第92話 初恋
「……騎士団長は、背が高いんだね」
王女は小さな身体で巨躯を見上げていた。
首が痛くなるほど見上げても、その頭は遠い。
珍しく声を掛けられた騎士団長が、戸惑ったように視線を彷徨わせた後、屈んで王女に視線を合わせた。
「申し訳ありません、背はどうしようもないもので……」
騎士団長が頭を掻くと、甲冑の隙間から屈強な腕が現れた。
「……身体も大きいんだね」
騎士団長の動きが止まった。
頭から足の先までを見つめる王女に騎士団長の困惑の眼差しが落ちた。
「その、いかがされましたか王女殿下」
「ううん、なんでもない」
紫水晶と碧玉の視線が交わり、王女が言った。
「……騎士団長は、大きくて、頼りがいがある」
「だからお兄様は騎士団長が好きなのかな」
——でも違う。
王女が頭を振った。
そしておもむろに歩き出し、訝しむ騎士団長を他所に、騎士団詰め所の奥へと突入していった。
残されたのは騎士団長。
そして、その様子を固唾を飲んで見守っていた、訓練中の騎士たちであった。
詰め所では、見慣れぬ小さな姿の登場に、皆一様に動きを止めた。
剣を磨く者もいれば、半裸の者もいた。
汗と土の匂いに満ちたそこに、その白金色の姿はひどく場違いであった。
「……ひ、姫様」
「ごきげんよう」
王女の可憐な声が騎士たちの耳に届き、騎士たちは慌てて身なりを整えた。
王女の瞳が端から端までじっと巡る。
「……やっぱり騎士団長が一番大きいんだね」
「その甲冑、重くないの?」
王女の問いに、近場の騎士が声をひっくり返らせて答えた。
「鍛えておりますので……」
「……そうなんだ、偉いね」
「あ、ありがとうございます……」
ふと、王女の視線が向いたのは青い目の騎士であった。
王女はその騎士に歩み寄った。
王女の紫水晶が、その青目をじっと見つめていた。
額が付きそうなほど近くに王女が迫ってもなお、騎士は動けなかった。
「……似てるね」
——少し、違うけど。
藍玉の瞳を持つ男を思い浮かべ、王女は薄っすら微笑んだ。
「ちょっと違うかも……でも綺麗な目だよ」
そして王女はそれきり興味を失ったように詰め所を後にし、残された騎士たちはただ呆然と立ち尽くしていた。
王女の観察はなおも続いた。
城中を歩き回って王女は目につく者に声をかけていった。
「近衛兵は一日お兄様に付きっきりでも疲れない頑張り屋さんだね」
「料理長のお料理美味しくて好きだよ、私はあなたの作るエッグタルトが好き、ルシも美味しいって言ってた」
「執事は指が長くて綺麗だね……どっちが長いかな」
——けれどみんな、違うかも。
歩き回り、足取りが重くなった王女が長く息を吐いた。
素敵なところは、たくさんある。
けれどどうして。
あの亜麻色の人は、特別輝いて見えるのだろうか。
王女の中で答えは出ない。
気づけば、王女は宰相の部屋前まで来ていた。
王女の瞳が途端に曇った。
その扉をじっと見つめているとそれを察したように扉が開いた。
遅かった。王女が踵を返すと、思っていたよりも高い声が背後でした。
「失礼いたします」
振り向くとそこに薄茶色の髪の少年が立っていた。
最近王宮をうろつくようになった男の子。王子とよく共にいる。
……公爵と間違えた子。
王女の目が吊り上がった。
そこに王女がいると気づいたセヴェルの肩が一瞬跳ね上がり、しかしセヴェルはひとつ息を吐いて王女に寄った。
「……ごきげんよう、王女殿下」
「ごきげんよう」
会話はそれきりだ。
王女の剣呑な様子に気後れしたセヴェルが立ち去ろうと再度礼をした。
そのセヴェルを制すかのように、王女が顔を近づけた。
「うわっ、なんですか」
目を丸くするセヴェル。王女は返事をしなかった。
