第69話 点と点
「では本議会はこれにて散会いたしましょう」
会議の終わりはいつも宰相が告げる。
長く着席していたせいか腰に違和感があった。
立ち上がり腰を擦っていると、長身が公爵の目の前で歩みを止めた。
公爵が見上げると北方公が口を開いた。
「……クソ公爵……お前も難儀だな」
それだけ言うと、何事もなかったかのように議場から去っていった。
諸侯らも追随し議場に人は疎らになっていく。
公爵も歩き出した。
息をついている暇もない。
侍従が山ほどの書類を持って公爵を待っていることだろう。
——しかしクソ公爵か。
王子がこのように罵倒するようになったのは、いつからだったろうか。
議場を出て目に入ったのは廊下の角で仁王立ちしている近衛騎士の姿。
何者かと言い争いをしている。
「……淑女には色々あるんだよ、ちょっとだけ待ってくれよ」
「お前何を企んでいる?」
「へへ……せっかちはモテないぜ……お前そうだろ」
「クソガキ!」
生意気な声が聞こえる。
なんだ? と見やると近衛の向こうに茶髪の少年の姿があった。近衛に小突かれている。
華奢な体躯の小生意気な少年。
確か騎士団長の息子、ディゼトラル。
近くに王子の姿はなさそうだ。政務区画まで何の用か。
訝しんでいると、憤慨する近衛兵の隙間から、ディゼトラルと目があった。
「げぇ!」
開口一番にこれだ。公爵は彼と会話したことすらないが。最近の公爵は歓迎されぬことが多い。
そして視界からディゼトラルの姿が消えた。
やがて廊下の奥から再び現れたディゼトラル。今度はその傍らに青いワンピースの裾が揺れていた。
公爵を見もせず二人で走り去っていく。それを追う近衛。
その白金色の後ろ頭を見まごうはずもなかった。
「……シエル殿下?」
——その次の日のことであった。
——公爵!お前に決闘を申し込む!
威勢のいい声であった。
紅玉が公爵を覗き込み、手に持った木剣を突きつけていた。
周囲の沈黙が、王子の行いを誰も予期していなかったことを物語っていた。
さてどうする。
公爵は口元に手を当て考えた。しばし思案し。
やがて、いずれ主となる幼子へ静かに頭を垂れた。
そしてその少し後。その王子の後見人が公爵に頭を下げていた。
「申し訳ありませんでした!」
巨躯が背中を折り曲げている。
何をしていても目立つ男だ。その大きな声が騎士団の詰め所に反響する。
「殿下はまだ幼子。気にしておりません」
騎士団長はまだ頭を上げぬ。
「頭を上げてください」
「……昨今の噂は耳にしておりました」
「殿下と一度腰を据えてお話しすべきだったのでしょう」
騎士団長が頭を上げたのを見計らい、公爵がその碧玉に自身の藍玉を合わせた。
「……しかし、殿下には王太子のご自覚は持っていただいたほうがよろしいでしょうね」
貴族は面子を保つのが仕事だ。
幼子の癇癪程度で揺れる公爵ではない。
しかし身体は鉛のような重さに包まれていた。
執務室に戻った公爵が吸い寄せられたのはソファであった。
視線は書類が積み上がった机に行く。
だが身体は動かない。
ソファに倒れ込むように身体を投げ出すとそのまま身動きが取れなくなった。
小走りでやってきた侍従にこう告げる。
「……数分くれ」
そして公爵の瞼が自然と落ちた。
——無礼な人!
——いじめるつもりなら帰って!
耳に、やけに切羽詰まった少女の声が入った。
少し舌足らずな、馴染み深い声。
普段はもう少し、落ち着いてはいなかったか?
