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第80話 お代はわたしが

「ルシ、ここのお代はわたしに任せて」


 得意げに鼻を鳴らした王女がワンピースのポケットから取り出したのは、公爵が預けた小袋であった。

 グイッと小袋を目の前で掲げ、王女は力強く頷いた。

 公爵は少し視線を泳がせ、口を開いた。


「お気持ちはありがたいのですが」

「……ここは掛け払いでして……」

「掛け払いって何?」

「今払わなくても良いということです。後ほど屋敷でまとめて精算いたしますので」

 王女が頬を膨らませ、足元の木板を靴で打った。

「だめだよ、わたしがごちそうするんだから!」

「……お気持ちだけ……いただきますので……」


 終わらぬ問答。

 二人が立ち上がると、様子に気づいた店員がテラスへやって来た。

 

「当店をご利用いただきありがとうございます、王女殿下、公爵閣下」

「……なにか、お困りごとでもございましたか?」

 二人を交互に見つめる店員に、我先にと声をかけたのは王女だ。

「店員さん、美味しいお茶をありがとう」

 王族からの賛辞。店員が改まって腰を曲げたが、王女の次の言葉に固まった。

 

「ここのお代は、わたしが払うから」

「いくらか教えて」


「え?」

 戸惑う店員の視線は、自然と公爵へ向かう。


「いや、いいんだ。私の屋敷に回してくれ」

 

「ルシは黙ってて」

「……はい」

 

 王女が小袋の紐を解き、中身をジャラジャラとかき混ぜ始める。


「……何枚あるといい?」


 真剣な眼差しだった。

 公爵と店員がしばらく黙り込み、先に公爵が動いた。

 店員へ視線を送り、口だけで何事かを告げる。

 それから静かに五本の指を立てた。

 深く頷いた店員が、緊張した面持ちで王女に向かう。


「お代は、銅貨五枚にございます、王女殿下」


 小袋を漁る王女が、一枚一枚硬貨を取り出しテーブルに置いた。

「……一枚、二枚……足りた!」

 安堵したように胸を撫で下ろす王女。


 小さな手で銅貨を包んだ王女が、それを店員に手渡した。

「ごちそうさまでした!」

「……はい、ちょうどお預かりしました、ありがとうございます、王女殿下」

「うん!」


 はじめて、自分の意志でお金を使った。

 王女の頬は紅潮していた。


 小袋の中には、まだ硬貨が残っている。

 じっと見つめる王女。


「殿下」

 王女に寄った公爵が膝を折った。

 

「ごちそうになってしまいましたね、ありがとうございます」

「いいんだよ」


「また来ようね、ルシ」

 満面の笑みを浮かべる王女に、公爵も頷いて微笑んだ。

「……ええ、そうしましょう」



 噴水前の中央通りに戻ってきた二人が向かったのは、窓辺に小物が並べられた文具屋だ。

 小さな硝子製のインク壺が王女の目を引いた。

 隣には軸が深い藍色に塗られ、金箔で装飾がされた羽ペンが飾られていた。

「……これ、素敵だね」

「…………お気に召しましたか?」

「うん、欲しいなぁこれ」

 

「ねえ、残ったお金で買えるかな?」

「ふむ……」

 小袋を握りしめる王女の朗らかな表情とは裏腹に、公爵の表情は芳しくない。

「殿下、値札をご覧いただけますか」

 インク壺と羽ペンには、小さな羊皮紙の札が添えられていた。

「こちらの品、……合わせて銀貨二十枚になります」

「銀貨……?」

 王女の顔が途端に曇った。

 おそるおそる小袋を確認し、中に入っていた銀貨一枚を取り出した。

 小さな手が小袋の中を何度も探るが、それ以上銀貨は出てこない。

 王女の視線が値札と小袋を何度も行き来した。

「……一枚しかない……」

 肩を落とす王女。小袋の端をキュッと握りしめた。


「……欲しいものと手持ちの金が合わぬこともあります」

「店に入ってみませんか殿下」

「残ったお金で何が買えるか、見てみましょう」

 

 公爵が文具屋の扉を開くと、待ちわびていたように老齢の店主が深々と頭を下げていた。

 

「ようこそ、王女殿下」

「……こんにちは」

 

 薄暗い店内は、羊皮紙と樹脂の匂いに満ちていた。

 様々な羽ペンや小物が棚に所狭しと並べられている。

 だが、先程窓際で見たものよりも王女の目を引くものはない。

「シエル殿下」

 公爵が王女を呼び止め、栞の並ぶ棚へそっと手を差し向けた。

 

 王女は近づき、その中の一つを手に取った。

 銀細工の細長い栞には、ティアラを戴いた女性の姿が彫られていた。

 それをじっと見つめる王女が、栞に吊られた値札をおそるおそる見ると。

 値札には、銀貨一枚と記されていた。

「……一枚!」

 傍の公爵に向いた王女がずいと栞を差し出した。

「わたし、これにする!」

「買えるよ!」


「……ええ、良いものを探されましたね、殿下」

 