先程まで伏せ目がちだったセヴェルの瞳は、今はまんまるだ。
琥珀色に彩られたそれは、藍玉とは似ても似つかない。
……似ているのは髪色くらい。
「……王女殿下は少し……恥じらいを持たれたほうがいいのでは」
「恥じらいって何」
「このような行動のことです」
つま先で立ったままセヴェルに顔を寄せる王女。
王女の額がセヴェルの鼻先に今にもくっつきそうであった。
だが、セヴェルが何を言っているのか、王女には分からない。
口調も少し似ていた。けれど端々に感じる棘々しさがそれをかき消している。
嫌な男の子だ。王女は口を尖らせた。
けれど。
「……でもお顔はちょっとかっこいいね」
「はあ?」
——ルシが一番だけど。
セヴェルを置いてきぼりにして、王女は足早に去った。
なんなんだこの兄妹。セヴェルの呟きは廊下の奥へと消えていった。
歩き疲れた王女は庭園にあるベンチに身を預けた。
——見つからない。
王女は頭を傾けた。
お茶会中、令嬢たちは好きな人の話を楽しそうにしていた。
皆、殿方のここが好きだと笑っていた。
王女は、探し続けている。
「シエル殿下」
「あ……」
思いもしなかった声に、王女の肩が跳ねた。
振り向くと、背後に公爵の姿があった。
「……ど、どうしてここにいるの」
「火急の用事で呼ばれまして。事が済んだのでご挨拶に伺いました」
「そうなんだ……」
王女が顔を伏せた。
やましい事はしていないのに、後ろめたい気分であった。
他の人の好きは見つかるのに、彼だけ見つからない。
「今日はどうなさっていましたか」
「……えっと……探検……?」
「道理で。一度お部屋に伺ったんですが、いらっしゃらなかったので」
「探検、珍しいですね、何か良いものは見つけられましたか?」
「えっと……その……まだ……」
それきり黙り込んだ王女の隣に、公爵が静かに腰を下ろした。
小さな身体に影が落ちる。
「……私のことは褒めてくださらない?」
王女が飛び跳ねた。
「城中の者が騒いでおりました。王女殿下にお褒めいただいたと」
「皆の励みとなるでしょう、臣下に良い贈り物をされましたね、殿下」
「……ち、ちが」
公爵は続ける。
「けれど……それを聞いてしまったので」
「私もあなたにお言葉を頂戴できないかと……ついあなたを探してしまいました」
上向いた王女が公爵の腕を揺さぶった。
「あのね! ……あのね……」
なんて人だ。
王女の気も知らず。
こうして微笑む顔が好き。
王女を呼ぶ、優しい声が好き。
近づくとほのかに香る、森林のような香水の匂いも。
抱きしめてくれる、優しい腕も。
涙を拭ってくれた長い指も。
傅いて王女を見つめる姿も。
けれど何を言えばいい。
何が王女の特別なのか。
「その……探してた……」
「ルシは……素敵なところがたくさんあるから……ずっと……みんなのこと観察して……」
「ルシと……どこが違うのかなって……さがしてた……」
わがままを困った顔をして受け入れてくれるところ。
背筋の伸びた後ろ姿が、王女に振り向く瞬間。
仕事中の真剣な眼差し。
いつも王女の歩幅に合わせて歩いてくれる。
寒いのに、平気だと笑って上着を貸してくれた。
悪戯をしても、どれだけ試しても、彼は怒らない。
「…………シエル殿下」
「……嬉しいですよ、貴方にそう思っていただけているのは」
「どなたにお褒めいただくより、ずっと」
「そうやって人を真摯に見つめる、そんなあなたが一番素敵ですよ、殿下」
藍玉が細まった。
その瞳に見つめられ、王女の紫水晶が瞬き、王女は声を失った。
どこが素敵か、全部吹き飛んだ。
探さなくていい。
理由探しはもういらない。
————王女は、この人が、好きだ。




