第74話 太陽と羅針盤
多数の帆船が停留する港には、レンガ造りの建物が軒を連ねていた。
その岸壁には、深紅の外套を纏った甲冑姿の兵士たちが整列していた。
集う兵士たちは皆一様に旗を掲げている。
深紅の旗に描かれるは八芒星を抱いた黄金の羅針盤。
公爵家の家紋だ。
そしてその先頭に立つのは、深紅の上着に身を包んだ亜麻色の男。
物々しい一団は、王族の訪れを待っていた。
その姿を真っ先に発見したのは、船縁に張り付いて目を凝らしていた王女だ。
「ルシ~!」
まだ豆粒ほどの輪郭の公爵に手を振る王女。
背後に控える物々しい兵列は王女には映らない。
王女の紫水晶の瞳が捉えているのは一人だけ。
船が港に着くまで、王女は公爵に手を振り続けていた。
厳しい冬を越え、春に差し掛かった季節。
王女にとって久方ぶりに見る亜麻色であった。
◇
汽笛の音とともに、船が公爵領の港へと到着し、錨が降ろされた。
陸地に渡し板が掛けられ、近衛たちが足並みを揃えて降り立った。
騎士の持つ青地の旗がはためき、揺れる。
船から、王家の蒼が降り立った。
月桂樹に囲まれた太陽。王家の紋章を戴いた蒼き旗が今、公爵領にはためいた。
深紅の軍旗が埋め尽くす港に、蒼き旗が翻った。
そして騎士たちが並び揃った頃、小さな王族たちが船からゆっくりとその姿を現した。
背後に蒼を抱いた王子と王女が、深紅を纏う公爵兵の前に立った。
公爵が一歩前へ出る。
「……船旅お疲れ様でございます」
「両殿下のお越しを心よりお待ちしておりました」
「……我がローデンバルド領は最大の敬意を持ってお二方をおもてなしいたします」
「どうぞごゆるりとお過ごしください」
深々と礼を受け、王子がそれに応じた。
「ご招待にあずかり感謝する」
「ローデンバルド領が栄えていることは王都でもよく聞く」
「この目で見るのを楽しみにしていた」
「……存分に楽しませてもらおう」
紅玉と藍玉が交差した。
公爵からの挑戦状は、未だ王子の脳裏に焼き付いている。
——俺が満足するものを見せられるのか? 公爵。
逸る気持ちを抑え、王子は自身の拳を握った。
◇
出待ちの兵士たちが散った後、港に残されたのは王子たちと公爵、番の近衛であった。
そこに騎士団長の姿はない。
頃合いを見計らった王女が辺りを見渡し、小走りで公爵の下へ向かった。
公爵がいつものように膝をつこうとすると、それより先に王女の両腕が公爵の胴に回った。
王女は公爵の胴に抱きついたまま、その周囲をくるりと回った。
公爵の視線が王女を追う。
「シエル殿下、お元気そうで何よりです」
上から掛かった声に王女がムッと声の主を見上げた。
「……元気じゃなかったよ」
口を尖らせる王女。しかし藍玉と視線が合うと途端に頬をほころばせた。
「でも、今元気になった」
公爵の藍玉が細まり、王女の頭をひと撫でした。
「……久しぶり、ルシ」
「ええ、お久しぶりです、シエル殿下」
「お会いしたかったですよ」
その言葉に応えるように、胴を抱く腕の力が強まった。
王女の様子を見届けた王子が歩み寄る。
気づいた公爵が王子を見やり、口を開いた。
「……お久しぶりです王子殿下。船旅はいかがでしたか?」
明後日の方を向いた王子が答える。
「……まあ、悪くなかった」
「海っていうのは、なかなかに……壮大だった」
王子の視線は自然と港の向こうに行く。
「また見てもいい」
公爵が苦笑した。
「よろしければお帰りの際も船をお使いになりますか」
そこではじめて王子が公爵の顔を見やった。
猫目が一瞬見開き、だがすぐに何事か考え始めた王子の表情が少し陰った。
「ああしかし……困る者がいるか……」
「……困る者? 船旅で何か問題でも起きましたか?」
「……いいや」
「気にするな、その内復活するから」
「…………たぶんな」
王子の言葉に一瞬公爵の眉間が寄ったが、纏わりつく白金色の声がして公爵の視線が自身の下へ落ちた。
