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第79話 二人きりの特別な場所で

「ルシ、美味しい?」


 公爵が茶を一口含むのを見届けると、王女が口を開いた。


「……はい、とても」

 テーブルに頬杖をついた王女が、お茶もそこそこに公爵を見つめている。

 公爵の答えに満足したのか、テーブルの下でご機嫌に足を揺らす。


 二人は噴水通りを抜けた先、海岸沿いの一軒の茶房へ足を運んでいた。

 王女と公爵の訪れに、気を利かせた店員が勧めたのは海を望める二階のテラス席。

 そこに他の客はいない。

 

 足元の木板が、踏みしめるたび小気味よい音を立てる。

 面白がった王女が、床板を靴先で軽く叩くとコン、と乾いた音が鳴った。


 海から流れた風が公爵の髪を撫で、亜麻色がふわりと舞った。

 見ていた王女がクスリと笑う。

「……殿下、楽しいことでも?」

「ううん」

 ごまかすように、柑橘類の乗ったタルトにかぶりつく王女。


 二ヶ月ぶりのお茶会。

 二ヶ月ぶりのルシ。


 二人きりの特別な場所で。


 タルトを口に頬張りながら、王女はずっと目を細めていた。


「ルシはちゃんと朝ごはん食べたの?」

 今日の朝、公爵は大食堂に現れなかった。

 侍女に聞けば、今日の準備があるからと先に朝食を摂ったのだとか。


 王女の脳裏には、未だ公爵の皿に残った魚が焼き付いている。

 

「ええもちろん」

「殿下は最近よく私の体調を気にしてくださいますね」

 カップを皿に置いた公爵。

 王女が見上げると、藍玉と視線がぶつかった。


 頭のてっぺんから指の先まで。

 一つも逃すまいと公爵を見つめた王女が口を開いた。

 

「だっていつもと違うよ、ルシ」

 

 公爵は答えなかった。

 何が違うのか、王女にもわからない。

 

「昨日はちゃんと寝た?」

「お仕事ばかりしちゃだめだよ」

「あの無礼な人にいじめられたら言うんだよ?」


「ふふ……」

 最後の言葉に公爵が声を漏らした。

 口元に指を当て、顔をそらしている。

 ——目は細まっていた。


「なんで笑う?」

「いいえ、殿下のお心遣いに痛み入ります」

「しかしなんというか」

 公爵が口元に当てた指をそっと外すと、彼は歯を見せ笑っていた。


「……愛らしい母親を得たようだと思いまして」

 

「もー!」

 膨れた王女がテーブルをペチペチと叩いた。

「心配してる!」

「ええ、十二分に理解しております」


 公爵がまた、カップを口元に寄せて茶を口に含んだ。

 彼の皿にある菓子は、少しも減っていない。


 公爵の髪を潮風がさらうと、彼の視線が自然と海へ向いた。

 その横顔はどこか遠い目をしていた。


「……二ヶ月は長かったですね、殿下」

 

 海を見つめたまま、公爵がポツリとつぶやいた。

 王女に向けていたのだろうか。それにしては小さな声だった。

 王女は「うん」と頷き、彼を待った。

 

「……もともと、宰相閣下からいただいたお話でした」

「シエル殿下と王子殿下、お二人を公爵領にご招待できないかと」

「お二人の良い経験になるだろう、私も同じ気持ちでした」

「まあ、予定とは違う形になりましたが、無事あなたがたを迎える準備が整ってよかった」

 

 独り言のようであった。

 王女に向けているようで、海に語りかけているようでもあった。

 彼はここにいない。どこかそんな違和感のある声だった。

 

「ルシ疲れてる?」

 王女の言葉に、公爵がようやっと王女を向いた。

 そしていつものように微笑む。

「いいえ」

「…………」

 王女の口がツンと尖って公爵をジトリと睨めつけた。

「本当?」

 王女が言い募れば公爵は、少しばかし俯いて小さく息を漏らした。

 

 公爵は、今、嘘をついた。

 

 王女は初めてそれを確信した。

 

 しばし俯いていた公爵が再度上向いたとき、公爵は笑っていなかった。

 眉は困ったように下がり、少しだけ口角を上げている。

 久々に見た、困った顔だ。

 だが今は、いつもの笑顔よりもそちらの顔のほうがよっぽど自然であった。


「……少しだけ」


「けれど」

 

「…………殿下にお会いできたので、元気になりました」


 また、いつもの笑顔に戻った公爵。

 だが、王女には先程のように不自然な顔には見えなかった。


「二ヶ月は長かったよ」

「ええ、とても」

 ほっとした王女の視線が、公爵の傍にある手つかずのままのタルトに行った。

 

「ルシ、そのタルト美味しいよ」

 王女の言葉に公爵がようやっと手元の菓子を見た。

 指先でそれをつまみ、一口。

「……ええ、本当に」


「殿下の言うとおりだ」

 

 王女はずっと見つめていた。タルトがすべて、公爵の腹の中に収まるまで。


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