関係ない人間が四人も死んでいる。これでまさか嬢ちゃん取戻したから、はいさようなら……じゃネェよな」

「そこで転がっているモノは我々に刃を向けてきた、当然の報いさ。そこの少年も同罪だが景様の救助者ということで見逃そう――と思ったのだがな」


 そこまで言うと浅野の気配が変わる。殺気がほとばしり、パチリ、パチリと周囲に火花が弾ける音が拡がる。転がっている廃材が燃え出しあちこちで小さな火が産声を上げる。浅野の視線は全を見据えていた。


「残念だ、お前が現れた以上見逃すわけにはいかなくなったよ」

「なるほどな、ご立派な屁理屈だ。でもな」


 全は煙草を火の中に投げ捨てた。


「見逃せないのはこっちも同じだ」




 上原全の視線は亡霊を湛え浅野に突き刺さる。

 重なる女の姿はあの時と同じ、遥か高みから浅野を見下ろしていた。


 あなたにはわからない

 いまのあなたには

 いつかそのみに

 いのちを――

 わからない

 いつか――

 アナタニハワカラナイ


 声が聞こえる。如何に押し込め閉じ込め仮面の下に隠そうとしても、その声は遥か深部から手足を引くように響いてくる。死にゆく者の叫びや呪いの言葉は飽きるほど聞いてきたがそんなモノは何の意味も持たず、何を感じることも無かった。

 だが今、浅野は死にゆく者の言葉ではなく、まして呪いの言葉でもない声に恐れを抱いていた。


「貴女は死してなお私を笑うのか」


 浅野は小さな声で(つぶや)くと刹那目を伏せた。(ごう)という音と共に大きな炎が浅野の右腕を包み込む。熱波に煽られた髪がなびいて踊るように逆立っている。車中では景が何かを叫んでいるようだったが浅野は全てを意識の外に置き、今はただ全の姿を、否、その先にある上原蓮の姿だけを視野に入れていた。

 全に向かって浅野はゆっくりと歩みだす。その距離は十五メートル、その気になれば瞬きの間に詰めることの出来る距離だが浅野はそうしないで一歩一歩確実に距離を縮めた。


「あんたの欲しいものは何だ? お嬢ちゃんか? それともオーブか?」


 浅野は一瞬視線を横に流したがすぐに向き直ってほんのりと熱を帯びた言葉を発する。


「そんなこと、どうでもいい」


 浅野は炎を吹き出す一歩を踏み出した。




 直接戦えば全が浅野に勝つ確率はかなり低い。いや、むしろゼロに等しい。それほどまでに紋章付きとは大きな隔たりがある。

 しかし、どうやら先の挑発が効いているようだ。最優先のはずの任務を彼女はどうでもいいと言った。これは彼女の神経に触れることが出来たからだ。心が揺らげば隙は生まれる。力に隔たりがある以上は、その隙を狙うしかない。


「言っとくが、俺は女だからって容赦はしないぜ」


 浅野は何も答えずに真っ直ぐ向かってくる。

 全も歩を進めて浅野に向かった。二人の距離は徐々に狭まり、終にはお互いの手が届く位置にまで達した。


「上原全。あなたは母上によく似ているよ」

「そうかい、そりゃどうも」


 全の瞳は真っ直ぐに浅野を見下ろしている。あの時もこうして視線を交わした気がする。だが今、母は無く、彼女もより大人びている。そして、自分もまた無力であったあの頃とは違う。