「……五日間、ルシといっしょだね」
「ええ、お二人に楽しんでいただけるように様々な催しを準備しておりますよ」
「……あれだけ焚き付けられたからな」
「満足いくものを見せてもらおうか」
不敵な王子の笑顔。
公爵の目が細まり口角が上がった。
「……ご満足いただけるかどうかは、王子殿下次第ですが」
王子が公爵を睨めつけ、公爵が見下ろした。
その攻防を断ち切るように、両者の間に間延びした声が落ちる。
「あのお」
見やるとそこにゼトの姿が。
「……騎士団長が復活したと」
「準備整ったから行こうって言ってます」
クイッと親指を背後に突き出すゼト。
その親指の先に、壁にもたれかかった騎士団長の姿があった。
「……復活してないだろアレ……」
「もう大丈夫って言い張ってる」
公爵の視線も騎士団長を向いていたが、彼はただ首を傾げた。
ゼトが公爵に向き直って告げた。
「公爵閣下、僕までご招待頂きましてありがとうございます」
深々と礼をする華奢な姿。
「……いや、礼を言うならお前の父君に言いなさい、王子殿下もお喜びになるだろう」
「はい、感謝します」
公爵の返事にゼトが歯を見せて笑う。
ゼトは未だ公爵の前を離れない。
笑顔のままその場から動こうとしない。
「……なんだ?」
訝しんだのは公爵の方だ。
そしてゼトはゆっくりと口を開いた。
「閣下、僕は蟹と海老が大好きです」
そしてもう一度深々と礼。
「……蟹?」
公爵が数度瞬きする間にゼトは姿を消していた。
公爵の用意した店で昼食を摂った後、一行が向かったのは公爵の本邸であった。
王族を乗せた馬車列が港を後にする。
西日に照らされた街道を、蒼の騎士と深紅の兵に守られた馬車が進む。
王女は当然のように公爵の馬車に向かい、
結果王子とゼトがひとつの馬車に身を寄せていた。
「……公爵ってケチじゃね?」
王子の向かいの顔は、ふてくされたように口を尖らせていた。
昼前にくだんの男に愛想を使っていた顔は何処にもない。
「ゴマ擦って損した」
「……あれゴマ擦ってたのか……?」
今日の昼食は港町で公爵御用達という洒落た店で摂った。
……蟹は出なかった。
ふてくされたゼトを放っておくことにした王子は、馬車の窓辺に寄って
景色を眺めることにした。
公爵領の景色も、港を離れれば王都と大きくは変わらない。
行き交う旅人の姿が少し多いくらいか。
街道で時たますれ違う旅人たちが王族の車列に皆一様に深々と頭を下げていた。
高原の街道を進む一行に近づく、一騎の馬があった。
その馬は軽装の兵を乗せ、深紅の旗を掲げている。
気になって目を凝らして見ていると、その馬は王子らの背後、王女と公爵が乗った馬車に寄っていった。
窓を開け、王子が身を乗り出した。
馬で並走していた騎士団長に「こら!」と咎められたがそんなことを気にする王子ではない。
馬の主は公爵と何事かを話していた。
それはほんの短い時間だった。
旗を掲げた馬は程なく車列を離れ、踵を返しまた草原を駆けていった。
入れ替わるように騎士団長が公爵の馬車へ馬を寄せた。
程なくして、王女と公爵を乗せた馬車が車列を外れる。
公爵家の騎兵を従えたその馬車は、王子の馬車を追い抜いていった。
「なんだ?」
王子の疑問を余所に馬車は速度を上げあっという間に遠ざかっていく。
王子の様子に気づいたゼトも窓を開けて様子を窺った。
「……問題でも起きたか?」
そして一刻ほどの時間を経てたどり着いた公爵邸。
そこには先に王女と公爵の馬車が帰還しており、さらに——。
黒い旗を掲げた馬車が数台、屋敷前に鎮座していた。
「……黒い旗?」
王子がはためくそれに目を凝らす。
旗には紋章が描かれていた。
——鋭く牙を剥く灰狼、その背に抱くは重厚な盾。
その家紋を捉えて王子は目を丸くした。
見間違えるはずがない。頭に叩き込まれ嫌でも覚えている。
「……何故アイゼングラード公がここにいる?」




