第93話 告白
本日2話投稿になります。夕方頃94話投稿予定。
——ルシが好き。
気づいてからというものの、世界は少し違って見えた。
「……お前この野菜入れるなって言ったよな、刻んで入れたろ」
「俺には分かるぞ、無駄なことするなよ」
喧しく料理人に抗議する王子の声も、右から左へ抜けていく。
今日の朝食にはエッグタルトが出た。お日様のような姿を半分に割って片方を口に入れる。……今度ルシがきたら必ず出してもらおう。
王子を迎えに来た騎士団長の視線が何度も王女を見ていたが、王女は意に介さなかった。
食事を終え、私室に戻る途中の外回廊で、王女は花壇に小さな花が咲いているのを見た。鳥が種を運んだのだろうか。雑草同然に花壇の脇に姿を見せたそれは、紫と青を混ぜ込んだ色をしており、妙に王女の目を引いた。
今度、公爵に見せよう。
思うのは、そればかりだ。
王女は、今日届いた一通の文を開いた。
印章が送り主を示していた。公爵からの手紙であった。
手紙には、数日後に城を訪れると記されていた。
王女に宛てられた手紙をしばし眺めてから、胸に抱いた。
私室の棚は、公爵からの手紙でいっぱいだった。
棚を増やそう。今日来た手紙を差し込んで、王女はそう呟いた。
そしてその日はまたたく間に訪れた。
「公爵閣下がお見えになりました」
侍女の言葉に返事をする間もなかった。
姿見の前で一度立ち止まり、王女はそのまま私室の扉を開いた。
公爵の姿はまだそこになかった。
だが、廊下の先から馴染みの足音が聞こえる。
駆け出した王女が廊下の角を曲がると、そこに彼はいた。
「ルシ」
「今日はお庭に行こう!」
二人並んで花壇の前でしゃがみ込んだ。
春先の風は優しく王女の髪をさらい、花壇の花を揺らした。
「……すみっこにちいさいお花が咲いてるよ」
「スミレでしょうか、可愛らしいですね」
すぐ近くから声が落とされた。
王女がゆっくりと上向くと、公爵の髪が春風に吹かれ、揺れていた。
「…………」
——こんなに近いところに、ルシがいる。
その亜麻色を目にした時、王女の口は勝手に動いていた。
「ルシが好き」
口にした瞬間、王女は目を伏せ口元を両手で覆った。
言ってしまった。今より幼い頃から何度も口にしてきた言葉だ。
だが意味は異なる。
公爵は理解してくれるだろうか。
チラリと見やると、公爵はいつものように薄っすら笑んでいた。
公爵の様を見て、王女がクスクスと笑みをこぼした。
——いつもの好きじゃないよ。特別な好き。
——ルシにだけあげる好きだよ。
——きっと、同じでいてくれるよね、ルシ。
「…………」
「ルシも私が好き?」
花開くような笑みで、王女は隣の公爵を見上げた。
こんなに大事な告白をするなんて思わなかった、もうすこしおめかしをしてくればよかった。
返事を待つ間、そんなことばかりが頭によぎる。
公爵の返事は、まだない。
彼は花壇の花にそっと触れていた。
その横顔はいつも見る姿とは異なっていた。
口元はキュッと締まり、どこか遠い目をしている。
公爵は未だ、口を開かない。
——ねえ、ルシ。
お返事聞かせて。
王女が公爵の袖を摘んだ。
「……私は」
ついに彼の口が開き、王女の瞳が輝いた。
「賢く、愛らしく、日々育つあなたを誇りに思っています」
公爵の指先が、紫色の花弁をなぞった。
指先が触れた拍子に、花びらが一枚、公爵の膝に落ちた。
未だ、視線は交わらぬ。
王女が口を噤んだのと同時に、公爵の口が開き始めた。
「殿下、私はあなたを敬愛しております」
摘んでいた公爵の袖がキツく絞られた。
おかしい。
思っていた返事と、違う。
いっしょですね、嬉しいです。シエル殿下。
きっと公爵は、そう言って笑ってくれるはずだった。
「……好きじゃ、ないの?」
「………………」
ゆっくりと向いた顔は、王女が見たことのない顔。
笑った顔でも、怒った顔でも、困った顔でもない。
——それはどんな顔なの、ルシ。
「……殿下とは違う意味の好きです」
藍玉の瞳が揺れた。
公爵の指先は、なおも花弁に触れたままだった。
「その言葉を、私ですり減らしてはいけませんよ」
王女の瞳が大きく見開き、言葉を失った。
そして紫水晶の瞳が、ポロリと大粒の宝石を生んだ。
「……好きだもの」
「……………………」
「好きだもん」
「どうして言っちゃ、いけないの」
王女は、いつも公爵のことで心を乱していた。
藍玉をしっかり見つめながらもポロポロと涙を落とす王女に、公爵がハンカチを差し出した。
頬に布を当てられ、王女がヒックと喉を鳴らした。
公爵は何も語らず、王女の涙が止むのを待っていた。
ハンカチは涙を吸い上げ、頬は涙で冷えていた。
ハンカチの代わりに、公爵の長い指が王女の両頬を包んだ。
「ルシが好き」
「殿下、私はあなたを敬愛しております」
公爵が言葉を繰り返した。
けれどそれは。
王女の望む、好きではない。
「あなたのお言葉は、とても尊いものです。大事になさってください」
「本当に必要になるその時まで」
「あなたの心も、あなたの言葉も」
「大切にお持ちください」
言葉は尽くされるが、王女には響かない。
頬を包む冷たい指先が、だんだんと頬の熱と同化する。
「私に使うのは、もったいない」
——それを決めるのは、ルシじゃない。
「…………いつまで持てばいい……?」
「あなたがまた必要だと思ったときまで」
「きっと、相応しき相手にその言葉を捧げたいと思う時がきますから」
——ルシにとって。わたしは。その相手じゃないんだね。
王女は言葉を飲み込んだ。
最後にひとつだけ涙がこぼれ落ち、公爵の手の甲を濡らした。
そしてその日以降、王女は「好き」を言わなくなった。