「全ニィ!」


 叫び声が響いた。その瞬間浅野の一撃が全を貫く。

 だが貫かれたのは上着一枚だった。脇を掠めた浅野の腕から上がる炎に皮膚を焼かれたものの、一瞬後には浅野を蹴り飛ばし距離をとった。

 離れざま脱ぎ捨てたジャンパーは浅野の腕で勢いよく燃え上がった。

 周囲には浅野の発する気迫に反応した炎が再び火勢を増す。煙が上がり、焦げた異臭が拡がっていく。


「ほう、私の一撃を避けるとは。嘗て落ちこぼれと呼ばれた割には上出来だ」

「余計なお世話だ。紋章に頼らなきゃ何も出来ないお前らと一緒にするんじゃねぇよ」

「ずいぶんな言い草だ。お前の両親とて紋章官であったというのに、その言葉を聞いたら悲しむぞ」

「お前が語るなよっ」


 全はナイフを抜き放ち駆け出す。浅野は右手同様に左も炎を纏わせた。

 次の瞬間、全の姿が消える。浅野は体軸を中心にして回転し、背後から現われた全の一撃を弾く。振り向きざま、炎を纏わせたヒールが打ち上げられる。回転して避けた全はその足を狙ったが、不意に飛んできた裏拳を防いで弾けとんだ。

 接したのは一瞬だったが防いだ手甲の表面が焼けている。

 間髪空けずに浅野は全を追撃していた。辛うじてかわした一撃が全の髪を僅かに焼き、背後のコンクリートが破砕する音が響いた。




 二人の戦いを景は唖然として見ていた。

 彼は紋章官には敵わないと言っていたがとんでもない。今まさにその紋章官相手に引けを取らない戦いをしているのだ。しかも相手はただの紋章官ではない。梶尾現十直属の私設執行部隊・紅蓮の隊長。あの浅野真奈美なのだ。

 それがどれだけ凄いことなのか運転席の黒岩の脂汗と開いた口を見ているだけでも判る。

 自分だってただの組手ですら彼女に勝ったことは一度も無い。手を合わせたことがあるからこそ、それを相手にする凄さが分かる。しかも紋章の力によって基礎身体能力さえ強化されている紋章官にこれほど対抗できる人間など見たことも聞いたことも無かった。

 だが、それでも次第に全が押され始めているのは景の目にも明らかにわかった。


 浅野は見下ろすようにしながら口元だけで笑っている。

 浅野の呼吸も乱れているが全の方が目に見えて疲労して見える。その体の火傷の数も増え、体力を奪っているのは間違いない。

 二人が何かを話しているように見えるが内容わからない。強がるように微笑っているが彼の劣勢は変わらない。


 浅野が一際大きな火球を胸の前に作り出した。

 火球は蠢き、ゆっくりとその大きさを増していく。炎に照らされた浅野の顔はまるで、禍々しく恐ろしい魔女のようだった。何かに取り憑かれたような表情は能面から一変して般若のように変わり、感情の波に飲まれている。怒っているような、笑っているような、それなのに、まるで何かに怯えるような必死さが溢れている。


 あれは――まずい。

 景は運転席からロックされ開かなくなっているドアを忌々しげに力いっぱい叩く。だが特殊強化を施された扉はびくともしない。


「ここをあけて! あれがどれほどの威力を持つのか、同じ炎を使うあなたなら判るでしょう!」

「……しかし」


 黒岩は浅野の方を凝視したまま落ち着きなく手を動かしている。あの炎の玉が炸裂すれば、この付近一帯に炎の波が走り、全てを飲み込むだろう。全はもちろんのこと、護や周辺に居るものさえも呑みこんで、灰燼と化してしまうほどのものだ。強化が施されているとはいえ、この車とてどうなるか知れたものではない。

 そこまで追い詰められているというのだろうか?

 優勢に見える浅野は、それとは逆に、もう後がないかのように切迫した気配さえ漂わせているように景の目には映った。


「約束が違うじゃない! 浅野っ、もうやめてっ!」


 景の叫びはガラスに遮られて外に伝わることはなかった。紋章の力を使おうとしても黒岩がそれを許さない。拳銃を突きつけるようにして指先に点した炎を向ける。


「諦めてください。あれは、もう止められない」


 諦観的な言葉とは裏腹に黒岩の表情は硬く、景に向ける炎を点した指も震えていた。

 車からは浅野の横顔しか見えないが、狂気に取り憑かれたようなその表情に景は背筋が冷たくなった。熱風が上昇気流へと転じ、砂埃も巻き上げられている。辺りの色は炎のオレンジで染め上げられ揺らめいていた。

 炎の玉が――全に向かって撃ち出された。


「やめてーーーーっ」 


 火球は次の瞬間大きく弾けた。


 


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