第85話 武勇伝
「昨日姫様といっしょに出かけてさぁ」
「昼に海老食ったんだよ」
「……お前も居ればよかったのに」
「それは良かったな」
ゼトは朝から海老の話ばかりであった。
昨日も一睡もできなかった王子と違い、ゼトの顔色は明るい。
バスケットに乗ったパンをちぎりながら、王子は船を漕いだ。
「お前あんな酒飲み親父に付いていくから食い損なったんだぞ」
「……お前……酒飲み親父って……」
「な、姫様、美味かったよな」
「……うん……」
ゼトの声に、王女の返事は芳しくない。
王女はフルーツをフォークに刺したまま動かない。
「ねえ、今日もルシは来ないの?」
控えていた侍女に問うと、侍女が躊躇いがちに頷いた。
「もー」
「……ルシは今どこ?」
「まだ、執務室にいらっしゃいます」
ピョン、と席を立つと王女が侍女に寄った。
「ご飯食べてないよね」
「……後ほど摂られると」
王女の両頬が膨らんだ。
そのまま食堂を出ていきそうな勢いで歩き出した王女に王子が声を掛けた。
「おいお前、食事中に席を立つなよ」
振り向いた王女はまだ両頬を膨らませていた。
「……お兄様にマナーとか言われたくない」
そして再度侍女に向いた王女がこう告げた。
「……ルシのお部屋に、朝食を持ってきてほしい」
王女が退出すると、入れ替わるように騎士団長が姿を現した。
「……王女殿下はどうされたんだ」
「なんか公爵……いや公爵閣下と食べるんだってさ」
「そうか……」
席についた騎士団長が、真っ先に王子に目をやった。
王子の頭はふらふら動き、手に持ったパンをグラスに浸した。
「?」
水でふやけたパンを、口にする。
「なんだこれまずっ」
「何をしておられるのか……」
途端に目が覚めた王子。その耳に騎士団長の怪訝な声が届いた。
スープに浸したつもりだったが……。
「エリオス殿下、昨日はちゃんと眠られましたか?」
「…………寝た」
長い沈黙は否定であった。
ゼトすら怪訝な目で見ている。
「お前ずっとおかしいけど……」
「あの親父にまたなんか言われた?」
「…………」
北方公に。
俺は。
——決闘だなんだと、剣を持たぬ相手に勝負を挑んだ王太子がいたらしいが。
——誰の行いだったのだろうな。
返す言葉を持たなかった。
そして浮かんだのは別の男の言葉だった。
——あなたは王女殿下を守れる力を私に見せろとおっしゃった。
——ならば私なりの方法で、あなたにそれをお見せします。
「金は力だ、公爵」
俺の出した答えを聞いた時。
アイツは、どんな顔をしていた?
俺が返すべきは、もっと別の——。
王子が手に持ったパンを頬張り飲み込んだ。
フォークで肉を突き刺し、それに齧り付く。
「クソッ」
マナーなど知るか。
どうせ王女だって席を立った。
俺達二人は身勝手な兄妹だ。
「……殿下」
「…………今日は海岸に行くそうです」
「そこでゆっくり、休まれるといい」
馬車に揺られた移動の時間、目を瞑ると王子の意識はそこで途絶えた。
意識が戻ってきた時、最初に聞こえたのはゼトの声。
「お前イビキうるさかったぞ」
ゼトの声に、お前もだろ。王子は心の中で反論した。
——次に聞こえてきたのは、穏やかなさざ波の音だった。
馬車を降りると、潮の匂いが風に乗って王子の鼻を掠めた。
浜へ足を踏み入れると、土を踏みしめる感触とは少し違っていた。
波が打ち寄せて引くたびに、浜に白いあぶくが出来ていた。
王子の足元で小さな蟹が動き、それをじっと見下ろした。
蟹は横歩きをする。本で見た。
「……見ろゼト、蟹だ」
ゼトを手招きし、二人でそれをしゃがんで見やったが、しばし眺めたゼトがため息をついた。
「コイツは食い甲斐のねえ蟹だな」
ツンツン、小さな蟹を指で数度つつくゼト。
……情緒のないやつだ。
走り回る気分でもない。砂浜に腰掛けて海を眺めていると、自然とゼトが隣に腰掛けてきた。
「お前昨日、親父とどこ行ってたんだ」
「……騎士団長、言わなかったのか?」
「……ああ、何十回と聞いたが」
それはしつこいな。
王子の口から苦笑がこぼれ落ちた。
「アイゼングラード公を追って、砦に行ってた」
「……つまんねえ場所に行くなぁ……」
「まあ……面白い場所ではなかった」
思い出しかけた光景を振り払うように、王子はゼトに話題を返した。
