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第65話 クソ公爵

「クソ公爵が!」


 王子の叫びが王宮の空に立ち上った。

 蹴り玉が石の柱に当たり、花壇に落ちる。

 青い花が一輪、押しつぶされた。


 王子の鼻先を冷たい風が通り抜ける。

 側に付いていた近衛が言った。

「もうすぐ座学の時間ですよ」

 退屈な時間から退屈な時間へ。

 蹴り玉を拾い、王子が外回廊へと向かった。


 襲撃事件から幾日も経っていたが、王子は未だ王宮から離れられぬ身のままであった。


「ごきげんよう、王子殿下」

 偶然通りがかった公爵が礼をしたが、王子はふん、と鼻を鳴らし

 返事もせず公爵の前を通り過ぎた。

 こいつは敵だ。

 敵に返してやる挨拶などない。

 

 王子の様子に公爵は一瞬立ち止まったが

 何も言わず歩き去っていった。


 それに気分を害したのは王子の方であった。

「なんだあの態度はぁ!」

 振り返った先に、公爵の姿はない。

 秋風の吹く冷たい石畳を見つめ、王子が側にいる近衛の腕を叩いた。

「おい!なあ!あの態度!」

「……いや殿下……」

「なあ、って!」

 また王子が叩いた。

 近衛が王子に気づかれぬよう、兜の奥で小さくため息をついた。

 

 ここ数日、ずっと王子はこの調子であった。


 そして王子の素行は当然のごとく宰相の耳に入った。

 呼び出された王子が宰相の執務室で小言を浴びていた。

 

「……ここ最近、公爵閣下を無視されておられるとか」

「何やら……暴言も吐いておられる……とも」

 額を覆う宰相に、王子はふんぞり返った。

「アイツが泣きを入れてきたか?」

「いいえ、あなたのこの頃の素行を見咎めた者から報告が入りました」

 王子が背後の近衛を振り返った。

 近衛は動じぬ。

「報告があったのが一人だとお思いか殿下?」

「……何の諍いがあったか知れぬが、王宮の空気が乱れるのだ、やめなさい」

「王太子のご自覚を持ってくだされ」


「ふん、それなら奴に言え」

「空気を乱しているのはどちらだ。胸に手を当て考えろと!」

「閣下は殿下に普通に接しておられるようだが?」

「それじゃない!」


「いいか殿下」

「閣下はあなたの襲撃事件で王宮に詰めておられる」

「閣下だけでない、他の有力貴族らもだ」

「……その意味をよく考えられよ」


「頼んでないんだが!」


 王子の答えに宰相が天を仰いだ。

 次に宰相の視線は机に積み重なった大量の書類や書簡に行った。


「……クソガキの相手をしている暇はないな」

「なにか言ったか宰相!?」

「もうよい、ゼトとでも遊んでおれ」

「呼び出しといてなんだよ!」

 王子が絨毯を蹴った。

 宰相が片手を挙げると、側の近衛が王子の胴を持ち上げ扉を開けた。

「……もう帰りなさい、今の殿下に申し上げられることはない」

 宰相の捨て台詞とともに、王子は廊下に追いやられた。


 

 王子の怒りは冷めやらない。

 それどころか宰相の小言を経た結果、益々膨らんでいった。

「……クソ公爵め……」

 ブツブツと王子の口から怨嗟が漏れている。

 後ろに控える近衛が王子の異様な様子に身構えた。


 おかしい。

 騎士を侮辱した公爵。

 王子襲撃の最大の功労者をコケにした公爵。


 その公爵を宰相は何故庇う?

 その場に居ただろう宰相?


 王子の怒りは困惑へと変わる。

 

 会議で追い詰められる騎士団長の味方は居なかった。

 宰相すら庇わなかった。

 あの議場は妙な空気に支配されていた。


「……もしや洗脳されている……?」

 王子のぼやきに身構えていた近衛がつい吹き出した。

 考え事に夢中になっている王子の耳にそれは届かなかった。


 そうだ。

 それなら合点がいく。

 公爵は妙な手管を使って令嬢たちを虜にする男であった。

 宰相もその罠にかかっているのだとしたら。

 王子が宰相に犬猫のように扱われている理由にも説明づく。

 

「……まさか」

 王子は気づいた。

 世界の真理にたどり着いたような面持ちであった。


 今、公爵に一番近いのは。


「……シエルが、危ない」


 悪い魔女からお姫さまを救うのは、王子の役目だと相場が決まっている。



 王女の私室はもぬけの殻であった。

 近くに居た侍女に王女の場所を問うと、帰ってきた答えは。

 

「王女殿下なら公爵閣下の執務室に行かれましたよ」

 

 だった。

 はあ?

 そして王子が急いで向かった先が貴賓棟にある公爵の執務室。

 緊急時故、常駐する貴族たちに簡易的に誂えられた部屋だ。

 

 そこはすでに公爵の根城と化していた。

 王子が訪れたとき、執務室前には人だかりが出来ていた。

 人の出入り故だろうか、執務室の扉は開け放たれたまま。

 

 王子がそっと扉の影から中を覗き込むと、中央に備え付けられた重厚な机が見えた。

 積み上がった書類の隙間から亜麻色の頭が見える。

 ソファ、テーブル、暖炉の前。見渡したが白金色の頭はどこにもいない。


 しかし。

 

「……ルシ?」

「はい、どうかされましたか?」

「……なんでもない」

 声は聞こえる。

 書類の影にでもいるのだろうか。


 閣下、緊急の書簡です。

 こちらの書類に先に目を通して頂きたい。

 昨日の資料、お読み頂けましたか?

