第83話 北方公の目的
——王太子殿下は目に見えるものだけで物事を計るらしい。
——…………自惚れるなよ小僧。
——……王は望んでなれるものか?
今更になって、昼間の北方公の言葉が、王子を苛んでいた。
布団に潜り込み、天井を見つめる王子の肩を、隣のゼトが揺さぶった。
「おい、何黙ってる」
「なんだよ、うるさいな」
今日のゼトは眠気を知らぬようだ。その三白眼は昼間以上に冴えていた。
「……なんで今日静かだ? 疲れたのか?」
「……今更ながら、アイゼングラード公の言葉が気になってな」
「あの酒飲み親父の?」
「王は望んでなれるものか、だと」
王子の視線は天井を向いたままだ。
だが、本当にそこを見ているのか。王子にも分からなかった。
「……アイゼングラード公は、怒ったのか?」
「親父が言ってたろ、気にしてねえだろって」
「酔っぱらいの説教なんか話半分で聞いてろよ」
歯に衣着せぬ物言いに、王子が横目でゼトを見やった。
「……だが……」
そうだろうか。
昼は感じなかった妙な胸騒ぎが、王子の中を巡っている。
「なんでお前、北方公ばかり気にしてんだ」
「なんでって」
堂々とした佇まい、その家紋の狼同様、鋭い眼光を湛えていた男。
王子の目を奪う男だった。近づきたい、ものにしたい。
——だが、近づいた瞬間、跳ね除けられた。
あの男の言葉が、王子の胸に棘のように鋭く刺さる。
彼が何を伝えたかったのか、王子には、分からない。
「……お前そっちばっか気にしてるけど……」
今度はゼトが言い淀んだ。
「……公爵のほうも気にしたほうがいいんじゃねえの」
北方公に続き今度は公爵。それは解決しただろ。
王子が口を開きかけたが、ゼトが続けた。
「金は力……だったか」
「お前ホントにあんな答えでいいのか」
「あの時の公爵の目、お前見てたか?」
最後のゼトの言葉に、やっと王子がゼトに向き合った。
「公爵の目?」
そんなもの、見なくたって分かるだろ。
どうせいつものように、余裕ぶった、胡散臭い目で。
——……殿下は、そうお考えになった。
どこか乾いた言葉。
あの時アイツは、どんな表情をしていた?
——その夜、王子は一睡もできなかった。
考えても、意味はないというのに。
分かったことと言えば、ゼトはイビキがうるさいということぐらいであった。
喉の渇きを自覚し寝室を出ると、窓の外はすでに白み始めていた。
欠伸を一つして階段を下りると、そこで低い声がした。
「……護衛を何人か割きましょうか」
「無用。我が兵で十分」
玄関ホールに騎士団長と——アイゼングラード公の姿。
その長身は、昨日と打って変わり甲冑を着込んでいる。
戦に赴くような出で立ちだ。
「……何処かに行くのか?」
目を擦る王子。
思いもよらぬ声に、振り向いた騎士団長が目を剥いていた。
「まだ起きる時間じゃありませんよ、寝てなさい!」
「何コソコソしてんだ」
慌てる騎士団長に構わず、近づく王子。
その甲冑を見た瞬間から、眠気など覚めていた。
「何処行くんだって聞いてる」
王子の視線は北方公をまっすぐ見据える。
黒い甲冑がきしみ、鼻で笑う。
「……所用ができてな」
「その物々しい出で立ちで所用とな、ごまかし方が雑だな」
紅玉が煌めいた。
「……俺も行く」
このような時間に起きるのは稀だ。
馬に揺られ、背後の騎士団長に後頭部をぶつけても、王子の瞼は重いままだ。
「眠いのならついてこなければよいのに!」
手綱を握りながら王子の身体を揺らさぬようにと抱える騎士団長。
「お前についてこいって言ってないだろ」
「ついて来ぬわけにいかんでしょうが!」
前をゆくのはアイゼングラード隊の黒旗。
北方公は先頭で、先程から馬を飛ばし続けていた。
「見失うぞ騎士団長、それでも王国最強の騎士か」
王子の眠気が覚める度、口も達者になる。
しかし挑発には乗らぬ騎士団長。
その目は目的地を見据えている。
「……どうせ行き先は分かっておるのですから」
そして北方公を追って着いた先は、王都と公爵領を結ぶ砦であった。
赤い旗が風にはためいている。
馬から降り立った王子の手は、騎士団長の手で固く握られていた。
「……別に何もしない」
「…………」
答えぬ騎士団長。
先をゆく北方公の足が止まり、後ろを振り向いた。
「……小僧」
「ここに何しに来たんだ?」
王子の問いに、北方公が口角を上げた。
「じき分かる」
王子の手を握る騎士団長の手に力がこもり、ハッとして見上げると
その碧色の目はキツく研ぎ澄まされていた。
「……アイゼングラード公、殿下がお出でだということを考慮して頂けますか」
いつもよりも堅い騎士団長の言葉に、王子が眉を顰める。
「連れてきたのは貴様だろう」
「……私が指図される謂れはない」
そして砦へとゆっくり歩き始めた長身が、待ちきれぬように腰の長剣を抜いた。
「……おい、何をしに来たんだアイゼングラード公!」
駆け出そうとした王子の手を、握った手が力強く引き止める。
「ここで待ちませんか、エリオス殿下」
「私は臣下です。お願いすることしか、できませんが」
騎士団長の切実な声。
聞いてやりたい。
だが、それを聞いたらなんのためにここまで来た。
未だに脳裏にこびりつくあの声。
——王太子殿下は目に見えるものだけで物事を測るらしい。
——…………自惚れるなよ小僧。
——……王は望んでなれるものか?
ここで引き下がる、エリオスではない。
「……後悔などしない」
「俺は王太子だ」
砦には、両腕を後ろに回され、猿轡を噛まされた男たちがいた。
周りを赤い外套の公爵兵で囲まれている。
どの者も怯えたように肩を震わせ、頭を垂れていた。
王子はその傍でただ成り行きを見守っていた。
「……全員いるな」
抜いた長剣で、捕らえた一人のあごを上向かせた北方公。
……若い、男であった。涙で歪んでもなお、端正な顔をしていた。
「やってくれたな、————」
北方公の知る者だろうか。
楽しげに喉を鳴らした北方公に近づく者の姿があった。
公爵兵が耳打ちし、持った黒い包みを開いた。
王子の側からはよく見えぬ。小物だろうか。
それを見下ろす北方公が一つ息を吐き、長剣を一度下ろした。
「印章は無事か……」
「……お前たちの口は要らなくなったな、残念」
北方公がその長剣を横に凪いだ瞬間、王子の視界は分厚いなにかに覆われた。
すぐに理解した。
騎士団長の革手。
ザラザラした感触が、目元を掠った。
遠くでくぐもった声が続けざまに響き、やがて辺りは静まり返った。
王子の視界は、未だ覆われている。
「……なんだ、過保護なことだな騎士団長」
聞こえるのは、北方公の声ばかり。




