↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
90/106

第90話 試される男

「わたしは意中の人とは結婚できないのかな」


 馬の蹄が規則正しく音を立て、馬車は開けた街道を進んでいた。


「……意中の人?」


 書類から顔を上げた公爵が王女を見た。

 

「何か、ありましたか?」

 

 公爵の向かいで王女が数度頷いた。

 王女は窓の外に目をやりながら、ふん、と鼻を鳴らした。


「あのね……この間のお茶会で令嬢たちに言われた」

「好きだからって結婚はできないって……特にわたしは」

 

 公爵の口が閉ざされた。

 代わりに語り続ける王女をじっと見下ろしている。


 王城を囲む田園には青々とした小麦畑が広がっていた。


「結婚は……いっしょになれるから、するんじゃないの?」

 

 パメラ嬢は意中の相手と結ばれて幸せそうであった。

 だが、王女はそれに当たらないと令嬢たちは口々に言った。

 王女は思い返して頬を膨らませた。

 

 黙り込んでいた公爵がようやっと口を開いた。


「結婚は……いっしょに居たいから、という思いだけでは成り立たないんですよ」

「貴族の場合、それだけでは済まぬことも多い」

「教師も言っていたでしょう?」

 

 諭すような言葉であった。

 今よりずっと昔、教師に尋ねたことがある。

 だが王女が聞きたいのはそれではない。

 

「でも、条件が揃ってたら……」

「理解しておられるのなら、話は早い」


 公爵が広げていた書類を膝脇に置いて両手を組んだ。

 改まった仕草だ。

 王女も自然と前を向いてそれに倣っていた。

 

「……令嬢たちは少し誤っています」

「殿下は好いた令息と結婚できないわけではありません」

 

 予想外の言葉に王女の顔が上向いた。

 公爵の口角はいつもより上がっている。

 

「その者が、あなたに相応しき相手かどうか」

「殿下の心を射止めた令息の力が試される、それだけです」

 

 しかし王女は首を傾げた。

 

「誰に?」

「宰相閣下かもしれませんし、王子殿下かもしれませんし……」

「……私かもしれません」

 

 公爵の笑みが深くなった。

 最後の言葉は王女には解せなかった。

 王女が公爵の藍玉を咎めるように見つめる。

 

「なんでルシが試すの?」

 

「後見人ですし、その資格はあるかと」

「……試す方じゃないよ、ルシは」

「ルシは分かってないな」

 さらに頬を膨らませた王女に、正面の公爵が乾いた笑いを残した。


 

 馬車は王都市街へと入り、やがて劇場の前で止まった。


「パメラ嬢が婚約者とお芝居を観に行ったって言ってたから」

「わたしもルシと来てみたかった」

「……パメラ嬢……確か侯爵家の娘……」


 令嬢たちとの茶会後、王女はすぐに公爵に手紙を書いた。

 お芝居を観に行きたい。王女のささやかな望みはすぐに叶えられることとなった。


 劇場の貴賓席は、舞台を一望できる二階に用意されていた。

 王女が座席に飛び乗ると、その小さな身体が上等な座面に沈み込んだ。


「芝居をいっしょに観たことはありませんでしたね」

「音楽鑑賞もまだ誘ってもらってないよ……」

 王女は覚えている。

 以前誘ってくれると言った。その約束が果たされる日を王女はずっと待っている。


 隣の座席に腰を下ろした公爵を、紫水晶がじっと見つめている。

「……なかなか機会がなく……」

 募るように細まった王女の瞳に、公爵が視線をそらした。

「近いうちにお誘いしましょう」

「芸術にご興味がおありなのは良い傾向です、学びはあなたを豊かにするでしょうから」


 何事か思いついた公爵がふと止まり、一瞬目を伏せた。

 そして王女に向き直った。

 

「……王子殿下もお誘いしますか?」

「あの方も最近は芸術に関心を向けようと努力されているようですし……」

 王女はあからさまにため息をついた。

 公爵はわかっていない。

 王子は芸術など解さない。いつも彼は蹴り玉で遊んでいる。

 

