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第77話 宿題

「……公爵は俺にどんな素晴らしい教えを授けてくれるんだろうなぁ」

 

 小憎らしい声があたりに響いた。

 王子に見据えられた公爵は、いつものごとく感情の見えない顔で王子を見下ろしている。

 

 公爵領来訪二日目。

 子どもたちの姿は今港町にあった。

 巨大な噴水の前で、公爵と子どもたちは向かい合っていた。

 

 噴水の周りを囲む物々しい警護。

 道行く住人が遠巻きに一団を窺う。


「教えなどという、大それたことは」

「おい?」

 あっけらかんとした公爵の返事に王子が一歩前へ出て詰め寄った。

「決闘の答えを見せると言ったのはお前だぞ!」

「俺を舐めてるのか!」

「……王子殿下、そう焦らず」

 鼻を鳴らす王子。その王子を片手で制す公爵。

「まずはお渡ししたいものがあります」

 公爵の視線が傍にいた侍女に行くと、王子たち三人に重みのある小袋が渡った。

 

「…………」

 

 ゼトは早速小袋の紐を解き、

 王女は両手で持った小袋を眺め続け、

 そして王子は手の中の感触に眉をひそめた。

 

 ゼトの声が王子の耳に届く。

「銅貨がいっぱいあるぜ」

 その言葉と共に三人が一斉に公爵を見上げた。

 紅玉、紫水晶、碧玉。——三人の視線が藍玉に集まる。


「今日はそちらを使って自由にお買い物をしてきてよろしいですよ」

 

「……お前俺を買収しようとしてる?」

 

 なんてやつだ。王太子を丸め込もうとしている。

 みるみるうちに王子の目尻が釣り上がった。

 紅玉が藍玉に食らいつくが、公爵は顔色ひとつ変えず微笑んでいる。


「いいえ」

「せっかく公爵領においでくださったのですから、存分に我が領を楽しんでいただければと」

「それをどう捉えるか、何を得られるかは殿下次第です」

「挑戦的だな公爵」


 チッ。舌打ちとともに王子が周囲を見渡した。

 噴水を囲むように様々な店が立ち並んでいる。

 ガラス張りの窓がせり出した煉瓦造の建物。窓には甲冑が飾られている。

 ……あれは、武具屋だろうか。

 自然と王子の意識が吸い寄せられた。

 

「……何を買ってもいいの?」

 王女の声がした。

「ええ、お小遣いで足りるものであれば」

 お小遣い。公爵の言葉に王子が我に返った。

 

「……私は殿下のお答えを楽しみに待っています」

 答えね。

 王子に丸投げするとはいい度胸だ。

 どうなっても知らないぞお前。

 

「ふーん、お前の挑戦状、受けてやろう」

 

 王子は再度鼻を鳴らして手の中の小袋を握りしめた。



 ◇



 公爵は言った。

「市場のあたりでしたら、どうぞお好きに回ってください」

 王子はその言葉を聞き逃さなかった。

 言ったな公爵! 他に何事かも言っていたが王子には聞こえぬ。

 自由を得た王子はもう駆けていた。

 

 先に飛び出したのはゼトだった。

 ゼトは噴水の横を通り抜け、市場を抜け奥の通りに姿を消した。

 ヤツは斥候向きだ。

 

 王子の行き先も決まっていた。

 石畳の広場を駆け抜け、路地に入り込んだ。背後の近衛を引き離すように。

 道行く人間が目を丸くしていたが王子は気にしなかった。


 煉瓦造の店を通り過ぎ、住宅街へ。道の先に青々とした草原が目に入った。

 清々しいほどの快晴。青と緑で隔たれた地平が王子を呼んだ。

 

 街を出たらアイツはどんな顔をするだろう?

 気取った顔が崩れる様を想像したとき、目の前に黒い人影が降ってきた。

 

「……うわっなんだ!」

 踏み出した足を無理やり留め、王子が前のめりになって転げた。

 黒い人影は建物から落ちてきた。

 石畳に転がった身体をなんとか起こし、王子は腰に差した木剣に手を掛けた。


「あなたが自由に動けるのはここまでです殿下」

 背後で声がした。

 振り向くとそこにはまいたはずの近衛の姿が。

「何故いる?」

「閣下の話は最後まで聞くように」

「……今日は街の至る所で貴方がたを見張っておりますから」

 王子が前に視線を戻すと、よく見れば黒い人影は外套を纏った小柄な騎士であった。

 上を見上げると、建物の上に数人の姿を見つけた。

 王子は歯を食いしばる。


 トドメのように近衛が王子の肩に手をおいた。

「無駄なことは止しなさい」

 王子は立ち上がって石畳を蹴った。

「少しくらいいいだろ」



 ◇


 

