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第70話 約束をしてほしいです

 騎士団の詰め所前に来た王女を物珍しげに見る視線は減っていた。

 そればかりか、王女の姿を見ると騎士たちは真っ先にゼトを呼ぶようになった。

「うらやましいねクソガキ、お姫様のご指名だ」

 ゼトは茶々を入れられている。

 

 顔を見せたゼトは苦虫を噛み潰したかのような表情であった。

「……これ限りだ、姫様」

 前に来たときも聞いた。王女は思った。

 また呼ぶかも知れない。だから王女は返事をしなかった。



 手順は前と同じだ。

 だが今回は公爵から得た情報があった。

 

 ——明日の午後一、政務区画で行いますよ。


 王女は昨日、公爵の言葉を何度も繰り返した。

 柱の影で人が通るのを二人で待つ。

「……誰も来なくね?」

「ルシが言ってた」

「間違えてんじゃね?」

 しばらく待っていると、亜麻色の頭がやってきた。

 公爵はひとりだ。

 王女の肩が跳ねた。

「来たよ!」

 公爵はある一室の前で足を止め、そのまま中に入っていった。

 王女が大きく頷いた。

「行くよゼト」

「……いやちょっと姫様」

「会議が始まっちゃうから」

 戸惑うゼトの手を掴み、王女は公爵の後を追い、隣室へと入った。


 ——今度こそ、ルシをちゃんと見つける。


 

 埃の舞う通気口を前回と同じようにまた這う。

 王女の口から咳がひとつ漏れた。

 前回、私室に戻った王女を見て侍女は小首を傾げていた。

 白いタイツに煤がついていたからだ。

「どちらに行かれたんですか?」と侍女に問われた王女は。

「……転んだ」

 そうとしか答えられなかった。

 だからそろそろ潮時かもしれない。

 

 けれどいまだ王女の中に、未だ公爵は戻らない。


 会議室へと続く通気口の鉄格子が直ぐ側にあった。

 ひとつ深呼吸し覗き込むと。


「……あれ?」


 そこに人の姿はひとつもなかった。

 

 薄暗い室内。

 書類もティーカップも、そこにはない。

 公爵の姿すら。


「……部屋、間違えたのかな」

 王女は踵を返した。

 四つん這いになった手足にザラザラと嫌な感触がまとわりついた。


 そして通気口から這いでて明るい場所へとたどり着く。

 床に降り立ち、手についた煤を払おうとすると。

 

「……おかえりなさい。シエル殿下」


 そこに公爵の姿があった。

 

「わ……」

 言葉は出なかった。

 言い繕うより先に、戸惑いが形となって現れる。

 助けを求めるように辺りを見渡す王女に、公爵が一歩近づいた。

 

 いるはずのゼトの姿がない。

 王女が一歩後ずさろうとして、後ろは壁であることを思い出した。

 公爵がもう一歩近づいてくる。

「わ……なんで……」

「……ディゼトラルは帰しましたよ」

 逃げることは叶わない。

 公爵が、今どんな顔をしているか、確かめる勇気は出なかった。

 壁に張り付くようにして王女は俯いた。


「…………ふう」

 公爵が床に両膝をつき懐からハンカチを取り出した。

「シエル殿下」

 

「……おいで」


 優しい声であった。

 身体が先に反応し、足は公爵のもとへ向かう。

 そうして数歩近づくと、公爵が王女の小さな手を取り、ハンカチを鼻に当てた。


「ずいぶんと大冒険をされたようだ」

 鼻頭を優しく擦られる。白いハンカチに黒い煤がついている。

 次に公爵は小さな両手を拭った。

 ワンピースと白いタイツの埃を払われる。

 最後に髪の毛を整えられ、王女はたちまちもとの姿に戻った。


「ほら、これで元通り」

「…………」

 公爵の顔は、いつも通り微笑んでいる。

 ……いや。

 少し眉が下がっている。


「……怒ってない?」

 上目遣いでおそるおそる問う。

「……怒る?」

「いいえ。——ただ」


「少し困っています」


「どうして、困ってるの」

「……殿下が危ない場所から出てこられたからでしょうか」

「どうして、通気口へ?」

 公爵が怒っていないのなら、隠さなくてもいい。

 

「……会議を、見ようと思って」

 けれど後ろめたさからか、王女はまた俯いてしまった。

 公爵がふう、とひとつ息を漏らした。

「見たくないものも多くありますよ殿下」

「それに……楽しくないでしょう?」

 王女もそれはよくわかっている。けれど。

 

「だって、確認しないといけないこと、あったから」

「確認?」

 今度こそ、怒られそうな心持ちであった。

 

 声は優しいが。

 ——いつまた、嘘のルシに戻るか、分からない。


「…………」

「……殿下、理由は問いません。見たいのならばそれを止めることもしません」

 公爵の言葉に王女は耳を疑った。

 再度上向くと、やはり公爵は困ったように笑っていた。


「止めないの?なんで?」

 

 公爵の表情は変わらない。

「止めてもきっと別の方法を探されるでしょう?」

「であれば、堂々と見ていただいたほうがいい」


「けれど約束だけしてください殿下。もう危ないところには行かないと」


「そうでないと」

「今度こそ、私もあなたを怒らないといけなくなる」

 公爵の口が尖り、眉が釣り上がった。

 王女が目を丸くした。


「知らないルシだ……」


 王女がマジマジと公爵の顔を見つめ、——次の瞬間。

 小さな両手が公爵の顔を遠慮なしに掴んだ。

 公爵から小さくうめき声が上がる。


「ルシ……怒ってるの?」

「いえ……怒っていません……」

 王女が公爵の眉を指で突くと公爵の釣り上がった眉が戻り、口角が緩んだ。

 公爵の肩が小刻みに震えた。

「……今笑ってる?」

「ええ……そうですね、笑っています」

「変なルシ」

 

「最近の殿下は御心が読めませんね」

「……今どんな顔してるの?」

「……さあ……殿下に困っていることだけは確かです」

「これ困った顔?」

「王女殿下のなさるようなことではありませんよ」


 公爵が王女の両手をそっと外す。

「……もしかして、会議を覗いていたのはこのせい?」

 王女が力強く頷いた。

「……いじめられていると、言い出したのも?」

 またも王女は頷いた。

 王女の反応に公爵が長く息を吐き。

「……だから会議など覗いても楽しくないと言うのに」


「私は私です殿下」

「殿下が殿下であるように」


「……ルシはルシ……?」


 意図を図りかね、首を傾げる王女。

「納得するまで、何度確かめて頂いても構いません」

「しかし」

 公爵の顔は、いつもとは少し違った表情をしていた。

 

「約束をしてほしいです」

 

「もう危ないことはしないと」

 真剣な眼差しであった。

 微笑みは消えている。

 けれど怒っているのとも違った。

 王女の見たことのない、不思議な表情であった。

 

 ここで王女が返事をしなければ、公爵はどんな顔をするんだろう。

 そう魔が差したが、頭はすでに頷いていた。


 知ってるルシ。知らないルシ。

 未だ分からないことは多いが今度はちゃんと覚えておこう。


 もう二度と見失わぬように。

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