 

 公爵の前に文官や貴族がひっきりなしに訪れる。

 

 その合間合間で王女の声も。

「ルシ!」

「……おりますよ」

「殿下どうされました」

「……ううん」

「あまりお構いできないのでお部屋に戻られたほうがよいのでは……」

「……邪魔?」

「いいえ、励みになりますよ」

 短い間に何回も公爵を呼ぶ。

 王女の姿は見えぬが、公爵は何やら穏やかに語りかけている。

 会議とは別人だな公爵!

 

 王子がぐるりと片腕を回した。

 振り回した腕がどこかの文官とぶつかったが王子は気にしなかった。

「……さあて妹は返してもらおうか」

 悪しき魔女から救出だ。

 

 執務室に一歩足を踏み入れようとして。

 王子の身体が浮き上がった。


「!?」


 足が床についていない。

 王子の胴は何者かに掴まれていた。

 そして身体はそのまま執務室から離れ来た道を戻される。

「は、離せよ!」

「何するつもりなんですか殿下」

 背後で若い男の声がした。

「何って魔女退治だよ!」

「さっきから洗脳だのなんだの言ってるかと思えば」

「……仕事の邪魔になるのでやめましょう」

 振り向くとそこに兜があった。

 近衛だ。

 王子は近衛に運ばれている。

 抗えぬ力。これからどこに連れて行かれるというのか。

 

「お前も洗脳されてる……?」

 近衛が声を上げて笑った。

「殿下、仕事の邪魔したらダメですよ」

 暴れる王子の足が近衛のスネを蹴ったが微動だにしない。

「知るものか!」

「あいつは騎士をコケにするクソ野郎だぞ!」

 近衛がまた笑った。


「何があったか知りませんけど」

「……宰相閣下にチクりますよ?」

 

「チクるなバカ!」

 

 可哀想な騎士。

 可哀想な騎士団長。

 俺だけは。俺だけはお前たちの味方となろう。



 近衛に運ばれた先は自室であった。

「もう降ろせよ!何人に笑われたと思ってる!」

「だって殿下を離すとどこに飛んでいくか分からないですし」

 近衛と言い争いを続けていると、扉の前に大きな影が落ちていた。


「……騎士団長……」

「おお殿下、待ちましたぞ」

 いつもと変わらぬ快活な笑顔。

 壁に寄りかかって王子を見つめている。

 だが今はそれが気に食わない。


 近衛の拘束から身を解かれ、床に足をつけた王子が騎士団長に駆け寄った。

「……また悪さでもしたんですか?」

「してない。コイツが邪魔してきただけだ」

 近衛を指差すと、近衛は肩をすくめた。


 入れよ。

 騎士団長を部屋に招くと、ソファに落ち着いた騎士団長が切り出した。

 

「殿下、我が息子に聞きましたぞ、先頃の会議を盗み見されたとか」

「目を離すとこれだ……悪ガキも大概にしてくだされ」

 やれやれ。困ったように笑う騎士団長。

 王子から見る顔は少し、やつれていた。


「ゼトめ……」

 裏切り者め。


「息子を責めてくださるな、あやつなりに殿下を案じたのでしょう」

「どうだかな」

「何を怒っているのか、私には図りかねますが」

 騎士団長の言葉にムキになったのは王子だ。

「分からないわけないだろう!お前だって会議であんなに怒っていた!」


 クソ公爵め!

 王子の脳裏に未だ焼き付く言葉。


 ——……お言葉を返すようですが騎士団長。

 ——その魔物に掬われるのが、殿下であった可能性もあるのでは?

 

「俺は嫌だ」

「お前があんなヤツに負けるのは嫌だ、頭を下げるのは嫌だ」

「アイツは騎士の誇りを踏みにじった」

 王子が膝を抱えて蹲った。


「お前は英雄だ」

「……あんな細腕のヤツ、一捻りなのに」

 か細い声。

 騎士団長が王子の吐息ひとつ逃さぬように黙り込んだ。

 静寂に満ちた私室で、暖炉の火の音が響いた。

 パキリ、木炭の割れる音を皮切りに騎士団長が口を開いた。

 

「殿下……あんな奴、が誰を指すかは分かりませぬが、会議とは勝ち負けでないのですよ」

「公爵だ!」

「だから言わんでいいのですそれを……」

「会議は国政、国防、経済、貴族諸侯らが真剣に話し合う場です、過熱する事もある」

「あの時熱くなったのは、私です」

「追い込んだのはアイツだろ!」

「……殿下には、そう見えたかも知れませんが」

 

「閣下は別に、間違ったことは言っていませんよ」

 

 膝を抱えたまま騎士団長を睨めつける王子。

 俺だけは味方だ。

 そう伝えているのに。今諭されているのは王子だ。

 王子には、わけがわからない。

 

「なんでアイツを庇う?」

「宰相も……お前も……」

「別に庇ってるわけでは」

「公爵には裏がある」

「だってそうだろ、シエルにはあんな顔見せてるくせに、会議じゃお前を追い詰めてる」


 困ったように黙り込む騎士団長。

 困らせたいわけではない。

 そう思うのに、王子の口から出るのは愚痴ばかり。

 

 おお、殿下もそう思ってくださるのか!

 いやあ公爵閣下には困っているんです。

 

 ……そう乗ってくれると思っていた。


「……閣下には閣下の考えがある」

「それだけです」


「いずれ殿下も分かるでしょう」

「いずれってなんだ、俺が分かってないみたいに」

 

 ただ微笑む騎士団長。

 その頬が赤く照らされ、王子はようやく夕刻であることを知った。


「……エリオス殿下はお優しい人です」

「そのままでいていただきたいが」


「クソ公爵はやめましょう」

 

 やはり騎士団長は笑んでいた。

 夕日で赤く照らされ、王子にはいつもの騎士団長に見えた。

 

 王子には、まだわからなかった。



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