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第89話 素敵な婚約者

「私、もう婚約者がいるんですの」

 

 令嬢の威張ったような声を耳にしながら、王女は皿に乗った菓子を口にした。

 花びらを砂糖で固めた菓子。青い花がそのまま閉じ込められたかのようであった。

 

 王女の身は今、フローラ嬢の屋敷、クライアット伯爵家の庭にあった。

 王女と年の近い令嬢たちが招かれ、庭には若々しく甘い声が響いていた。


「どんなお話をなさるんですか?」

「……そうですね……お互いの趣味のお話ですとか……」

「彼は遠乗りを好むので、どんな景色を見てきたとか」

 

 令嬢たちは、一人の令嬢の話に夢中だ。

 自身の話に目を輝かせる令嬢たちの姿に、金髪の令嬢が髪を揺らし、得意げに鼻を鳴らした。

 確かパメラと言っていた。


 王女は花菓子をもう一つ摘まみ、令嬢へ目を向けた。

 話さなくていい。他人の話を聞くのは楽だった。


「殿方との逢瀬はどんなことをなさるんです?」

「二人だけでお茶会、散策、お食事、たくさんしました」


 王女が目を瞬かせた。

 お茶会……。

 散策……。

 お食事……。


 それが殿方との逢瀬。

 王女は亜麻色を思い浮かべた。


 ——わたしもルシと、たくさんした。


「……芝居を見に行ったこともあります」


 それはやってない。

 王女の唇がきゅっと結ばれた。


「先日は髪飾りも贈ってくださったんです」

 そうしてパメラ嬢が頭を傾け、飾られた装飾を令嬢らに見せびらかした。

 わぁ。とたんに黄色い声が上がる。

 パメラ嬢の頬は、赤く色づいていた。


 王女の手が、自然と後ろ髪のバレッタへ伸びた。


「素敵な婚約者の方ね……」


 令嬢の一人から感嘆の吐息が漏れた。

 王女の隣でもフローラ嬢が同じように吐息を漏らしていた。

 

 令嬢たちの様を見て、パメラ嬢の口端が満足げに上がり、そしてその視線がフローラ嬢へ向かった。

「確か、フローラ嬢にも気になる殿方がいらっしゃるんですよね?」

「……へ?」

 パメラ嬢の快活な声が庭に響いた後、一瞬辺りは静まり返った。

 茶を口に含んでいたフローラ嬢が咳き込んだ。


「わ、わた、私にそんな方……!」

 フローラ嬢が茶器を両手で持ちながらうろたえていた。

 

 ——気になる方。

 フローラ嬢が以前、王子を気にしていたことを王女は思い出した。

 王女がフローラ嬢を見やると、彼女の頬はこれ以上ないほどに赤らんでいた。

 

「私の勘違いでしたか? ごめんなさい、フローラ嬢」

 フローラ嬢が無言で何度も頷いた。

 

 このお茶会の主催はフローラ嬢であるはずだった。

 だが、今場を支配しているのは、パメラ嬢であった。

 

 フローラ嬢が落ち着かせるように茶をもう一度口に含んだ。

「…………」

「じゃあ……」

 パメラ嬢の瞳が細められた。

 フローラ嬢の次にその視線が向いたのは、王女であった。

 

「……王女殿下にも、気になる方はいらっしゃるんですか?」

 

 王女の動きがピタリと止まった。

 令嬢たちの視線が王女に集まる。


「…………」

 王女の苦手な視線だ。

 複数の瞳が、王女をのぞき込む。

 興味関心が、王女に向く。

 王女が唇を引き結んだ。

 

 だが、何かを、答えなければいけない。


 パメラ嬢の婚約者との逢瀬。

 それは王女も、ある人と何度も行っていることだ。

 幸せそうに婚約者を語るパメラ嬢。

 

 王女の頭に浮かんだのは、亜麻色の人の微笑み。


「……ローデンバルド公爵」


 口は自然と開いていた。

 

 王女の口から漏れた一言に、パメラ嬢は目を丸くしていた。

 周りの令嬢たちからは小さな悲鳴のような声が上がり、

 フローラ嬢はまたも咳き込んでいた。

 

「……公爵閣下……?」

 パメラ嬢が呆けた声を上げた。

 

