第76話 二ヶ月ぶり
「アイツらはこんなところに来てまで話し合いか? 段取りが悪いな」
「大人は会議が好きだからな」
隣でふんぞり返っている王子は文句しか言わない。
借りたボードゲームに前のめりになっている王子とゼト。
王女は王子の隣でソファに身を預け、侍女から借りた絵本に目を通していた。
先程からページはまったく進んでいない。
王女の視線が部屋の隅に置いてある柱時計にいった。
公爵が食事の席を立ってから数時間。
公爵は騎士団長と北方公との話し合いから未だ戻らない。
王女の瞳がとろんと閉じかけたが、隣のやかましい声に再び意識が戻された。
さきほどから、その繰り返しだ。
「なあゼト」
「アイゼングラード公は明日もいるかな」
「知らねえ」
王子が北方公の話をしだすのはこれで二度目だ。
「……何をしに来たんだろう」
「歳は騎士団長と同じくらいだろうか」
「知らねえなあ」
ゼトの声は淡々としていた。
しかし王子は言葉を重ねた。
「あの長身、あの体躯、北の地でどんな暮らしをしているのか」
王女が横目で見ると、王子の口角が上がっていた。
アイゼングラード公。
王女はあの無礼な男が苦手だった。
王子は、違った印象を持ったらしいが。
「なんでそんな気になってんの?」
王子のしつこさにゼトが眉をひそめた。
「今日見ただろう。あの公爵ですらアイゼングラード公に振り回されていた」
「事前通告なしの訪問……俺もあのように自由でいたい」
王子の声は気色ばんでいた。
「やめとけって」
「公爵があそこまで顔に出す相手だ」
「……俺があいつを味方にすれば、あの公爵の鼻を明かせるんじゃないか?」
あの公爵。王子の言わんとする言葉に今度は王女の目が釣り上がる。
眠気が急激に冷めていく。背もたれに預けていた身を起こし、隣の王子の腕を叩いた。
「……今、ルシの悪口言ったでしょ!」
「言ってないだろ、神経質な奴め……!」
バシ、バシ! 何度も叩く王女の片腕を王子が捕らえた。
「俺はお前のルシを盗らない」
「…………」
「要らないからな」
「無神経!」
王子の最後の言葉に、王女が空いた手で王子をつねった。
「この国の公爵は二人、一人は王女が首輪をつけてる」
「なあゼト」
「……だったら俺はアイゼングラード公の心を得ようと思う」
「はあ?」
ゼトの幾分大きな声が客間に響いた。
侍女がやってきて、そろそろご就寝の時間ですよ。
そう告げたが、王子とゼトは揃って不満の声をあげた。
王女も、まだ眠るつもりはなかった。
瞼は重い。今にも閉じそうだ。
けれど。また王女の視線が柱時計に行った。
時計の針は二十一時半を回っていた。
「……ルシは、まだ話し合いしてるの?」
王女が問うと、侍女が困ったように頷いた。
控えていた近衛が王子とゼトに近づき、慣れた様子でその胴を捕まえた。
「俺を誰だと思ってるんだ!」
「親父に言うぞ!」
王子らの抗議も近衛には響かない。
二人は揃って扉の奥へと消えていった。
近衛が王女にも寄った。
「……王女殿下も、お休みの時間ですよ」
「…………」
うつらうつらと舟を漕ぐ。
けれど。
「……ルシに、おやすみだけ言いたい」
王女は自身の頬をつねって意識を保った。
——二カ月ぶりに会えたルシ。
寝る前にその姿を焼き付けたかった。
夢でも会えるように。
……殿下。……殿下。
瞳を開くと、視界に亜麻色が広がった。
気づくと王女はソファの肘掛けに頭を預けていた。
「……ルシ?」
「おまたせしてしまい申し訳ありません」
公爵の頭が見える。
いつものように膝をついているのだろう。
王女の朧げな頭でも、そう理解できた。
「話し合い、終わったの?」
「はい、さきほど」
徐々に意識が戻ってきて、亜麻色以外の景色が視界に入る。
目に入った柱時計は二十二時を知らせていた。
肘掛けから頭を起こし、しばし公爵の顔をぼんやりと眺めながら意識の覚醒を待つ。
垂れ目がちの藍玉の瞳が自然と柔和さを醸し出していた。
時折、その瞳が別人のような姿をすることもあったが。
今見る公爵は、いつもの姿に近い。
——近いけれども。
「ねえルシ」
「ルシはお腹空いてない?」
王女の問いに公爵がその藍玉を瞬かせた。
「私ですか」
「うん」
「今日、あんまりご飯食べてなかったよ」
「……ちゃんと食べないと元気でないよ」
口を噤んだ公爵に、王女が重ねた。
「……具合悪い? 疲れてる?」
王女の問いに、返ってくる言葉はない。
しばし沈黙が流れ、ようやっと公爵が口を開いた。
その顔はいつものように笑んでいた。
「……ありがとうございます、シエル殿下」
「殿下はお優しいですね」
「私は大丈夫」
「本当?」
「はい」
目を伏せた公爵が、王女に手を差し出した。
「シエル殿下こそ」
「眠いでしょう、寝室にお連れしますよ」
王女は差し出されたその手を取りかけて、留まった。
目を瞬かせて眠気を吹き飛ばす。
おまけに両手で頬を叩いた。
「……大丈夫、歩くよ」
そして王女はソファから立ち上がり、公爵の手を取った。
王女のために誂えられた寝室。
その隣の扉からは、夜とは思えぬやかましい話し声が響き渡っていた。
その次に「寝ろ!」野太い声が上がり、途端に室内は静まり返った。
「……眠れそうですか?」
「うん」
すでに瞼は重く夢の世界に王女をいざなっているが、握る手と公爵の声がそれを引き止めている。
扉を開ければお別れの時間。
けれど、明日も会える。
「おやすみ、ルシ」
「……はい、おやすみなさい、シエル殿下」
公爵に扉を開けて促され、そうだと王女が足をピタリと止めた。
忘れてはいけない。
「ルシもちゃんと寝るんだよ」
「明日も元気で会おうね」
その時の公爵の顔は見えなかった。
すでに王女の瞼は閉じていた。
王女の背を支える感覚、それが最後に残っていた。




