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第6話 ルシ


 「王女殿下、公爵閣下がお越しです。お通ししてよろしいですか?」

「こうしゃく?誰」

 王女は、訪ねてくる大人の名前をほとんど覚えていなかった。

 だが、その響きに引っかかるものがあった。

「先日、王女殿下にプレゼントをお持ちくださった方です」

 絵本の王子様だ。王女の肩がはねた。

「……いいよ」

 絵本の王子様はこうしゃくというらしい。


「こうしゃく……」

 王女は口の中で転がすように繰り返した。

 だが、こうしゃくは男の名ではない。王女にも、それは分かっていた。


 扉が公爵のために開かれた。王女は開いていた絵本で顔を隠す。

「ご機嫌いかがですか、王女殿下」

「先日はプレゼントを受け取っていただき、ありがとうございました」

「うん……」

 公爵が、彼女が手に持つ本に目を落とした。

「……読んでくださっていたのですね」

「嬉しいです、気に入りましたか?」

 公爵が先日持ってきた絵本は十冊。

 王女は最近、絵本に夢中だった。

「うん……」

 王女は絵本でさらに顔を隠した。

「それはようございました、また何かお持ちしましょう、欲しいものがあればご用命ください」

「……うん」


「殿下、あなたのお邪魔はいたしません」

「もしよろしければ、あなたのお時間を頂けませんか?」

 王女はしばらく表紙を見つめ、

 やがて意を決したように本を差し出した。

「……読めない、絵本ある」

 公爵のプレゼントした本には、文字が含まれるものもあった。

 王女はまだ文字を少ししか知らぬ。

「……読んで、ほしい」

 美しい装飾の本を公爵に差し出した。表紙に姫と王子が描かれている。


 公爵が目を閉じ、少し思案した。

「ええ」

 公爵が王女から本を受け取り、咳払いをした。

「王女殿下のお望みに応えて」

「ローデンバルド公爵、殿下のために読み上げさせて頂きます」


「………………」

 ……今、名前を言わなかっただろうか。

 王女は公爵を見上げたが、公爵はページを開き始めてしまった。


 王女は絨毯に寝そべり、公爵はそれに合わせて座り込んでいた。

「……姫は悪い魔女によって、いばらの城に閉じ込められてしまいました。」

「うわあ……なんで……」

「お姫さま、悪いことした?」

「いいえ、何も……殿下はなぜだと思いますか?」

 王女が首を傾げた。しばらく悩み、公爵を見上げた。

「……嫌いだったから……?お姫様のこと」

 公爵が頷いて微笑んだ。

「なるほど、殿下はそうお考えになる」

「……ねえ、答えは?」

「そうですね、答えはわかりません、絵本には書いていないので」

「ええ……?」

「殿下のおっしゃったことが正解かもしれません」

「……しかし、手に入らぬものほど、欲しくなる者もおりますから」

 公爵の言葉に、王女がまた首を傾げた。

「なんで……?」

 王女の問いに、公爵は一瞬目を伏せ、それから微笑んだ。

「おかしなことを言いましたね」

「……もういい、次は?」

 続きが気になる王女はページをめくって公爵を急かす。


 抑揚をつけた語り口調。

 人物ごとに変える声音。

 王女の問いに都度丁寧に答える様。

 

 王女は公爵の読み聞かせに夢中だった。

「……そして王子は茨を手に持った剣で切り裂きました」

「するとなんということでしょう、王子を恐れるかのように、いばらが次々と引いていったではありませんか」

「早く、早く」

 王女は絨毯の上でぱたぱたと足を揺らした。

 

「王子の進んだ先に、ひとつの扉がありました。その扉を開けると、中で美しい姫が眠っておりました」

「王子はその姫にひざまずき、その唇にキスをしました」

「わあ……」

「姫は王子の愛のキスで目覚めたのです」

「そして二人は結婚し、末永くしあわせに暮らしました」

「めでたし、めでたし」

「……お姫さま、たすかった」

「たすかったね」

 王女が手を叩いて公爵を見上げた。

 王女の小さな口が緩んでいる。


「ええ、ようございました」

 公爵が本を閉じた。


 同時に、使用人が公爵に近づき、耳元で何事か呟いていた。

 公爵の目が、細くなる。

「ああ」

 低い声が、妙に王女の耳に残る。

 

 公爵が王女に向き直り、微笑んだ。

「今日は楽しいお時間をありがとうございました、殿下」

「残念ながら、仕事が入ってしまったため今日はこのへんでお暇させて頂きます」

「帰る?」

「……はい」

「うん」

「また、会いに参ります」

「うん」

 公爵が歩き出すと、王女が公爵の上着を摘んだ。


「殿下?」

 王女は公爵を見上げている。

「ねえ」

「お名前、もう一度教えて」

「私の名前ですか」

「うん」


「では、改めまして」

 公爵が、微笑んで王女の足元に跪いた。

 恭しく礼をし、公爵は言葉を紡いだ。

 

「 ルシウス・ドルフ・ローデンバルド公爵と申します、王女殿下 」

 

「どうぞお見知りおきを」

「ルシ……ロ……むずかしいよ」

 王女が首を傾げた。

 幼い反応に、公爵が目を閉じた。

「私の名前は少し長いですから」

「ルシ、とでもお呼びいただけませんか、王女殿下」


「ルシ」

「はい」

 これなら言える。王女は鼻を鳴らした。


「ルシ」

「はい、王女殿下」


 絵本の王子さまの名前はルシだ。いつか全部覚えよう。

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