第86話 答え
「……寒くないのですか、殿下」
王子らのもとにやってきた騎士団長の声は、いつもよりも穏やかに響いた。
王子の気のせいかもしれないが。
その問いに王子がふと足元を見やる。
「……まあ、耐えられるほどは」
「やせ我慢を……」
苦笑する騎士団長。いつもの姿であった。
王子はなぜかそれに、酷く安堵した。
未だ足で海面を蹴っているゼトを騎士団長はしばし眺めたあと、口を開いた。
「……ゼト、外してくれるか」
「あん? ……おうよ」
騎士団長の様子に、普段なら文句の一つも言うゼトが大人しく引き下がった。
ゼトの姿は砂浜を駆けて、あっという間に遠ざかった。
空気を読むのは得意なやつだ。
——王子と違って。
ゼトが遠ざかるのを確認した騎士団長が王子へと寄った。
「少しは落ち着かれましたか」
「別になんともないぞ」
気持ちを見透かされまいと、王子は足先で波を払った。
「……あの場に連れて行った私が愚かでした」
「いつものように叱って寝室に放り投げればよかった」
「……後悔はしないって言っただろうが」
連れて行けと北方公に直談判した王子。それを北方公は一つ返事で了承した。
あの場で騎士団長にできることなどあっただろうか。
「……悪かったな、お前を巻き込んで」
「嫌なものを見たのはお前もだろう」
「……私は……慣れておるので」
会話が途絶えてもなお、騎士団長の姿はそこにある。
いつもそうだ。
王子が立ち止まっても、誰かしらが傍にいた。
その筆頭が、そこにいる男だ。
北方公と比べても立派な体躯。
それでもこの男は、彼ほどの威圧感を感じさせない。
少なくとも、王子の前では。
王子が口を開くのも、仕方のない話だ。
「……なあ騎士団長」
「俺が金は力って言った時、アイツどんな顔をしてたかな」
ゼトは答えを出したのに。
王子だけが、未だ立ち止まっている。
「……うーん」
「どうでしょうな、私も見ておりませんでしたから」
眉を下げて王子に答える騎士団長。
まったく嘘つきめ。わかりやすいやつだ。
「殿下は真面目だ」
「……気になるのなら、公爵閣下のところにいけばよろしい」
王子の目が、瞬いた。
王子が水面を蹴り上げ、そして素足で砂浜を踏みしめた。
潮風を、思い切り胸に吸い込んだ。
——回りくどいのは好かない。
「どいつもこいつも……人に無駄に頭を使わせようとする」
「俺は忙しいのだから次々と課題をよこすな」
「悪い癖だぞお前たち」
ようやく王子の口が回り始めた。
背後で騎士団長が軽く笑い、王子の口角が上がった。
「まったく、妙な回り道をしたようだ」
王子の紅玉は、まっすぐ碧玉を捉えていた。
ここ最近、灰の目ばかり見ていたせいか、懐かしい気分だ。
「……まるで不貞をした亭主の気分だな」
それは違うでしょう。騎士団長の声が後ろから風に乗って聞こえたが、王子は知らぬふりをした。
——向かう先は、もう決まっている。
公爵は王女とともに砂浜にいた。
王女が立ち上がったりしゃがんだりを繰り返し、砂浜に落ちていた貝殻を拾い集めている。
「……ルシ、これ綺麗だよ」
貝殻についた砂を叩いてふぅと息を吹きかけた。
王女の手の中から、光沢のある紅色が現れた。
それを手のひらに乗せ、公爵に差し出していた。
「ええ、とても綺麗です。殿下は探し物がお上手ですね」
「……宝物にしよう」
「こちらはいかがですか?」
公爵が差し出したのは瑠璃色の貝殻。
「……素敵、ルシも宝物探しが上手だね」
「差し上げます」
砂浜にしゃがみ込んで貝殻探しとは。平和なことだ。
貝殻に夢中な王女は、大股で近づく王子に気づく素振りもない。
真っ先に気づいたのは、やはり公爵であった。
「……公爵」
片膝をついたままの公爵が、王子を見上げる。
決闘の日以来だった。
あの時も公爵はこうして、王子を見上げていた。
だがもう、あの挑戦的な藍玉はどこにもない。
「どうかされましたか、王子殿下」
王女が振り向き、王子を不思議そうに仰ぎ見た。
王女の手には、砂まみれの貝殻。——宝物と呼んでいた。
「……俺はお前に不満がある」
「…………」
公爵を見下ろし、王子は続けた。
横の王女が貝殻探しをピタリと止めて振り向いた。
「お前が武力ではない力を見せると言って俺を連れてきたのに」
「蓋を開けてみれば、自分で考えろだと?」
「何を感じるか、何を得るかは俺次第、だぁ?」
「お前、回りくどいんだよ……!」
王子の文句は叫びとなって砂浜に響いた。
近くで砂山を作って遊んでいたゼトがピョコッと顔を出した。
公爵の反応はない。
代わりに王女がすっくと立ち上がり、公爵を指したままの王子の手を叩いた。
「ケンカ売るのやめて」
邪魔な王女だ。コイツは常にしゃしゃり出てくる。
王子が煩わしそうに王女をシッシと手で払うと、王女が唸った。
ようやっと立ち上がった公爵が王女の背を撫でて落ち着かせる。
「……よく言われます」
「直せよ、じゃあ」
「善処しましょう」
王子の視線が、公爵の細腕へ落ちた。
剣を握れぬと言ったその腕を、王女は当たり前のように抱いている。
いけ好かない男。
スカした態度も、薄笑いも、何でもそつなくこなす様も。
極めつけは、兄よりこの男を選ぶ王女の存在。
全てが王子を苛立たせる。
「……俺はいまだお前の言わんとすることが分からない」
「武力は大事だ」
「お前も武具屋で剣を買うじゃないか」
「……ええ、買います。大事ですので」
王子が歯噛みする。
「……じゃあなんだよ、はっきり言え」
「ゼトの言ったことが正しかったのか?」
——閣下が領民を信用されていたからでしょうか?