 小袋の中でジャリジャリと小銭同士が擦れる音が鳴った。

 中には銅貨と、よく見れば銀貨も一枚含まれていた。

 銀貨は使ったことがない。今はこの手にある。

 王様の横顔が彫られた銀貨を大事に手のひらに握り込み、ゼトは港町を見渡した。


 大きな噴水前に立ち並ぶ店は、どの店も海を臨めるような造りになっていた。

 

 時間は十分与えられた。

 ゼトはまず、どんなものが売っているか店先を見て歩くことにした。

 ある店のせり出した窓辺には羅針盤や地図、望遠鏡が飾られていた。

 

 金細工の羅針盤には細やかな装飾がなされている。それをゼトはまじまじと見つめていた。

 お小遣いでは買えないな。銀貨を握りしめる手に力が入る。

 

 一人でいるからゆっくり見られる。今日はそういう自由も得られた。

 ゼトはしばし、窓辺に張り付き工芸品に目を凝らしていた。


 しばらく見ていると、店の木製扉がギイと音を立て、ゆっくりと開かれた。

 現れたのは腰を曲げた鷲鼻の老人。どこか宰相を彷彿とさせた。

 老人がゼトを見て曲がった腰をさらに深々と折り曲げた。

 

「……もしや、王子殿下でらっしゃいますか?」

 

 ん?


 ゼトは肩に頭がつくほど首を傾げた。

「よろしければ、中をご覧になりませんか」


 開かれたドアの向こうには、窓辺に置いてあるようなものの他、大きな模型の船や帆布が展示されている。

 ゼトは三白眼を大きく見開き輝かせた。

 

 そしてゼトは大きく頷いた。

 

 まあいいか!


「……うん、そう!」


「殿下が我が店に来てくださるとは光栄の極みです」

「あの羅針盤が気になったからさ」


 アイツより俺の方が良識はある。

 ゼトが店主に招かれ一歩足を踏み出すと、後ろから野太い声が鳴った。

 

「誰が王子だバカタレ」


「げぇっ」

 ゼトは振り向かなかった。

 聞くだけで寒気立つ声。誰かなど見ずとも分かる。

 デカい図体が隣に来て、ゼトの身体は影に覆われた。

「……なんで俺んとこ来んだよ」


 王子が路地裏に突っ走っていったのをゼトは見た。

 だからやっかいな敵もそちらにかかりきりになるだろう。そう思っていたのに。


「誰が一番信用がないか考えてみろ」


 図体同様デカい手のひらがゼトの頭を覆い、そのまま押しやった。

「失礼店主……王子殿下ではなく、ただのクソガキでして」

「……やめろよ親父!」

 

 騒がしい親子の姿に店員が苦笑したが、店の扉はゼトのために開かれたままであった。



 ◇

 


 公爵の言葉もそこそこに、飛び出していった王子とゼトの後ろ姿を見つめながら、王女は噴水の傍にずっと佇んでいた。

 消えゆく王子を複数の近衛が追う。

 その場に残されたのは複数の護衛や侍女、そして王女と公爵であった。


 小袋を両手で握りしめた王女が傍の公爵に向き直った。

「シエル殿下もお店を回ってみてはいかがですか?」

「今日はお好きな場所を自由に見て良いんですよ」

 公爵の言葉にも、王女は動かない。


「ルシも一緒に行こう?」

 

 無邪気な視線は公爵を離さない。

「すみません殿下……私はなにか報告があるといけないのでここで待機していなければ……」

 紫水晶から逃れるように公爵は視線を逸らす。

「近衛も騎士団長もいるから大丈夫だよ」

 公爵と視線を合わせようと、王女が視線の先へとトコトコ移動する。

 しかし公爵の視線はまた逸れた。


 王女が手に持った小袋をずい、と公爵に差し出した。

「わたしお金使ったことないよ」

「……侍女を付けましょう殿下」

 

 公爵の言葉に、王女の表情が途端に陰った。

 長い睫毛で大きな瞳が隠され、靴裏で石畳を擦りだした。

 

「……二ヶ月、待ったのに」

 

 その言葉に公爵は折れた。

 折れるしかなかった。


 早足で侍従に向かい耳打ち。

 そして王女の前で跪いた。


「……お供させていただけませんか? シエル殿下」

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