 公爵が店主に寄って囁いた。

「殿下がお持ちの栞をいただこう」

「それと、表に飾られているペンとインク壺だが」

「……それを包んでくれるか」

「王女殿下にふさわしいリボンも付けて」


 王女が公爵を見上げた。

 不思議そうな顔で、公爵と店主を見比べる。

「……ルシ、それお金足りないよ」

「いいえ殿下」

「さきほどは私がごちそうになりましたから、その御礼をさせてください」


「……私に花を持たせてくださいませんか」


 そして文具屋を出た王女は、両手に箱を抱いていた。

 布で包まれた箱には、金箔で縁取られたリボンがまとわれている。


「ありがとうルシ!」

「こちらこそ」


「わたしだけいいのかなぁ」

 王女が腕に抱いた箱を大切そうに抱きしめた。

「……王子殿下とディゼトラルにも、後ほど彼らに相応しきものを贈りましょう」

「気になさらないで」

 

「…………わたしだけじゃ、なかったんだ」

 公爵の答えにむくれる王女。

 その様を見て、公爵が小さく吹き出した。

「……殿下には、またいくらでもお贈りする機会がございます」

 王女の口角は途端に上がった。



「お買い物って難しいんだねルシ……」


「相場というものがございますから」

「今日はお金を使う経験ができた、それでよろしいんですよ」

「じゃあまたお買い物に来ようねルシ」

「ええ、喜んで」


 

 いつのまにか空は赤みを帯び、夕暮れの気配を漂わせていた。

 二人が噴水通りに戻ってきたとき、そこに王子とゼトの姿はまだなかった。

 

「ねえルシ。さっきお兄様が言ってた挑戦状って何?」

 

「挑戦状というほどでは。ただ王子殿下に前々から求められていたものがございまして」

「……そちらへの答えを提示させていただこうと今回の催しを思い立ちまして」

「……王子殿下はそれを挑戦状、と捉えておられるのでしょう」


「ふうん、お兄様のためかあ……」

「……ルシ」

「わたしにも挑戦状出していいよ」

「おやシエル殿下も?」

「お兄様ばかりずるいよ」


「そうですねえ……」

 しばし考え込んだ公爵が、思い立ったように王女に向いた。

「これは挑戦状ではありませんが、個人的に殿下のお考えを伺いたいことがあります」


「……殿下なら、国の秩序をどう守りたいですか?」


「……国の平和、と言い換えましょうか」

 

 問われた王女が公爵を見やった。

 藍玉をじっと見つめ、公爵の表情をつぶさに見る。

 国の平和。はじめて聞かれたことだ。

 王女は王にならない。意味のある問いだろうか?

 王女は窺うように公爵を見上げた。


「知りたいのは殿下のお気持ちです。正解はありません」

 いつもの表情で微笑む公爵。考えは読めない。

 

 正解がないのなら。王女はふと思った。

 王女にとって平和は……。

 

 本が読めて、公爵に手紙が書けて、公爵が王女を訪れる。そういう日常だ。

 

 ——それが壊されたことがある。


「お兄様の襲撃事件……」

「……お兄様もわたしも困った……」

 ポツリと呟き始めた王女に、公爵が耳を傾けた。

「ルシとの約束……ダメになって悲しかった」

「だから……悪い人は、いないほうがいい。——やったら、ちゃんと懲らしめる」

「二度としないように」

 王女の最後の言葉は強く響いた。

 

 公爵はただ静かに王女をみつめ、王女も公爵の答えを待つようにゆっくりと見上げた。

 空の赤が、また濃くなる。

 

「……ありがとうございます、殿下」

「同じ過ちを繰り返させない、というお考えですね」

「シエル殿下は聡明でらっしゃる。私も勉強になります」

 公爵は夕焼けに染まり始めた街並みへ目を向け、一歩進みかけた足をふと止めた。

 

「……もう一つだけ、お聞きしたいのですが」

「ん?」

 

「もしその悪い人が、私であったら」

「……」

「殿下はどうされますか?」


 一歩前を歩く公爵の背は、何も語らない。

 近くにある噴水の水音が、王女の耳にやけに障った。

 

「…………」

「なんでそんなこと聞くの?」

「挑戦状を出してもよいとおっしゃられたので、つい」

 

「……ルシは、違うよ」

 王女は首を振り、公爵の袖をそっと掴んだ。

 

「悪い人は他の人だよ」

 

「……もしそうなったら、です」


 夕日が公爵の影を長く伸ばし、王女の小さな背を覆う。

 

「そのときは……ちゃんと懲らしめてくださいね、殿下」


 王女がもう一度、公爵の袖をグイッと掴んだが。

 それでも公爵は、振り返らなかった。

 


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