「……俺の言ったことは間違いか?」
——金は力だ、公爵。
公爵が身を屈め、揺らぐ紅玉を覗き込んだ。
「……いいえ、どちらの考えも否定はいたしませんよ」
「どちらも正しいのでしょう」
「なんだその答えは! お前が答えを用意するって言ったのに!」
「……武力も力! 金も力! 治安も力!」
「なんでも正解かお前!」
頭に来る男!
公爵の言葉に王子が砂を蹴り上げた。
「わ! やめて!」
大人しくしていた王女が砂をかけられ悲鳴を上げた。
タイツについた砂を払いながら王子を睨めつけている。
「……一つに定まるものではありませんので」
「殿下とディゼトラルの見るものが異なったように、答えなど様々」
「……あなたが考えて出された答えならば、それで良いだろうと」
公爵の視線が、横の王女に向かった。
「……ただ殿下は、ご自身の答えに納得されたのだろうか」
「お答えを聞いて、そうは思いました」
その藍玉は今、まっすぐに王子を見据えていた。
いつものように、感情の読めぬ瞳であった。
だが、その瞳は妙に胸を軋ませた。
——お前の力を俺に証明しろ公爵!
始まりは、対抗心であった。
そして挑んだ決闘、それが、いつの間にか覆されていた。
そこからずっと、王子は調子が狂っている。
——馬車の中に隠れ潜みながら、戦う騎士団長を見た。
そのたくましい腕に守られたのは王子だ。
——盗人を処刑した北方公の血塗られた長剣を見た。
その腕に、自分も縊り殺されそうだ。そう思ったのは王子だ。
何が武力だ。何が武力ではない力だ。
王子がゆっくりと右手を握った。
剣だこが浮いた手。腕は少しばかし筋肉がついてきた。
木剣が馴染んだこの手。
この手で木剣を突きつけた相手は、抵抗もできぬこの細腕だった。
——その細腕でシエルを守れるのか!
尤もらしい言い訳だった。
シエルを使っただけだ。
本当は。
気に食わぬこの男を叩きのめしたかっただけだ。
「…………」
「……王子殿下」
公爵の瞳が今一度、王子の紅玉を見やった。
「……殿下は我が領で、何か得られるものはありましたか?」
公爵の口元には、かすかな笑みが浮かんでいた。
王子はようやく、自身を見つめる藍玉に視線を返した。
……公爵は、こんな顔をしていただろうか。
今更知る由もない。
王子は公爵の顔など見ようと思ったこともないのだから。
公爵の隣に目をやると、小さな白金色が海風に揺られていた。
王子に向けられる不満げな面は、しっかりと公爵の細腕を抱いている。
「……ああ、そうだな」
「……答えなどいらん、その姿が答えだろう」
「今更ながら、馬鹿な問いだった」
「……すまなかったな、公爵」
王子の謝罪に、公爵の口が動いた。
「……謝罪は不要です、殿下」
「私のやり方が、あなたに合わなかったのは認めましょう」
「……本来は、もう少し時間を掛ける予定でしたが」
公爵がどこか遠くに目をやった。
王子の脳裏にうっすらと、灰の目をした男が浮かんだ。
普段考えの読めぬ男だが、今ばかりは同じ事を考えている、王子はそんな気がした。
「私自身に武力で抗う力はありません」
「……しかしそれ以外の力でしたら如何様にも」
「それが、私なりの答えです」
ずいぶんわかり易い言葉だった。
いつもと違い、率直で、王子好みの話し方。
やればできるじゃないか。
「……全てを明かすことは、できませんが」
しかしやはり最後には含む男だ。
王子はつい、鼻で笑った。