「お前たちは、どうしてた」
「……へへ、姫様と二人で公爵閣下と港で海老を食ったよ」
さっき聞いた。だが、ゼトの話しぶりに何か違和感があった。
それは朝から、ずっとだ。
「お前さっきからなんで公爵閣下って呼んでるんだ」
ゼトは公爵をそのように敬う男ではない。
見やるとゼトが歯を見せて笑っていた。
待ってました。そんな思いを込めた表情であった。
ゼトが懐から何かを取り出し、王子に突きつけた。
「じゃん!」
ゼトの手の平に収まるそれは、先日彼が欲していた——金の羅針盤。
「買収されてる……」
「これは買収じゃない、褒美だ」
「よく聞け俺の武勇伝を……」
勝手に自分の世界に入りだしたゼト。そのおしゃべりな口を止めることはできない。
王子は諦めて聞き入った。
◇
「海老が食べたいです!」
「……や、やめなさい……」
昨日、ゼトと王女と公爵の三人は、再度港町を訪れていた。
王子はいないが仕方ない。造船所と交易所を見学していた。
そして昼に差し掛かり、路端で営業していた海産物の素焼きを売っている店から、
なんとも言えぬ香りが漂ってきた。
「……お腹すいたね」
王女のつぶやきに公爵が返した。
「昼にしましょうか、店を予約していますよ」
ここを逃せば二度と機会はないかもしれない。
ゼトは意を決して公爵の前に出た。
石畳に額を擦りつけるように平伏した。
そこは往来の場。しかし構わなかった。
「海老を食わせてください!」
「海老が食べたいです!」
「……や、やめなさい……」
常とは違う戸惑ったような声。
王子に聞かせてやりたかった。
周囲も何やらざわついていた。
「頭を上げろ……」
公爵がその場に膝をついてゼトを起こそうとするが、ゼトは踏ん張った。
確約をもらうまで動かない。
「……何でもしますから!」
「海老はある!」
はじめて聞いたかもしれない、公爵のこんな声。
やはり王子が居ればよかった。
ゼトは歯を見せて笑ったが、公爵の背後にいた王女は、ゼトをなんとも言えぬ目で見ていた。
「……恥ずかしいよ……ゼト……」
王女はその後しばらく、目を合わせてくれなかった。
◇
静かに聞いていた王子は首をひねった。
「……何の話だ? 今の」
「海老を獲得した時の話だ」
「羅針盤の話をしろ」
苛立った王子にゼトは首をすくめた。
「今のは序章だ、せっかちな男はモテないぞ、エリオス」
「そんで昼を食べてるときに、公爵から聞かれたんだ」
「——お前は昨日、小銭を持ち街を歩いて、何か思ったことはないか、と」
ゼトがおもむろに立ち上がり、靴を脱ぎ始めた。
裸足になった彼が波打ち際に寄り、あぶくを足で踏んだ。
「……アイツが俺に問いかけてくる、そんな事あるんだってびっくりしたぜ」
前のめりになる王子。
「……お前はなんて答えたんだ?」
「まあ……アイツは何を望んでるのかなって考えて……」
「……考えて……」
ゼトが足で海水を蹴った。飛沫が上がり、王子の顔に海水が飛んだ。
「素直に言うことにした」
「建物の影や上に監視がわんさかついてるのは知ってた」
「けど街は平穏そのもの、王子も王女も来てるのに、誰も騒がねえ、普通に住民が町中歩いてる」
「そんでも……」
「……公爵はずいぶんと二人を自由にするんだな……って」
ゼトの足先からずっとしぶきが飛ぶ。
耐えかねた王子がすっくと立ち上がり、己も靴を脱ぎ始めた。
「そしたらアイツまた質問重ねてきてさ」
「……何故だと思う? だってさ、知らねえよ」
王子も裸足で海水に浸る。
春先の海は、まだ身に沁みる冷たさを残していた。
「でもお前それにも答えたんだろ」
「ああ、公爵領の治安の良さは評判ですから、閣下が領民を信用されていたからでしょうか? ってな」
「お前ゴマ擦ってないか」
「……ああ、公爵にもゴマを擦るなって言われた!」
だがゼトは笑っていた。
その手には、先程も見せられたものが握られている。
「……だがその甲斐があった」
「アイツも褒め言葉には弱い!」
王子はそれを見つめながら、なんだか妙な気分になった。
海水が、裸足に染み込んだ。
誤魔化すなよ、ゼト。
お前はちゃんと答えを返してるじゃないか。
なんで俺は。
どっちにもちゃんとした答えを、返せなかったんだろう。