 王女がフローラ嬢の背を擦っていると、パメラ嬢がポツリと零した。


「……確かに……あの方は社交界の花形と呼ばれるほど麗しい方ですが」

「……殿下、気になる方って、そういう意味ではありませんのよ?」

「どういうこと?」


 コホン。

 パメラ嬢が姿勢を正して王女を見据えた。

 

「私は婚約者がおりますが、あの方に恋をしております」

「フローラ嬢にも意中の方が」

 フローラ嬢がまたも慌てだしたが、もはや王女もパメラ嬢もそちらに気は行かない。

 

「気になる方って、そういう意味ですよ?」

「公爵閣下は殿下の後見人ではございませんか」

 王女を見つめるパメラ嬢は得意げだ。

 

「……意中の方……」


 先日見た風聞紙の見出しが、まだ王女の脳裏に色濃く残っていた。

 

 ——南の公爵、ついに春来たか。

 ——ローデンバルド公爵に、意中の令嬢がいるともっぱらの噂だ。


「ねえ、パメラ嬢」

「恋は、意中の人にするもの……?」

「恋は、どんな気持ちになるの?」


 ——ルシは、誰かに恋をしている……?


 妙な胸騒ぎが走った。

 かき消すように、王女が口を開いた。


 大人しかった王女の口が途端に動き始めた。

 身を乗り出した王女が矢継ぎ早に言葉を紡ぎ出した。

 これに戸惑ったのはパメラ嬢の方だ。

 

「……恋って何?」

「……どうしたら恋なの?」


 王女の勢いは止まらない。

 パメラ嬢が答えるまで逃さない。

 王女の紫水晶の瞳が強く輝いている。


 パメラ嬢の視線が四方に散る。

 周りの令嬢たちも茶を飲んだり菓子を摘んだりと落ち着かなげに視線を泳がせた。

 誰も王女と視線を合わせようとしない。

 

「えっと、どうでしょう、私なら……その……」

 パメラ嬢の声は小さくなっていき、身体も縮こまった。

 だが、最後に零した言葉は、王女の耳に届いた。

 

「……誰にも渡したくないとか」


 パメラ嬢の耳は真っ赤になっていた。

 婚約者から贈られたという髪飾りの赤が、やけに目についた。

 

「……誰にも渡したくない……?」

 王女が言葉を繰り返した。

 

 それを皮切りに周りで顔を見回し合っていた令嬢たちがポツリポツリと零し始めた。

 

「……私もあります、私だけに笑ってほしいとか……」

 ゆるく髪を結った令嬢が自身の爪を擦りながら語った。

 

「……あなたもそうでしたの? 私はあの方が他の方とお話していると胸が苦しくなるんです」

 大きな青い瞳の令嬢が胸を抑えながら語った。


「剣を振っている姿に一目惚れしたんです」

「高いところにある本を軽々と取ってくださったの」

 

 令嬢たちのおしゃべりは止まらなくなった。

 誰も意中の殿方の名を言わぬのに、それでも場は盛り上がっている。

 

 フローラ嬢はカップの中に視線を落としていた。

 その細い手首に金髪が流れ、表情は見えなくなった。

 王女が彼女にそっと寄り、彼女にだけ聞こえるように耳元で囁いた。

「……フローラ嬢も、そうなの?」

 

 王女の問いかけに、フローラ嬢が小さく頷いた。

 

「……あの方の笑顔が、忘れられないんです」


 フローラ嬢が誰を指してそう言ったのか、王女には分かった。

 王子のことは、分からない。

 けれど、忘れられぬ笑顔なら、王女にもある。


 はじめて会ったときからずっと。

 王女は亜麻色の人を集め続けている。

 

「……わたしもいる……」

「……わたしも誰にも渡したくない……」

「それが、恋? 好きな人?」


「——その人と、結婚する……?」


 王女の問いに、令嬢たちの笑い声がふっと止んだ。

 誰も口を開かない。


 先ほどまで賑やかだった庭を、小鳥のさえずりだけが横切っていく。

 

 王女は令嬢たちを見回した。

 あんなに盛り上がっていたのに、皆どこか困ったように視線を逸らした。


「……どうしたの?」

 

 令嬢の一人が、おそるおそる口を開いた。


「好きだからって、結婚できるとは限りませんもの……」

 

「……殿下のお立場では特に……」


 そして令嬢が口を覆った。

 静けさの前では無意味な行いであった。

 王女はまた、首を傾げた。


 ……なんで?

 


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