瞳を開くと、そこは変わりない執務室。
いつの間にか公爵の身体にはブランケットが掛けられていた。
どのくらい寝ていたのか。
「書類を置いて帰って!」
「……ルシウスが寝ているのなら、あなたもここに用はないだろう?」
やかましい声が近くで鳴っている。
目の前で白金色の頭と黒い頭の長身が対峙していた。
「あるもん!」
王女は、このように声を荒げる子だっただろうか。
寝起きの公爵の頭の中で常の王女と目の前の王女は一致しなかった。
起き上がった公爵に先に気づいたのは北方公であった。
「……ずいぶんと疲れているようだ」
「ルシ!」
王女も気付き、近づいてきた。
足元に落ちたブランケットを拾い上げ、公爵の肩に掛け直した。
「……疲れたなら、寝てたほうがいいよ」
「来てくださっていたんですか殿下」
「……うん」
北方公が机に近づき、目立つところに書類を置いた。
「ここに置いておく」
「ご足労おかけしました、何か至急のご用事でしたか」
「……侍従の死体が上がったそうだ。仔細はその書類に」
今しがた置いた書類を指し示す北方公。
「!……そのようなときに、大変失礼いたしました」
「……構わん、分かったのはそれだけだからな」
用事が済んだ北方公が執務室から出る。
北方公が去るまで、王女はずっと彼を睨みあげていた。
「……お構いできず申し訳ありません殿下」
「ううん、疲れてたの?」
「少しだけ。もう平気です」
肩に掛けられたブランケットを畳み、王女を見やる。
「……殿下が用意してくださったんですか?」
王女が恥ずかしげに頷いた。
「ありがとうございます、シエル殿下」
「……ルシ」
「あの無礼な人にいじめられたら、言うんだよ」
「ううん、あの人だけじゃなくて」
「……困ったら、わたしに言ってね」
そうして公爵の手を小さな両手で包み込む王女。
その仕草は慈愛に満ちている。
「え?」
何?
公爵の頭に湧いたのは疑問符だ。
どうしてこの子はこのように公爵を庇い立てているのか。
目の前にいるのは至極真剣な顔で公爵を見つめる王女。
公爵は首を傾げるしかなかった。
何かあったのですか。聞いても王女は首を振るばかりであった。
——侍従の死体が上がった。
発見した場所は王都近郊の河口。その上流では遺書が見つかった。
筆跡は一致。
すべては侍従本人の計画によるものだと、遺書に記されていたらしい。
机に向かった公爵が書類をめくる。
「……用意のいいことだ」
騙されるものはいまい。吐き捨てると。
「ルシ!」
「……」
公爵は書類から顔を上げた。
公爵が王宮に詰めるようになってから数日。
王女は執務室に入り浸っている。外出を禁じられた身の上でもある。
不安を和らげられるのであれば、と容認していたが。
「どうされました殿下?」
「……ううん」
その顔は妙に不安に満ちている。
「…………」
書類をめくりながらも考えは別の場所にあった。
王宮入りしてからの数日。
違和感は、多岐にわたっていた。
王子は公爵の存在を黙殺するようになっていた。
どうやら王宮中で罵倒もしていたらしい。
果ては決闘まで申し込んできた。
王女は公爵の執務室に入り浸った。
執務中何度も公爵を呼び、その度公爵の顔色を窺った。
昨日の会議終わりでは、近くでディゼトラルを目撃した。
そのディゼトラルは……公爵を見つけるなり、王女とともに逃げ出した。
そして。
——あの無礼な人にいじめられたら、言うんだよ。
——ううん、あの人だけじゃなくて。
——……困ったら、わたしに言ってね。
王女は妙なことを口走っていた。
「…………」
眉根が自然と寄る。
「ルシ!」
「……殿下……」
王女が不安げな面差しを抱え、公爵の頬を包んだ。
「どうされました、殿下」
「……ご不安なことがお有りですか?」
「笑ってないよ?」
「え?」
「閣下、お目覚めでしたか」
書類を片手に執務室へやってきた侍従が、机に向かう公爵の姿を認め、口角を上げた。
「ああ、すまなかった」
「いえ、アイゼングラード公が閣下に書類を……」
手元の書類を掲げる公爵。
理解した侍従が手元の書類をめくった。
「緊急王公会議でその件を議題に出すそうです」
「……おそらくそこで、この度の事件の結論が出されると」
「そうか」
「会議の日時はこちらに記しております、ご確認を」
「ああ」
侍従が一礼。そして踵を返した。
どうせ騒動は解決しないだろう。
だがそろそろ領地に戻れるな。頭の中はそればかりだ。
「……ルシ」
「……また会議?」
「ええ、そのようです」
「……いつあるの?」
公爵の頭に、数日前の記憶が過った。
そう。あの日不思議に思っていた。
——……何時に会議があるの?
王女はどうして、急に会議を気にしだした?
王子の黙殺、罵倒、決闘騒動。
執務中、幾度もこちらを窺う王女。
ディゼトラル。
……そして。
「……どこであるの?」
畳み掛ける王女。
公爵が返事をするまで、わずかに間が空いた。
「……明日の午後一、政務区画で行いますよ」
公爵の目は、王女から離れない。
王女は疑う様子もなく頷き、そして小さく呟いた。
「……明日午後一。政務区画」