「……ルシと二人で行きたい」


 王女の両手が肘掛けに乗った公爵の手を捕らえた。

「殿下……」

 王女の真剣な眼差しに公爵が小さく笑った。

 

「……ご随意に」

 

 舞台の幕が上がると、その中心に一人の女性が立っていた。

 客席は少し薄暗い。天窓から差し込んだ光が、女性の姿を際立たせていた。

 王女は前のめりになって舞台を覗き込んだ。


 演目は【頂に至る蒼き乙女】

 王国を築いた初代女王アステルの建国記であった。

 蒼い外套をたなびかせた少女が、数人の従者と竜に挑む物語だ。

 国中にとぐろを巻き、その尻尾で民を苦しめた竜は少女の手で葬られ、晴れて少女は女王となったのだ。


 ……教師から聞いた王国史と違う。

 王女は首をかしげたが、芝居が進むにつれ、違和感は頭の片隅に追いやられていった。


 

 芝居は盛大な拍手とともに幕を下ろした。

 王女も倣って両手を合わせた。足は愉快げに揺れている。

 隣を見ると、公爵も静かに手を打っていた。


「……いかがでしたか? 殿下」

「とっても面白かった!」

 王女が大きく頷いた。


 立ち上がろうとすると、貴賓席の扉が軽く叩かれた。

 現れたのは小太りの中年。

 上等な上着を身にまとっていた。


「王女殿下、公爵閣下、本日はご観劇いただき誠にありがとうございました」

「劇場支配人の――でございます」

 支配人の背後には蒼いドレスを纏った女性が控えていた。


 支配人の頭が公爵を向いた。


「……もし差し支えなければ本日の主演をご紹介したいのですが」


 公爵が流れるように王女を向いた。

「……先程の主役が殿下にご挨拶したいそうです、呼ばれますか?」

 女王アステルを演じていた役者。近くで見たい。

 王女が二つ返事で了承した。

 

 控えていた役者が前に出て、ドレスを摘んでお辞儀をした。

 上等なレースがフワリとたなびく。役者の動きに合わせて華やかな香水が香った。

 

「王女殿下に御来席頂き感激しております」

「……楽しんでいただけたでしょうか?」

 王女のために屈んだ役者に、王女も満面の笑みで答える。

「うん、カッコ良かったよアステル」

 王女の祝辞に役者は深々と礼をした。

 そして役者の視線が、公爵へ移った。

 

 王女が見上げると、公爵はいつもの姿をしていた。

 柔らかい笑顔で役者に相対している。

 王女に接するのと、同様の顔だ。


 役者は公爵をずっと見つめていた。

 瞳は潤み、頬は赤らんでいる。

 

「…………」 

 

 最近、見た表情であった。

 王女の脳裏をパメラ嬢が掠めた。


 舞台の上の女王アステルとは、少し違う姿であった。



 意中の人。

 役者の表情を見てから、王女の脳裏にその言葉が離れなかった。

 もう数歩歩けば馬車にたどり着く。しかしそこで王女の足が止まった。


 いつだったか、舞った風聞紙が、王女の足元に落ちてきたことがあった。

 

 ——ローデンバルド公爵に、意中の令嬢がいるともっぱらの噂だ。


 王女の目の前に、渦中の亜麻色がいた。

 本人がいるのだ。聞いてしまえばいい。

 王女が公爵を見上げた。


「……ルシに、意中の人はいるの?」

「……私ですか」


 突然の問いに、公爵がわずかに目を瞬かせた。

 しかし公爵はいつもどおりの柔らかい微笑みで答えた。

 

「いいえ、おりませんよ」

 

「……ふぅん」

「……そうなんだ」


 王女が数度頷いて馬車に飛び乗った。

 あの風聞紙はなんだったのだ。

 嘘つきだ。

 王女は鼻を鳴らした。


 しかしなぜだろう。

 胸の奥だけは、理由もなく痛かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。